2007/05/19 - 2007/05/28
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てんてん60さん
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ルクソール市街の対岸、現在のクルナ地区はテーベの人々の墓地として利用されたネクロポリス・テーベ(死者の都)である。
この地にはエジプトを代表する壮大な墓地、美麗な葬祭殿が連立され新王国の歴史を語っている。古国時代王墓はピラミッド形式であったが、新王国時代は岩窟墳墓へと変化し、遺体を埋葬した墓所と葬祭殿に分離される様になった。王墓はこの谷深く造営し死者の供養と再生を願い、葬祭殿は低位砂漠に壮大に作られた。
墓地は河岸から4km程の西側河岸段丘を中心に「王家の谷」「貴族の墓」「王妃の谷」とある。
また、葬祭殿は「ハトシェプスト女王」「セティ1世」「ラムセス」等がある。
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「王家の谷」の立体模型。
入場券発売所を入ってすぐに、「谷」全体の詳細説明ルームがある。 -
「王家の谷」への入場口。
チケット売り場からここまでは専用連結カートで運んでくれる。 -
ツタンカーメン墳墓発掘詳細説明文。
彼は謎に包まれた王であり、イクナテンの子ともアメンヘテプ3世の子とも言われている。
彼は、9歳で即位し18歳でこの世を去った少年王。 -
ツタンカーメン墳墓入口横にある墳墓詳細説明文。
墓は5つのアイテムから作られている。
1.通路(16の階段)2.前室 3.副室 4.玄室(黄金のマスクを着けたミイラ安置) 5.宝物室
現在は前室と玄室の境から見学できる。
玄室正面の右にオシリス神の形をしたツタンカーメン王に、後継者のアイ王が口開けの儀式をしている場面、左にはツタンカーメン王がヌゥト女神に迎えられ、再生のためにオシリス神と抱擁している場面が描かれている。
この玄室正面の壁が北を示し、東壁には、王の棺を引く貴族達の列が、西壁には天の12時を表すイヒが描かれている。 -
ラムセス3世墳墓詳細説明文。
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ラムセス5世、ラムセス6世の墳墓詳細説明文。
ツタンカーメン墳墓と異なり、第20王朝墓の典型で
総ての室が入口より1直線上に並んでいる。
この墓はラムセス5世によって造り始められたが、その後継者ラムセス6世によって横取りされた。
柱、壁には美しいヒエログリフと神々の絵で覆われている。玄室天井には巨大なヌゥト女神が描かれている。背中合わせに描かれた2体のヌゥト女神が、昼と夜の世界を表現している。 -
ラムセス9世の墳墓入口。
各室は1直線の第20王朝墳墓。通路両側には神々の壁画。前室にはヒョウの毛皮をまとった神官の姿が描かれている。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿。第18王朝、女王が父王トトメス1世と自らの為に建てた神殿。
絶壁を背景に高台の上に築かれテラス3段が特徴。 -
第一テラスから第二テラスに上る坂道の手摺に彫られたライオン像
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第二列柱室。(第二テラス北側)
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第3テラス。女王の立像のある26本の柱で構成されていたが、後継者トトメス3世により破壊された。
残っていたのは、中庭に通ずる門だけであった。
現在は復元されている。また中庭奥には河岸段丘に掘り込まれた岩窟至聖所があが、やはり破壊されている。 -
第二テラスの南側にハトホル女神礼拝堂がある。
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ラムセス3世葬祭殿。(第一塔門)
シリアの城塞をまねたと言われている。
高さ22m、幅63m、塔門の右には捕虜を打つラムセスのレリーフ
第20王朝時代の王で、「海の民」と呼ばれる海洋民族が侵入してきた時、これを迎え撃ち勝利した。しかし、王の死後ラムセスを名のる8名の王が次々に即位したがついに滅亡し20王朝と共に新王国時代は終わる。(前1085年)
*ツタンカーメン死後、アイが即位し、次にホレムヘブとラムセス1世がエジプトの威信を回復した。ラムセス1世の子がセティ1世、その子がラムセス2世(カデシュの戦いが有名)で各地に大建造物を建てた大いに繁栄した。 -
第一塔門を入ると中庭で、その左に勝利した民族の頭部分を証しした。
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列柱室
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ラムセス3世葬祭殿の第2塔門上部
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列柱室のレリーフ
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