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一旦ホテルの部屋で一休みし、ホテルの直ぐ前の広場を横切って、ノン・プラ・チャック公園へ行く。広〜い公園の中に広〜い湖があり、幾つもの大きな島が点在している。<br /><br />公園が大きすぎるのか、人影はそれ程見えない。数日前ピサヌロークからバスでこの町に来た時、町に入る直前に大きな湖の公園があり、大勢の人々がピクニックを楽しんでいるのがバスの中から見えたが、それがこの公園かと思っていたが、どうも違う場所のようだ。まあどこでも良い。静かに散策でき、タイにもこの様な静かな場所があることを知るだけでも良いではないか。真夏の国、炎天下の直射日光は流石に暑い。しかしこの公園は樹木が豊富で、公園全体に芝生が張られていて、湖からの生暖かい風もあって、木陰に入ると気持ちが良い。1時間ほどかけて散歩し夕食を摂りに再び新市街に向う。<br /><br />夕食前に明日のコンケーン行きは再び列車に乗ることも考え鉄道駅まで行くが、バンコク−チェンマイ間と違って、東北ラインは列車の本数も少なく、安心出来なかった。鉄道自体も余り利用されていないのか、駅舎には小さなキオスクが一つあるだけだった。<br /><br />駅の直ぐ前に8階建ての白くて大きな近代的なビルが建っていて、その屋上にタイ語でFi:rpk@k[gxkF[g,F,iup[と看板が出ている。最初の文字が「ローンパヤバーン」で病院。最後の文字が「メモリア」でどうもメモリーらしいことはどうにか分った。しかし真ん中の二文字が「ポーロー」としか読めず、良く理解できない。色々と考えあぐねたが、ああそうか、何かの記念病院とすれば、「パウロ」以外に無く、漸くこの立派な建物が「パウロ記念病院」であることが理解できた。一つ一つが勉強であるが、苦しくもあり、楽しくもあり、との心境。<br /><br />駅から歩いて新市街まで出たが、ショッピングセンターの前に、十数軒の飲食店が集まったいかがわしい感じの一角があり、日本語で呼び止められて、その内の1軒に入ると、もう全員が欧米人のお客さん。この一角はどの店も欧米人で占領された感じになっている。ビールを1本飲んで、余り面白くもないので、外へ出てセルフの食堂に入る。<br /><br />ガラス張りの明るい店で、バイキングの様に自分の好きな料理を選んで皿に盛り最後に会計をする。全く米国式で、丁度ビエンチャンにフランス仕込みのフランスパンが根付いた様に、この町では米国式のセルフ食堂が根付いたようだ。明朗会計、安上がり。<br /><br />そうするとこの町の40年前の米国の遺物は古ぼけた町並みだけかと思っていたが、パウロ記念病院のようにキリスト教はしっかり定着していて、一度庶民の中に染み込んだ風習、文化、宗教はそう簡単には抜け切れないのかも知れない。確かにこの周辺の新市街はバンコクの一部地域と同じ様に、かなりアメリカナイズされた環境でもあった。<br /><br />沖縄に米兵との混血児が多数いるように、この町にも多くの二世、三世が生活し、その中には仏教徒以外にもキリスト教徒もいるに違いない。ガイドブックが言うように、矢張りこの町も基地の町に他ならなかった。米軍が駐留した足跡はこんな形の遺伝子としてこの町に息づいているのを発見した。<br /><br />ショッピングセンター周辺をうろついても意味は無く、外人だらけのいかがわしい一角に行く気も無く、ホテル近辺、旧市街まで戻ると、昼間広場だった場所に煌々と電気が点いている。何かお祭りのようだ。昼間は何もない様に見えた広場が数時間の間に様変わりしている。多くのバイクもそっちに向って走って行く。そう、この町では自家用車よりまだバイクの方が主流。二人乗り、三人乗りで会場の方向に向っていく。当方も人の波に従って会場に向うと、何時の間にか何百とあるテント張りの夜店が立ち並んでいて、買い物客が各店を囲繞している。<br /><br />夜店の原型。ピサヌロークでは夕方真近になると1キロ程の道路が僅か30分、1時間以内の瞬く間に簡易店舗の夜店通りに変わったのを目撃したが、多分ここも数十分、精々1時間位の間にあっという間に夜間商店街が出来上がったに違いない。タイ人のやることは早いというか、これがタイ式夜店の伝統なのか、昼間の情景を見ている当方に取っては何か蜃気楼を見ているか、全く違った町へ来たような感覚だった。<br /><br />店はそれこそどこにでもある様な食料店、雑貨店、珍しい土産物店、宝石店、兎も角人が集まることを想定しての、オール百貨のオンパレード。焼き鳥、アイス、トウモロコシも売っている。ちょっとしたお祭り騒ぎ、と思っていたら、実際に何かのお祭りだった。<br /><br />このテント村の後方に舞台が設営されていて、今しもこれから演芸が始まるところ。大きな舞台で旧日劇ダンシングホール位ありそうな大きさで、司会から始まって、十数人の踊り子が民族衣装をまとい、ガムラン様の音楽に併せ、タイ舞踊を開始する。先日チェンマイの有名店で見たカントークよりも豪華な振り付けと踊りで、実に繊細で芸術的だ。急いでホテルまで戻り、カメラをピックアップし、写真に収めておく。ビデオがあれば音楽・踊りをライブで収録できるが、今は脳裏に刻んでおくしかない。<br /><br />唄と踊りが果てしなく続く。多分有名な歌手だろう。男性ボーカルも女性歌手もファッショナブルな装いで、歌の意味は分らないまでも、情緒調ありポップ調ありで、聞いていて上手いと思う。これが入場無料。日本では考えられないことだ。約300余のスチールパイプの椅子はそれでも7割位の入り。人々は好き勝手に出たり入ったりする。歌が延々と続くので、まだまだこれから観客も増えるのかも知れない。<br /><br />良く見ると数十メートル離れた場所でも同じ様なステージで同じ様な歌踊をしている。少し規模は小さいが、思うにそれぞれ違うテレビ局がバックアップして興行しているのかも知れない。観客席にバイクのまま乗り入れてくる人もいる。大体が警備員などいないから、止める人も、文句を言う人もいない。ごく自然な流れ。バイクに乗ったまま演芸を見、それが終わると、そのまま走り去っていく。実に開放的だ。この広場にも駐車場があるようで無いがごとく、バイクでそのままテントの間を走りぬけ、適当な場所に駐輪する。<br /><br />タイはすべてが基本的には自己責任。日本の明石の花火大会であったように、渡っている歩道橋が落ちたからと言って、警察とか市役所を訴えるようなことは無いだろう。<br /><br />日本は過保護過ぎる、と言うかおせっかい過ぎる。今日のこの様に数千人も集まるようなお祭りだったら、何日も前からの予行、訓練、また更に警備員をあっちこっちに配備して規制だらけにし、おまけに馬鹿高い演芸入場料を取って、無駄なそっちの費用に充当する。どっちが良いかと言ったら、開放的なタイの方に決まっている。こんなデタラメに見えるバイクの走行でも人身事故というものが無い。あってもそこは自己責任だから警察が介入することもない。警察がいなくても明石の様な事故が起きることも無い。自分自身で危険を察知し、判断し、対処できるからだ。日本人の幼児化が言われて久しいが、タイへ来て一週間、いろんな場面で、彼等の自主独立、自尊の精神を見る思いがした。<br /><br />今日の祭りは何かは知らない。2週間前にタイのお正月、ソンクラーンを迎えたばかりだから、今日はさしずめ初午か。お正月過ぎの懐の厚い客層に宝石店も儲かっているようだ。外国人は当職一人なのか、どこを歩いても、イープン、イープンと言われる。<br /><br />こんなところにいる外国人は彼等にとっても珍しいのだろう。歌は延々と続く。大きなスピーカー音が夏の天空に吸い込まれていく。人々のざわめきは限りない。入れ替わり立ち代りやって来る。<br /><br />が、突然のスコールでそれ等一切が中断される。スコールが終わりの合図のようだ。照明機材にはシートが被せられ、土砂降りの雨の中人々は右往左往し、テントは雨水を貯めて重く落ちかかり、サッとロープを切ってテントの上の雨水を逃がし、その間商品は片付けられ、人々はバイクに飛び乗って一目散に走り去る。<br /><br />二人、三人、四人乗りもいる。何と言う手際の良さ。あっと言う間に人はいなくなり、照明の暗くなった後の広場には、つい今し方まで賑やかな饗宴があったことなど嘘のように、あちこちに出来たぬかるみが鈍く光を反射しているのみだった。<br /><br />   < 唄や踊り 朝まで続け 歳の市 ><br /> <br />

タイーラオス3000キロの旅(26)ウドンタニの夜祭。

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2007/04/24 - 2007/05/08

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ちゃお

ちゃおさん

一旦ホテルの部屋で一休みし、ホテルの直ぐ前の広場を横切って、ノン・プラ・チャック公園へ行く。広〜い公園の中に広〜い湖があり、幾つもの大きな島が点在している。

公園が大きすぎるのか、人影はそれ程見えない。数日前ピサヌロークからバスでこの町に来た時、町に入る直前に大きな湖の公園があり、大勢の人々がピクニックを楽しんでいるのがバスの中から見えたが、それがこの公園かと思っていたが、どうも違う場所のようだ。まあどこでも良い。静かに散策でき、タイにもこの様な静かな場所があることを知るだけでも良いではないか。真夏の国、炎天下の直射日光は流石に暑い。しかしこの公園は樹木が豊富で、公園全体に芝生が張られていて、湖からの生暖かい風もあって、木陰に入ると気持ちが良い。1時間ほどかけて散歩し夕食を摂りに再び新市街に向う。

夕食前に明日のコンケーン行きは再び列車に乗ることも考え鉄道駅まで行くが、バンコク−チェンマイ間と違って、東北ラインは列車の本数も少なく、安心出来なかった。鉄道自体も余り利用されていないのか、駅舎には小さなキオスクが一つあるだけだった。

駅の直ぐ前に8階建ての白くて大きな近代的なビルが建っていて、その屋上にタイ語でFi:rpk@k[gxkF[g,F,iup[と看板が出ている。最初の文字が「ローンパヤバーン」で病院。最後の文字が「メモリア」でどうもメモリーらしいことはどうにか分った。しかし真ん中の二文字が「ポーロー」としか読めず、良く理解できない。色々と考えあぐねたが、ああそうか、何かの記念病院とすれば、「パウロ」以外に無く、漸くこの立派な建物が「パウロ記念病院」であることが理解できた。一つ一つが勉強であるが、苦しくもあり、楽しくもあり、との心境。

駅から歩いて新市街まで出たが、ショッピングセンターの前に、十数軒の飲食店が集まったいかがわしい感じの一角があり、日本語で呼び止められて、その内の1軒に入ると、もう全員が欧米人のお客さん。この一角はどの店も欧米人で占領された感じになっている。ビールを1本飲んで、余り面白くもないので、外へ出てセルフの食堂に入る。

ガラス張りの明るい店で、バイキングの様に自分の好きな料理を選んで皿に盛り最後に会計をする。全く米国式で、丁度ビエンチャンにフランス仕込みのフランスパンが根付いた様に、この町では米国式のセルフ食堂が根付いたようだ。明朗会計、安上がり。

そうするとこの町の40年前の米国の遺物は古ぼけた町並みだけかと思っていたが、パウロ記念病院のようにキリスト教はしっかり定着していて、一度庶民の中に染み込んだ風習、文化、宗教はそう簡単には抜け切れないのかも知れない。確かにこの周辺の新市街はバンコクの一部地域と同じ様に、かなりアメリカナイズされた環境でもあった。

沖縄に米兵との混血児が多数いるように、この町にも多くの二世、三世が生活し、その中には仏教徒以外にもキリスト教徒もいるに違いない。ガイドブックが言うように、矢張りこの町も基地の町に他ならなかった。米軍が駐留した足跡はこんな形の遺伝子としてこの町に息づいているのを発見した。

ショッピングセンター周辺をうろついても意味は無く、外人だらけのいかがわしい一角に行く気も無く、ホテル近辺、旧市街まで戻ると、昼間広場だった場所に煌々と電気が点いている。何かお祭りのようだ。昼間は何もない様に見えた広場が数時間の間に様変わりしている。多くのバイクもそっちに向って走って行く。そう、この町では自家用車よりまだバイクの方が主流。二人乗り、三人乗りで会場の方向に向っていく。当方も人の波に従って会場に向うと、何時の間にか何百とあるテント張りの夜店が立ち並んでいて、買い物客が各店を囲繞している。

夜店の原型。ピサヌロークでは夕方真近になると1キロ程の道路が僅か30分、1時間以内の瞬く間に簡易店舗の夜店通りに変わったのを目撃したが、多分ここも数十分、精々1時間位の間にあっという間に夜間商店街が出来上がったに違いない。タイ人のやることは早いというか、これがタイ式夜店の伝統なのか、昼間の情景を見ている当方に取っては何か蜃気楼を見ているか、全く違った町へ来たような感覚だった。

店はそれこそどこにでもある様な食料店、雑貨店、珍しい土産物店、宝石店、兎も角人が集まることを想定しての、オール百貨のオンパレード。焼き鳥、アイス、トウモロコシも売っている。ちょっとしたお祭り騒ぎ、と思っていたら、実際に何かのお祭りだった。

このテント村の後方に舞台が設営されていて、今しもこれから演芸が始まるところ。大きな舞台で旧日劇ダンシングホール位ありそうな大きさで、司会から始まって、十数人の踊り子が民族衣装をまとい、ガムラン様の音楽に併せ、タイ舞踊を開始する。先日チェンマイの有名店で見たカントークよりも豪華な振り付けと踊りで、実に繊細で芸術的だ。急いでホテルまで戻り、カメラをピックアップし、写真に収めておく。ビデオがあれば音楽・踊りをライブで収録できるが、今は脳裏に刻んでおくしかない。

唄と踊りが果てしなく続く。多分有名な歌手だろう。男性ボーカルも女性歌手もファッショナブルな装いで、歌の意味は分らないまでも、情緒調ありポップ調ありで、聞いていて上手いと思う。これが入場無料。日本では考えられないことだ。約300余のスチールパイプの椅子はそれでも7割位の入り。人々は好き勝手に出たり入ったりする。歌が延々と続くので、まだまだこれから観客も増えるのかも知れない。

良く見ると数十メートル離れた場所でも同じ様なステージで同じ様な歌踊をしている。少し規模は小さいが、思うにそれぞれ違うテレビ局がバックアップして興行しているのかも知れない。観客席にバイクのまま乗り入れてくる人もいる。大体が警備員などいないから、止める人も、文句を言う人もいない。ごく自然な流れ。バイクに乗ったまま演芸を見、それが終わると、そのまま走り去っていく。実に開放的だ。この広場にも駐車場があるようで無いがごとく、バイクでそのままテントの間を走りぬけ、適当な場所に駐輪する。

タイはすべてが基本的には自己責任。日本の明石の花火大会であったように、渡っている歩道橋が落ちたからと言って、警察とか市役所を訴えるようなことは無いだろう。

日本は過保護過ぎる、と言うかおせっかい過ぎる。今日のこの様に数千人も集まるようなお祭りだったら、何日も前からの予行、訓練、また更に警備員をあっちこっちに配備して規制だらけにし、おまけに馬鹿高い演芸入場料を取って、無駄なそっちの費用に充当する。どっちが良いかと言ったら、開放的なタイの方に決まっている。こんなデタラメに見えるバイクの走行でも人身事故というものが無い。あってもそこは自己責任だから警察が介入することもない。警察がいなくても明石の様な事故が起きることも無い。自分自身で危険を察知し、判断し、対処できるからだ。日本人の幼児化が言われて久しいが、タイへ来て一週間、いろんな場面で、彼等の自主独立、自尊の精神を見る思いがした。

今日の祭りは何かは知らない。2週間前にタイのお正月、ソンクラーンを迎えたばかりだから、今日はさしずめ初午か。お正月過ぎの懐の厚い客層に宝石店も儲かっているようだ。外国人は当職一人なのか、どこを歩いても、イープン、イープンと言われる。

こんなところにいる外国人は彼等にとっても珍しいのだろう。歌は延々と続く。大きなスピーカー音が夏の天空に吸い込まれていく。人々のざわめきは限りない。入れ替わり立ち代りやって来る。

が、突然のスコールでそれ等一切が中断される。スコールが終わりの合図のようだ。照明機材にはシートが被せられ、土砂降りの雨の中人々は右往左往し、テントは雨水を貯めて重く落ちかかり、サッとロープを切ってテントの上の雨水を逃がし、その間商品は片付けられ、人々はバイクに飛び乗って一目散に走り去る。

二人、三人、四人乗りもいる。何と言う手際の良さ。あっと言う間に人はいなくなり、照明の暗くなった後の広場には、つい今し方まで賑やかな饗宴があったことなど嘘のように、あちこちに出来たぬかるみが鈍く光を反射しているのみだった。

   < 唄や踊り 朝まで続け 歳の市 >

  • 年の市か蚤の市か、テント張りの夜店には宝石店なども数多く出ていた。

    年の市か蚤の市か、テント張りの夜店には宝石店なども数多く出ていた。

  • 芸能好きのタイ人。これから歌謡ショーが始まるところ。

    芸能好きのタイ人。これから歌謡ショーが始まるところ。

  • 客も徐々に集まってきている。

    客も徐々に集まってきている。

  • 隣では又別の歌謡ショーが始まっている。

    隣では又別の歌謡ショーが始まっている。

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