2008/09/13 - 2008/09/21
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アルデバランさん
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<河坑土楼群の入村チケット>
石橋村からは一応舗装されているが細い農道のような道を進み、川を渡った所が名前もそのまま、河坑村だ。
いくつかの土楼が見える。
ここは田螺土楼群と同じく入村料を払って土楼を見る方式だ。
14の方楼、円楼が谷間に集まり、うち7座の方楼は明、清時代の古い土楼で、
7座は近代の円楼だそうで別名「北斗七星」の奇観星相と言われている…と
チケットに書いてあった…
運転手のリーさんは田螺と同じように「山の中腹に見晴台がある」と言っていたが時間的に無理のようで結局行かずじまいになってしまった。
北斗七星を俯瞰できず、残念。
予定の曲江村で食事にありつけたのは、結局暗くなり始める頃で6時を過ぎていた。
考えてみたらお茶は何杯も飲んだが、今日は朝飯も含め何もを食べていなかった…
リーさんゴメン。
暗くなった道を高頭村の承啓楼まで戻ってきた時は7時30分近かった。
ちょうど12時間みっちり回ったことになる。
バイクの後ろに跨ったり、あまたの土楼で階段を上ったり、下りたりで疲れた…。
すぐに寝たかったが汗をかいたので、1階で宿主の江さんを探して言うと親切にお湯をバケツに入れこれで浴びろという。
バケツ一杯だけなので石鹸は使えず、浴びるだけだったがさっぱりした。
2日間で、訪問した土楼は早くも100を超えた!
-
石橋村からさらに農道のような所を15分ほど進む。
幸いなことに今度は舗装されている。
時間は既に4時をまわっている… -
ちょっとした川を渡ると橋の袂に立派な建物があって、そこは河坑村土楼群の料金所だった。入場料は20元だった。
もう4時を過ぎており、はやる気持ちとは裏腹に担当の兄ちゃんは「よく来たなー、まあ、一杯!」とお茶を勧められた。やけに歓迎的であまりお客さん来ないんじゃないの?
と勘ぐってしまう… -
その、料金所の対面にある春貴楼。
1968年竣工だからまだ新しく、壁の剥離もなく綺麗だ。
大門の周りには爺さん、婆さんがヒマそうに屯している…
前が広場のようになっており、逆に観光客を観察するにはもってこいだ。 -
春貴楼の中。
中庭は石が敷き詰められており、けっこう大きい円楼で3階建てなので、他と違い凄く明るく感じる。 -
おっ!洗濯してる。
モルタルで洗濯板を作ってしまってるのが凄いね。
井戸は真ん中にあるが、各戸の台所の前には立水栓がある… -
こちらは、窓がばらばらに配置されている永貴楼。
堂々としている。
大門の楼名が漆喰でなかなか立派だ。
建物の前が広く、井戸もあるので外楼があったのかも…、 -
先程の春貴楼と違い、壁の感じから歴史を感じるように1643年製だ。
中庭に三間一堂式の祖堂があった。 -
ここも1階の台所の前には立水栓と排水溝が並ぶ。
造りはしっかりしているものの、あまり人は居ないのか2、3階の半分は倉庫になっていた。
3階の床板もない。 -
永貴楼に付属するように立つ小さな南連楼。
川のほとりにあり環境抜群。
二階建ての方楼だ。
走馬廊が奥のところで段になっている。 -
河坑村は二つの川の合流地点の落合部分にある。
その一方の料金所とは反対側の川岸で川魚を獲る網を繕っていた。
この他にも網を繕っていた人がおり、ここは漁業の村か… -
永貴楼の後ろに廻って見ると、
更に古そうな方楼が…
朝水楼だ。1553年製というから450年以上経っている。 -
3階に上って見下ろすと、柱の間隔が異なり、偶数間なのか祖堂が横にずれている。
9戸70名が住んでいるとのことだったが、3階は22部屋しかなかった… -
朝水楼の横に年代物の車が…
しかも、きれいなべべ着た嬢ちゃんが!
よ、汚れまっせ! -
今度はもう一方の川岸に行ってみた。
日本でも見かける猫の額ほどの畑を耡ってる -
川岸の小道を行くと裕興楼につきました。
円楼なので新しい。1970年製だ。
土楼は一般的に1階が台所・食堂、2階が倉庫、3,4階が住居となっており一家は縦にメゾネット的に部屋を占有している。
階段が普通4つ有り、部屋の前を廊下がぐるっと周る。
これを走馬廊という。 -
こちらは、裕興楼のとなりにある裕昌楼。1957年製。
その隣に変わった形の方楼の土楼があった。
その名も裕南楼。裕昌楼の南にあるから裕南楼だ。
1966年製。前楼が一階建て、後楼が二階建てだ。
内部の写真だけ見るとごく普通のアパートのような感じ。 -
狭い集落をうろうろしたらしい、いつの間にか先程の朝水楼の近くまで来てしまった。
そこにあったのが陽照楼。
方楼なので古い。1643年製。
中ではなにやら煮炊きをしていた。
火は練炭のようだ。 -
窓が規則正しく永慶楼。
結構大きな綺麗な円楼だ。
26戸130人が暮らしているそうだ。
この河坑土楼は殆どの方楼、円楼ともに3階に庇が架かっている。
走馬楼のその庇で出ている部分1mほどが物置になっている。
この物置のナゾは今夜判明…
どおりで小便臭いと思った。 -
暁春楼。
どの円楼でも中庭は鶏の運動場のようになっている。
竹の丸い鳥篭はあるのだが、どこの家の鶏か分かるのか? -
かなり年季の入った永盛楼。1608年製。関が原の戦いの頃建てたのか…
-
古い永盛楼の隣にある、真新しいトイレ。
ウッディな造りがなんともいえない。
とても、綺麗でした。
でも、おにいちゃん、ズボンはトイレの中で上げようね。
格子で見えないからいいけど… -
こちらは慶盛楼。妻入り門だ。
楼名は慶、盛、昌、裕、永とか数種の文字を組み合わせているだけなのでこんがらがって、何がなにやら… -
うーむ…
下のほうは剥離で損傷はなはだしいが。
1957年10月22日付の治安管理処罰条例 -
東升楼。
1970年と新しいが、大門の石がなくその分、門が広い。
これじゃ、防衛の役目、果たせませんナ -
東升楼の東側に建つ南薫楼。
見ての通りコナーカットされた、五角形の方楼だ。
中に入ると祖堂というか庁堂が右側にある。
門の位置も不自然だ。
建てた時、門は山に面して西にあったが、不吉だという事で張さんが門を南に直したそうで、このようになったとか… -
南薫楼の東に位置し、河坑土楼群では一番東の外れにある縄慶楼。
ここ、河坑では一番印象的な土楼だ。
ここも妻入りの小さな大門だ。
でもそこをくぐって中に入ると、あれれ! -
斜面に建っているのか中庭は二段になっている。
そして、西の斜面に面して二階建てで開放的だ。
妻入りなので正面には門がない。 -
振り返って奥を見るとまた、あれれ…
そうか二重楼になっているんだ。
という事は先程の二段の中庭は外庭になるんだ… -
ということで、真の中庭。
一寸変わった形の祖堂がありました。
その名も庭槐。
も、もろに西陽が当たって… -
縄慶楼の中は結構人がいました。
そろそろ夕飯の支度か。 -
縄慶楼を見て河坑も完了。
さて戻ろう。その前に食事だ。河坑から10分ほどで
予定通り曲江村で適当に食堂に入る。
メニュウはないので厨房に入り冷蔵庫を覗いて
材料を決め、煮る、蒸す、炒めるの料理法を指定して注文。
客家料理なら「梅菜扣肉」だろうと思ったが、梅菜がないのか、出来ないと言われた。 -
店の名前は曲江の龍記飯店。
料理が出来上がるまで、店の兄ちゃん(謝紫文)がお茶を入れてくれた。 -
「ありあわせの具を入れた麺」と「菜っ葉炒め」と「茸と豚肉湯」と「卵炒め」
空腹の為、なんでも美味い。
60元。食事をしている間の20分であっという間に暗くなってきた。 -
曲江にも街道沿いに土楼があった。
慶裕楼は宿泊も出来るようだ。その隣の慶南楼。
もう、真っ暗なんで、訪問は諦め…
それにしてもりーさんは真っ暗になっても、ライトをつけずにバイクを驀進させ帰路を急ぐ。
危ないことこの上なし…
結構、無灯火で走るバイクが多く、この辺りの人は目がいい? -
いやー、疲れた。バイクでの12時間はキツイ。
部屋主の江さん。お茶を振舞われ一寸飲んで、もう寝るわ…
でも、やっぱ汗だけは流そ…
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