2008/12/05 - 2008/12/07
4374位(同エリア4689件中)
瑞樹さん
洋風建築を堪能した後は、港町函館の魅力に迫ります。
- 交通手段
- 徒歩
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旧函館区公会堂を後にして、元町公園を通って移動します。明治から昭和にかけての元町公園内は、道南の行政機関が集まっていた場所だったとか。
今の公園には、周辺を散策し休憩中の外国人観光客がいっぱい。その前には、函館四天王像が。 -
四天王とは、左より今井市右衛門(石川県能登出身)、平田文右衛門(函館出身)、渡邊熊四郎(大分県竹田出身)、平塚時蔵(青森県田名部出身)。昔から他から移り住んだ人が多かったんですね。
四人は其々、新聞社や学校、造船所や病院を設立したり、世界の商品を普及させたり、公共事業や慈善事業に私財を投じ、力を注いだ方々です。 -
その案内板には「市民精神の源流」と題して、次のようなことが書かれています。
明治の函館は本州の都市のように、旧藩の遺産も恩恵もなく従ってその束縛も無く市民は自主的に市民精神を養い、経済の発展を計り進んだ都市造りをした。造船所、機会製作所等の重要産業を興すと共に日刊新聞の刊行、学校、病院、水道、公園をはじめ、恵まれない人々のための教育、医療施設に至るまで力を尽くした。
明治、大正には東京の文化は東北を素通りして北海道へ渡ったと言われたが、その北海道とは函館のことである。その繁栄は平田文右衛門はじめ四天王と言われた人々の合議によって昔の泉州の堺港と比べて明治の自由都市の函館と称する人もある。人口は終戦前まで常に全国第十位前後であった。 -
これは、1909年建築の函館市写真歴史館、旧北海道庁函館市庁庁舎(北海道指定有形文化財)です。
柱廊玄関が特徴的で、ジャイアントオーダー(数階の高さにおよぶ柱)と呼ばれる、ルネサンスの建築様式。1階は元町観光案内所、2階は写真歴史館になっていて、1854(嘉永7)年のペリー提督箱館来訪時に同行した写真師・ブラウンにより撮影された「日本最古の銀板写真」、“北海道写真発祥の地 函館”の歴史を伝える貴重な写真機器や資料が展示されています。 -
直ぐ近くには、旧開拓使函館支庁書籍庫があります。
1880年(明治13年)建設の函館製煉瓦造り建造物。
火事の多かった函館を象徴するように、各窓には鉄製の防火扉がついています。こちらも北海道有形文化財に指定されています。
煉瓦に「明治七年/八年/九年函館製」という刻印があるので、是非探してみて下さい。 -
このタイルは元町公園だけにあるものではありませんが…こういうのを見付けると、嬉しいんですよね。
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あと、他の土地に行ったらマンホールも見逃せません。さっすが函館、汚水用マンホールもポップなイカです!カラーヴァージョンです。
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元町公園を過ぎ、基坂へやって来ました。こちらの案内柱にも、上に鳥が乗っかっています。
基坂は函館人気4大坂のひとつで、市街地の道づくりの基礎となった坂です。かつて函館の中心はこの辺りで、道路造りの距離を測る為に使う里程標の内でも里程元標(0キロポスト)があった木柱が立っていたこともあり、この名が付いたのだとか。 -
ふと下を見ると、うん?人の靴跡の隣には、可愛い足跡が点々とあります。これはもしや?!
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「にゃ〜」と声がしました。
わーまたにゃんこと遭遇!一匹は木の上、一匹はすかさず寄って来ます。 -
人恋しいのか寒いのか、はたまたお腹が空いているのか、私の周りをぐるぐると回り、雪解け水を飲んでいました。う〜冷たそう、寒そう。でも逞しいな。元気でね〜!
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基坂を下りて右に見えたのが、旧イギリス領事館。旧函館区公会堂で買った2館券で、こちらを見学します。
雪の積もった和風の瓦葺き寄せ屋根と、洋風の縦長窓の面白い建物です。 -
入口を入ると共用スペースになっていて、ウィッタードの紅茶をはじめ英国雑貨を扱うQueen'sMemoryと、アフタヌーンティなどを楽しめるAfternoonTeaがあります。
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そしてこんなレトロな公衆電話もありました。
この函館市旧イギリス領事館は、初代領事ホジソンが1859年(安政6)に着任して以来1934年(昭和9)までユニオンジャックがはためいていたそうです。
当初は称名寺を仮領事館としていましたが、1863年(文久3)にハリストス正教会の西隣に新築し、やはり数度の火災に遭い再建。現在の建物は1913年(大正2)、イギリス政府工務省上海工事局の設計によって竣工したもの。 -
木造の床を踏みしめ進むと、やっと領事館の開港記念ホール。ショップ&レストランは入館料は要らないので、そこだけ楽しむのもいいかもしれません。
早速、箱館にやって来たペリーの乗艦ポーハタン号と、開港初期に箱館に縁のあった外国人の像が迎えてくれます。左がペリー提督、右はユースデン領事。船の陰にはマリ・オネジム修道女とニコライ神父が立っています。 -
展示室1には、箱館開港当時の様子が見られるマジックビジョンや、ミニチュアモデルなどがあります。当時、外国人に何かを欲されたら逆らわず何でも進呈しろ、などの立札がでたそうですが、驚きつつも皆親しんでいったようです。
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こんな古い古い紋章もあります。
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何故かギャグ体系のミニチュアモデル。可愛いです。洋風建築に初めて触れた大工さんたち、プライドをかけて建築に望んだことでしょう。
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二階にも展示室があります。
展示室2には、激動の時代に函館で生まれ育った堀川とねさんがナビゲーターになり、近代函館への歩みが紹介されています。 -
展示室3には、欧米文化が函館に入ってきたことを今に伝える博物館資料、函館市民の方々から寄せられた資料が展示されています。
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19世紀のイギリス家具で再現された領事執務室。
窓から函館の街を覗いているのは、ユースデン領事。身長160cmほどだったそうで「豆領事」と呼ばれていたそうです。ぶっ…豆領事って…。 -
当時の資料の内、面白いなぁと思ったもののひとつ。上が軍船、下が商船の各国旗。何故かボリヴィアだけ平仮名です。しかし当時から中国や欧州だけでなく、南米などとも付き合いがあったとは凄い!
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旧イギリス領事館では、会議室を借りられたり結婚式を挙げることも出来るそうです。春夏はイギリス庭園も綺麗そうなので、いいですねー。
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旧イギリス領事館を出ると、入る前に出会ったにゃんこだちが待っていました。
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雪の上で顔を洗っている…明日は雨かな?(本当に雨でした。猫の顔洗いは、かなり信憑性が高いです。低気圧を耳で感じるらしいですよ。)
うーん、かわいいなぁ。やっぱり港町はいいな! -
雪の基坂を下りて行くと、傍らに少年が立っていました。何か謂れがあるのか、それとも街角美術館?ただ歩いているだけでも楽しい函館。
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亀田幡所、箱館奉行所、開拓使渡島支庁など江戸中期以降、役所が置かれ代々函館の中心となったところ。「お役所坂」とも呼ばれていたそうです。
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そろそろ昼食にしたいと思います。
てくてく歩いていると、レトロなタイルの外壁を持つ病院がありました。使う人たちはいろいろと不便があるでしょうが、本当に函館の街は昔ながらのものが現役で凄いです。 -
こちらは箱館元町の宿・饗場さん。素敵!
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こちらは普通の民家のようですが、控えめパステルピンクといい出窓が並ぶ二階といいちょっとおとぎの国と現実を行ったり来たりするような外観です。
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その隣には、こんなお宅もありました。大半が木造なのに白壁が組み合わされています。
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こちらは建物よりも右の「喫茶ねこ」に惹かれました。営業しているのかな?きっとオーナーさんは猫好きよね。
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お腹も減ってきたので、坂をぐんぐん下りていきます。
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市電の軌道沿いに歩いていると、これまた煉瓦造りの北方歴史資料館がありました。
高田屋嘉兵衛の業績を今に伝える北方歴史資料館は、高田家に伝わる古文書をはじめ北方開拓の資料や、「ゴロウニン事件」を解決し日露和親条約を締結するきっかけとなった文書などが展示されています。 -
が、時間がないので今回は外観だけで。
お隣にはマンションの前に鳥居、恵比須さんが。函館七福神も面白そうですね。 -
こちらには白亜の建物、掲げられた看板には「合名会社川越電化センター」とあります。
建物といい社名といい何だかそそられます。 -
こちらは海産物卸の「ヱビス商会」さん。建物だけじゃなく「ヱ」までレトロ。
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道端には山吹色の消火栓。函館には今でも大火が多いのかな?そんな訳無いか。
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