2006/12/08 - 2006/12/10
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旅人のくまさんさん
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<2006年12月8日(金)>
7時にセントレア空港のカウンターに集合の約束でしたから、地下鉄の始発で出掛けました。鶴舞線の原駅が、5時33分発です。もう1本後の電車でも十分間に合いましたが、早い方が余裕を持って行動できます。フライトは、8時50分発の青島経由北京往きの第1便です。青島到着予定時刻は、現地時間で10時40分です。日本とは1時間の時差がありますから、2時間50分の飛行予定時間となります。上海までが、往路で2時間30分ですから、少しだけ長いフライト時間となります。(ウィキペディア)
<セントレア空港集合>
金山から名鉄電車に乗って、セントレア空港へは6時半頃に到着しました。暫くデジカメで写真を撮った後、待合せの場所に向かいました。セントレア空港は、クリスマスの飾りで賑やかになっていました。
今回は混成メンバーですから、セントレアへの集合は、区々でした。少し遅れる方などが、徐さんに連絡を入れられていましたから、出発ゲートに30分前に集合する約束で、一旦解散しました。
今回始めて中国旅行をご一緒するYaさんと一緒に、先にチェックインを済ませました。既に座席は指定してありましたので、確認だけです。
<新規就航、第1便セレモニー、名古屋出発>
保安検査の列は短かったですが、早目に出国審査を済ませることにしました。ベルトも取りましたので、金属探知機は1発でOKでした。
中国東方航空が、セントレアと青島経由北京航路を新規就航させましたので、そのセレモニーが出発ゲート前で行われました。日本のテレビ会社の取材もされていました。初めてみる光景ですから、そのセレモニーの様子をお伝えします。
セレモニーの内容は、来賓挨拶、テープカットと機長への花束贈呈でした。女性の司会者の誘導で進行されました。来賓の方は5名でした。官庁からは日本の大阪空港長、中国からは駐日名古屋領事が出席されていました。航空会社は中国東方航空の名古屋支店長の他、共同運航の日本の航空会社の支店長も出席されていました。この4名の方と、セントレア空港の副社長を含めた5名の方です。
この5名の方が、それぞれに来賓挨拶をされましたから、結構長いセレモニーとなりました。その挨拶が終ったところで、テープカット、機長への花束贈呈が行われました。
セレモニー後の記念撮影会もありました。クーと名付けられた縫い包みと一緒の記念撮影です。
来賓挨拶が長く、少しやきもきしましたが、定刻どおりの出発となりました。私は例によって、リュック一つの軽装です。保安チェックが厳しくなりましたので、免税店でもオールドパーは購入しませんでした。
アメリカ行きほどではありませんが、中国便でも機内への持込が厳しくチェックされます。殊に中国国内機は厳しい規制があります。日程が短いですから、オールドパーを呑む機会もありません。
<上空から見た青島>
3時間弱のフライトで、青島上空に差し掛かりました。青島空港は、車で青島市内まで1時間ほどの内陸部にありますから、暫くは上空からの青島見物です。
海岸線には中高層ビルが立ち並んでいました。形や並び方から推測しますと、住宅街のようです。その次に姿を現したのが工場地帯です。鉄鋼所のような大きな工場が見え、石炭を野積したような黒い敷地も目に飛び込んできました。
工場地帯を過ぎると農村風景に変わりました。青島郊外まで飛んできたようです。獲り入れが済んだ畑に混じって、緑の畑も見えました。麦畑や野菜畑のようでした。名古屋を出発して大きな揺れもなく、無事に青島空港へ到着しました。
<青島到着、まずは昼食>
眼下の景色を楽しみながら着陸を待ちました。名古屋を発った時にはぐずついた天候でしたが、青島の天候は上々のようです。青島空港で出迎えてくれたのは、現地ガイドのグーさんでした。「谷」と言う字を書くようです。若手と言っても、ベテランと言っても失礼になるような、中堅の女性ガイドさんでした。
空港からホテルまでの距離は、車で1時間弱のようです。午前中の到着ですから、チェックインの時間には早過ぎました。それで、まずは昼食です。最初にチャーハンが出ましたが、塩味が今一でした。この料理は殆んど残ってしまいました。料理はともかく、まずは青島麦酒です。麦酒に合う料理が少しだけあれば、私の場合問題ありません。
<現地ガイドさんからお聞きした青島の現況>
現地ガイドのグーさんからお聞きした青島の現況を、話し言葉に編集して紹介しておきます。
『青島は「島」ではなく山東半島に位置しています。現在の市街地の人口は270万人、周辺の五つの町を合わせると約700万人です。1897年から20年間の独逸租界時代がありました。避暑地としても有名です』
『韓国に近く、外資導入が盛んです。コリアタウンが出現し、現在は7万人の韓国人がビジネスで居住しています。2位の日本人は数千人ですから、圧倒的な数です。韓国は大企業が進出していますが、日本からは主に食品、衣料を扱う中小企業だけです』
『中国全体では山東省は3番目の9400万人です。1位が河南省の1億1000万人、2位が四川省の1億人です。主な産業は農業で、人口の8割が従事しています。特産品は小麦、玉蜀黍、落花生、大豆、綿花、野菜などです。果物は梨、葡萄、プチリンゴ、さくらんぼ、桃などが特産で、ワインも生産しています。野菜は、夏場は露地で、冬場はビニルハウスで栽培しています』
等と紹介してくれました。自己紹介では、
『北京師範大学を卒業した後、青森の大学に留学しました。出身地は長春です』
と自己紹介されました。中々流暢な日本語を話されました。翌日お聞きしたお話も纏めて紹介しておきます。
『市街地の270万人の内、2/3が地元出身者で、主に旧市街地に住んでいます。新市街地には、主に金持ちの投資家が住んでいます』
『年間降雨量は7?800ミリです。台風、地震、大雪などの自然災害は殆んどありません。台風が上陸しても、勢力が弱まっています』
『労山は青島麦酒の水を産出しています。水質が良いので、緑茶の名産地です。その一番有名な銘柄は「労池雲峰茶」です。漁業では、鮑、帆立を養殖しています』
『一人っ子政策が始まった1970年代からは「小皇帝」と呼ばれるわがままな子が多く育ちました。来年は豚年です。この年に子供が生まれると縁起がいいので、今年は結婚ブームです』
等でした。ガイドブックには載っていない話題も多くありました。
<海岸散歩、花石楼へ>
最初の見学地は、海浜遊歩道の散策です。その最終目的地は八大関と呼ばれる景勝地に建つ花石楼です。さすがに冷え込みましたので、ポケットに手を入れて、首をすくめての海岸散策でした。
そんな寒空の下でも、寒中水泳をする人たちを見かけました。例年のことのようです。気温は、日中が4度C、夜間が零度と予想されていました。遠くから海水に浸かっている人が見えましたし、浜辺に向かう人は海水パンツ姿でした。この方とは、もう一度出会いましたが、ご年配の方でした。海岸へ向かう時も、戻ってくる時も悠々とした歩みでした。
<花石楼>
インターネットで調べた観光ガイドを参照しながら、花石楼について説明します。最初に花石楼の立地と起源です。調べた記事の間に相違がありましたから、私なりの解釈を加えた紹介です。
『花石楼は、八大関の東に位置する西洋建築です。格拉西莫夫(カラシモフ?)という、白ロシア人によって建設されました。帝政ロシア時代の領事館だったようです。その後、ドイツ提督が魚釣りや狩猟、休憩する場所として使用していました。ドイツ租界時代が終った後は、国民党を率いた蒋介石が住まった時代もあります』
次に、花石楼からの景観と名前の由来です。
『5階建で、屋上の観海台からは黄海と八大関のすばらしい景色が広がります。この建物は花崗岩により造られていることから「花石楼」と呼ばれています。外観はドイツ風、ゲーテ風のこじんまりとして華麗精緻な雰囲気があります』
と、紹介されています。別称、「歇脚楼」の名前があります。私の花石楼見学の印象について記しておきます。
花石楼は石造りの門があり、その正面に改札の小さな小屋があります。入場料は5元です。門の前には、お土産店もありました。貝や珊瑚を使ったアクセサリーが主体でした。石門に取り付けられた案内看板には、この建築が「珍奇的建築芸術品」と評価され、国民党を率いた蒋介石が住まったことも記されていました。
本館の入口までは少し長いアプローチがあります。前庭には西洋風の花壇や植栽があり、記念撮影用のアーチなどの飾りがありました。この飾りは、最近追加されたもののようです。記念撮影のために、別料金が徴収されていました。
文化大革命の時の被害は少なかったようです。建物や什器類に、傷跡などは残っていませんでした。この建物の最大の見所は、やはり遠景に広がる太平湾の眺めです。最高の景観の場所を選んで建設されたことが、容易に想像されました。半世紀以上経って、樹木は伸びたかも知れませんが、湾の眺めは、おそらく当時のままでしょう。
テラスがあり、窓も多めで、全体として開放的で明るい造りですから、要人の警護に適した建物ではないようです。蒋介石が住まった時代も、戦況が厳しい頃ではなかったかも知れません。
ところで、八大関は1930年代建設された別荘地区を指します。この地域には8本の道があり、道の名前は中国8箇所の関所の名前で名づけられたので、八大関だと呼ばれています。現地ガイドのグーさんからも、この謂れをお聞きしました。
世界各国の領事館の金持ちの作った別荘は、風格はそれぞれです。世界建築博物館とも例えられています。2002年、八大関は中国国家文化財に指定されました。
<自由行動、市内散策>
花石楼見学の後、ホテルにチェックインしました。グランド・リージェンシーホテル、中国語表記では麗晶大酒店です。夕食に出掛けるまでの間、自由時間になりました。
部屋に荷物を置いた後、付近の散策のために外出しました。ホテルの北側に東西に伸びる大通りがありましたから、この通りを西方面に向かうことにしました。広い通りですが、交通量はそれほどではありませんでした。香港中路と呼ばれています。新市街と旧市街を結ぶ二つの通りの内の一つです。
この大通りに面して、超高層ビルと呼ばれる、高さが60mを超えるビルも建っていました。上海の規模には遠く及びませんが、急速に進む都市化のスピードは目を見張るものがあります。これまでにマイクロバスで回った新市街地とその周辺は、まさに建設ラッシュでした。
今日の市街地散策は、ジャスコのお店まで歩いて、そこから引き返しました。中国に相応しい、広大なショッピングセンターでした。
<下町風景>
本通りから逸れて、下町の見学もしました。その紹介です。ホテルから西に歩いて、左手、南側に折れて古い住宅街を回りました。石段の上に小さな商店がありましたので、最初はその商店の中を覗いて見ました。
古い建物の中では、4、5軒ほどが営業していました。全て食料品でしたから、夕飯の材料を買い求める地元の方が、品定めをしていました。魚屋さんもありましたが、鮮度は「?」でした。穀類や、ピーナツなどの豆類、野菜など、一通り食材が揃っていました。入口近くでは、揚げパンのような物が作られていました。下の写真の腸詰めのソーセージは、赤い防錆塗料を塗った、通路の手摺りにぶら下がっていました。
更に奥に進みますと、4、5階建ての古い住宅街があり、その一角には露店が並んでいました。野菜類が主でした。採り立ての野菜の感じがしました。近隣で栽培している人が売りに着たのか、その農家から仕入れた人達が店を並べている風に見えました。
野菜はキャベツ、小松菜のような青菜、カリフラワー、青葱、玉葱などの他、トマトや果物も並べられていました。根菜ではサツマイモなどです。結構沢山の露店の数ですが、売っている物は余り違わない品揃えでした。採り立ての茸も並んでいました。
<海鮮料理の夕食>
夕食のレストランまでは、車で出掛けました。恒隆海鮮酒店という名前のお店での海鮮料理でした。内容は、材料に海鮮を使ってありましたが、野菜もふんだんに使ったヘルシーな料理も各種ありました。ともかく量が多く、かなりの料理が残ってしまいました。
現地ガイドのグーさんからお聞きしていた、青島近郊は野菜、果物の名産地であることが実感できました。茸を使った料理もありました。午後の散策の時、露店で売っていましたから、今が旬なのでしょう。
飲み物は、当然ながら青島麦酒です。私はもっぱら麦酒のツマミによさそうな料理を主体に戴きました。つい、青島麦酒の追加となりました。味付けは濃過ぎず、塩味も昼のお店よりはちゃんとしたものでした。
海鮮を使った料理で、私が確認できたのは、小海老の唐揚げ、小型の帆立の蒸し料理などでした。材料が特定できない料理中にも、各種の海鮮材料が使われていたようです。ハムや豆料理もあり、油揚げらしい材料も使われていました。
旅の始めに
一番機海を飛び越え直行す山東半島目指す青島
日中の雪解なるか国結ぶ航路は増て嬉しこの年
海岸散策で
寒空に水泳姿の人のあり浜辺に向う歩み静に
市内観光のバスで
裏町の生業見んと脇道に逸れて楽しむ短き旅を
花石楼で
中国の歴史刻みし要人の姿今無し古き館に
目の前の景色に想い馳せ巡り古想う旅のひと時
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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セントレア空港と中国の青島(チンタオ)との間に直行便が就航しました。その第一便に乗っての旅行です。出発は12月8日の金曜日でした。
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セントレア空港はクリスマスの飾りで賑やかでした。7時に集合し、チェックインも済ませました。今回も中国旅行サービスの徐さんの添乗です。
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8時50分のフライトです。先に保安検査の混み具合を確認しておきましたが、待ち行列は出来ていませんでした。1時間前に出国審査の予定です。
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保安検査は、年末を控えて少し厳しくなっているようでした。ベルトを外し、ポケットを空にしましたので、1発でOKでした。
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18番搭乗口が、この日の出発ゲートでした。そのゲートには新路線就航のセレモニーに準備が済んでいました。青島から更に北京へのルートです。
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早目に集合されたこの日の主役の方々です。一番奥が国土交通省の大阪空港長、後は空港や航空会社の責任者の方々です。
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こちらが司会の方です。アナウンサーか司会業の方でしょう。セレモニーの開始です。内容は、来賓挨拶とテープカット、機長への花束贈呈です。
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中国側からは、中国東方航空の名古屋支店長と、名古屋駐在の領事の方が来賓として出席されていました。こちらは支店長だったようです。
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セレモニーの状況は、テレビ取材されていました。テープカットは、まず白い手袋の着用です。セントレア空港責任者の方が一番手前だったようです。
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5名の方が、司会の方の案内に従って、手順どおりテープカットを終えられました。左手に持ったテープを落とされる方はいませんでした。
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セレモニーが済んで、搭乗が始まりました。いつも通り、ビジネスクラスやお子さん連れの方からです。挨拶が15分程はあった記憶です。
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朝、家を出る時に小雨が降っていましたが、傘が必要な降りではありませんでした。空港の窓ガラスには、雨滴が付いていました。
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中国東方航空機ですから、セントレア1番機は、北京から飛んできたようです。3時間弱のフライトで、青島近くの島が見えてきました。
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青島は、「島」ではなく、「半島」です。その内陸部の上空まで、あと少しです。青島空港は、海岸近くではなく、少し内陸部に入った場所でした。
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海岸線近くまでビル群が迫っていますが、商業ビルではなく、高層と中低層のアパート群が主なようです。整然と並んでいます。
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青島は「チンタオビール」の名称で、日本でも良く知られた町です。ドイツ租界の時代に、ビール製造技術が導入されました。
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白い煙は、エネルギー源に石炭が広く使用されているためのようです。上空からでも石炭の野積の山や、製鉄工場らしいものが見えました。
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手前の黒い模様が、石炭の野積のようです。内陸部へ入ってから、住宅地の次には工場地帯が続きました。
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工場地帯から、田園地帯に変わりました。秋の獲り入れが済んだ畑に混じって緑も見えます。写真からの推測ですが、麦と野菜畑のようです。
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青島空港への到着です。揺れも少なく、順調なフライトでした。青島市内までは、約40キロ、車で1時間弱の場所に位置しています。
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今回ツアーのメンバーは、混成チームでした。Yaさんご夫妻は何度も中国旅行をご一緒させて頂きましたが、初見の方もいました。
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空港で出迎えてくれたのは、女性ガイドのグーさんでした。谷と言う字を書くようです。中国で学校を卒業された後、青森に語学留学されたようです。
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仕事で青島に駐在している外国人では、韓国人が圧倒的に多いとお聞きしました。黄海を挟んだ地の利が影響しているようです。
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今回の旅行で利用させていただいたマイクロバスです。12名の旅行者ですから、ゆったりと座ることができました。
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空港から青島市内へ向かうバスからの景色です。青島は、背後にろう山を控え、海と山とに恵まれています。観光開発にも力が入っているようです。
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このところ、何度か韓国旅行をご一緒させていただいている岡崎のYaさんも参加されました。中国は初めての旅行とお聞きしました。
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上海のビル建設ラッシュに驚かされましたが、青島の建設ラッシュも同じです。2008年の北京オリンピックのヨット競技会場に選ばれています。
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海岸道路です。背後に山が迫る海岸一帯は、見晴らしが良く、旧市街、新市街を問わず、住宅地としては最高級地のようです。
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青島市内へ移動し、最初の昼食です。緑の壜は、言うまでも無く、チンタオビールです。今回のツアーにはビール工場見学も組み込まれています。
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最初にチャーハンとカリフラワー料理が出されました。少し薄味だったような記憶です。しかし、カリフラワーは、ビールのツマミには好適でした。
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