2007/09/04 - 2007/09/04
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スキピオさん
9月4日(火)快晴
明日は中学時代の旧友が来るので、午前中彼らとの散歩コースをシミュレイトして、歩いてみる。
午後は、以前からの懸案だった「クレマンソー博物館」を見学する予定だ。
写真は藤田嗣治の絵。「クレマンソー博物館」見学の後、ぶらりとパレ・ド・トーキョー(東京宮殿)内のパリ市立近代美術館に寄って、見学する。
写真は「藤田嗣治」の作品
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我が滞在先の正面は小学校、夏休み中に真っ白に塗り替えて、新学期を迎えている。
公立の学校には必ず「自由」「平等」「友愛」の文字が掲げられている。 -
朝8時過ぎると、小学生の登校時間だ。フランスでは親も一緒に学校まで来る。
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緑のおばさんではなく、緑のおじさんが小学生の登校時間に横断歩道で車を止めている。このおじさん、臨時雇いとはいえれっきとした市の職員だ。
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ヴェリブの宣伝ポスター
今年からパリは自転車がホットだ。 -
だがここメニルモンタン通りの坂上の自転車置き場では、乗って行く人はいても、乗って来る人がいない。そのために自転車はあっという間になくなる。
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メトロの駅の出口
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【シャン・ゼリゼ「ラデュレ」】
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【シャン・ゼリゼ「ラデュレ」サロン・ド・テ】
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【サラ・ベルナールの肖像】プチ・パレ
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【バッカスの女】プチ・パレ
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【アベルの死を悼むアダムとイヴ】プチ・パレ
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【ラップ通り(11区)】
アレクサンドル三世橋を渡り、エスプラナード・デ・ザンヴァリッドのバス停で69番のバスに乗る。このバスはいい。シャン・ド・マルス公園(エッフェル塔下)からパリの真ん中を通り、バスチーユ広場に行く(最終的にはペール・ラ・シェーズ墓地)。
1789年7月14日、蜂起した群衆はここアンヴァリッドを襲って武器を調達し、取って返してバスチーユに向かった。
ラップ通りはまさにバスチーユ界隈の民衆の街だ。 -
【ベンジャミン・フランクン像(16区)】
バスチーユで昼食を食べた後、メトロで一挙にトロカデロまで。
そこからベンジャミン・フランクリン通りに入る。 -
【ベンジャミン・フランクリン通り(16区)】
「クレマンソー博物館」に行くために、どっしりとした建物の並ぶベンジャミン・フランクリン通りに入る。 -
【ベンジャミン・フランクリン通り(16区)】
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【ベンジャミン・フランクリン通り(16区)】
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【クレマンソーの家(博物館)の入り口】
ここでクレマンソー(1841年生)は生活し、亡くなった(1929年)。しかも寝室はその亡くなった当日のままになっている。彼は「虎」の異名をとった政治家で、何よりもドレフュス事件と第一次世界大戦の英雄だ。 -
【クレマンソーの家(博物館)館内】
館内を歩くと「虎」の生活が彷彿として来る。 -
【マネが描いたクレマンソーの肖像】
クレマンソーの肖像でもっともよく使われる、マネの肖像画だ。 -
【新聞「オーロール紙」】
エミール・ゾラがあの有名な《我弾劾す》を掲載した「オーロール(曙)紙」はクレマンソーが創刊したものだ。
この日、「オーロール(曙)紙」という新聞に、エミール・ゾラの挑戦状「我弾劾す」正式には「共和国大統領フェリックス・フォール閣下への書簡」が掲載された。反響はすさまじく、前年(一八九七年)創刊されたばかりのほとんど無名のこの新聞は一日にして二十万部売りつくされたと言われている。真の意味でのドレフュス事件は、この日に始まる。 -
【ドレフュスの無実を主張する新聞】
19世紀末、ドレフュス事件はフランスをまっぶたつに二分した、ドレフュス派と反ドレフュス派に。
ドレフュス大尉はユダヤ人であるが故にドイツのスパイとして告発され、悪魔島(ブラジルの北)に送られた。クレマンソーやゾラたちは真実のために戦い、ついに彼の濡れ衣を晴らすことに成功する。 -
【ドレフュス大尉の位階剥奪の儀式を報ずる新聞】
ドレフュスはスパイとして、尉官の位を剥奪された。 -
【ピカール少佐の肖像】
ドレフュス派が負けそうになったぎりぎりの所で起死回生の一発、すなわち真犯人エステラジー少佐の告発をする。彼自身も軍籍を追われて、身を危うくするが最終的に勝利する。
彼は後に陸軍大臣まで登り詰める。 -
【ジベルニーのクレマンソー】
クレマンソーは画家のクロード・モネの親友だった。彼にとってジベルニーは心休まる地だったに違いない。 -
【クレマンソーの使っていたバスタブ】
首相にしては質素なバスタブだった。 -
【クレマンソーが亡くなった日のままの寝室とベッド】
「虎」の亡くなった日(1929年11月24日)のままに、保存されている。 -
【愛用していたスリッパ】
彼が亡くなった日のままのスリッパ。深い古されてぼろぼろだ。 -
【亡くなった日のままのカレンダー】
11月24日(日)と読める。 -
【書斎の机】
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【書斎の暖炉】
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【ウィルソン大統領大通りのワシントン騎馬像】
フランスでは偉人とあれば国籍を問わず、通りや広場名となる。また、偉人の彫像も同様だ。
騎馬像というのは別格と思われる。僕の知る限りでは他に、ジャンヌ・ダルク、ルイ14世、ルイ13世、アンリ4世、ボリバール(南アメリカの英雄、ボリビアの国名は彼から)、ラ・ファイエット将軍(?)などなど・・・
ちなみに東京では楠木正成、なんとかの宮(上野公園)・・・ -
【マチスの「ダンス」】
パレ・ド・トーキョー(東京宮殿)内の「パリ市立近代美術館」により、マチスを見る。この美術館は無料なので、気が向いたらいつでもぶらりと寄れる。それがうれしい。 -
【映像芸術】
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静かな館内。ピカソ以降の美術品が並ぶ。
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モディニアーリの作品
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【クラインの青】
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【ポップアート】
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この芸術作品には音と映像が伴わなくてはならない。残念ながら写真ではそれをお伝えできない。
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この作品も本来は動いている。
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不思議な作品
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【パレ・ド・トーキョー(東京宮殿)】
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【ダイアナ妃霊廟】
この金色の炎は自由の女神の持つ炎だが、今は、ダイアナ妃の事故紙現場に近いことから、霊廟となっている。ついに写真まで飾られた。
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この旅行記へのコメント (2)
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- さんしぇさん 2014/10/19 18:56:55
- どこまでも歩きたい道
- スキピオさんこんばんは、初めまして。
マシンの道など、ご評価頂きましてありがとうございました。
パリから少し外れただけで、俄然その土地の色合い濃い田舎が立ち現れて
歩くのが苦にならないばかりか、4トラの先達方からその地にまつわる
あれこれなど伺えば、天候の多少の悪さは何のその、日本に居てはこの上
無い怠け者が、こちらでは人が変わります。
さて、表紙画像のFoulitaに惹かれました。
藤田作品を集めた展覧会は未だ行けた事が在りませんが、こちらでは常設
展示をあちらで1点、こちらで・・、と拝見する機会がこちらではありますね。
画像からでも美しい白の色が伝わって来ました。
次回、足を運びたいと思いました。 さんしぇ
- スキピオさん からの返信 2014/10/19 23:22:59
- RE: こんにちは。
- なんども遊びにきていただき、ありがとうございます。
パリ郊外の旅行記を拝見して、「アパルトマンの窓から’14晩春 10日目 マシンの道を行く」の表紙の写真と私のPCの壁紙が同じことに驚きました。ここに写真が貼れないのが残念です。
本当に、一歩パリから出るとがらりとその風景が変わります。
パリの人たちがうらやましいです。
すてきな旅行記、これからも楽しみにしております。
スキピオ
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