2009/05/16 - 2009/05/17
176位(同エリア246件中)
熱帯魚さん
金門島は、アモイの目と鼻の先、
中国支配の島やアモイが肉眼でも見える距離にあります。
そのため、第二次世界大戦後、50年もの間、中華民国軍の
軍事的拠点としての役割を担っていました。
特に、古寧頭戦役や八二三砲戦では、
中華民国軍と人民解放軍が激しい戦いを繰り広げました。
八二三砲戦(1958年8月23日~10月6日)の間、
中国から金門島に打たれた砲弾の数は、47万発だったそうです。
今回は、八二三戦史館、古寧頭戦史館、そして戦跡などを巡りました。
◎ 八二三戦史館
◎ 兪大維記念館
◎ 八二三戦役勝利記念碑
◎ 延平郡王祠
【旅の日程】
1日目:夜のアモイ航空(MF8546)で上海からアモイへ。アモイ高崎空港に23時25分到着。空港バスで市内のホテルへ。
2日目:朝8時半のフェリー(五縁輪)でアモイから金門島へ。金門島に9時50分頃到着。民宿に荷物を置いてから、バイクで風獅爺探しと戦跡巡り。
3日目:フェリーの時間まで風獅爺探しと戦跡巡り。16時半のフェリーで金門島からアモイへ。アモイ到着後、タクシーで空港へ、20時半の春秋航空(9C8864)にてアモイから上海へ。
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スクーターを走らせている時に見つけた街並み。以前は軍人さん相手の商店が沢山並んでいたようです。今は金門島駐在の軍人さんが激減し、看板を残すのみになっていました。
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こちらもどこかは忘れてしまいましたが、スクーターを走らせている時に発見した防空壕らしき穴。
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2日目。
八二三戦史館にやってきました。がじゅまるの木が沢山並ぶ「榕園」が戦史館の脇にあります。「誠実部隊建」と書かれていました。 -
ほかの戦史館と同じく、戦車が陳列してありました。
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こちらが八二三戦史館です。
開館時間:8時半〜17時
旧正月の大晦日(除夕)のみ休館。 -
1958年10月23日から10月6日までの44日間で、共産党軍が金門島に打ち込んだ砲弾の数は約47万発、逆に国民党軍が打ち返した砲弾の数は約7万5千発でした。
最初の3日間だけで共産党軍から金門島に打ち込まれた砲弾の数は約10万発。驚きの数字です。 -
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国民党軍は、空からビラや食料(カンヅメなど)を風船や気球によって、大陸の福建沿海までまきました。
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空からだけでなく、海からもビラや食料などを入れたビニール袋や風船、ビンなどが福建沿岸へ向けて流されました。毎年10万個も流されていたそうです。
また宣伝弾という特殊な爆弾を目標の上空500mで爆発させ、宣伝ビラをまくこともあったそうです。 -
大陸から流れ着いたビラ。国民党軍は共産党軍におされ、台湾まで逃げてきたわけですが、このビラには、「降参して祖国中国に戻り、家族と対面した国民党軍人」のストーリーが書かれています。
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こちらも大陸から金門島に流れついた、もしくは舞い降りたタバコとビラ。タバコの箱の中にビラを入れていました。
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国民党軍から大陸にまかれたビラ(自由や民主をうたったもの)や蒋介石・孫文のスピーチ入りレコードなど。気になるのは、テレサ・テンのブロマイドらしきもの。
そういえば、馬山観測所にあったラジオ局(大陸向けプロパガンダ放送)には、テレサ・テンが出演したこともあったという話を思い出しました。 -
砲弾とプロパガンダ放送に使われたスピーカー。スピーカーからの声は福建省沿岸のかなりの地域に届いていたようです。
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1958年12月15日の新聞記事によると、八二三砲戦が始まってから10月16日までに、アメリカ、イギリス、日本、カナダ、オーストラリア、韓国、フィリピン、トルコなどから記者が取材にやってきたそうです。
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9月26日、24名の記者を載せた上陸艇が故障で沈没。日本人記者を含む6名の記者が亡くなったそうです。
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こちらは記念館の外に展示されていた上陸艇です。記者はこれに乗り移動していました。
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館内には蒋介石から送られた旗が飾られています。
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1958年8月23日から、中国がアメリカと国交を樹立し、金門島への砲撃を中止した1978年12月15日まで、中国から金門島に打ち込まれた砲弾の総数は、なんと約97万発でした。
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有り余る砲弾で金門人が作ったもの、それは今でも金門島土産として人気のある砲弾で作った包丁でした。
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最前線として金門島が重要な役割を果たしていた頃、金門島から台湾本土、また台湾本土から金門島に渡るには通行証のようなものが必要でした(右上)。
また、金門地区のみでしか使用できない紙幣もありました。(左) -
天井を見上げると青天旗が。
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敷地内に展示されていた軍用機。
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八二三戦史館の斜め向かいに、兪大維記念館という記念館があったので入ってみました。
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兪大維の銅像が玄関にあります。
兪大維は、中国は紹興の出身で、上海の大学で学んだ後、アメリカハーバードでPhdを取ったほどの秀才でした。国民党軍に参加し、台湾に渡った後は、中華民国交通部部長、国防部部長(部長は日本の大臣に相当)などを務めました。八二三砲戦のときには、国防部部長だったそうです。 -
兪大維の書斎を再現しています。
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結構リアルに再現されていました。
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スクーターで走っている時に十字路で見つけた「八二三戦役勝利記念碑」。
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なぜか大舞台というボーリングのピンの広告がありました。
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太武山です。
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中はトンネルや軍事施設が作られ、ほとんどが空洞なのだそうです。
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山の上に、プロパガンダ用スピーカーを発見しました。
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金門島には多いときで10万近い軍人さんがいました。しかし今は1万人ほどに激減。
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以前は軍人さんたちで賑わった町も、今はひっそりとしていました。
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こちらも以前は軍人さん相手の商店街だったようです。
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スナックを売るお店。
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理髪店。
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そのもと商店街のすぐ近くに、防空壕のようなものがありました。
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こちらは偶然発見した廟です。いわゆる国共間の戦いとは関係ありませんが…。
水頭埠頭の近くの夏墅村にあった延平郡王祠。鄭成功を記念して建てられました。 -
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