2009/04/05 - 2009/04/11
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浅山 (あさやん)さん
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風の旅 岐阜城編 2
岐阜城 金華山とも呼ばれる標高329メートルの山の頂ら建てられた城、かっては斉藤道三の居城として知られる稲葉山城は織田信長が美濃斉藤家を滅ぼしたとき。その城下町井ノ口という地名は岐阜と新しく命名された。
「美濃を制するものは、天下を制す」
城として有名である。
けれどその歴史はもっと古いものである。
岐阜という地名は『周の文王 岐山に起って 天下を定む』という故事により 信長が命名したとも、また僧侶の沢彦宗恩が命名したともいわれている。
その昔、中国の周の文王は岐山より起こり、八百年の太平の基を築き、また学問の祖、孔子の生まれた地を『曲阜』といいます。
「岐山と曲阜」から現在の岐阜と名づけられたのが信長の時代、天下布武の旗印を掲げた信長の気概はまさに時代を見つめたものだったのも知れない。
ちなみに長良川の鵜飼のことを「鵜匠」と名づけたのも信長。彼はまさに時代の寵児であり 、その歴史の一端に触れ その当時を彷彿し、少しでも一体化する瞬間かまさにわたしの旅そのものなのです。
その信長が岐阜の城から眺める美濃平野 長良川はいかばりに壮観にして華麗に信長の目に映ったことでしょうか。
それにしても 頂上に占める平らな地形のなんと少なきことか。
当時の城郭を見れば 遥か山麓にいたるまで 家臣たちの家屋
馬小屋 食糧庫などか広がっているものの、山城には発展性は見込めない。
攻めるに難しく 守るに易しく 戦国大名たちの城普請なのであろう。
ふと 中国の長安城や紫禁城と比較して 文化や風習価値感の違い 地形の違いなどあらゆるものが異なる世界圏の広さを想わざるを得ない。
残念ながら当時の岐阜城は徳川の時代になってすべて廃
城となり加納城に移築され 現在の城はすべて建て直されたものですが。
もし 私が彼であるならば、絶対ありえないことでは歩けれど そう想うことが私の旅のロマンのひとつでもあるのです。
帰り道、わたしと嫁さんは 瞑想の小道を杖を片手に1時間半かけて下山した。すれ違いに小さな子供をつれた家族連れが何人も この小道を歩いて登城していく姿はなんとなくほほえましく思えた。
http://www.gifu-town.com/history/
http://chimei-allguide.com/21/000.html
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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