2009/05/16 - 2009/05/17
176位(同エリア246件中)
熱帯魚さん
金門島には、南洋の国に渡り、ゴムプランテーションなどで
財をなした華人が建てた素敵な洋館が今も残っています。
今回も風獅爺探しの途中に見つけた素敵な洋館をご紹介します。
◎ 北山洋館
◎ 睿友学校
◎ 陳清吉洋館
◎ 陳氏宗祠
【旅の日程】
1日目:夜のアモイ航空(MF8546)で上海からアモイへ。アモイ高崎空港に23時25分到着。空港バスで市内のホテルへ。
2日目:朝8時半のフェリー(五縁輪)でアモイから金門島へ。金門島に9時50分頃到着。民宿に荷物を置いてから、バイクで風獅爺探しと戦跡巡り。
3日目:フェリーの時間まで風獅爺探しと戦跡巡り。16時半のフェリーで金門島からアモイへ。アモイ到着後、タクシーで空港へ、20時半の春秋航空(9C8864)にてアモイから上海へ。
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◎ 北山洋館
国民党軍と共産党軍が激しい戦い(古寧頭戦役)を繰り広げた北山村にある洋館です。
フィリピンマニラで椰子の実の貿易で成功した、李金魚氏が1928年に建てました。 -
古寧頭戦役では、一時、共産党軍の指揮所にもなったというこの洋館、壁には多くの銃弾の跡が残っています。
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後ろからみても、沢山の銃弾の後が残っています。
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◎ 睿友学校
南洋で財を成した陳睿友氏の死後、彼の財産の一部を使用し、1926年子孫らが建てました。このあたりの村の子どもたちが無料で学べる学校だったそうです。
学校として使われなくなってからは、村の役所として使われていましたが、新しい役所ができてからは、廃墟と化してしまったそうです。 -
戦時中は、軍事施設としても使われていました。バロック様式。国旗や国民党旗、グルカ兵、楽隊、草花、そして鶴が彫刻されています。
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◎ 陳清吉洋館
陳清吉氏は、父と兄弟の契りを交わした陳紫車とともに南洋シンガポールへと渡り、陳紫車の弟子として働き始めました。成人してからは、同郷出身の陳能顕とともにビジネスをスタートし、富を築きました。日本軍がシンガポールに侵攻してからは、ビジネスを中止していたそうです。
1931年、故郷に戻った陳清吉は2階半建ての洋館を建設しました。それがこの洋館です。 -
ちゃんと説明書きもありました。1949年以降は、国民党軍の幹部養成所としても使用されたそうです。
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門には、当時幹部養成所として使われた名残りが。
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鉄の門には、「福」の文字がありました。
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裏の門の壁に貼られていたタイル。
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1階と2階の間に、「Union is strength」と英語で書かれていました。
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中華と西洋の要素を上手くミックスさせていてすばらしいです。
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獅子かな?龍にも見えます。
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壁に貼られていたタイル。
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写真の撮り方が悪くてうすーくしか見えませんが、下にUnion Is Strengthとかかれています。その両側には兵隊さんが掘られています。
こう見ると不思議な建物です。 -
◎ 洋館
こちらも陳清吉洋館や睿友学校のある村にあった洋館です。じっくり見学したかったのですが、攻撃的な鳥がそばにいたので、あまり長い時間いられませんでした。 -
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◎ 陳氏宗祠
穎川堂と書かれていたので何かと思いきや… -
睿友学校や洋館などを建てた陳氏の祖先を祀った廟でした。
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中の様子。どうやらちゃんと管理している人がいるようです。
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陳氏宗祠の向かいの伝統建築の壁には、スローガンが残っていました。
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◎ 洋館のような伝統建築
最初洋館かと思ったのですが、よーくみたら伝統建築でした。夏墅村をスクーターで走っていた時に見つけた住宅です。 -
ここだけは洋館っぽいですが…こういう建築はどういう風に呼べば良いんでしょうか?洋館風伝統建築?
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