2007/05/19 - 2007/05/28
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てんてん60さん
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ルクソール(イル・オッソル)はカイロより720km。かって近隣諸国より「テーベ」と呼ばれ、エジプトの首都として栄えた。ギザが古王国(第3王朝以降ー前2630年頃)を代表する顔なら、ルクソールは新王国(第18王朝以降ー前1567年頃)を代表する顔である。特に前1415年頃、トトメス4世の息子アメンヘテプ3世が即位し、ルクソールはナイル川をはさんで西岸を「あの世」、東岸を「この世」と呼び上下エジプト最大の繁栄を誇った。ルクソールは「百門の都」とも言われている。その期間は第25王朝(前750年)迄続いた。(最後はアッシリアに滅ぼされた)ルクソールはアラビア語で「城」を意味し、カスルの複数形アル・クスールに由来している。
ルクソールを見ずしてエジプトは語れない。
テーベの神、アメンが国家の最高神、アメン・ラー神として崇められ数多くの偉大な権力者、ファラオが輩出した。
彼らの残した遺跡、壁画、壁像、石像はその時代の偉大さを語る
*「イクナテン王の宗教改革」
アメンヘテプ3世の息子アメンヘテプ4世はアメン神を排し、太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を断行、自らの名もイクナテンと称した。彼は宗教政策等の内政を重んじた為、支配下のアジア諸都市は離反し、情勢は大きく変化した。イクナテン王の改革は、理念優先で民衆の心を捉えられず1代で滅び、ツタンカーメン王の時代に再びアメン神信仰に戻った。
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ホテルの近くの海岸には、ナイルクルージング大型船が数多く停泊している。
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早朝気球ツワーがあるらしく、ルクソールの空に数多く漂っている。多分西岸が発着地と思われる。
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今日も暑くなりそう。早朝から働かされるロバ
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ナイル川の乗り物。日本流で言えばナイル屋形船
対岸はクルナ村。 -
昼食です。これでは食は進みません。
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ルクソール神殿の近くにスークがあり、道の両側すべて土産物屋。結構しつこい売り手です。何でもかんでも1ドル、1ドルと呼びかけます。
シェラトンホテルからスークまでタクシー往復LE20(スーク散策中は入口近くのモスクで待機させる) -
このパンが一般エジプト人の主食。(名前はエイシ)
焼きたては大変美味しい。でも食べる前には必ず手で叩く事。 -
ホテルに沢山咲いてる花。
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