2009/05/12 - 2009/05/23
32104位(同エリア47411件中)
明石DSさん
6:57:18
今日の朝は曇り空
三角山方向を写す
山の頂上はみんな三角だから
どれが三角山かわからん
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6日目:東寧〜綏芬河へ
5月17日(日)雨
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2009.平成21年5月17日(日)
■さらば東寧
こんなにも東寧が日本の面影を残す所だとは思っても居なかった。永久要塞がこの地に築城されたということは、それに付随しての必要な軍人と、それに関与する商人や家族を含めての日本人が、大きくはない東寧と言う街を中心にその近辺でも生活を営んでいた。
その痕跡は建物としては多くは残っていないのだろうが、雰囲気として感じた。その一番は、あの「1945年以前の東寧中心地図」という地図だった。そこに書き込まれている名前は何ら今の日本の市内地図と変わらない。ほとんどが日本人の名前が並ぶ。
そして、そのままの道、区画がやはり東寧の中心と言えるところに残っていた。1945年8月15日を境にこの東寧はトランプで言えば居住する民族の「総替え」をおこなったかのような気がする。
歴史は繰り返す、将来又それが行われないとは誰が言えよう。この満洲の地はそれほど危うく、何かが起こり得る。そんな所だと思う。満洲が今も満洲であらば・・・きっと素晴らしい街だろう。いつもそのことを脳裏に浮かべながら歩いている。
窓から綏芬河の向こうに聳える山々が見える。あのどこかが三角山なのだろう。そして勾玉陣地なのだろう。昨日、張学雲にチップを渡すのを忘れたことが気になり、朝、彼女に今日も頼むと電話した。「9時から綏芬河までと、市内の観光、午後3時までで400元?」とこっちから値段も言った。
返事は「行:XING.シン」OKであった。
まあ相場なら¥300元くらいだろうし、¥100元は三日間のチップだ。
-
7:26:22
豚饅二個1元(15円)この兄貴の店で買う
美味かった
中国の朝は早い、今日は土曜日か
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■朝食までの散歩
これでバスに乗ることもなく綏芬河に行ける。朝食は7時半からだし、それまで散歩に出る。行く先は又例のロータリーに向って。
中国の朝は何処も早い、そして露店が出る道は賑やかで人も多い。安くて旨い、いろんな種類の食い物屋が並ぶ。豚饅屋で「豚饅一個」というと“何やこいつ”と怪訝な顔して、それでも「5毛」と売ってくれそうだったが、「5毛」と聞いて成る程、最低2個だと思い直し「じゃあ2個」と1元(15円)渡した。
こういう露店のホカホカ豚饅は大概旨い。中味に肉と野菜がある。どっちだ?と、聞かれる。聞かれて思い出す、あァそうだったと。私は肉のほうを頼む。豚饅という意識があるから。そして豆乳売りもあったから買う(2元)。最初のころ豆乳は旨かったけど、最近中国の豆乳も味が落ちた?
途中、道の真ん中でオバハンが若いアベックの男の方を殴り捲っているのに出くわした。何故か?男は殴られ蹴られっぱなし抵抗は全くしない。アベックの女性も男と手を組んだまま泣きそうな顔しながらも止めることもなく耐えている。
殴り方も蹴り方も半端ではなく、拳骨で顔面パンチもある。つねりもあり、男の顔は結構赤くなっている。周囲で見ているが誰も本気で割って入って止めようとはしない。フーン、前にもこういうのを見たが、ここまで激しいのは始めてだった。
オバハンの怒りは中々治まらない。息はさすがに切れているが、良くそれだけスタミナがあるなと思うくらい手足を出し続ける。結局、男は最後まで抵抗せず耐えるだけ、さすが見かねて「もうええやろ」と誰かが止めた。それでもオバハンはまだ昂奮しまくっていた。一体何やねん。
アベックは何も言わず去って言った。
7時35分くらいにショーを見終わってホテルに朝食を食いに戻った。昨日はすっぽかされた朝食だが今朝は有った。でも、今日もロシア人相手の商談会のようなことが行われているようで、その宿舎が税苑賓館で、そのロシア人客の為の朝食がメーンになっているようだ。
一般客は別の場所で、一般客は少ないのだろう、ついでに作ったという代物でホンマつまらん朝食だった。よほど露店の方が旨い。豚饅食って正解だった。 -
7:29:34
豊かになった証がこのペット
食い物ではありません
今は暑苦しいですが冬はちょうど良い -
7:31:38
豆乳を買う
最近不味くなったのか?
もう飲み飽きたのか? -
7:34:10
オバハンがアベックの若い男を
蹴って殴ってツネッテ、ハアハア言いながら
男は黙って耐えるだけ、連れの若い女の子も
男と腕を組んだまま呆然と
一体何が何して何とやら
朝の鍛練ではありません -
7:58:38
昨日は無かったですが、今日は何とか
それでもメチャしょぼい朝食でした
豚饅食ってて良かった
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■さらば東寧!税苑賓館を退房
9時近くになったので退房をし、外に出た。まだ雨は降っていなかったが天気は良くない。張学雲が来たので出発、サラバ東寧だ。 -
7:58:42
今日もロシア人優先のようで
別口料理のようでした -
9:31:38
三叉路は雨
左へ行けば牡丹江
右へ行けば綏芬河
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■綏芬河へ向う
すぐに雨も降り出した、東寧からちょうど30分走ったところで三叉路に出た。左行けば牡丹江へ、そして右が綏芬河だ。ちょうど1時間で、今日の宿、綏芬河澳普尓酒店「SUIFENHE AOPUER JIUDIAN」(409号室)に着いた。
外はすっかり雨模様、天気だけは仕方がない。昨日、ちょっと雨が降ったが、それ以外天気に恵まれてきた。
10時10分、綏芬河散策へ
綏芬河は坂の町だった。これだけ勾配のある町は満洲では初体験、私の経験では重慶に次いで二回目だった。そして、その坂も一定方向ではなく右にも左にも上ったり下ったりがあるようで、たった一日の滞在では方向感覚が掴みにくかった。
まず綏芬河駅に行って明日の虎林行きのバスを確かめに行った。客運站(長途汽車站:バス)は鉄道駅と対面して有った。昨日の夕方、張学雲がK君家族をここまで送って来て彼等はここから哈爾濱までバスで行き今日は新潟に着いているだろうとのことだった。
虎頭までの直行バスはない。虎林で乗り換えて虎頭に行かねばならない。そしてその虎林行きバスも午前9時発の一日便しかない。状況が分からないので明日の切符を買っておきたいが、ここは当日切符しか売らないようだった。でも客運站の場所も分かり、虎林行きの時刻も分かったので一安心。
何せ、情報もなく初めての場所を移動する時は、それが分かるまで不安だ。まず目的地に行く駅の場所が分からない。大都市では行き先によってターミナルが違うところもある。どのくらいバスが混むのかも分からない。そしてこっちはスケジュールを予め決め、ホテルも決めているので、それに合わせる必要がある・・・等々。
いつも初めての場所へ行っているのでそんな不安がいつも付きまとう。一度でも行っていれば不安の程度は全然違う。様子が分からないのは不安だ。スケジュールに縛られず流れ流れて移動するなら、そんな不安もないのだろうが。
綏芬河〜381km〜虎林〜65km〜虎頭。「合計446km」今回の旅で最長距離の移動になる。虎林から虎頭までの行き方も、この時点では全く分からない。只バスがあるということは聞いているが、そのバスがどこから出てるのかも行ってみないと分からない。予めの情報が何もない。
でも今回、バス移動を数多く経験して、バス移動の便利さと簡単なことが実感できた。 -
9:46:04
綏芬河の入口のようです
これは鉄道なのか?架線はないのか?
中国の鉄道はディーゼル機関車だった -
9:58:16
もう部屋に入っている
409号室 -
10:16:42
綏芬河澳普尓酒店「SUIFENHE AOPUER JIUDIAN」
「スイフェンホーアオプアージュウディエン」 -
10:21:08
綏芬河駅
日本で資料を探す時に見た写真が目の前に
これも旅の楽しさの一つだ
こんなとこにこんな感じであったのか・・・と
想像にはいつも限りあり
百聞は一見にしかず -
10:26:46
綏芬河客運站は駅に対面してある
虎林は午前9時(発)一日一便
乗車券は当日しか買えない -
旧日本領事館
10:35:54
駅のすぐ近くだった
坂の町、綏芬河
急坂も多いが厳寒期はどうやって
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■旧日本領事館
次に、旧日本領事館に行った。ここも旅行記に写真が良く出ている建物だ。張学雲も綏芬河はあまり詳しくなく、澳普尓酒店の場所も誰かに聞いていた。男に聞く時は「師傅:SHIFU.シーフ」と呼び掛けていた。旧領事館の場所も知らなかったが、すぐに分かった。そして、そこは駅の近くでホテルにも近い場所だった。
駅から東への上り坂で、この辺りには超急勾配の坂もある。綏芬河は冬季は厳しい寒さで気温も零下30度にもなるような所なのに、冬は一体どうなるのかと思う。まず車はスパイクタイヤでもチェーンを巻いても無理そうな急坂。歩行者は歩くというより、アイゼン付きの登山靴で冬季登山の準備でなければ無理そうだった。
今日の雨でも十分恐い。それくらいの急坂がところどころにあった。駅から東に上り勾配、迎新街の右側に旧日本領事館は今も昔のままの状態を保っているかのように奇麗な建物としてあった。人の顔の彫刻が施されているからなのか?「人頭楼」と言う。1914年建立し貿易商館であったようだが、1927年から日本の綏芬河領事館として使われていた。
そして、文革で破壊されたところを修復し、2009年の現在はその玄関左側に「牡丹江曙光外語学校」、そして右には「太平○専保険有限公司」という看板が掛かっていた。赤白の色鮮やかで瀟洒なデザインの美しい建物だ。今も立派に使われている。
「ふ〜ん、こんな場所に、こんな風に建っていたのか?」
周囲にもロシア建築風の時代を感じさせる建物が結構多くある。 -
10:36:52
1914年建立か
今もこの場の雰囲気を引き締める
大きな建物ではないけど
十二分に存在感があり、素晴らしい芸術品だ
当時の美的センス、建築技術に敬意を表す -
10:37:28
こんな建物が溢れる街に行ってみたい
ロシアの街、ヨーロッパの街
一度行ってみたいなあ -
10:38:08
すぐ隣にもロシア風建築あり
綏芬河はその昔ロシア名だった
石光真清が満洲で諜報活動していた頃
この地はポグラニーチナヤという名前だった -
綏芬河口岸:国門(国境)
11:00:46
ロシア国境へ向う
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■次に、国境へ行った
綏芬河は、面積、規模としては小さな町だけど「地球の歩き方」にもちゃんと紹介されている。ロシアとの国境の町。人口約10万人。しか張学雲も言っていたが、この辺りでは一番裕福な人が多い豊かな町だそうだ。見るからにそんな感じがする。
東寧もロシアとの国境の町だが、町の「活況、賑やかさ」という点においては田舎と都会くらいの歴然たる差がある。国境へは綏芬河の中心部から車で20分くらいで到着。
最初のゲート、国門旅游区観光券の売り場に誰も居ないのでそのまま車で進んだ。そして、又検問所があり、そこでは国境警備の若い兵隊が三人おり「入場券を見せろ」と言われた。
「誰も居なかったので、券は買っていない」「それなら入場させない」と言われ、三人の内の一人が車に同乗し券売所まで戻る。
そして15元で警備兵から券を購入し、又さっきのゲートに戻り入場した。雨の日曜日、日本人観光客は無論、中国人観光客もいないのか?閑散とした国門旅游区だった。綏芬河口岸(旧国境ゲート)は今は土産物屋になっている。
雨の中、私は日本から持参した小さ過ぎる携帯折りたたみ傘をさし、一番国境近くの境界まで一人で歩いて行った。隣が現在の国境ゲートになっているそうだ。国境を跨いで中露の国旗掲揚代があり、雨の中、両国国旗がそれぞれに掲揚されていた。こんな光景は日本にはない。
一人トボトボ境界付近から戻って来ると、両側に数店ある土産物屋の店員から声を掛けられた。暇を持て余した上、張学雲が「日本人だ」と言ったようで声を掛けて来たようだ。ロシアの土産が並んでいたが、そのほとんどが“MAID IN CHINA”だろうなあ。20分ちょっとの滞在で国境を後にした。 -
11:02:30
国門旅游区観光券の売り場
門票を買いに行ったら誰も居ないのでそのまま通過する -
11:05:48
結局、ここで国境警備の兵隊に券がないと通せないと言われ
兵隊乗せて戻り、その兵士が切符を販売する
販売所に人がいないというのが怠慢だろ
自分たちの怠慢という意識は全くない -
11:13:44
今は土産物屋の旧国境ゲート
隣に今の国境ゲートがある -
11:18:18
中露国旗が少し離れて掲揚されている
ここが今の国境ゲートで、目の前がロシア -
11:27:10
中露国境と言ってもあまりに普通の地続きなので
今一実感もなく、このゲートが
“ふ〜ん、ここがそうなのか”と意識させる
国境なる場所も、見慣れればそれなりになってしまう
慣れるってことはこういうことか・・・。 -
雨の靖國山に登る
11:59:00
せっかくの高台だが雨で眺望はいかんとも
でも雨の綏芬河もそれなりに風情あり
プラス思考とはこのことか
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■次に、靖國山に登る
12時頃、雨の中、靖國山麓に到着した。
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「遥かなる黒龍江」小林静雄(著)
127頁 以下抜粋↓
200年5月17日午後3時30分頃、綏芬河市内に到着した。まず市内の南東側にある綏芬河要塞の中核陣地であり、第二国境守備隊が駐屯していた靖國山を訪ねた。
頂上には、地元の綏芬河テレビ局ができており、日本から訪れた私たちを歓迎していただき、テレビ局の方たちの協力により、無事、陣地跡の撮影取材を終え、テレビ局のインタビューを受けた。
「私は、1918年生まれの84歳ですが、日中友好30周年記念として、旧関東軍の15ヶ所の国境守備隊遺跡を探訪し、その紀行文と現地の写真などを掲載した本を出版したいと思って、取材旅行をしています。・・・以下略」というようなことを述べたと思う。
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↑2002年、84歳なら2009年の今年は91歳・・・か。この人の書いた本も、資料としては参考になったが、日中友好とあるように中国の言い分をそのまま垂れ流している。それが歓迎してくれる証だろう。
「日中友好」「慰霊」と称し、“好々爺”然とした態度と文章で、決して声高ではなく、さりげなく過去の日本と軍隊を悪し様に言う。こんな輩こそが、戦友だけではなく過去・現在・未来の日本人を貶める真の卑怯者であり、戦後の日本を駄目にした元凶だ。
テレビ局(電視台)も有るし、市内の南東の山で、権香玉にも地図で指し示してもらったので場所としては間違いないと思う。でも、陣地跡の遺跡といっても情報は何もなく、只、頂上目指してテレビ局の裏庭のようなところから登った。
この時は、私の方が「もうここまで来たからええわ・・・」と心の中で思っていたのに、張学雲の方が雨降ってるのも構わず、そこから上に登れそうだと崖を指差してくれる。勝鬨山の私の態度から、そう思ったのだろう。
その勢いに押され頂上目指し登った。頂上に出たらボロ家が点々とあり、下までちゃんと道が通じているのが分かったが後の祭り。犬が吼えて何匹も出てくるのにはビビル。小さい時に飼い犬に手首を噛まれて以来、実は犬が恐い。それに中国は狂犬病大国でもあり、毎年多くの死者が出ている。
張学雲もそうだが中国人は慣れているから恐がらない。犬を飼うのは番犬:看家(カンジャー)の為ということだ。今は、ペットブームなのか小型の犬を散歩している姿も普通に見かけるようになった。ひも付き散歩はまれ。
頂上付近で周囲の写真をとり、デジカメ動画で雨の綏芬河を撮影した。要塞遺跡なんて皆目分からない。ただ来て登った。 -
12:01:38
雨だし、“もうここらでええわ”と私は内心思っていたが
「そこから登れる」と張学雲に言われて、上までよじ登った -
12:04:10
靖國山より北西方向を写す
靖國山と言っても満洲時代の名称で
地元が今、どういう名前を付けてるのか知らない
そうか、聞いておけば良かった
http://www.youtube.com/watch?v=Jrv9P-eorVI&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=MvftL-QBxr8&feature=player_embedded -
12:06:42
山頂付近には不法占拠なのか
バラックの小屋が並んでました
犬がやたらに大いのはビビリます -
12:09:04
何のことなく、こっち側にちゃんと道があった -
12:13:54
テレビ局まえに車を置いて道なき道をよじ登り
降りて来る時は普通の道で
この前方に車を停めてます -
昼食
12:22:28
コップも茶碗もピシッとビニールに梱包されている
これが各テーブルに置かれていた
こんなんも初めて見たけど
一体誰が?こんな業者があるのだろう
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■昼食を食う
取りあえず綏芬河の予定の旅を終え、昼飯を食べる。張学雲が適当に探して見つけた店は、偶然だが旧領事館のすぐ傍だった。先に入ろうとした店が満員で入れず、隣の餃子の店でトマトと玉子のスープと餃子を食う。
まあ旨かった。二人で餃子は全部完食、中国で複数で店に入って残らず食うのは記憶にない。
1時前に店を出て、ホテルに戻り張学雲に400元を渡して三日間の礼を言って別れた。思えば15日東寧に着き、たまたま路地で声を掛けたタクシーが彼女だった。そこにドラマが生まれ旅の思い出が出来た。一期一会とはこのことなり。
次に東寧に行く日本人観光客あらば、彼女に頼めばガイドに負けず劣らず、すぐに勝鬨山にも案内してくれますよ。
部屋に戻って休憩。
今回の旅は最初から最後まで、それぞれに行きたい見たい場所があり、自分の中では内容が濃く気が抜けない。でもマラソンで言えば今日辺りが中間点であり、明日から折り返しの気分である。
そんな綏芬河の一日。雨も降ってるしゆっくり休憩しようと、その時は思った。でも、そのゆっくり休憩は1時間足らずだった。 -
12:31:30
玉子とトマトのスープ
今回の旅行で何度か食ったが、食える
これなら名前知らなくともOKだ -
12:39:16
水餃子
二段になっている
食い物を写真で撮って見たら、多く見えない
でも実際目の前に出された時は、大概多いなァ〜と思う
食い物を写したら、写真と実際の違いをいつも感じる
何でかなァ〜・・・。
二人で全部完食す、腹一杯になった -
12:57:08
綏芬河、旧日本領事館のすぐ近く
(馬戸=ロバ)驢馬肉餃子王の店で食いました
そうか、ロバ肉餃子王だったのか
餃子にロバの肉が入っていたのかも?
味は、ロバの味だった? -
13:05:34
409号室から窓の外を写す
何が建つのか?
雨もしょぼしょぼ
しばし休憩す -
散歩
13:57:06
外から澳普尓酒店を写す
私の部屋は4階
写っているはずだが分からないだけ
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■綏芬河を散歩する
2時前に、窓から外を見れば雨も小雨模様になり、またノコノコ出て行く。
この付近を把握したいと、まず駅に向って歩き、そして旧領事館、そして靖國山の麓まで歩く。いつも磁石と地図を持っての歩きだが、それでもこの町は坂が一定方向への傾斜ではないので、なかなか感じが掴めない。周囲は山に囲まれ、太陽の陽射しもなく、結局、ごく近辺しか道は把握できなかった。
そして、方向分からぬまま歩いているとロシア語が溢れる一角に出た。そこが中心広場付近であり中露商業貿易街地区だった。満洲里を思い出したがこっちの方が年期が入っている雰囲気だった。看板はロシア語だらけ、老若男女のロシア人が普通に歩いている。ここだけは「ロシア」といっても納得できる。
この地は石光真清が満洲で日露戦争前に諜報活動をしていた時代、明治34年(1901年)当時はボクラニーチナヤという名前だった。ロシア語が溢れロシア人が普通に歩いていてもおかしくはない町なのだろう。
そして、ロシア語が溢れるのはそんなに広い範囲でもなかった。その地区、一画を外れると、どこにもあるような中国の街だった。この中心広場には地下街もある。その規模もこんな国境の小さな町には不似合いなくらいの規模だった。
地下二階になっている。雨がどれだけ降ろうが氷点下になろうが地下街は一年を通して快適に買い物が出来る場所なのだろう。豊富な食料品専門市場もある。1時間半くらいうろついて足がだるくなりケンタッキーの店に入りジュースとから揚げ少々を食い小休止。そして又休憩の為に、3時36分頃、部屋に戻る
「今日は雨やし、綏芬河は予定もないし、ゆっくり休憩しよう」
今朝の家内からのメールで神戸や明石で新型インフルエンザの陽性患者が出て大騒ぎだと知る。こっちは、山ほど患者が出ても分からんやろけど・・・。
3時36分〜5時17分
今回の旅行中、一番長い休憩だった。1時間41分:部屋で休む -
13:59:32
駅の正面に立つ教会
一昔前ここはロシアだった
清国でもあり満洲でもあった
今は中共だが、次は?
歴史は繰り返す、それが歴史というものだ -
14:00:08
写真では坂の急さ加減は分かり難いが
凄い急勾配の坂だ。背中は教会
凍結時は一体、車は?人は?
危険としかいいようがない
そんな厳寒時に来て、この坂を地元の人が
どのようにしているのか?見るだけで一見の価値あり
ホンマ見てみたい -
14:24:46
靖國山の麓
建設の槌音響く・・・か
この地はロシアとの交易で儲かっているようだ
中心部の活気と賑やかさでは、群を抜く
小さい町だから余計感じるのかも -
14:26:50
坂の町、綏芬河
満洲時代、ここはどんな雰囲気だったのだろうか -
14:31:12
こんな光景に出会うとホッとするのは何故なのか?
100年後もこういった光景が残っていることを願う -
14:41:24
満洲崩壊後、ここはロシアになった
中心部に来るとロシア一色の風景に驚く
満洲里とは一味違うロシアがあった -
14:42:48
中心広場の周辺はロシア
ロシア人は中国製品を買い求める
ロシア人って金持ち?それとも?
見た目はどうにもカッコよい -
14:46:26
中心広場には大きな地下街がある
冬期は寒さが厳しいから地下街はありがたいだろう
今日も雨で外は寒いが、地下街へ入ると暖かい
一時避難場所として最適だ -
14:46:36
染めなくても金髪か?
整形しなくても鼻が高いんか?
何で目も青いんや、人形みたいに?
白黒黄色、いろんな物があってこそ目立つ -
15:04:30
中心広場は澳普尓酒店の近くだった
グルグルと歩いたら少しずつ町の様子が分かる
どこでもそうだが歩くのが一番 -
15:09:18
又中心広場の地下街に入る
地下にもこんな市場がある
町の中心部は他の都会と変わりない
辺境の小さな町に立派な地下街
これが今の綏芬河の状況だ、百年後は如何に? -
15:36:34
歩きつかれて、ホテル近くの
ケンタッキーフライドチキンで、しばし休憩 -
夕方の散歩
17:58:32
夕方の中心広場を闊歩するロシア人グループ
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■夕方5時17分、又ノコノコ部屋を出て行く。
今度こそ雨は上がった。ウィンドブレーカーを着ていても少し寒い。一番賑やかな中心広場を目指して歩く。やっとこの近辺の道は分かった。
旅先で、どこに行ってもそうだが、掲示板の貼り紙を見るのは面白い。その貼り紙のほとんどが貸し室、アパートなどの賃貸物件の貼り紙だが、中には求人広告もある。そこに書かれている職業や給与が一番興味深い。今現在の当地の生の情報だから。そこの今貼らんとしている貼り紙に興味を持ち、貼ってるおっさんが傍にいるのに、わざとらしく近づいて写真を撮った。
“おっさん”は、そんな私に向かって「何やねん」と声を掛けて来た「この字が面白いから・・」と、言っているつもりだが、相手に意味が通じないようで、しつこく私に対してブツブツ何かを言っている。私も説明出来ないので愛想笑いをしてこっちから立ち去った。
その貼り紙は「出租女床位」とだけ大書きし、連絡先であろう携帯番号を書いているだけのシンプルな物だった。「貸し出し、女、床、位」・・・妙に意味深で一体何やと。今も分からないが、帰国後直訳すれば「女性ベッドのリース」となる。
言葉どおりの、そんな商売が有るのか無いのか?それとも他に意味ある商売なのか?又、機会があれば中国人に聞いて見たい。初めて目にする言葉だし。
次に新疆ウィグルから来たであろう女性がやってる店で羊肉の串焼き(シシカバブー)を二本頼んだ。そして、「ヤポニヤディン ケルディム=日本から来ました」と声を掛けた。彼女は笑みを浮かべたが、その他の反応なし。
私も3年前に新疆ウイグルに言った時に覚えた言葉で、正しいのか否か?分からず、もう一度、口の体操をしながら言ってみた。「日本人ね」と分かったようだ。そして「新疆ウィグルの何処に行ったの?」「何時行ったの?」「私は庫車(クチャ)から来ている」「庫車の何処に行ったの?」とか聞かれ、しばし漢語で話をした。
「庫車にも行った」「巨大な壁のあるところ(天山神秘大峡谷)」などなど、ジェスチャーと片言で。彼女は同じウィグル族のご主人と三〜四年前にここに来て商売をやっているようだった。
その後、ワンバに行って、それから晩飯を食いに店に入った。入ると「何人ですか?」と聞かれる。小さな店では一人客も多いが、少し大きな店では一人で来る客はまずいない。何人かでテーブルを囲み、いろんな料理を注文し飲んで食ってというのが一般的な風景だ。
そこの店も一人客は私だけ、座ってもすぐに注文できず、メニューをとりあえず見て考える。そして挙句の果てに一言「看不ドン:カンブドン:見ても分からない」と言葉を発する。店主や小姐は、「何やこいつ」と怪訝な顔をする。その時と、その後のいろんな反応が面白い。
邪魔臭そうに待ってる者、説明しようとする者、冷麺があったのでそれを頼む。やはりここでも冷麺は旨かった。若いアベックの男が、テーブルを思い切り叩きながら携帯で喚いていた。その他の客もそいつの方を見ていた。こんなんがこの国の普通の風景だ。
部屋に戻ったのは8時半過ぎ。綏芬河の一日は終わった。明日は長距離移動の日になる、いざ虎頭に向う。
夜、家内のからの携帯メールで長男の嫁がインフルエンザに罹って陽性だったと書いてきた。ビックリした。後で確認したら陰性を陽性と書き間違えたとのこと、ホンマ便利になったといいながら、その為にこんな辺境?に来ても日常世界からの逃避もままらない。世の中のことすべてに良し悪しあり。 -
18:06:14
坂のある町・綏芬河
厳冬期に再度来て見たいと思う
どんな日常の光景があるのか?
車は?人は? -
18:09:28
此処にもあった歩行者天国
大きな町の中心街には必ずある歩行者天国
綏芬河は小さいけどある -
18:11:10
掲示板の求人票
これには沢山の職種が書かれていた
人材派遣会社の求人票なのか? -
18:11:32
貼り立てホヤホヤ?
「出租女床位」・・・何やこりゃ?
貼ってたオッサンが私がデジカメで写真を撮ると
何やねん?と声を掛けて来た
こっちが「何やねんこりゃあ?」と聞きたいんやけど -
18:17:38
はるばる新疆ウィグル、庫車(クチャ)から来て店を出していた
一本2元とは、ここは物価が高いのか倍の値段かも
「ヤポニヤディン ケルディム=日本から来ました」
彼女に通じた。
新疆ウィグルもチベットも内蒙古も、満洲も、
漢族の主権の行使に、何ら正当性はない -
18:27:46
雨上がりの中央広場
ホテルの方角を写す。ホテルまで徒歩5分
こっちに向かって戻ります -
19:55:54
日曜日のワンバ
天気も悪いし、日曜日
ワンバは一杯だった
若者が大半でゲームに熱中している
ウィンドウズ・XP。インターネットは遅くない
日本語は読めるが、書くことは出来ない。 -
20:19:32
ホテル近くで食う
あの右奥の兄貴が喚いていた
日本ではまず見かけない光景が時にある
それが旅なのだろう -
20:19:56
写真で見ても美味そうに見える
実際外れはなかった
今回の満洲旅行で良く食った
朝鮮族が多いから冷麺も多い
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