2006/11/18 - 2006/11/23
1366位(同エリア1804件中)
瑞樹さん
今日はバンコクからアユタヤーへ遠征。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 観光バス
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結局私は何も買わずに免税店を出て、1時間半ほどバスに揺られます。実はこれからアユタヤへ向かいますが、その中途、着いたのは、Lotusという大型のショッピングセンター。んー、名前からしてタイ。
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ここは本当に大きくて、食料品や衣料品、雑貨、家電を売るスーパーにフードコート、テナントも沢山集まっています。
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ここは本当に大きくて、食料品や衣料品、雑貨、家電を売るスーパーにフードコート、テナントも沢山集まっています。
私はと言えば、先程の反動という訳ではないけれど、ここぞとばかりに大量に購入。 -
カップ麺、センミー(極細麺)、グリーン・カレーやレッド・カレーのペースト、プリックポン(粉唐辛子)、マナオの粉末(タイのライム)、えびせん(勿論タイヴァージョンで辛酸っぱくて美味しい)、プリッツ(ラーブ(タイのピリ辛サラダ)味)、ドライ・ドリアン、ドライ・パパイヤなどなど…私ひとりで大きな袋を二つも抱えてしまいました。本当は缶ビールも買いたかったんだけれど、タイって日中はアルコールの販売していないんです。残念。
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さてこのSCには、こんなお店もありました。ヤマザキのパン屋さん。日本にもこういうお店、ありますか?私は見たことがありませんが…。
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これ、ランプらしいのですが、かなりヤバイです。どーですか、暗闇の中に浮かぶドラえもんの生首って。
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SCは殆ど日本と同じですね。
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スーパーを後にし、これからバスで15分ほどで今日の最終目的地へ。ふと窓の外を見ると、スーパーにいた、何かのイベントに出ていたカラフルなかつらのお姉さん方が、そのままトラックに乗って移動していました。ワイルドだなーと思ったけれど、荷台にはコンピュータかキーボードのようなものが見えるから、トラックそのままイベント会場になったりするのかな。暑そう〜。
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Lotusからバスで15分ほど。タイの中部、アユタヤーにある日本人町跡へやって来ました。
16世紀から17世紀に掛けて、時のアユタヤー王は諸外国人に住居を与え、町を造成することを許可しました。 -
その中のひとつとされているのが、この日本人町。1933年に発掘された、とか泰日協会がオランダ東インド会社の文献に基きへ発見した、とか、その後アユタヤー王朝の焼き討ちに遭い滅んだので、出土した古伊万里片や、フランスの古地図から推測されたものだとも云われています。
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入って右手に、日泰修好百年の記念として80年代末に建造された、コンクリートのアユタヤ歴史研究センターの別館があり、タイ王朝時代のアユタヤーの外国人町の資料が展示されています(当時は山田長政記念館を作ろうとした日本と、アユタヤー歴史資料館を作ろうとしたタイでもめたらしい)。直ぐ脇にはメナム川、リスが駆け回り子どもたちが遊ぶ、長閑な公園といった感じ。対岸には、ポルトガル人町があったとか。 -
ここで有名な日本人と言えば、駿河出身(の可能性大の)山田長政。ということで、この日本人村の整備にも静岡県人会の方々が頑張っていらっしゃるようです。下の長政像も、1000万円集めて造られたとか。
しかし、この”山田長政”という人物、果たして本当に実在したのかどうか??今となっては確証を得られる筈もありませんが、夢を壊すようで悪いですが、多くの歴史上の人物と同じ様に作り上げられた人なんでしょうか。 -
台湾を経て、シャムに渡り、アユタヤー朝ソンタム王の信任を得、軍事・貿易に功をたて、国王の娘を娶り、最高の官職オヤ・セナピモクまで登り詰める。しかしソンタム王が没し、王位継承の紛争が起きると、故王のいとこオヤ・カラホムにリゴール(六昆)太守に左遷させられ、のち毒殺された、というところが通説でしょうか。
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一時は千人とも、三千人とも云われる日本人が住んでいたアユタヤの日本人町。焼き討ちの後、徳川幕府の鎖国令が追い討ちをかけて衰退したと云われています。
まだ外国の遠かった時代に、そんなにも多くの日本人が住んでいた町があったと思うだけでも感慨深く、また世の儚さを思います。 -
無邪気に日本人町跡で遊ぶ子ども。日本人町跡、きっと日本人観光客くらいしか来ないのだろうから、こうして現地の人たちの憩いの場にでもなっていれば、良い活用法です。
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日本人町跡から4kmほど。アユタヤーは北をオールド・ロッブリー川、東をパサック川、西と南をチャオプラヤー川に囲まれ、まるで”島”のようです。その島内にある、アユタヤー歴史公園にやって来ました。
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では先ずは、ワット・プラ・マハタートから。
ワット・プラ・マハタートは、アユタヤー王朝の第3代目国王ボロマラーチャー1世が仏舎利を納める為に1374年に建立されたと云われています(2代国王ラームスエンが建立し、第3代で完成を見た、等諸説あり)。
しかし現在では、ビルマ軍によって破壊された跡しか残っていません。 -
クメール様式やスコータイ様式などが混在してたアユタヤ初期の寺院跡、中には24金で飾られた、44mもの仏塔があったそうです。
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青々とした芝生と、ずらりと首のない仏像の対比が何とも痛々しい限り。ちょっとぞっとします。
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中心にあった仏塔は1911年に崩れてしまったそうですが、1956年にはその地下16m下から仏像や宝飾品が発見されました。これらが誰のものか、ということでアユタヤー王朝の末裔と政府で裁判になったそうですが(何だか興醒め)、アユタヤー一族のものとの判決が出たそうです。
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ワット・プラ・マハタートの象徴とも云えるのが、やはりこの菩提樹の根に取り込まれてしまった、はたまた入り込んだのでしょうか、この仏像の頭でしょう。この写真だと、ちょっと苦しそうに見えますが、実物はもっと安らかなお顔です。盗掘を免れる為に土の下に隠してあったものが、600年後に出てきたとか。仏様、自らの意思でしょうか。長い年月の末に、段々と左の頬が隠れてしまっているそうです。そんな神秘的な姿に、今も信仰の対象としてお参りする人が絶えません。
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沈みゆく陽を受けながら、静かに佇む仏様。再び破壊されることのないように、見守っているかのようです。
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アユタヤー王朝は、タイ中部を中心に繁栄したタイ族による王朝。創設者はラーマーティボディー1世(ウートーン王)で、1351年〜1767年の間、中国への米の輸出や日本や琉球などの東アジア、東南アジア、果てはアラブ・ペルシア方面、西洋各国との貿易を糧に莫大な資産を築いたと云われています。
写真は、井戸…だったかな。 -
先にあったスコータイ王朝は、人民と親しく適切に保護する性格(=ポークンであること)が国王に必要な要素とし、穏やかであったのに比べ、ダルマラージャ(仏教の保護者としての王)の思想を引き継ぎ、仏教的を持って国を治め、クメール王朝のヒンドゥー教(バラモン教)的な色彩の濃い「王は神の権化である(=デーヴァラージャ)」と言う思想をも受け継いだ為、いささか強大過ぎる王朝だったようです。
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入口には、しつこいくらいの注意書きがあります(日本語表記もあり)。崩れてしまっているとはいえ、仏塔です。登らないこと。危険でもあるし。
そして、もし仏像と共に写真を撮る時は、自分の頭が仏像の頭より高くならないように注意しましょう。 -
数少ない、像が安置された仏塔。こちらは供養の為に新しく置かれたものでしょうか。
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本当にどこもかしこも首がないものばかりで…ビルマ軍、きっと罰が下ったに違いない。
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ほのかな香りと共に、プルメリアの白い花がかわいく咲いていました。
この後、象に乗るためにバスで少し移動。ほどなくワト・プラ・シー・サンペットの近くにある、エレファント・キャンプへ到着。 -
おお、いるいる。タイに来たなら、絶対に象に乗りたいと思っていた私は、ここでかなりテンション↑。椅子の様な鞍の上に、揃いの赤い服を着た象使いを乗せて、小さな象から大きな象までよりどりみどり。
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乗り場は、やはり日本語の案内板が多く掛かっています。丁度二階位の高さのやぐらのような台に上って、順番にやって来る象に二人ずつ乗っていきます。象には、やはり赤いベンチのような鞍が掛かっています。先程まで、でれんと鞍に乗っていた象使いたちは頭部分に移動し、空いたそこへ私たちが乗り込みます。象を靴のまま踏んで乗るのに一瞬躊躇しますが、ピンヒールじゃあるまいし、象にとってはなんでもないことですね。
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これは私が鞍の上から撮った、私たちの象の象使いさん。両足を使って、象の耳を刺激しつつぐんぐん進んでいきます。
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ゆったと歩いているように見える象ですが、それは大きいからそう見えるのであって、実際に乗ってみると結構揺れます。それが楽しい。揺れる度に、右、左、右、左、と象の動きが伝わってきて面白い〜。鞍の状態にも因るのでしょうが、中には酔ってしまう人もいるみたいなので、ご注意を。
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動物好きで、しかも崖に腰掛けるくらい朝飯前の高い所へっちゃな私は、かなり御機嫌。高いところが苦手な人、動物が得意じゃない人は要注意かも(そんな人は乗らないか)。
座ったまま、象の皮膚を触ってみると、びくともしない力強い手応えが返ってきました。うぉ〜静かに更にテンションの上がる私(←怪しい)。なんて可愛いんだ〜。これこそ動物園じゃ味わえない楽しさ。実際皮膚は見たままの、ざらりと年季が入った感触。とびとびに生えている毛は、棕櫚(しゅろ)の毛みたいに固い。 -
お客さんを乗せた象も、そうでない象も、一緒に列をなして歩いて行きます。世界遺産の街・アユタヤーを、タイの象に乗りながら眺めるなんて、贅沢極まりないったら。
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公園の中を進んでいた象たちは、やがて私たちを遺跡前の川岸に連れて行く為に、一般道を通過。普通に車が通っている生活道路、難なく渡ってしまいます。そりゃぁ、車も停まるしかないだろうけれど、これこそタイならではの光景。
ガイドさん曰く、この象たちを管理している人が有力者なのだろう、ということ。
ここからまた公園へ戻って、凡そ20分の象乗り。いや〜楽しかった。また乗りたいわ。 -
待合所へ戻って来ると、TDLみたいにすかさずプリントアウトされた写真が待っています。象乗り一行には、カメラマンが必ずついて来るのです。私たちの写真は、乗った直後に撮ったもののようでした。写真写りの余り良くない私ですが(いや、モデルのせいだろうが)、象好きが顔に表れている良い写真だったので、一枚購入。160B。あー楽しかった♪
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ペットとして飼われているリスがいる、象乗りの受付から歩いて10分。もうすぐ18時の夕暮れ時に、ウィハーン・プラ・モンコン・ホビットの前へ来ました。
白い外壁に、赤と金の装飾が映えます。礼拝堂には、「モンコン・ボピット仏」という17mの巨大な仏坐像がご本尊として納められています。だから、ウィハーン・プラ・モンコン・ホビットという名前なのだとか。 -
モンコン・ボピット仏は、タイ国内でも最大の仏陀像で「一尊」と呼ばれています。
この仏陀像は、1538年、ソムデッチ・プラ・チャイラーチャ王の時代に作られ、当時はシーシェンというお寺に雨ざらしの状態にあったのを、1603年にソムデッチ・プラ・チャオ・ソングターム王によってプラ・スィ・サンペト寺院の南西に移され、モンドップ型(屋根が幾層にも重なり中央が尖っている様式)の建物が建てられました。煉瓦を下地に青銅で覆われた構造である仏陀像も戦渦に巻き込まれ、1767年のアユタヤ陥落までの間に頭の一部と右腕が損傷しましたが、ラーマ5世の時代に漆喰で補修されました。 -
1956年にはビルマの首相から20万Bお布施があり、更に1992年に大補修が行われ、黒漆を施し、その上には金箔が貼られ、光り輝く姿となっているそうです。
残念ながら、もともと見学コースに入っていなくて、しかも時間外。外観を眺めて終わり。 -
続いて、ワット・プラ・シー・サンペットへ。隣には、1350年に建てられた、アユタヤー王宮の跡。アユタヤー北方のスパンブリーとラウォー(現・ロッブリー)という街を支配していたウー・トーン王が建国したアユタヤー王国の中心地。その後も歴代の王によって様々な宮殿などが増築されたようですが、1767年にビルマに侵略・破壊されたため、殆ど何も残っていません。ワット・プラ・シー・サンペットは1491年に建立、1500年には高さ16mの仏像が置かれたそうです。
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なんと171kgもの金を使った光り輝く像が、丁度人が立っているこの位置にあったそうです。皆さんはこんなことしてはいけませんよ。ここは、ワット・プラケオに相当する王室の守護寺院なんです。
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やはりビルマによる戦禍で破壊されたものが多いですが、残っているのは15世紀アユタヤー中期に建てられ3人の王の遺骨が納められている、3基のセイロン様式の塔。
戦争って、意外に身近なところにあるもの。過ちは、繰り返されるものです。 -
18時を過ぎて、刻々と変わってゆく空と光。私のデジカメではなんとも辛い時間となってきました(笑)。何か動物が(多分犬)走り去っていくところ、見えますか?
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私なりに色々試して撮ってみましたが…うーん。
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沈みゆく夕日が遺跡を照らして、幻想的でした。
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うーん、酷い写真だなぁ。本当はもっといい感じなんです。景色に没頭できる瞬間です。しかし、暗闇の中の遺跡って「恐い」という人が多かった。確かに、何か出てもおかしくない雰囲気はあります。でも遺跡前でやんさんに撮ってもらったものは、結構気に入っています。
最後は、夕食後にもう一度戻ってライトアップされた遺跡を観に来ました。写真もそうですが、あちこちから「う〜ん、パッとしない」との声が。正直、折角ライトアップしているのにちょっと光が足りないかも。 -
でも、こうして自分の目で自然を感じながら遺跡を観るのは、旅の醍醐味ですね。
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遺跡観光の後、「SEAFOOD PARK T&J」というレストランへやって来ました。今日はタイスキ〜♪
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何気に、竹箸の袋がキッチュでかわいい。テーブルクロスもタイシルク、ランチョンマットもタイ雑貨。
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円卓の上には、青物、練り物、肉団子などたくさんの具材が並んでいます。私はシンハーの生(80B)を頼んで早速頂いて、ご満悦。暑い中の遺跡観光の後のビールはウマイ♪
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店員さんは、皆タイシルクの民族衣装が似合っていてとっても素敵。みんな微妙に丈や模様が違っていますが、やはり現地の人が着る民族衣装は何物にも代え難い美しさがあります。タイスキを作る姿を、思わずじっくり見てしまう私(アヤシイ)。
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専用の鍋で出汁を暖め、フィッシュボールや海老、イカ、豚肉、白菜、竹輪などが出来上がってきます。このレストランは、全部店員さんがやってくれました。
私は最初は出汁で、その内辛いソースを足していって、最後は他の人のソースまで頂いて辛くして頂きました。 -
最後は卵とご飯を入れて、刻みネギを散らしておじや。タイで食べるおじやも美味しいな。
こういう感覚も、日本人と似ていて面白い。具は豊富で、15種類以上はあった気がします。は〜満足満腹。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ないはん男前さん 2007/08/15 21:14:39
- 象の住処は、もっと楽しいですよ〜。
- アユタヤの遺跡で観光客を乗せている象さん、お仕事ご苦労さんですよね。
象さん達、夕方、仕事を終えると、大型トラックに乗って、町はずれにある家に帰るのですが、彼らの住んでいる所に行くと、もっと楽しいですよ。
象さん達は、1日仕事して、1日休みらしいので、彼らが住んでいる所にも、いつ行っても、沢山の象さんが居ます。仕事の練習していたり、ゆっくりくつろいでいたり。それに、仕事にデビューする前の、子供の象や、赤ちゃん象も居ます。子象は、やんちゃで、ホント、かわいいですよ。
- 瑞樹さん からの返信 2007/08/15 23:11:37
- RE: 象の住処は、もっと楽しいですよ〜。
- ないはん男前さん、書き込みありがとうございます!
アユタヤの遺跡で働く象さんたち、一勤一休なのですね〜。なかなかの労働条件ですね。知りませんでした〜。
住んでいるところは、自由に見学できるのでしょうか。楽しそうですね♪
今まで動物園で見るくらいしかなかったので、この旅行で象に触れられて大満足です。間近で見て、触って、乗ってみて、象の魅力再発見でした。今度は是非住処に行ってみたいです。
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