2006/05/05 - 2006/05/05
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kyon2 and ku-さん
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鶏さんの声で起こされてしまいました。
外はすっかり夜が明けていて、2階のテラスに登ると朝もやに霞んだ街並みが・・・
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まずは民宿探検
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お散歩、お散歩
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集落入口の交差点の両側にはトーチカが・・・
金門のバス停はどこも新しくてきれいです。
金門はおいしい牛肉の産地だそうですが、こんな風にのんびり暮らしていたら、ストレスも溜まらずさぞかし美味な・・・ -
右下の建物は未修復で、ヘンな凹みがところどころに。
これって、砲撃を受けたときの榴弾の破片孔!? -
伝統様式の古宅と、東南アジアで成功した金門華僑の方が建てた洋楼が混在している点が、金門の集落の特徴。
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朝食のあと、蔡さんが街を案内してくださいました。
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旧・金水小学校。
(1931年竣工)
教育の重要性を感じた水頭の村人が、村から南洋へ出向いた華僑の人々に寄付を呼びかけ、十数年の募金活動を経て建てた学校。
講堂を中央の独立した空間とし、その両側に教室を設けた[回]字型の配置になっていて、当時の金門では数少ない学校であり、しかも独自の洋風建築。
現在は郷土資料館として公開されています。
日中戦争時(1937年に日本軍が金門占領)は、日本の野戦病院として使われていたそうです。 -
1842年の阿片戦争後に廈門が開港されるとともに、東南アジアの欧米植民地への移住が増加。金門をルーツにする華僑は、シンガポールを筆頭に東南アジア地域が推計25万人を越えるといわれています。
シンガポール : 10万人 人口・約450万人の約2.2%、西マレーシア : 4万4千人、東マレーシア : 3万人、インドネシア : 5万5千人、日本 : 3千人 神戸・大阪・東京に多い(山后・新頭・下坑出身者) -
漢方薬局を模した展示
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得月楼
華僑・黄輝煌さんが建てた得月楼は、集落全体を守るために銃眼を備えた楼閣が設けられ、ここから地下道を通って隣接の建物に行くことができ、緊急防御の必要に対応することができる構造。
得月楼の命名は、宋の詩人蘇麟の詩句「近水楼台先得月(水辺の楼台は真っ先に月が照らす)」に由来するものだそうです。 -
民宿のすぐそばにある第二級國家古蹟・酉堂別業は、清朝の乾隆三十一年(1766年)当時の金門切っての金持ちで黄百万と称せられた黄俊さんが建てたもので、前には「日月池」、後ろには山という造りは、金門で唯一の庭園池のある建築。
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蔡さんがお祖父さんの遺品であるトランクを見せてくださいました。
何度となく金門とインドネシアを船で往復したんですよねぇ。空なのになんだかその旅程を感じさせる重さでした。
ほんとうにお世話になりました。
ありがとう、蔡さん。
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