2007/09/23 - 2007/09/30
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azianokazeさん
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3日目は砂漠のオアシス、バフレイヤへ2泊3日で出かけます。
カイロの宿“ペンションさくら”でセットしてもらったツアーです。
(1人催行のため割高の175ドル)
朝から想定外の出来事続きの1日でした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- エジプト航空
-
朝は6時半出発と言われていました。
でも、目覚ましがきちんとセットされておらず、宿の兄ちゃんのノックで目覚めるとすでに6時半過ぎです。
大慌てで顔も洗わず、着の身着のままで荷物を取りまとめます。
パンとお茶の朝食を持ってきてくれましたが、食べるひまなどありません。
パン・ヨーグルト・ジャムなどをバッグに放り込みます。
催促の電話。“ペンションさくら”はふたつの建物に分かれていて、「早くもうひとつの“さくら1”へ来い」とのこと。
“さくら1”でオーナーのエザトさんからツアーの説明。
てっきりカイロからチャーターした車でバフレイヤまで行くものと思っていたのですが、「タクシーでバスセンターまで送るので、ひとりバスでバフレイヤへ移動、向こうで契約した者が待っているから」とのこと。
「7時のバスが7時5分か10分に出ますから・・・」
「もう7時なので無理でしょう」と言いたいところですが、自分の不始末なので黙って聞きます。
「これ(ピンクのホテルカード)を持って、バスが向こうについても降りないように。同じカードを持った人間が乗り込んでくるのでそれまで待つように・・・帰りは・・・」
いろいろ確認したいことがありますが、とにかく時間がありません。
「話はまたあとで」ということでとりあえず待機していたタクシーでバスセンターへ向かいます。
着いたには7時25分頃でしょうか。タクシーの運転手がチケットを買ってくれますが、やはり7時のバスは出た後とのこと。
携帯でエザトさんと連絡して、次の8時のバスのチケットをゲット。
いろいろご迷惑をおかけしました。
運転手からも「このチケットだけで行けるので、何をいわれても車内でお金を払う必要ないから。むこうではバスから降りずに迎えを待て」と念押し。
要は“カイロ発バフレイヤ行きの荷物”として発送されるみたいなシステムですが、助かります。
ホテルカードが“荷札”のようなものでしょうか。
(写真はバスセンター) -
バスは8時過ぎに出発。
最近バフレイヤは人気が出てきたとの“歩き方”の情報どおり、観光客が5〜6組います。
日本人らしき若い人のグループも。
片道5時間と少し。
やっと落ち着いて、ラマダン中ですが外の景色を眺めながら持ってきたパンを食べます。
市街地が消えて、外は砂漠らしい広大な景色になってきました。
3時間弱ぐらいでドライブインへ。トイレ休憩。 -
運転手と車掌(男性)はよくしゃべります。
日本では、“おしゃべりは女性。これは大脳の生理学的差による言語機能の違いのため”という理解が受け入れられていますが、“会話能力は生理的言語機能の性差ではなく、文化的に決まるものではないだろうか・・・日本では真実や美を言葉などで説明することが軽んじられ・・・”などと高尚な思索にふけりながら、砂漠や形を変える風食地形を眺め順調に進んでいました。
ところが急に速度が落ちて、道路の傍らにストップ。
運転手と車掌がそろってバスを降りていきます。
二人して砂漠で用足しでもするのだろう・・・と思っていたのですが、どうも雰囲気が違います。
エンジントラブルのようです。 -
砂漠ですから、道路の両側は何もありません。
ただひたすら砂の荒地が広がっています。
乗り合わせた日本人グループが「動かないってこと?」「そう。1泊2日バス宿泊の砂漠ツアーもいいんじゃない」なんて軽口をたたいています。 -
水をかけて冷やします。
ラグビーの試合なら負傷した選手にヤカンの水をかけると元気になるけど・・・
何とかエンジンが動き始めました。
比較的短い時間、15〜20分程度で修復しました。
“驚かすなよ・・・” -
バフレイヤも近くなり近くの村で数人ずつ客を降ろします。
もう数キロで目的地(多分)・・・というところで再度ストップ。
「今度はもうダメみたい・・・」というあきらめムードが漂います。
通り合わせた軽トラックに、客の中の知り合いの人達が乗り換えてバスを見捨てて行きます。
恐らくこの人達がバフレイヤに着いて情報が伝わったのでしょう。
しばらくするとバフレイヤ方向から四輪駆動の“砂漠ツアー”客引き達が押し寄せてきました。
バスに乗り込んできて盛んに客引きを始めます。
地平線の向こうからわらわらとバスめがけて車が寄ってくる様は、死にかけた動物の死体に群がるジャッカルのようでもありました。 -
しかし、そんな悠長なこと言っている場合ではありません。
私の“引き取り手”がなかなか来ません。
携帯を持っていましたので、カイロのエザトさんに電話。
バスの状態を確認したいのでエジプト人と代わってくれというので、近くにいた役人の制服みたいなものを着たおじいさんに電話を無理やり押し付け事情を話してもらいます。
その後エザトさんと「どうやらそのバスは動きそうにないので、バフレイヤに連絡して・・・・」と話しているときに、ようやく“引き取り手”のマンスールが到着。
“遅いよ・・・少しジャッカル達を見習ってほしいね・・・”
写真は夜撮影したマンスール。砂漠の民、ベトウィンです。 -
荷物をマンスールのランドクルーザーに移してバフレイヤへ向かいます。
写真の子供はマンスールの子供。
マンスールは随分陽気な性格らしく、わざわざ車でボコボコの砂漠に乗り入れ派手にUターン。
現地の人もあきれて見ていました。 -
「朝も殆ど食べていないんで先ず昼食をとりたいんだけど。ラマダン中で申し訳ないけど。」
「OK!大丈夫」と連れてきてきたのがここ。
どうみても普通のアパートです。 -
「さあ、降りて」とうながされ4階へ上がると、マンスールの奥さんが玄関でお出迎え。
「ああ・・・どうも・・・」とよく理解できないまま部屋にあがります。
どうもここで奥さんがつくった料理をとるみたいです。 -
その料理。メインはひき肉と野菜を炒めたようなもの。
トマト、キュウリ、なぜかフライドポテト。
一番上のものはパンです。
家庭料理を食べられる機会は貴重ですが、そばにつくった奥さんがいるなかでは“好きだ、嫌いだ”はともかく、食べないといけません。
非常においしいというものでもありませんが、特に食べるのに問題はない料理でしたからよかったですが。
普段トマトは苦手で手をださないのですが、このときは完食しました。塩を振ったキュウリも。 -
車に乗って来た子のお兄ちゃんです。
水を注いだりして、かいがいしく世話してくれます。
このような場面に慣れているようです。 -
食べ終わり、朝磨く時間がなかった歯を磨くと、他にすることもないのでベランダから外を覗いたりします。
どうも他人の家というのは落ち着きません。
家とか塀は作り終わったのか、途中で止めたのかよくわからない状態が多く見られます。
(税金対策と書いてあるものもありました。)
マンスールが「暑いのでしばらく昼寝して」と言います。
せっかちな日本人の悪い癖で観光に出かけたかったのですが、現地の流儀に従ってマンスールと同じ部屋でお昼寝。
でも、暑いし、神経が興奮しているのか眠れません。
普段職場では昼の短い時間でもすぐに寝付くのですが。
しかし、昼寝するぐらいだったら何も朝の7時のバスではなく最初から8時でよかったのに・・・ -
悶々としているとようやく外出することになりました。
オアシスを行くロバ車の影も大分長くなっています。 -
ある店先でしばらく待たされたのですが、マンスール自慢のランドクルーザーの装備関係の話をしているみたい。
ここ砂漠のオアシスでは、乗り物はロバ車かランドクルーザーかの2種類だけのようです。 -
マンスールはとにかくすれ違う全員と大声で挨拶をかわします。
「ブフレイヤの人間はみんな家族みたいなものだから」 -
なんだかんだでこの日最初のスポットはホットスプリング、温泉。
この付近には多くの温泉・冷泉があるようです。
ただ、ここの温泉は滅茶苦茶熱く、手をつけただけで火傷しそうなぐらい。
マンスールはこのお湯で洗車。
洗車のために来たのか、観光で来たのかよくわかりません。
バフレイヤはオアシスですので、ナツメヤシがあたりに茂っています。 -
少し郊外を走ってやっと観光らしくなってきました。
車窓からずっと気になっていた山。
“ピラミッド・マウンテン”です。
砂漠に出るとピラミッド型の地形は多く目にしますが、大きさや中腹のリング状の模様など、遠目にも印象的な山でした。 -
日も傾いてきました。
-
次は“ソルトレイク(塩の湖)”。
確かに辺りの地面は白い析出物で覆われています。
ほんの少しなめてみましたが、微妙な味。
いろんなミネラル分が混ざっているみたい。 -
湖には立ち枯れした木々が。
面白い光景ですが、なんだか寂しい風景です。 -
日が沈みます。
-
町への帰り道、ナツメヤシの生い茂る場所で停車。
冷泉の向こうでラクダが草を食んでいます。
マンスールは礼拝を始めました。(彼は非常に敬虔なムスリムで、どんなときも礼拝を欠かしません。) -
その後、マンスールは1本のナツメヤシにのぼってデーツを採取。
「食べろ」とのこと。
どういう意図でここに来たのかよくわかりません。
ラクダやデーツを見せたかったのか、お祈りのために止まったのか・・・? -
すでに薄暮に満月が鮮やかです。
今日はこれで終了でしょう。
マンスールの日課につきあったのか、観光だったのかよくわかない時間でした。
まあ、明日からの砂漠に期待しましょう・・・。 -
町に戻り、真っ暗な民家の前で止まり、車を降ろされます。
ついて行くと、村の公民館のような建物で、十数人の村人が食事をとっています。
ラマダンの期間中、日没後の夕食をこのように集まってみんなでとるようで、その席に私も呼ばれたというか、連れてこられたようです。
人見知りのきつい性格の私としては正直「まいったな・・・」という感じでしたが、これもラマダンならではの経験かもと思い、と言うか他に対処しようがないので、ご相伴にあずかることにしました。
マンスールは別テーブルで勝手に食べ始め、私もひとり見知らぬじいさま方に囲まれて挨拶も無しで食べ始めます。
朝からの寝起きの姿で髪もぐしゃぐしゃでしたから、“日本代表”としてはもう少しまともな格好で来たかったという思いはありますが。 -
料理はこの後も肉、野菜、果物、お菓子いろいろ出てきます。
これも食べろ、あれも食べろと取ってくれますが、そんなに食べ切れません。
品数も量も多く、ある程度手をつけたら他のものと交換されます。
集まっているのは比較的年配の男性ばかりですが、残った料理は女性や子供のところに持っていかれるのでしょうか?捨てるにはもったいない量です。
各家庭で作って持ち寄っていると思われますが、帰りがけに世話人みたいな人にお金を渡して行く人もいましたので、各人がそれなりに負担しあっているのでは・・・。 -
食事が終わるとティータイムです。
ベトウィンティーはミントが強くちょっと苦手。
イスラムなのでアルコールはありません。
完全におじゃま虫ですが、まあ、毎日やっているなら今日ぐらい変なののが混ざっていてもいいかも・・・。 -
隣のおじいさんと煙草の交換など。
-
おそろしく甘い、蜂蜜たっぷりのデザート。
-
しばらくして大部分は帰って行きますが、マンスールを含め4人ほど残り話を続けています。
私はすることもないので、バッグを枕に寝転がっています。
彼らは“ベトウィンタバコ”と称して紙巻タバコをほぐして何か混ぜて吸っています。 -
やっとお開き。
「俺の家に泊まるか、ホテルにするか?どちらでも好きなほうを」と言うので、気を悪くするかもとは思いつつ、ホテルにしてもらいました。
他人の家では「リラックスして」と言われてもなかなか。
「そうか・・・」ということでホテルに向かいます。
もし私が彼の家に泊まれば、浮いたホテル代は彼のものになるのかも。
車はどんどん郊外に、夕方行っていた方向へ戻っていきます。
大分走った山の中で停車。
「ここ?」「ああ」
でも2,3人暗闇に見えますが、真っ暗でホテルらしい建物はありません。
「ライトは持っているか?」「ええ、電気はないの!」
そうこうしていると、ジェネレーターを動かしたみたいで灯りがつきました。
やれやれ、灯りはあるようです。
芦でふいたとんがり屋根の小屋が2列向かい合って10個ぐらい並び、その中央にはテーブルなどが並べられています。
ベトウィンスタイルの家だそうです。
明るい日差しの中ならそれなりの感じかもしれませんが、満月の月明かり、しかも客は私ひとりです。 -
また敷地に絨毯を敷いて、満月の下でティーとタバコのおしゃべりが始まりました。
私も呼ばれてしばらく同席しますが、言葉がわかりませんので退屈。
途中で部屋に帰ります。
部屋は3畳程度の広さで、ベッドがふたつ。それだけ。
この写真に写っているのが全てです。
トイレ、シャワーは別棟でありますから、私としては寝られさえすればOK。
ホテルには何も期待しないほうですから。
明日は11時に迎えにくるからとのこと。
砂漠でキャンプです。
ここも殆どキャンプに近いですが・・・。
(翌日確認したところ、ホテル名は“Sahara Camp”でした。)
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