2007/04/24 - 2007/05/08
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ちゃおさん
4月25日(水)、バンコクの朝(ตอนเช้าที่กรุงเทพ)
身体に順応性があると言えるのか、或いは日本時間に直したらもう既に充分に遅い時間なのか、朝7時に目を覚まし、一旦シャワーを浴び、広場交差点に面した1階レストランにて朝食をとる。
ガラス張りの大きな窓からは外の交差点を往来する車両、それに混じってのツクツク、オートバイの数、広い歩道をゆっくり歩く上半身裸に近い色黒の歩行者、清涼飲料等を売る台車引き、時々聞こえてくる南国の喧騒、強い日差し、レストラン内の独特の香り。ここはまぎれなくタイのバンコクであり、南国のエネルギーを感ずる。
朝食にタイ風煮物料理を食べ、タイ風お粥に香りの強いハーブ、バクチーをやや多めに入れ、コーヒーを飲みながら外の情景に見とれ、今日一日の行動を想定する。昨日とは全く違った一日が今日から始まるのだ。
今回タイ訪問の目的は幾つかあるが、その内の一つ、明治のイギリス人外交官Ernest Satowが日本の後にバンコク公使を務め約3年余滞在した記録があるが、その事跡の片鱗でも窺えないか、とのことである。この国の道路事情は日本と同じ左側通行であり、英国植民地であった香港、シンガポール、マレーシアが左側通行であるのは当然としても、植民地でなかった日本とタイが同様に左で、何かイギリスに対する共通点があるようにも思える。
先日お正月にアユタヤに近い場所にあるBang Pain宮殿を訪問したが、洋風のと言うか、イギリス庭園風に丹精に整備されたこの王宮公園は今から100数十年前、丁度日本の明治初期の前後、ラマ4世、5世により離宮として整備されたものであるが、特に開明の誉れ高いラマ5世(チュラロンコン王)は英国の制度をより多く取り入れたようである。
国境を接するビルマ、マレーシアが英国植民地、ラオス、カンボジアが既にフランス植民地となり、その狭間にあって列強の脅威をひしひしと感じたに違いない若き王様が、如何に独立を保っていくかに腐心した結果がこの王宮公園でもあり、又当時の大国、大清帝国の影響を強く受けた建築物も存在しているのもその理由の一つであろう。
激動の19世紀、この国にも明治天皇に比肩する英明な天子が存在していたお陰で、アジアで僅か2カ国の独立国家として存続しえたのだ。
当時最大列強である英国の外交官としてSatowはこの地において如何に立ち居振る回ったのか、或いは日本に向けたと同じ様な情熱をタイにも向けたのか、等々当時の弱小独立国と列強との綱引き合いの状況は、多分日本にもあったと同じ様な情景がタイにもあったに違いない。
既に日清戦争に勝利した日本はアジアの盟主として台頭しつつあり、イギリス同様の立憲君主制を敷く日本、タイにSatowは特別な思いを寄せていたかも知れない。Satowのイギリス・日本・タイの対フランス・ドイツに対抗する枢軸条約の構築に関わり、どの様な外交努力をしたかを知るのも興味深いことであった。
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バンコクよりチャオプラヤー川を遡ること50−60キロ、アユタヤの手前にあるバーンパイン宮殿(離宮)。広さは赤坂離宮の100倍以上はある。
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水量豊かなチャオプラヤー川。アユタヤ盛んなりし頃、数多くの商船がこの川を往来していた。当時の山田長政も軍船に乗って往復していたに違いない。日本人村はこの川の上流、少し先にあった。
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今から100数十年前、日本の明治期、タイでは英明はラーマ4世時代に離宮が整備され、ラーマ5世に引き継がれていった。
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イギリス、フランス、イタリア等の当時のヨーロッパ列強の建築様式を取り入れ、固有のタイ文化との融和が図られた。
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園内では動物、植物皆優しく、人を怖れない。
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日本の鳩に似た小鳥でもあるが、鳩とも少し違うようだ。スズメが日本のスズメと少し違うように・・・
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園内にはタイ伝統の高床式の建物も並んでいる。これは多分側室の居宅と思う。
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炎天下の中、園内の日陰からは、タイの伝統音楽の緩やかな楽曲が途切れなく流れてくる。
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