
1991/05 - 1991/05
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polodaddyさん
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調査旅行でタイ西部カンチャナブリーから更に北上し国立公園を突っ切って何と、ビルマとの国境であるスリーパゴダパスまで行ってしまった。
同行してくれたカセサート大准教授の先生(実は王族でロイヤルプロジェクトの幹部)と彼の教室の学生達とミニバスをチャーターしバンコクを出て13時間も車に揺られた計算になる。
この頃この奥地には外国人や普通のタイ人は入境出来なかった。
然し今回は王族でロイヤルプロジェクト幹部の先生と一緒なので、許可証があった。(しかし今だから言えるが、許可証があっても外国人には未開放だった筈で、私はミニバスの後ろの席で声を出さずに小さくなっていました)
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戦場に掛ける橋で有名なクワイ川を越え、国立公園の中を北上する。
自然が素晴らしい。 -
この川の左手奥がミャンマーとの国境だ。
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これはトン・パー・プムのそばを流れる川に掛かった素朴な橋。桃源郷の様な美しい光景だ。
橋の上を荷物を担いだ人が通ってゆくのを見て、尋ねたら「あれはミャンマーとの密輸業者だ」との事。
此処から少し国境よりに入ったところに小さな街があったが、実はそこは完全な密輸の村。写真も撮ってはいけないと言われた。ビルマからのルビーや宝石類、民芸品とタイからは日用品等が取引されている。
味の素が一杯入った大きな容器を担いでいる人がいた。
今から思えばドル札さえ持って行けばルビーが買えた筈だった。 -
山の向こうはビルマ領。
途中で幾つも軍の検問があり、当時普通の人は入境出来ない事になっていたが、ロイヤルプロジェクトの幹部で王族の先生が持っている許可証の威力は凄い!
奥地にロイヤルプロジェクトのプロジェクトサイトがあるのだそうで、焼畑とケシの栽培を止めさせる為に山岳民族に換金作物栽培の指導と普及を行っている。 -
遠くの尾根に山岳民族の村が見える。
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これはビルマとの国境であるスリーパゴダパスの直ぐ手前にある村。第二次大戦前にビルマ側から村ごと移ってきたのだそうで、村長の家に招待され、水(多分雨水の貯め水)とジャックフルーツを頂いた。
日本人を見るのは戦争以来だそうで、この道を多くの日本兵が通って行ってビルマ側から還ってこなかったそう。後にNHKが取材で入るまで日本人は暫く入らなかった筈。
国境の写真はどこかに行ってしまって見つからない。 -
手前のおじさんが王族で大学の先生。周りは学生達。
一緒に食事し、軍の施設内にあるプロジェクトサイト管理者(先生の元教え子)の家に皆で雑魚寝して泊めてもらった。この学生達も今は多分政府の役人等になっている事であろう。 -
タイはかつてチークの木が豊富だったが、乱伐に会い今は伐採禁止である。これは植樹した若いチーク
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険しい山の向こうにビルマがある。
国境密輸貿易は歩いて背中に担いでの物流だ。 -
プロジェクトサイトの入り口。
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かつて山岳民族は山の木を切って焼畑を作り、ケシの栽培か貧弱なトウモロコシ栽培ぐらいしか行っていなかったそうで、今は換金作物の育苗と普及や栽培方法の指導トレーニングを此処で行っている。
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その他山の自然植物をドライフラワー、ポプリとして販売、今では国外にも輸出している。
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