2007/12/28 - 2008/01/04
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きっちーさん
重慶爆撃の展示に、強烈なインパクトを残した三峡博物館の玄関をでると、広場をはさんだ向こうに、なにやらチャイナ・テイストの建物が。
眼下には、太極拳をやっているグループもいて、もうそのまんま作ってんじゃないかってくらい、イメージどおりの中国です(笑)。
「じ、自分写真撮りてえ・・」
カメラもってウロウロしてたら、警備のお兄さんが撮ってくれました。
調子に乗って、「次!次!こっちをバックに、お願いしますー」なんてやってたら、遊んでると思われたか、無線で呼び出されて慌てて行ってしまいました。
お兄さん、ちゃんとお礼がいえませんでしたけど、あのときは謝謝です!
旅行記『都市空襲の記憶』。
同僚にヒンシュクかいながら長い休みをゲットした旅程は、以下の通りです。
重慶→成都(三星堆博物館・青羊宮・杜甫草堂・武侯祠・成都動物園・昭覚寺・文殊院・永陵博物館)
→黄龍渓(古鎮)→成都
→大足(宝頂山石刻・北山石刻)
→重慶(三峡博物館・桂園・曾家岩50号・紅岩村・徳意大(?)炸遺跡・十八梯・磁器口古鎮・文化宮・重慶動物園)
新人さんは真似しちゃダメよ☆
今回は、重慶(桂園・曾家岩50号)!
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- 中国国際航空
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-
三峡博物館から望む、チャイナ・テイストの建築物!
まあ、お向かいだし。
予定には入ってなかったけど、ちょっと行ってみるか。
三峡博物館のなが〜い階段をくだり・・。 -
人民大礼堂へ歩きはじめます。
建物が大きいせいで、そんなに距離がないように感じたのですが、歩いてみるとなかなかつかない!!
そして案の定、まぁた階段! -
なかにも、階段!
おいおい、どーゆうこと?
高いトコに建ってんだから、さらに高くする必要ないじゃない・・・。
ぶちぶち言いながら、階段を踏みしめます。
そーいえば、人民大礼堂ってなにするトコなんだろ?
なんとなく、5元の入場料払って入ってしまいましたが、見どころなどまったくわかっていません。 -
なにしてんだ。
階段をのぼりきり、正面の入口をくぐると、ご覧のプレートが鎮座しています。
え? -
ええ?
-
えええ〜っ!
なに、人民大礼堂って、ただのホールのことなのォー?!
ガックシ。
プレートは、会場案内図のようなものでした。
なーんだ。
めずらしがって、入んなくてもヨカッタなー。
別にホールなんて見ても、面白くないし・・・。 -
いや、お金払った以上は、もとをとらなきゃ(笑)。
人民大礼堂は、ロープの張ってある所以外は見学自由のようで、中国の団体さんがあちこちから出たり入ったりしています。
家族連れで来ていたお婆ちゃんに話し掛けられますが・・・スマン、ここは私も初めてでサッパリわからんのですヨ。
ふたりして、むかしの人民大礼堂の写真を眺めました。
セピア色のふるっぽ〜い写真ですが、よくよくみると今とあまり変わりがなさそう・・。
ひょっとして、あまり古い建物ではないのかしら?? -
重慶爆撃の中心部だもんなー。
こんなデカイ建物、即標的だろうしな。
広い施設内を、ずっと奥まで見学できるようですが、三峡博物館が楽しかったので、なんとなくこれ以上観てまわる気持ちが起こらず、人民大礼堂をあとにします。 -
さあ、どうすっか。
予定していたとおり、まずは名所・旧跡見物かなー。
たびたびタクシーを利用するのも、もったいないと感じるビンボー症なので、とりあえずバスを使うことに。
いや、ふつーに生活してたら、1日に何度もタクシー乗るとかってないですもん。
広場の端っこまで行くと、バス停がたくさん並んでいます。
ひとつひとつ覗き込んで、行く先の名前が出ている路線をチェック!
目的地の「桂園」や「曾家岩50号」で停まる路線バスは見つけられませんでしたが、すぐ近くの「上清寺」行きバスを発見します。
1元でいけちゃう。やっぱ、バスは庶民の足だわ♪
大喜びで乗りこみます。
だがしかーし!じつはタダで行けるチョ〜便利な方法があったのですが、ホテル前からタクシーに乗ったときと同様、このときも知るよしもありません。
つか、中国語を真面目にやっとれば、さっきのタクシーの運転手さんが教えてくれてたのにー。
重慶のバスには、女性の車掌さんが乗っていて、切符を売ったり、整列乗車させたりしています。
「上清寺で降りたいので、到着したら声をかけてください」
と彼女に頼み、ベタッとくっついて離れないようにします(笑)。
忘れられちゃヤダもん。
そんな心配をすることもなく、重慶バスにはちゃんと車内アナウンスがありました。
ダメダメ中国語のわたくしでもなんとか「上清寺」は聞き取れ、「ここよ」と教えてもらう頃には、降りる体勢に!
地図を確認すると、バス停のある中山四路の坂の下から、霧都賓館までいっぽん道です。この坂道を登ってホテルへ帰る途中に、「桂園」や「曾家岩50号」が建っている配置になります。
中山四路はさっき、陳家坪汽車站から霧都賓館へむかう途中で通った坂なので、なんとなく距離も見当がついて安心。
よっしゃ、行くぞーっ。 -
坂道をてくてく歩きながら、考えます。
人民公会堂から、中山四路まで直線で行けば、距離的には本当にすぐ近くなのですが、道路を走ると『く』字に大きく迂回せねばならず、なんだか無駄に遠回りしている。
直線に、道もしくは階段を作れば、ものすごく時間の短縮になるのではないか。
だがしかーし!じつは直線で行けるチョ〜便利な方法があったのですが、霧都賓館前からタクシーに乗ったときと同様、バスに乗ったとき同様、このときもやっぱり知るよしも・・・。←引っ張りすぎだから
さて、ゆるい坂道をいくと左手前方に、煉瓦造りのしっかりした建物が見えてきます。
おお。
あれだ、あれだ。 -
じゃーんっ。
『重慶紅岩革命記念館・桂園』どす。
入場料2元。 -
『桂園、原系国民政府軍事委員会政治部部長張治中先生的公館・・』
なげっ。
読むのめんどくさっ(笑)。
まあ、もともとは「張治中部長」の家だったってコトっすね。 -
「和洋折衷」という言葉がありますが、ぶちょーさんちは「中洋折衷」といった雰囲気。
-
洋館っぽくないですか、ぶちょー。
-
外装はシンプルで、ちょっとそっけないほど地味なグレーですが、2階建ての堅固なつくり。
ようよう、いいトコ住んでいんじゃんヨ、ぶちょー。 -
なかへ入ってみました。
-
解説プレートによると、八路軍のお偉いサン、毛さんや周さんがここで外交をされていたそうで。
どうりで会議室が多いわけです。
あれ?
そうすっと、ぶちょーはどこで生活したのかな? -
あ。
2階へあがれる。
まあ、「家はひとつ」っていう発想自体が庶民で、ぶちょーは別宅も別荘も2号さんちもあったかもしんないわけで。
人に貸しちゃっても困んないから提供してんでしょうね。←ぶちょーそんなにすげえのか? -
2階へ。
さきほど、おもてから見えていたベランダです。
明るい感じで、意外と爽やか? -
中国のお金持ちの家にありがちな、ぞろっとした透かし彫りや天蓋ベットなんかも無く、いたって落ち着いた雰囲気です。
-
いやー、私もぶちょーんちに住みたいなあ〜。
-
この離れみたいなの、人に貸して、家賃収入でヒダリうちわな生活を・・(笑)。
あーでも、古い建物だから上下水道に難アリかもな。
いっそつぶして、立体駐車場にして、土地が値上がるまで転がすか・・。ぶつぶつ・・。 -
イカン、イカン。
あこがれの地主ドリームが・・。
川の土手に立つようなこの辺りは、ぶちょーさんちも含めてすこし古い建物が残っている地域です。
はんたいに人民広場周辺の、お碗の底のような中州地域は、平らなせいか新しいビルがそそり立っています。 -
古めかしくも、立派な洋館だけあって、トランクルーム?
屋根裏?
さらに、うえへ階段が伸びていて、すっごい気になるのですが、立入禁止。 -
「あ〜あ、一戸建てか・・。こんなうち住んでみてーよなあ〜」
まったく人気が無いようで、ときたま訪れる酔狂な観光客相手の施設にしとくんなら、私にくれ。もらうから。
と、不埒なこと思いつつ、階段をおります。 -
コリャ重要文化施設じゃ!
あげるか、馬鹿もん!
共産党幹部がここをご利用だったんじゃ。
毛さんなんか、チョー有名でしょ!
という、銀看板がどーんっと置かれています。
はあ・・?スンマセン・・。 -
でも、ぶちょーがイイって言ったら、もらってあげても良くてよ・・?
とぼとぼと、桂園をあとにします。 -
そろそろお腹すいたなあ〜と、坂を登っているウチに、見覚えのある建物。
あっれ?
ホテル戻って来ちゃったじゃん!
曾家岩50号って、どこにあったのーっ???
あせって、辺りを見まわすと・・・。 -
あったぁー!!
ホテルの第2駐車場かと思いきや、霧都賓館のお隣が、思いっきり曾家岩50号!
ハイ、こちらが『重慶紅岩革命記念館・曾家岩50号周公館』どS。
よくみたら、周さんの銅像もちゃんとたってました。
なんだ、こんな近いなんてサギだよ。
徒歩ゼロ分じゃん。
まあ、近いにこした事は無いか。
入場料おいくら?
ほう、こっちも2元か。
均一?均一?
革命均一? -
「重慶は、日本軍の侵略に対する砦だったんだな〜」と、いうことを再認識させられるほど、国・共軍の関連施設が、近郊に点在しています。
-
では、さっそく。
-
中国のお屋敷っていうのは、敷地のスペース広いワリに、こみいっていてなんとなく、息苦しいと言うか、圧迫感があります。
しかも、小さい部屋で区切られているので、方向音痴にはツライ、迷子になりやすい設計。 -
ちっちゃい中庭があって、外光も射すのですが、周りをぐるッと建物が取り囲んでいるので、あまり開放感はありません。
寒さ対策?
それとも、外敵予防みたいな意味があるのか?
よくわかんないですけど、このつくりは朝鮮半島なんかとは全然違って感じます。 -
まずは、お台所から(笑)。
-
「やっぱ古い家は、竈なんだー」
感心しつつ、
「建物のわりには、ちっちゃくない?」
疑問が湧きます。 -
このくらいの、人数だったら問題ないでしょうが、受付でもらったパンフレットを見ると、この周公館はずいぶん多くの人が寝泊りしていたようですし、張治中ぶちょーのお屋敷よりもはるかに大きな施設です。
-
大所帯で生活するには、あの台所じゃ、ねえ?
-
「どうやって、やりくりしてたんだ・・。ひょっとして、おかずだけ中食とか?それとも、社食と同じで決まったメニューを日替わりとか・・金曜日はカレーだったりして〜」
ぶつぶつ言いながら階段をあがってみます。 -
小分けになっている1階とは異なり、2階は続きの間が多く、小さなスペースも部屋の一角に組み込んで利用できるようになっています。
-
部屋を大きく取っているので、廊下がせまい・・。
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集団で寝泊りしていた場所。
ベッドが華奢に感じます。 -
毛さんが居たという、張治中ぶちょーんちもガラガラでしたが、周さんの曾家岩50号もまったく観光客がおりません。
観光地をひとりで独占できるというのは、とても気分がよろしいのですが、あんまいなさすぎると、それはそれで寂しいものがあって、フクザツ。
でも、ざっとみたところ周さんトコの方が、比較的きれいに管理されてるようです。 -
中華人民共和国の成立にかかわった人物達が、逗留した施設をまわっていると、自分がこうして歩いている中国についてとりとめもない事が頭をよぎります。
「中国」というと、イメージ的に「共産主義」とか「パンダ」とか「少林寺」なんですが。
旅していると、パンダはともかく共産主義的な部分はあまり感じません。
それどころか、農村部と都市部の格差やハッとするような貧困は、資本主義のソレと何が違うのか、よくわかりません。
まだ、「共産主義国への道半ば」というなら、理解は出来ますが。(そーすると、まだ資本主義なのかな??)
バスターミナルや、列車の発着場所に立つと、まっくろに日焼けしホームレスのような労働者と、携帯でさかんにまくしたてる小奇麗な男女を間近にすると、あまりにパラレルで、どちらの「主義」であっても、看板よりは中身なんじゃないか、と思えます。
日本のように資本主義であろうと、中国のように「共産主義」であろうと、生まれた場所に関係なく自己実現に希望がある、また少なくとも、どんな年令・職業のひとであっても命と衣食住の不安なく暮らせる社会が、重要に思えます。
逆にいえば、資本主義だからって、日本が実現できているとは、感じません。
政治家がよく言う、「がんばれば、誰でも平等なチャンス」というのは、フェアなスタートでなければ不可能で、現状スタートなら格差はどんどん開いていくだけです。
すこし考えれば、政治家の子どもと所得の厳しい片親の子どもが、同時に『首相』や『人民代表』を目指したら、チャンスがあるのはどう考えても前者です。
政治家の世襲制は、顕著に表れていると思うし。
資本主義でも共産主義でも、その国に住んでいる人たちに、税金を見合った福祉とサービスをバックできない・しない政治家が国政を仕切ったら、資本・共産の看板ちがいだけで、展望に不安を抱えた庶民生活は同じです。
中国は、共産主義ということでとかく叩かれやすい気はしますが、「資本主義だから・共産主義だから、ダメ」というのじゃなく、欠点はどんな国にもあると思うけど、それは改善しつつ、「また来たいな」と思える場所であって欲しいと感じます。
とか言って、ヒマさえあれば行ってますけど(笑)。 -
ベランダの向こうに、スモッグがたれこめるビルの谷間が浮かんでいます。
こんな風景を、侵略してくる日本軍と戦い、国民党の蒋さんと権力闘争をしていた頃の毛さんや周さんは、想像してたかな?
同じ場所に、歴史上の人物がいたのは、不思議な感触です。 -
・・・しかし。
・・・そろそろ。 -
のど痛い!
おなかすいた!
そんな、ヘロヘロ姿で、おとなりの宿へ移動。
うがいしないと死ぬ・・。 -
部屋へもどり、うがいをすると、咽きそうなほど咳が続きます。
やばい・・これは・・相当やばい・・。
成都の不調が復活です。
大足ですこしは治まったと思ったんだけど、ダメでした。
都心部へ戻った途端、呼吸が苦しくなります。
大気汚染だ、大気汚染。
どんだけ、空気汚れてんだろ?
ふだん健康体もいいトコなので、逆に体調不良はとっても恐ろしく感じます。
やばいよー!
旅行行って身体壊したなんていったら、次ぎ行きにくくなっちゃうじゃん。
ここは悪化を避けるためにも、徒歩以外の交通手段を駆使して・・。
部屋の窓の外に、モノレール曾家岩駅が見えています。
けっこう近くない?
これなら、モノレール使って、いろいろ行けそう。
うん。
繁華街までは、あれに乗って行こう。 -
腹がへっては観光ができぬ〜。
洗面所で念入りにうがいを終えて、「あ”ー!あ”あ”〜っ」と声を出しながら、ベッドに目をやると、重慶の夕刊が置かれています。
うおっ。
びっくりした。
こんな、サービス初めてじゃない?
・・・あんま読めないけど(笑)。 -
「すぐ近くに見える、モノレール駅への近道を探すか・・・。そして、ガッツリ食える繁華街へレッツゴーだぜ」
ぶつぶつ言いながら、ホテル前に出ると、通りの向かいに地下鉄の入り口が!
ありゃ!
どまん前!
「なんだなんだ、言ってヨ言ってヨ〜」
ちゃんと、まわりを見ろって感じですが、緊張してると見えてても目に入らないもんなんです。 -
地下へ続く階段をおりると、さらに下へおりるエレベーターが2基。
人にくっついて下におりると、ご覧のような通路が左右に伸びています。
案内板に沿ってモノレール曾家岩駅へ。 -
おお〜。
こんなカンタンに行けたのか。
よし。
これは、使えるぞ。 -
モノレールの切符は、窓口と自販で購入できます。
じもちーズが、窓口購入しているので、なんとなくつられて並んでしまいましたが、自販機でも簡単購入できます。
むしろ自販機がら空きなので、そっちが早い・・・。
帰りに買ってみたら、自販機購入は路線も短いし、断然早かったです。
重慶の人たちは、窓口好きか??
あ、そか。
こまかいのが無いのかも。 -
ホームは、こんな感じ。
向こう側は、見晴らしが良さそうです。 -
のんびりモノレールにゆられて終点で重慶の中心部、較場口駅へやって来ました。
重慶のシンボルである、解放碑の付近は歩行者天国になっており、大型デパートが周囲をかこみ、チラシ配りのお姉さんや、写真を撮っている観光客、テントを張ったイベントなど、華やかな雰囲気です。
ゴハン、ゴハン、ご飯はどこ〜??
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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く、食い物屋がない・・。
屋台みたいのはあるのですが、いわゆる食堂やファミレスみたいなのが、見当たりません。
中国では、KFCやマックも多いですが、チャイナ仕様のフードコートも繁華街のお約束なんですけど・・・。
見当たらずっ!
ぐううううう〜っ・・きゅるるうう〜・・・
「お腹すいた・・しんじゃう・・」
デパ地下やうえの階のレストランを探した方が、早いか・・。
そう思い始めたころ、どこまで歩いたのか、古いビルの狭間に香港映画に出てきそうな、テントで屋根をつくった屋台を、道の行き止まりに見つけます。 -
建物に挟まれ、日も射さないような薄暗い道端に、テーブルやイスがならべられ、カップルや中学生くらいの女の子たちが、気安いようすで食事を摂っています。
壁には手書きのメニューが張られており、そばの年季の入ったキッチンからもうもうと湯気があがっています。
メシだ!
何を頼むか・・。
立ち止まって、品書きを眺めていると、店員さんらしきお兄さんに「何にします?」と尋ねられます。
よく分かんないものを頼んでハズすと痛いので、これは確実に理解できる『〜面』と書かれた品目を指さして、
「我要イーグァ」
と頼みます。
麺類なら激辛四川省でも、そんなスゴイの出てこないだろうし。
席について待っていると、お兄さんが麺を運んできてくれます。
・・う〜ん、辛そう?
見た目は、大足の商店街で食べた中華そばに似ていますが、食べてみるとこちらの方がやっぱ辛い。
やはり重慶。
火鍋なんぞが、名物地域。
でも、美味しい。
ふだんなら、辛いものはまず口にしませんが、地元にきたら地元の物が美味しい。
ぜんぶ食べられました! -
解放碑付近のデパートや書店をめぐっているうちに、少しづつ日が落ちていきます。
そろそろ帰るかな。 -
地下街の売店で夕食用の惣菜パンを購入し、ふたたび、モノレール。
あいかわらず窓口は混んでいますが、自販はガラガラ。
ひょっとして、買い方が面倒なのでは?
のぞいてみると・・。 -
?液晶画面に映っている目的の駅名を押す
?必要枚数を押す
?お札、または小銭を投入
?発券される -
・・・・エライ簡単なんですけど。
スイカのような、カードが出てきます。
これが、モノレールの切符。
使い方もスイカとおんなじ。
改札機に読み取らせて入場し、出るときは切符のように、改札機で回収。
エコロジー。
最近は、資源を無駄にしないように、こーいう回収型の切符をあちこちで見かけます。
ちなみに南京では、チップ式でした。
北京は、紙だったけど、もう変わっちゃったかな?
しかし、これだと窓口に人が集まるのは、不思議だな。
お年寄りなら窓口の方が安心だろうけど。
自販の方が、ラクだと思うけど。
重慶の人は、コミュニケーション好きか? -
モノレールは、解放碑付近の中心部に入ると、地下鉄になります。
ホームも掃除が行き届いていて、とってもキレイ。
なにより治安がよろしいので、公共機関でのひとり歩きが容易なところが、うれしいです。 -
駅数は少ないようですが、郊外まで線が延びているので、移動に便利!
バスのように、「いまどこら辺だろー」とヒヤヒヤしなくてすみます(笑)。
これは、おすすめ。
2〜3分ほどで、車体が安全ガラス越しに滑り込んできます。 -
『歩き方』にもあるとおり、モノレールは川沿いに走っているので、夜景が綺麗です!
対岸もそれを意識してか、大きい施設などがやるになるとライトアップしていてキラキラです。 -
うちの近所のジュースの自販機は、省エネのためか、夜になると灯かりを落として販売しておりますが。(あ。昼は昼で消えてるか)
このやうな電飾は「電気のムダ」とわかっていても、すごいっスね。
結局、駅につくまで写真撮ってました(汗)。 -
曾家岩駅に到着し、もと来た地下道を歩きます・・。
・・あれ、どこから来たんだっけ? -
あった、あった。
『中山四路』
霧都賓館が、建っている通りです。
・・・んん?
A出口は、『人民広場』って書いてある。
ホテルからタクシーやバスを利用した、三峡博物館のある、人民広場の出口。
なにかの間違いでしょうか。 -
いや、あってんな。
往きに通った通路だよ。
霧都賓館、て書いてあるし。 -
掲示してある地図を見ると、間違いありません。
このモノレールの地下通路は、中山四路の真下で二方向に分かれ、片方はモノレール駅へ。もう片方は、人民広場前に直結しているのです!!
・・よ、ようやくわかった・・。
あのタクシーの運転手さんが、言いたかったこと(つーか言ってたなかみが・・)!!
「そこの、地下道通って行けば、車に乗んなくても徒歩ですぐですよ」
だったんだあああ〜〜っ!ばかだああ〜〜っ!
まじめに語学をやらないと、いい大人が簡単な事実に気づかないという、屈辱をあじわう羽目に・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・ふっ。
試行錯誤が、日々の糧さ。
こういうことも、あるある。←にせポジティブ -
まあ、人民広場まで直通で行ける近道がわかったので、徒歩での行動範囲が広がったというコトで。
坂をジグザグするより、直線で行ける道があったのは、地元の人も「まっすぐ行けたらイイのに・・」っていう、バスで感じたのとおんなじ発想があったんだな、とおかしくなります。
エレベーターで、一気に中山四路のてっぺんにあがり・・。 -
地上へ出る階段をのぼると、霧都賓館のまわりはすでに真っ暗。
-
クリスマスのイルミネーションの外し残しか、ニューイヤーの飾りか、どちらともつかない煌きが、冷たい道路を照らします。
-
よーし!
あしたは、いよいよ重慶大爆撃の戦跡探しだ〜っ!
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ジェームズ・ボンドさん 2008/10/01 22:19:01
- 空爆の歴史
- 本屋で「空爆の歴史 終わらない大量虐殺」 新井真一著 岩波新書 を見つけ、読んでみました。
最近、空爆を考える企画が多い背景は米軍のイラク空爆だとか。
また、重慶についても「重慶とその周辺ばかりでなく四川省各地に対する奥地爆撃とも一体化して行われた。大爆撃という呼称はそのすべてを含む用語である」とのこと。
ですから期間や回数にバラつきがあるのも、これが理由らしいです。
- きっちーさん からの返信 2008/10/02 13:03:58
- RE: 空爆の歴史
- ジェームズ・ボンドさん、こんにちは!
はあ〜。
やっぱりそうなんですね。
カウントの仕方や、どこまでを範囲として考えるかで、回数が変わってしまうというのは、納得です。
(いま南京大虐殺の本を読んでいるんですけど、その本でも南京の範囲や兵士を含むかどうかで人数のカウントに違いが出てくることを指摘していました)
成都爆撃も、何度かおこなわれていることは今回の旅行後に初めて知りましたが、まわった所が被災地域だったりして、いまは全然分かりませんが、自分が歩いた辺りで亡くなられた方もいたかもしれないと思うと、複雑です。
「なるほどなー」と思ったのは、重慶の爆撃回数を、日本側から見ると一回飛び立った戦闘機が『行って戻ってきた』のを、一回とカウントするけど、攻撃される側の地上の中国の人たちからすると、爆弾落として飛んでいった飛行機が、ふたたび爆弾を落としながら戻ってきたとき、それがさっき飛んでいった飛行機かどうかはわからないわけです。
「いっかい攻撃されて、どこかへ飛び去って、またもう一回来た」と。
そうすると、地上から見ると『二度攻撃があった』となるわけです。
そうなると、多少攻撃回数に違いがでて来るのは、不思議ではないかな、と思います。
なんにせよ、ジェームズ・ボンドさんにこないだ教えてもらった本を読むと、基本的に空爆は無差別攻撃にならざるえない攻撃方法なんだと、感じます。
落とす瞬間、その場所に民間人がいるかどうかは、空の上からじゃ厳密に確認できないわけですから。
まして、すべて目標に当たるかといえば、そうとはいえないことが、アフガニスタンやイラクやパキスタンで世界一の軍事大国が証明し続けています
空爆は落とす方には、相手の顔が見えにくい、良心が麻痺しやすい殺害方法だと思いますが、結局相手からすれば殺し方の違いはあれ、殺されることには変わらないので、恨みを買うのは同じです。
どんな問題も、殺しあってしまったら、おしまいだと思うので、日本も軍事行動に手を貸すような活動ではなく、医療支援とか避難区を設けるとか、本当の意味で現地の人の助けになるような活動をさせないとなーと思います。
ジェームズ・ボンドさんから、教えて頂いた本は、すごく面白かったので、また探してみます!
ありがとうございます。
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