2009/04/05 - 2009/04/11
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浅山 (あさやん)さん
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風の旅 白川郷編 合掌造りの誕生 5
江戸時代になると農業の乏しい土地ゆえに、現金収入として養蚕業が盛んになり、寄棟の茅葺は養蚕のスペースを設けるために建物はしだいに大きくなり、積雪に耐えるため合掌造りの大型化が進み
現代の残存建物のようなものになったと想われる。
特に農地が乏しい下白川郷では、農地と労働力の確保のために大型の切妻合掌造りが発達し、分家を認めず、長男以外に正式な結婚を許さない大家族制度が生まれました。
分家ができない兄弟は、結婚することさえできない。
他家の女性の元へ通い内縁を結ぶ通い婚が普通となり、生まれた子どもは女性の家で育てられました。
白川郷では、成人した子どもたちが貴重な労働力になります。特に養蚕作業に欠かせない女手は、家のために結婚もできずシングルマザーとなるのが当たり前の習慣となってしまった。
結婚は或る意味女の夢、その夢さえも断念して家のため
家族のために犠牲となっていく。これが現代女性の立場ならいやおうなく拒否すればいいけれど、この雪深い谷間の寒村地帯で生きていくためには仕方のない運命なのかも知れない。
ますます団結は強くなり一体感連帯感は強固になっていく。
合掌造りの茅葺屋根は大変な労働力が必要で村中が協力して、共同で屋根葺き作業を行う「結」はこうして生まれました。
また、白川郷や越中五箇山ならではの産業が、火薬の原料である煙硝の生産でした。家の床下に刈ったヒエやヨモギを敷き、蚕糞を混ぜた土に人尿を撒いて、数年かけて煙硝土を作ります。煙硝土を灰汁で煮詰めると純度の高い煙硝ができました。秘境の地だった白川郷は、軍事秘密である煙硝生産に最適の土地でもありました。
この夜は 合掌造り与四郎さん宅に宿泊した。客は私たちふたりであったが、飛び入りで姫路から老人が一人飛び込みで来られた。
食事はお世辞にもうまいものではないが囲炉裏を囲んで
その老人と数時間話しこんだ。
旅は道連れ 世は情けも今では隔世の感がしないでもないのだが
気の合う旅の道連れはいいものだ。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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