2002/10/19 - 2002/10/19
1664位(同エリア4381件中)
しきんさん
「アジアとヨーロッパに跨る都市」イスタンブール。
そのアジアとヨーロッパの架け橋、ボスポラス大橋を歩いて渡り、アジアとヨーロッパを歩いて行き来するというのが、今度の旅の目的のひとつでした。すでに「えっ」という方もいらっしゃるかも知れませんがその顛末まで。
なお、オルタキョイはイスタンブール、ヨーロッパ側のボスポラス大橋のたもとの街で、休日にはアクセサリーを売る露天がたくさん出るそうです。いろいろな店もあり、ぶらぶら散歩するのには、もってこいのところです。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 船
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ボスポラスクルーズもイスタンブール市街へ戻ってきました。多くのモスクのドームと尖塔が見えます。正面は旧市街、左はアジア側になります。傍らにクズ塔も見えています。
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クルーズ船から見たオルタキョイ・ジャーミイ。
オルタキョイには停まってくれませんでした。 -
チュラーン宮殿も通過します。
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ベシクタシュ埠頭で船を下りることにします。
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ベシクタシュ埠頭の左手にはドルマバフチェ宮殿が続いています。
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目指すはボスポラス大橋です。
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埠頭の前の歩道にシュミット屋が出ていました。本当に地元の人たちに、馴染まれています。
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ボスポラスに沿って走るチュラーン通りを歩きます。海岸に道はなく、これが一番ボスポラス海峡沿いの道になります。
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チュラーン通りの左手(西側、山側)は丘で、急な坂になっています。
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チュラーン宮殿の荘厳な門扉。道のすぐ傍にあり威圧されるようです。
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右側はずっとチュラーン宮殿のクリーム色の塀が続きます。チュラーン通りは車の交通量が多く、歩道もあまり広くはないので、立派な並木が救いです。
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左から来たユルドゥズ公園からの通り。やはり気持ちのいい並木道になっています。奥に公園入り口の門が見えます。寄らずに先に進みます。
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オルタキョイに入ってきて、賑やかになり、道行く人も多くなりました。角の大きな「TOKYO」という看板に惹かれ写真を撮りました。日本料理のレストランでした。この店は、その後、「2006年にオルタキョイから移転し」(『地球の歩き方2007〜2008年版』)て、イスティクラルにあるようです。
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オルタキョイの桟橋へ向かう脇道。いろいろな露店が出ていて楽しそうです。
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アンティーク雑貨店の窓辺で眠る猫。
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雑貨店には猫の置物も並んでいました。
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ボスポラス大橋はもうすぐそこです。オルタキョイはボスポラス大橋のたもとの街ですが、橋脚が高く、橋がずっと上にあり、たもとというより橋の下という感じがしました。
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ボスポラス大橋の本当の真下です。
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茂みの向こうに橋桁と欄干が見えますが、ここから橋へは上がれません。周辺を回りましたが、階段はなく、橋を渡るには、車と一緒に、ずっと坂を上ってこなければ行けないようです。観光地図では、確実にボスポラス大橋に続いている道に入るには、ここからだと、なんと再びベシクタシュへ戻り、バルバロス通りから行くしかないようです。
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露天の八百屋さん。みんなおいしそうです。右手にある分銅の秤で計るんですね。
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不動産屋の店先。日本と変わりません。
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こちらは賃貸。販売と賃貸で右と左、色も分けているところがすばらしい。
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パン屋さんだってただ山積みにしておきません。
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そして魚屋さんも。
こんなディスプレイは日本の魚屋でもあまり見たことがありません。
トルコの人たちの気質によるのか、2千年近く帝国の都であったイスタンブールの歴史によるものでしょうか。 -
こちらは店の果物屋さん。たくさんの種類が豊富に並んでいます。
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ピデ屋の店先で。手際よくおいしそうに焼いていきます。
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同じ店先で。
先の店員が、「彼はクルドなんだ」と話してくれました。当時は、トルコについての知識が浅く、地方の人がイスタンブールに出てきているんだ位にしか思いませんでした。 -
チュラーン宮殿まで戻ってきました。
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ショートカットで丘を横切ることにします。坂道を登ります。
それにしても、よくこの坂に、これだけ車を駐めるものです。 -
道の脇の猫にまで、物珍しげに見られている感じです。
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丘の途中にあったユルドゥズ・ハミディエ・ジャーミイ(Yıldız Hamidiye Camii)(Yıldız Hamidiye Mosque)。アブドゥル・ハミト二世の命で1884から1886年にかけて建てられたものです。当時は帝国の儀式がここで行われたりしていたそうです。
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バルバロス通りへ出てから曲がり、いよいよボスポラス大橋が見えてきたところです。灯りが点きはじめて、暗くなる前にと先を急ぎました。
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ボスポラス大橋までもう少しのところで、交通事故の対応に来ていたパトカーに止められてしまいました。
ボスポラス大橋は、自動車専用だったのです(後になってみると、どうしてそのことに思い至らなかったのか不思議です)。
警官が方向に頓着せず、渋滞で停まっていたアジア側へ向かう車の一台に声をかけて、自分を載せました。
男子学生2人の乗った車でした。
パトカーに止められたり、知らない人の車にいきなり乗せられたりで、気が動転したり、緊張したり、不安だったりしたのですが、若い二人は(もちろんこんな状況ですから)好奇心旺盛で、あまり英語は話せなくてもいろいろ尋ねてきて、こちらもぜんぜんトルコ語は話せなくても、いろいろ答えました。
渋滞で橋を渡るのは大変で、ずいぶん時間がかかって、すっかり暗くなってしまったのですが、親切にも、アジア側のウスキュダルまで送ってくれました。写真は、ウスキュダルからベシクタシュへ渡船でわたり、ベシクタシュから宿へ向かう途中、夜のドルマバフチェ宮殿の門の前です。 -
誰もいないイノニュ・スタドゥ(サッカーチーム・ベシクタシュのホームスタジアム)前です。
心細く歩行者のいない薄暗い道をずっと歩いてきましたが、ようやく宿に着きました。
なお、この翌月に、普段は歩けないボスポラス大橋を歩いて渡るイベントがあるのを、現地で知りました(泣)。
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