2009/05/12 - 2009/05/23
35709位(同エリア47231件中)
明石DSさん
15:22:50
勲山では急階段を一気に上り山頂へ
そして勝鬨山も下から登る
二人は私の歩く早さについて来れない
気持ちの違いはこうも違うのだろうと自分でも驚く
-
15:24:50
「全国文物重点保護単位」
「侵華日軍東北要塞東寧要塞群」
「二三六高地陣地遺址」
「黒龍江省人民政府二〇〇八年立」
途中、去年立てたばかりの碑があった -
15:25:24
勝鬨山の山頂が見える
二本の鉄塔が立っているので分かりやすい
山頂付近まで開墾され畑地が広がっている
二人もボチボチ登って来ている -
15:30:50
この辺りから振り返れば
さっき登った勲山が真正面(北方向)に見える
勲山の頂上って?平らやんか、そりゃあ広かったはずだと
ここまで来て見たらよう分かる -
15:31:26
ほとんど山頂付近まで畑地になっている
道も続き今日の天気なら車で上がって来れる
勝鬨山山頂はすぐそこだ -
15:36:58
一本目の鉄塔は越えた
この右方向少し下に投降地点がある
この日は分からず -
15:39:08
「SHENG・HONG・SHAN」遺址
シェンホンシャンと呼ばれている
南西方向を向いて写す -
15:39:12
頂上の国境監視塔
ちょうど良い展望台なのに入れない
平成16年時は登れてソ連領が良く見えたらしい
残念無念
遺跡として整備されれば又使われるだろうが -
15:41:28
これは岩ではなく要塞の瓦礫
投降地点を探しに来たが進む方向が違い此処に来た
この日は、この場所に来て
この辺りなのかと思ってしまった
コンクリート片も熱で軽石状態になっていた
表と裏と色の違いがはっきり分かる -
15:42:18
山頂から真っ直ぐ南方向に30mほど降りて来た
今なお交通壕がはっきりと残っている
西方向に降りれば投降地点があったのに・・・。
監視塔を右に30mと言われて、向って右(南:真っ直ぐ)と勘違いした -
15:42:32
縦横に繋がっている交通壕
この勝鬨山が最後まで主力が残り戦い抜いた -
15:46:54
破壊された要塞の残骸
この黒く変色したコンクリートが戦闘の激しさを今に伝える
実際現場で見たら、変色跡が鮮明で生々しい
毎日猛烈な砲爆撃を耐えていた
8月16日には要塞内で敵砲弾が爆発
一酸化炭素中毒で多くの死傷者をだした -
15:47:46
そこら中に軽石が転がっているように思えた
爆撃爆発の物凄さを64年を経た今も如実に示している
此処に来てこの場を見れば分かる
重砲の秘匿のために勝鬨山陣地では射撃命令が出ず
8月15日午前4時35分待ちに待った砲撃を開始
敵重砲陣地殲滅、ソ連兵が宙に舞い、喚声が上がった
日本軍かく戦えり
//////////////////////////////////////
「関東軍東寧戦記」より
東寧重砲兵聯隊第一中隊の戦闘記録
勝鬨陣地の戦い ・・・以下要約抜粋↓
第132混成旅団第七八三大隊に配属された中隊は二十四榴二門をもって勝鬨陣地に守備についていた。昭和二十年八月九日零時、ソ連第二十五軍(I・Mチスチェコフ大将)は東寧正面からの侵入を開始し迎え撃つ我が軍と戦闘に入った。
八月九日
零時戦闘配置につく。夕陽丘陣地付近に絶えず敵の砲撃が続く、閃光と土煙り、上空に周囲に飛び散る物体が認められるが、それがなんであるかは土煙のため判然としない。
この世の地獄絵図が展開されてゆく。ソ連戦車と歩兵の前進が豆粒のように見られる。大野安正中隊長(幹5)は独立大隊長に射撃を要請するも「当分の間歩兵で応戦する」と聞き入れられず。
八月十日
日の出と共に銃撃戦が始まる。今日も中隊に射撃命令下らず、中隊長以下切歯扼腕し続ける。この間歩兵戦闘は峻烈を極め地下陣地の厚いコンクリートにも、敵弾が貫通するようになり戦死、負傷者が続出する。
中隊無線機も砲弾によって破壊せられてしまった。夕刻夕陽丘一帯は敵に占領されてしまう。
八月十一日
重砲射撃の企図秘匿の理由で今日も射撃の命令が出ない。日没後も敵砲兵の射撃が続く。
八月十二日
早朝から猛烈な敵の砲撃が始まった。三芬口から侵入した敵歩兵がじりじり進み始めた。挺身中隊との死闘が繰り広げられていたが、夕刻全員戦死したのか出丸陣地を占領されるに至った。出丸の占領により勝鬨陣地は一段と厳しさを加えられた。
八月十三日
夜が明けて見ると敵101トーチカ付近に重砲を布陣し始めた。10時頃より射撃しだした。昨日までの野砲、山砲級と違い着弾し舞い上がる爆煙、土煙も大きい。
これに呼応するかのように飛行機による爆撃を次から次へと繰り返してきたが、直接の被害は余り出ない。この日の敵砲爆撃は数千発に及ぶも中隊全員至極元気である。
八月十四日
栄山を守備している歩兵第三中隊、挺身一ヶ小隊に対し、敵一ヶ大隊が攻撃し約三時間に亘る激戦が続いたが、良くこれを撃退することが出来た。敵約120の遺棄死体を残したが、我が方も相当の犠牲者を出した模様、夕刻明朝敵トーチカと戦車群に対し射撃せよとの命令を受ける。ソ連軍侵入後7日目にして24榴の威力を見せる時が来たと欣喜雀躍(きんきじゃくやく)、払暁射撃の準備をする。
八月十五日
午前4時には黎明を迎える。谷間の朝霧が緩やかに流れていたが、その合間に夕陽丘に数十門、軍艦山に5,6門が砲列を敷き、砲口を勝鬨陣地に向けている姿が浮かび上がった。 4時35分、101火点付近の重砲陣地に射撃開始、目を射る閃光、耳をつんざく発射音、舞い上がる粉塵、装火薬の匂い、待ちに待った戦闘が開始された。初弾が着弾するや舞い上がる車輪と共に宙に飛び上がった二人のソ連兵の姿が観測された。敵は我が重砲陣地に発射閃光により確認したのか、砲兵陣地から猛烈に射って来る。百雷一時に落ちるとはこのことか。
「101火点破壊、重砲陣地殲滅、目標変更、三芬口の敵戦車」目標が戦車に移る。敵戦車が横転する、火を吹く、擱座する。戦車の後方に続くソ連兵が舞い上がって落下する。観測所では「やった、やったロ助め」と喚声があがり続けた。
敵の砲撃が一時中断すると戦闘機数機が谷間すれすれに侵入、機銃掃射を加える。午後4時頃砲撃戦が止む。5回線も準備した観砲間の通信網も完全に切断されていた。
長くて短い一日であったが十分に二十四榴の威力を発揮出来た。そして幸いにも中隊には一人の負傷者も出ず、手を取り合って喜びながら夜を迎えた。
八月二十一日
夜明けと共に出丸、夕陽丘の敵砲兵群に対し射撃開始、午後小隊長代理 岩崎軍曹より砲が傾き射撃不能と連絡あり、射撃不能と判断、中隊長代理、中山准尉、射撃中止を命ず。
この時、敵弾弾薬庫前の坑道天井に命中、弾丸、装薬に誘発、砲弾の炸裂、破片の飛散、装薬の引火で一帯は火の海となる。小隊長代理岩崎軍曹以下八名即死する。
重傷を負いながら火達磨となり脱出した米田政行上等兵は奇跡的にも助かる。衛兵所付近では葛西春雄兵長、頬の肉半分そがれる重傷を受けたるも海野伍長の手当てで一命取り止める。
第二砲車も使用不能に付き破壊する。砲なき砲兵いかんとも出来ず残余の兵を集め肉迫攻撃、斬込隊を編成する。戦闘指揮所の近くまで敵歩兵が進出し始めた。
八月二十二〜二十五日
敵に打撃与える火砲なく、昼間は敵砲爆撃下になすこともなく、全員身を避け夜になると斬込隊を繰り出す。「山」「川」の合言葉を使用、索敵するも敵に遭遇せずに終わる。
八月二十六日
珍しくソ連からの砲爆撃なし。昼過ぎ白旗を持ったソ連将校と日本軍参謀の姿を認む。「ニセ参謀」だとの経緯があったが大隊の柳田見習士官が第三軍に勤務したことがあり、第三軍河野貞夫参謀中佐であることが判った。
「軍使」は即時停戦を大隊長に伝えた。午後二時、中山少尉(進級)全員を陣地前の広場に集め、「戦いは終わった。大命に従う」との訓示後東方遥拝を行う。小銃七丁、銃剣三十五丁、残余のものは丸腰である。「君が代」を韻々と吹奏する。皆の頬に涙が光る。
この間何時の間にかソ連兵が周囲を取り巻きマンドリン銃を構え「ピストレ、ピストレ、急げ、急げ」とせきたてる。この時点で自由は束縛されることになった。
戦死した大野中隊長以下の戦友が屍室で眠っている。坂本軍曹、海野伍長、中林伍長、高沢兵長、飯塚兵長は連日の砲爆撃下でも残って咲いていた「女郎花」を摘み取り、屍に一輪ずつ供えた。
海野伍長が持ち続けていた香水を振りかけ、屍室入口を閉鎖した。負傷した者で歩行不能者は、後ろ髪引かれる思いであったが、ソ連軍に引渡し、マンドリン銃を突き付けられ中山少尉以下五十五名は激戦17日間の勝鬨陣地を後にした。
東勝鬨 西勝鬨 朝日 栄 出丸 勲山 等各陣地を合わせて1千名の将兵が守備していた中で、いちばん多数の戦死者をだしたガス弾事件を始め、その他戦死者を合わせ約150名(約1割5分)が勝鬨陣地の露と消え、いまもなお無念の涙に濡れて、東満国境・勝鬨陣地中庭の十榴弾砲塔弾薬庫の中に永久に眠り続けているのである。
///////////////////////////////////////以上 -
15:49:04
頂上に戻る
後を続いて付いて来ていた二人の姿はない
////////////////////////////////////////////
■勝鬨山頂上到達後又ドラマがあった。
二人が私の後に続いて登って来ていたのは知っていたし、見えていた。私の歩くペースが速いので二人は付いて来れず、私は振り返りも、二人を待つ事もなくひたすら前を向いて歩き、頂上からまた南の方角に降りた。そして頂上に戻った時誰の姿も見えなかった。
そして凄い深い穹窖の入口がぽっかり開いているのに気付いた。覗き込むと底が見えない。周囲に柵もなく暗がりだったら、もし落ちたらというくらいゾッとする竪穴だ。上部に少し階段が付いているが、その下はまっ逆さま、鉄の梯子でも付いていた監視哨なのか?換気口なのか?
高所恐怖症の私は淵から覗き込むのも恐いくらいだ。さすが中国、柵も注意書きもない、自己責任とはこのことだ。
3時57分頃山頂を一人後にす
結局、デジカメ時間によれば20分弱くらい上に居ただけなのか?二人の姿が見えず、下る途中に大声で2〜3度「オーイ!」と叫んでも応答なし。
そこで私は以下の様↓に推測した
/////////////////////////////
何かに取り付かれたように振り向きもせずオッサンが黙々と戦場跡の山頂目指して歩く後ろ姿見て、二人は不気味になり、もしかしたら自殺でもしに来たのでないのか?と、思ったかも。そんなややこしいことに巻き込まれたら迷惑だし、明日は日本へ旅たつのにヤバイと思って二人は私を置いて引揚げた
////////////////////////////
↑以上が私のその時の推測だ
何せ、見通しが良いのに二人とも影も形も見えないし、大声で叫んでも応答はない。来る時は目にしなかったが頂上近くの畑に来ていた男が怪訝そうに私を見ただけ。
こんな見通しの良い山とも言えぬ丘(上り口からの高低差は100メートルほど)で迷うとは夢にも思わなかった。大体の方角は分かるが来た道を探り当てられない。道とも言えぬ畑の中を歩いた。振り返れば頂上が見える、一旦引返してとも思ったが、しんどいし下に向うほうを選択する。 -
15:49:38
頂上にあった
最上部は階段が数段あるように見えるが
そこから下はまっ逆さま、下は暗くて見えない
空気抜きなのか?監視口なのか?
鉄梯子でもあったのだろうけど
今、ここに落ちたら?と・・・・。
無論、柵も何もなし。要注意です -
15:50:06
要塞の一部
山頂にぽっかりと口のように開いています
覗き込んだけど底は見えませんでした
http://www.youtube.com/watch?v=7U2OsDXNbqQ&feature=player_embedded
高所恐怖症なのでビビリながら
良く見たら見えたのかも? -
15:52:52
一応満足して山頂を去る
すぐ横の栄山の近さも確認できたし
要塞の破壊跡のような場所もあったし
何と言っても勝鬨山の山頂に来れたことに満足した
この時には、それ以上の欲もなく
どこかで待っているだろう二人のもとに降りて行こうと思った -
16:01:30
北西方向に勲山
勲山って平らな高台
どこが山頂かわからない
さっき山頂に上った時に広く感じたのは当たり前
ここから見れば良く分かる
まだ、この時は迷うとは露も思わず -
16:07:06
もうこの辺りで方角分からず
二人の姿もなく叫んでも応答なく
まさかこんな見通しのいい所で迷うなんて
自分でも信じられない思いで歩いていた
今は分かっているので、ここではもう行き過ぎてます -
16:22:12
勝鬨山の二本の鉄塔も見えるのに
私の今立ってるところは道ではなく畑の畝の中
迷うことに唖然とし、心の中は「何でやねん?」
ホンマ情けないってのはこのことか・・・と
あっち行ったりこっち行ったりで、降りる場所分からず
結局炭鉱会社が見えたので、元の場所へ戻るのは諦めて
そっちに行くことに -
16:26:24
この炭鉱の現場事務所で道を尋ねる
/////////////////////////////////////////
■迷った挙句のその後の顛末
4時26分、デジカメ時間よれば30分ほどうろつき、来た時とは違う場所にある石炭会社に出る。その30分が長く感じた。炭鉱夫がおり、ここは炭鉱なのだろう。その事務所で迷ったことを言い、下に行く道を教えてもらった。そこからまた方向も分からぬままトボトボ歩き途中二人ほどに道を聞いてやっとそれらしき道に出てきた。
すぐ右がロシア、烏蛇溝河に沿って歩いていた。この時は烏蛇溝河のことを大河、ウスリー川と思っていた。何で川がどこからも見えないのが不思議だったが・・・。そして歩く方向右手にソ連の陣地だった扶桑台が聳えていた。ロシアの国境沿いを歩いてた。
4時50分
山頂を下りだして1時間くらいで勲山に行った道に出てきた。しかし自分の位置が定かではなく、車を降りた場所がここからどの程度あるのか?歩いての距離も分からず。とにかく一旦タクシーがある所に戻り、そこで又タクシーに乗って来ようと決める。
そのT字路で車を待っていたらタクシーが来た。中国では結構客が乗っていても停まってくれる。相乗りして稼げるからだ。二人の客が乗っているタクシーが停まってくれた。「東寧まで」というとOKという事で、やっと一段落。3時22分に車を降り二人と別れて1時間以上が経つ。
東寧市街までのつもりが途中でちょっとした部落があり、タクシーもありそうだったので「ここで降りる」と急遽止めてもらった。10元だった。そして、停まっていたタクシーを見たら運転手がいない。聞けば運転手は中で酒を飲んでいるという。もう今日の仕事は終了らしい。
「しまった」と思ったがあとの祭り、近くに居たおばちゃんに「タクシーはないのか?」と聞いたら、「居るよ」といって、おっさんを呼んでくれた。おっさんの車はタクシーではなく白タクだった。東寧要塞まで幾ら?と聞いたら「20元」と言う。そして往復なら「40元」と吹っかけてきた。
一旦、「高過ぎる、なら要らん」と言ったが、そうも行かず、結局頼んだ。そして事情を説明したらその場所も地元だけによく知っていた。そして、もう二人はとっくに私を置いて帰っているだろうと思いつつ現場に向う。
さっきの石炭山をくぐり抜け、上に上がっていったら「な、な、なんとまだその位置に車は停まっていた」思わず「あっ!まだ居る」と言って運ちゃんに「10元プラスするからもっと上まで行ってくれ」と頼んだ。運ちゃんは気軽にOKと言って登ってくれた。
そして、そこからちょっと行ったとこで降りてくる二人を見つけた。「あっ居た、ここで停まって」と言うのに運ちゃんはこれでは10元もらえないと思ったのか、二人を横目にずんずん上がる。運ちゃんが言うには回転場所を探しに上がっているということらしかったが。
計30元を渡して降りた。思えば良い運ちゃんだった。二人と別れて2時間後無事に再会を果たす。もし私が戻って来なければ二人は私の宿泊先も知らないし、私がタクシー料金を踏み倒すところだった。日本人として辛うじて面目を保つ。
5時20分
ドラマは一件落着に落ち着いた。聞く所によると二人は頂上の鉄塔の傍にいたらしい。ちょうど私が下り掛ける時に互いに見えない位置にいたのだと思う。そして私の大声もまったく聞こえなかったようだ。風もそこそこあったし・・・。
「疲れた」 -
16:30:02
ここからも二本の鉄塔は、正面近くに見える
勝鬨山から石炭採掘とは
ふ〜ん、石炭が出るとは知らなかった
要塞作りの時点では分かっていただろうけど
その事に関しては何も書いていないなあ
ここには従業員の宿泊所のようなものがあった -
16:39:04
取りあえず公道目指して歩きです
写真・正面の高台はロシア領:扶桑台orペルオマヤ
その手前に、見えないけど烏蛇溝河が流れている
ロシアをすぐ右手に私はこの写真左方向に歩いています -
16:43:08
このオバチャンに「公道はまだ遠いですか?」と聞いたら
「もう、すぐそこだ」と教えてくれた
写真左の木々の向こうに烏蛇溝河があって
その川向こうはロシア
国境沿いにこの道を向こうから歩いて来ました
思えば遠くに来たもんだ -
17:14:24
その後、公道で、来たタクシーに相乗り
途中で又白タクで引返し元の場所へ
この間、心中では長〜い時間が掛かったつもりだったが
デジカメ時間がその間の時間を記録している
下に降りてから30分程で此処こまで戻って来ていたとは -
17:20:26
5時20分二人と再会する
3時20分にここで二人を後ろに歩き出し
2時間後に再会を果たす
二人がまだここにいようとは
ホンマ戻って来て良かった
この白タクのおっちゃんは良い人でした
まあホンのちょっとで30元払いましたが -
17:30:10
東寧市内から来た道を引返す
二人は鉄塔の所に居たそうだ
ホンのちょっとの時間差で、頂上ですれ違ったのだと思う
大声も風で消され、互いに姿を見ないまま
K君の家族が夕飯を準備して待ってるからとK君宅に向う
私が迷った為に、皆様にお騒がわせをしました
一件落着でホッとする -
17:48:26
住宅の集合する路地を入ってK君宅へ
市の中心部からは外れているが
そんなに遠くはない
//////////////////////////////////////////
■K君宅でご馳走を頂く
そして三人でK君の家に向う。「晩飯を食って行け」とのこと、用意してくれているらしい。30分後彼の家に着いたら親父さんが満面の笑みで出迎えてくれた。親父さんだけではなく、家族一同、そして張学雲のご主人も、親父さんの友人も、弟さんも。これが中国なのだろう。
テーブルを囲んで宴会。そして白酒で乾杯となった。私は「飲めないから」と言って断っても、みんなでまあ一杯という。私も物試と乾杯だけと思って付き合ったが50度の酒だそうだ。
その感覚は私にとってアルコールの原液のように感じる。無論、アルコールがどんな味なのか知らないが、その後も乾杯を促されその都度舐めるように味わった。
お祖母さんは80歳と言ってたが、小柄で一番元気そうだった。三ヶ月日本に滞在していたことがあるとのこと。明日からこのお祖母さんを置いてK君と両親、それに姉の子供の4人が先に日本に戻るそうだ。長野には家があるとのこと。
K君は日本で稼いで将来は中国で料理店を出すのが夢のようだ。確かにこの家族は料理が得意なようで美味かった。両親はしばらくしたら東寧に戻って来ると言っていた。
私は頭がくらくらして、7時過ぎに権香玉にホテルまで送ってもらった。150元の契約だったが時間も超過したし200元を渡した。
そして明日も又包車して朝から東寧巡りを頼んだ。コップに入っていた四分の一ほどを飲み、とりあえずしばらくダウン。途中起きなおして、又、寝た。頭も痛くならず幸いだった。最後のデジカメ時間は7時4分で終わっている。 -
17:50:00
どことも同じ区画のように
中庭は畑になっており野菜を作っている
この東寧もこれくらいの敷地と家は
不動産として結構高値になっているとのこと
日本円でも数百万円とK君は言っていた
どこともそうだが、右隅奥にトイレがある -
17:50:04
親父さんとおばあちゃんが満面笑みで迎えてくれた
この親父さんも明日は日本に出発
お祖母さんは、ここで暮らす -
18:14:40
オンドルの元、此処からお湯が床下を巡る
冬期は厳寒の東寧も室内は暖かいそうだ
きっと我が家より冬は暖かいと思う -
18:14:56
K君のお姉さんの娘(姪)
日本名で苗字と名前で四文字
ここでは可愛い中国娘だけど
この子の運命や如何に?言葉は?
この子も明日、日本へ行く
この子のお母さんは仕事の関係で後から日本へ -
18:24:54
写真では量は、実際より少なく見えるのは何故なのか?
分からないけど、実際はそれぞれの料理が山盛り
親父さんの弟さんが手際よく作ってくれた
さすが美味い!
K君も将来料理店開業を目指している
50度の白酒は生まれて初めて飲んだ・・・というより舐めた
まだ“乾杯”前、この透明の水が白酒
私のコップは一杯に入っている -
18:52:36
K君は「中国の煎餅:せんべい」と言っていた
これに食材を包んで食べる
少し甘みがあって旨い
7時過ぎには、頭がボーとしフラフラしてた
無論、顔は茹蛸状態
さすが、みんなもそんな私の状態に見かねて
ホテルで寝ろと張学雲が送ってくれた
今日も非日常の一日が終わった
明日も何かあるだろう
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