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東寺の立体曼荼羅を堪能した後、京都駅の方へ戻りレンタサイクル屋へ。1日1,000円(当日19時までに返却)とのことで早速借りて南禅寺へ向かう。三条大橋を渡ってからの蹴上までの坂道は結構急ではあるが、こちとら三段変速ギアのチャリなのでなんなくクリア出来る。京都駅からゆったりペースで約30分、参道に到着。まずは昼食がてら参道沿いの湯豆腐屋で豆腐を食べ、南禅寺へ。

見仏っとく?~六波羅蜜寺・三十三間堂~

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2007/06/21 - 2007/06/23

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EL CLASICO

EL CLASICOさん

東寺の立体曼荼羅を堪能した後、京都駅の方へ戻りレンタサイクル屋へ。1日1,000円(当日19時までに返却)とのことで早速借りて南禅寺へ向かう。三条大橋を渡ってからの蹴上までの坂道は結構急ではあるが、こちとら三段変速ギアのチャリなのでなんなくクリア出来る。京都駅からゆったりペースで約30分、参道に到着。まずは昼食がてら参道沿いの湯豆腐屋で豆腐を食べ、南禅寺へ。

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
新幹線
  • 【南禅寺】<br />臨済宗(禅宗)南禅寺派の総本山。禅宗は臨済宗・黄檗宗・曹洞宗の三宗の総称。また、正式名称は「太平興国南禅禅寺」。開基は亀山法皇、開山は大明国師で皇室発願の禅寺では日本最初のものとのこと。

    【南禅寺】
    臨済宗(禅宗)南禅寺派の総本山。禅宗は臨済宗・黄檗宗・曹洞宗の三宗の総称。また、正式名称は「太平興国南禅禅寺」。開基は亀山法皇、開山は大明国師で皇室発願の禅寺では日本最初のものとのこと。

  • 【南禅寺・三門?】<br />南禅寺三門と言えば、ガイドブックにも必ず載っている石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小せぇ、小せぇ」の見得切りだが、当の五右衛門がこの三門に登ったというのは完全にフィクションらしい。ものの本によれば、石川五右衛門が京都三条河原で処刑(釜茹での刑)されたのが1594年(安土・桃山時代)、ところがこの山門が建築されたのは1628年(江戸時代)であるとのこと。(創建時にも三門はあったが、1447年に火災で焼失)<br />そして、知恩院の三門と東本願寺御影堂門とともに京都三大門の一つである。

    【南禅寺・三門?】
    南禅寺三門と言えば、ガイドブックにも必ず載っている石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小せぇ、小せぇ」の見得切りだが、当の五右衛門がこの三門に登ったというのは完全にフィクションらしい。ものの本によれば、石川五右衛門が京都三条河原で処刑(釜茹での刑)されたのが1594年(安土・桃山時代)、ところがこの山門が建築されたのは1628年(江戸時代)であるとのこと。(創建時にも三門はあったが、1447年に火災で焼失)
    そして、知恩院の三門と東本願寺御影堂門とともに京都三大門の一つである。

  • 【南禅寺・三門?】<br />南禅寺の三門は二重門(2階建ての門)である。1615年の大阪夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るために藤堂高虎が寄進したもので、門の上層には藤堂家歴代の位牌と大阪夏の陣の戦死者の位牌が安置されているとのこと。<br />三門の上層へは500円を支払って登ることが出来る。写真じゃ分かりづらいかもしれないが、かなり急で、床はめっちゃ磨かれているのか非常に滑りやすい。

    【南禅寺・三門?】
    南禅寺の三門は二重門(2階建ての門)である。1615年の大阪夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るために藤堂高虎が寄進したもので、門の上層には藤堂家歴代の位牌と大阪夏の陣の戦死者の位牌が安置されているとのこと。
    三門の上層へは500円を支払って登ることが出来る。写真じゃ分かりづらいかもしれないが、かなり急で、床はめっちゃ磨かれているのか非常に滑りやすい。

  • 【南禅寺・三門?】<br />上層に登ったら誰もいなかったので廊下に寝転んで撮影。横幅約40m。でかいっす。

    【南禅寺・三門?】
    上層に登ったら誰もいなかったので廊下に寝転んで撮影。横幅約40m。でかいっす。

  • 【南禅寺・水路閣?】<br />南禅院へ向かう手前のところにレンガ造りの水路閣がある。琵琶湖疏水の一部だそうです。ローマ水道のようなアーチで明治時代(1890年)の完成。

    【南禅寺・水路閣?】
    南禅院へ向かう手前のところにレンガ造りの水路閣がある。琵琶湖疏水の一部だそうです。ローマ水道のようなアーチで明治時代(1890年)の完成。

  • 【南禅寺・水路閣?】<br />この水路閣は上に登れるんです。結構な勢いで水が流れています。今だ現役。現在でも無鄰庵庭園の水として利用されているとか。

    【南禅寺・水路閣?】
    この水路閣は上に登れるんです。結構な勢いで水が流れています。今だ現役。現在でも無鄰庵庭園の水として利用されているとか。

  • 【無鄰庵?】<br />南禅寺から仁王門通に出て、疎水のほど近くに無鄰庵がある。入場料350円。無鄰庵は明治29年(1896年)に長州出身の元老山縣有朋が造営した別荘である。(写真は撮っていないが)庭園(池泉廻遊式)が有名らしく、パンフレットによると有朋自らが設計・監督し、造園家の小川治兵衛が作庭したとのこと。木造二階の母屋と茶室、その中間に洋館がある。

    【無鄰庵?】
    南禅寺から仁王門通に出て、疎水のほど近くに無鄰庵がある。入場料350円。無鄰庵は明治29年(1896年)に長州出身の元老山縣有朋が造営した別荘である。(写真は撮っていないが)庭園(池泉廻遊式)が有名らしく、パンフレットによると有朋自らが設計・監督し、造園家の小川治兵衛が作庭したとのこと。木造二階の母屋と茶室、その中間に洋館がある。

  • 【無鄰庵?】<br />洋館の二階には明治36年(1903年)4月21日に山縣有朋、伊藤博文(当事政友会総裁)、桂太郎(当事総理大臣)、小村寿太郎(当事外務大臣)の4人が満州と韓国への対露の方針を決定した会議が行われた(無鄰庵会議)部屋があり、普通に入ることができる。(この会議で日露開戦が決定されたと書いているコメントも散見されるが、実際には「当面は外交による解決」を目指すことを決したと言われる。)

    【無鄰庵?】
    洋館の二階には明治36年(1903年)4月21日に山縣有朋、伊藤博文(当事政友会総裁)、桂太郎(当事総理大臣)、小村寿太郎(当事外務大臣)の4人が満州と韓国への対露の方針を決定した会議が行われた(無鄰庵会議)部屋があり、普通に入ることができる。(この会議で日露開戦が決定されたと書いているコメントも散見されるが、実際には「当面は外交による解決」を目指すことを決したと言われる。)

  • 【六波羅蜜寺】<br />『見仏っとく?〜六波羅蜜寺・三十三間堂〜』とのたもうたものの、南禅寺と無鄰庵でかなりを占めてしまった。こっからがメインっす。<br />無鄰庵を後にし、地図とにらめっこしながら六波羅蜜寺へ向かう。この六波羅蜜寺、結構見つけるのが難しい。住宅の建ち並ぶ細い路地の中にあるからだ。六波羅蜜寺での目的はただ一つ、空也上人立像をこの目で見ることだ。

    【六波羅蜜寺】
    『見仏っとく?〜六波羅蜜寺・三十三間堂〜』とのたもうたものの、南禅寺と無鄰庵でかなりを占めてしまった。こっからがメインっす。
    無鄰庵を後にし、地図とにらめっこしながら六波羅蜜寺へ向かう。この六波羅蜜寺、結構見つけるのが難しい。住宅の建ち並ぶ細い路地の中にあるからだ。六波羅蜜寺での目的はただ一つ、空也上人立像をこの目で見ることだ。

  • 【六波羅蜜寺・空也上人立像】<br />受付で500円を払って宝物館へ。係りの人が宝物館へ案内してくれる。見学者は我々だけだった。夕方になる頃とはいえ、みうらじゅん風に言えばこの日、空也上人立像は「流行って」いなかった。<br />館内は撮影禁止(だから掲載写真はパンフレットから)。ガラスケース越しに見る空也上人立像は想像していたよりも小さかった。120〜30cmくらいだろうか?胸には金鼓、右手に撞木、左手には鹿の角を先端にした杖、そして口からは六体の阿弥陀が出ている。これが見たかったのだ。<br />空也上人の出自は明確ではないらしいが、パンフレットには醍醐天皇の第二皇子と断言している。若い頃尾張国分寺で出家し、空也と称して諸国を遍歴して教義の奥義を極めたという。空也上人といえば踊躍念仏。踊躍念仏とは歓喜踊躍しながら念仏を唱えること。歓喜踊躍とは、(阿弥陀如来が万人を平等に扱ってくれると信じれば)心身相喜び、天に踊り、地に踊る、「喜(歓)び」の究極形だそうである。踊躍念仏が一体どんな所作で念仏を唱えるかは不明だが、六波羅蜜寺では年末に「空也踊躍念仏厳修」が行われるらしいので興味のある方はチェックだ。<br />宝物館には空也上人立像の他に地蔵菩薩坐像(夢見地蔵)・(以下、仏像ではないが)平清盛坐像・運慶坐像・湛慶坐像(ぜ〜んぶ重要文化財)があり、なかなか見ごたえがあります。簡単に言えばそれぞれの像の目に力があると言えば良いでしょうか?目が合うと何故か逸らすことが容易にできなくなるんです(特に運慶・湛慶の坐像)。そしてその目で自分の心の奥底をガッチリ確認されているような気持ちになるんすよ。あ、やばいと思って目を逸らそうとしても逸らすことが出来ないんす。いや〜不思議な感じ。

    【六波羅蜜寺・空也上人立像】
    受付で500円を払って宝物館へ。係りの人が宝物館へ案内してくれる。見学者は我々だけだった。夕方になる頃とはいえ、みうらじゅん風に言えばこの日、空也上人立像は「流行って」いなかった。
    館内は撮影禁止(だから掲載写真はパンフレットから)。ガラスケース越しに見る空也上人立像は想像していたよりも小さかった。120〜30cmくらいだろうか?胸には金鼓、右手に撞木、左手には鹿の角を先端にした杖、そして口からは六体の阿弥陀が出ている。これが見たかったのだ。
    空也上人の出自は明確ではないらしいが、パンフレットには醍醐天皇の第二皇子と断言している。若い頃尾張国分寺で出家し、空也と称して諸国を遍歴して教義の奥義を極めたという。空也上人といえば踊躍念仏。踊躍念仏とは歓喜踊躍しながら念仏を唱えること。歓喜踊躍とは、(阿弥陀如来が万人を平等に扱ってくれると信じれば)心身相喜び、天に踊り、地に踊る、「喜(歓)び」の究極形だそうである。踊躍念仏が一体どんな所作で念仏を唱えるかは不明だが、六波羅蜜寺では年末に「空也踊躍念仏厳修」が行われるらしいので興味のある方はチェックだ。
    宝物館には空也上人立像の他に地蔵菩薩坐像(夢見地蔵)・(以下、仏像ではないが)平清盛坐像・運慶坐像・湛慶坐像(ぜ〜んぶ重要文化財)があり、なかなか見ごたえがあります。簡単に言えばそれぞれの像の目に力があると言えば良いでしょうか?目が合うと何故か逸らすことが容易にできなくなるんです(特に運慶・湛慶の坐像)。そしてその目で自分の心の奥底をガッチリ確認されているような気持ちになるんすよ。あ、やばいと思って目を逸らそうとしても逸らすことが出来ないんす。いや〜不思議な感じ。

  • 【三十三間堂?】<br />三十三間堂。ここは外せないっす。京都に行ったら是非一度は行っていただきたい。千手観音坐像(国宝)を中尊として左右にそれぞれ五百体の千手観音像(重要文化財)が並ぶ三十三間堂はまさに「仏像の森」。<br />この時期の京都はオフシーズン?と思えるほど全体的に観光客は少なかったが、やはりここだけは人が集まっている。集客力抜群、三十三間堂。

    【三十三間堂?】
    三十三間堂。ここは外せないっす。京都に行ったら是非一度は行っていただきたい。千手観音坐像(国宝)を中尊として左右にそれぞれ五百体の千手観音像(重要文化財)が並ぶ三十三間堂はまさに「仏像の森」。
    この時期の京都はオフシーズン?と思えるほど全体的に観光客は少なかったが、やはりここだけは人が集まっている。集客力抜群、三十三間堂。

  • 【三十三間堂?】<br />拝観料600円を支払い堂内へ。いや〜、圧巻。その一言。<br />千手観音像は正式には「十一面千手千眼観世音菩薩」といい、頭上に11の顔、両脇には40本の手を持つ。数えてみると顔は確かに11面ある。しかし「千手」とはいえ左右20本ずつ40本しかないのに「千手」とはどういうことなのか?<br />パンフレットによると、「千手」とは一本の手が25種類の世界で救いの働きをするので、40を25倍して千手を表す。「千」とは無限無量を意味し、よってありとあらゆる世界に働く手であることを意味するとか。決して誇張している訳ではないのだ。<br />千手観音像は先に述べたように千手観音坐像を中心に左右に五百体ずつ前後10列の階段状の壇上に整然と並ぶ。年末の第九を歌う合唱団さながら。壮大だ。写真はポストカードから。

    【三十三間堂?】
    拝観料600円を支払い堂内へ。いや〜、圧巻。その一言。
    千手観音像は正式には「十一面千手千眼観世音菩薩」といい、頭上に11の顔、両脇には40本の手を持つ。数えてみると顔は確かに11面ある。しかし「千手」とはいえ左右20本ずつ40本しかないのに「千手」とはどういうことなのか?
    パンフレットによると、「千手」とは一本の手が25種類の世界で救いの働きをするので、40を25倍して千手を表す。「千」とは無限無量を意味し、よってありとあらゆる世界に働く手であることを意味するとか。決して誇張している訳ではないのだ。
    千手観音像は先に述べたように千手観音坐像を中心に左右に五百体ずつ前後10列の階段状の壇上に整然と並ぶ。年末の第九を歌う合唱団さながら。壮大だ。写真はポストカードから。

  • 【三十三間堂?−那羅延堅固像−】<br />中尊である千手観音坐像の四方と1000体の千手観音像が並ぶ前段には二十八部衆と言われる28体の仏像が、そして前段の両端には風神・雷神像の2体、合計30体が並ぶ。ぜ〜んぶ国宝。二十八部衆とはパンフレットによると、千手観音に供奉し、観音の方便功徳を擁護するために神通力を駆使して天界の四方上下にあまねく満ち渡し、十方国土と信者たちを守護する諸尊であるとのこと。よく分からんけど、親衛隊的なものなんでしょうか?風神・雷神とこの二十八部衆がこれまた魅力的な物である。二十八部衆について言えば檜を使った所謂「寄木造り」で、仏像の手や顔を別々に彫って接着し、漆を塗って彩色仕上げをしたものである。彩色仕上げと言っても現在ではその色は褪せており当時の色彩は望むべくもないが、よ〜く見ると当時は赤色や黄金色であった部分が見て取れる。そして仏像の眼には水晶が嵌め込んでありなんともリアルである。<br />写真は前段右から2番目の仏像(雷神の左隣)で二十八部衆の一つ、那羅延堅固(ならえんけんご)像。帝釈天の従者(弟子?)で善事善行を進め、悪を懲らしめる力には並ぶ者がいないといわれる。<br />写真はポストカードから。

    【三十三間堂?−那羅延堅固像−】
    中尊である千手観音坐像の四方と1000体の千手観音像が並ぶ前段には二十八部衆と言われる28体の仏像が、そして前段の両端には風神・雷神像の2体、合計30体が並ぶ。ぜ〜んぶ国宝。二十八部衆とはパンフレットによると、千手観音に供奉し、観音の方便功徳を擁護するために神通力を駆使して天界の四方上下にあまねく満ち渡し、十方国土と信者たちを守護する諸尊であるとのこと。よく分からんけど、親衛隊的なものなんでしょうか?風神・雷神とこの二十八部衆がこれまた魅力的な物である。二十八部衆について言えば檜を使った所謂「寄木造り」で、仏像の手や顔を別々に彫って接着し、漆を塗って彩色仕上げをしたものである。彩色仕上げと言っても現在ではその色は褪せており当時の色彩は望むべくもないが、よ〜く見ると当時は赤色や黄金色であった部分が見て取れる。そして仏像の眼には水晶が嵌め込んでありなんともリアルである。
    写真は前段右から2番目の仏像(雷神の左隣)で二十八部衆の一つ、那羅延堅固(ならえんけんご)像。帝釈天の従者(弟子?)で善事善行を進め、悪を懲らしめる力には並ぶ者がいないといわれる。
    写真はポストカードから。

  • 【三十三間堂?−緊那羅王像−】<br />右から4番目にある緊那羅王(きんならおう)像。楽神の一つ。男姿の時は馬首人身で歌を唄い、女姿(天女)のときは舞い、写真はないが右から7番目に安置されている乾闥婆王(けんだつばおう)の妻となる。写真はポストカードから。

    【三十三間堂?−緊那羅王像−】
    右から4番目にある緊那羅王(きんならおう)像。楽神の一つ。男姿の時は馬首人身で歌を唄い、女姿(天女)のときは舞い、写真はないが右から7番目に安置されている乾闥婆王(けんだつばおう)の妻となる。写真はポストカードから。

  • 【三十三間堂?−迦楼羅王像−】<br />前出の那羅延堅固が乗る鳥として崇拝されて天部の神となった迦楼羅王(かるらおう)。雨乞いあるいは風雨を鎮め、鬼病(鬼が修行者の邪念に乗じて、その身体に入って悩ますこと)や怨家(?これは分からん)の修法などにはこの迦楼羅王を祀り、よって一切の煩悩や魔障を食い尽くし衆生に利益を与えてくれるのだとか。写真はポストカードから。

    【三十三間堂?−迦楼羅王像−】
    前出の那羅延堅固が乗る鳥として崇拝されて天部の神となった迦楼羅王(かるらおう)。雨乞いあるいは風雨を鎮め、鬼病(鬼が修行者の邪念に乗じて、その身体に入って悩ますこと)や怨家(?これは分からん)の修法などにはこの迦楼羅王を祀り、よって一切の煩悩や魔障を食い尽くし衆生に利益を与えてくれるのだとか。写真はポストカードから。

  • 【三十三間堂?−婆藪仙人像−】<br />バラモンの仙人である婆藪仙人(ばすせんにん)。殺生の罪によって生きながら地獄に堕ち、無量劫の罪苦を受けていたが華聚菩薩に救われて地獄を脱し、仏門に入って釈迦へ詣でたという。この像、頭巾の取り外しが可能であるらしい。写真はポストカードから。

    【三十三間堂?−婆藪仙人像−】
    バラモンの仙人である婆藪仙人(ばすせんにん)。殺生の罪によって生きながら地獄に堕ち、無量劫の罪苦を受けていたが華聚菩薩に救われて地獄を脱し、仏門に入って釈迦へ詣でたという。この像、頭巾の取り外しが可能であるらしい。写真はポストカードから。

  • 【三十三間堂?】<br />ここで紹介できる仏像はごく限られている(撮影不可だから)が、本当に一体一体が素晴らしい。京都旅行の際には訪問先リストの一つに加えてみては如何。<br />さて、心に余裕のない若造の頃は千手観音像と二十八部衆、風神・雷神の仏を堪能したら次の仏像目指して移動していただろう。しかしこちとら三十路も半ばを迎え、若干ではあるが気持ちに余裕ができた大人になった、というかチャリで廻っているので身体が言うこと聞かない中年になった。そういう訳で今回初めて本堂の外へ出でみた。<br />三十三間堂。正式名称は蓮華王院。三十三間堂と呼ばれる本堂は東面していて南北に延びている。その長さ120メートル(ちなみに地上16メートル、奥行きは22メートル)で長大な建造物なのである。写真は本堂前庭から撮ったもの。

    【三十三間堂?】
    ここで紹介できる仏像はごく限られている(撮影不可だから)が、本当に一体一体が素晴らしい。京都旅行の際には訪問先リストの一つに加えてみては如何。
    さて、心に余裕のない若造の頃は千手観音像と二十八部衆、風神・雷神の仏を堪能したら次の仏像目指して移動していただろう。しかしこちとら三十路も半ばを迎え、若干ではあるが気持ちに余裕ができた大人になった、というかチャリで廻っているので身体が言うこと聞かない中年になった。そういう訳で今回初めて本堂の外へ出でみた。
    三十三間堂。正式名称は蓮華王院。三十三間堂と呼ばれる本堂は東面していて南北に延びている。その長さ120メートル(ちなみに地上16メートル、奥行きは22メートル)で長大な建造物なのである。写真は本堂前庭から撮ったもの。

  • 【三十三間堂?(131)】<br />本堂南側。<br />ここまで足を運ぶ観光客はやはり見当たらなかった。

    【三十三間堂?(131)】
    本堂南側。
    ここまで足を運ぶ観光客はやはり見当たらなかった。

  • 【三十三間堂?】<br />せっかくなんで本堂西側も撮っておいた。

    【三十三間堂?】
    せっかくなんで本堂西側も撮っておいた。

  • 【三十三間堂?】<br />で、この本堂西側の軒下で「通し矢」が行われていた。「通し矢」は本堂の南端から120メートルの距離を弓で射通し、その数を競うもの。この通し矢、桃山時代には既に行われており、いろいろ種類があったようだが、江戸時代に最も人気があったのは「大矢数」と呼ばれていたものであり、夕方の開始から翌日の同夕方まで一昼夜に何本射通せるかを競うもの。最高記録は総矢数13,053本中8,133本を通したとある。なんちゅう体力しとねん。<br />『見仏っとく?〜広隆寺・永観堂〜』へ続く。

    【三十三間堂?】
    で、この本堂西側の軒下で「通し矢」が行われていた。「通し矢」は本堂の南端から120メートルの距離を弓で射通し、その数を競うもの。この通し矢、桃山時代には既に行われており、いろいろ種類があったようだが、江戸時代に最も人気があったのは「大矢数」と呼ばれていたものであり、夕方の開始から翌日の同夕方まで一昼夜に何本射通せるかを競うもの。最高記録は総矢数13,053本中8,133本を通したとある。なんちゅう体力しとねん。
    『見仏っとく?〜広隆寺・永観堂〜』へ続く。

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