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 ポーランドのオポーレは、第二の故郷のように愛着がある。<br />私が頻繁に訪れていたのはオポーレ県の中心、オポーレから30キロ離れた<br />スプロク村。スプロク村の田舎さ加減は、99年当時ですらクラクフやワル<br />シャワと言った大都会の生活から、まるで同じ国だとは思えぬ程とてつも<br />なくかけ離れた世界だった。<br /><br /> 村の民家のうち数軒しか電話が通っていなかった。その為電話のない家に用事がある時は、電話を敷いた近所の家に電話をかける。すると「〜さん!電話かかっとるよ!」と呼びに来るような、まるでタイムマシンで昭和30年代の日本に戻って来たような環境だった。<br /><br /> 兎にも角にもそんな通信事情だったので、日本から知人宅に連絡を取るのは殆どが手紙。手紙もスプロク村に届くまで2週間以上かかった。これだけ時差があると、手紙を頻繁に出していると話がかみ合わなくなることもある。しかしこの手紙の返信を待ちわびる時間は、どんな事を書いて来るのだろうかと胸を時めかされ、時に遅い返事にイラだたされたものだ。また急ぎで連絡を取るときは電報を打つこともあった。<br /><br /> しかしその半年後、家庭用電話を一気に飛び越え、村民間に携帯電話があっという間に普及していたのには驚いた。40年もの時があっという間に流れ去り現代に追いついたような感覚だ。村の交通機関は自転車。自動車はまだまだ一部の家庭にしか持てない高級なものだったので、馬車も健在、薪や農作物の運搬に活躍していた。<br /><br /> 一方冬になると雪が多いスプロク村では、クロスカントリー用のスキー板が大変役立つ。そんな典型的田舎町のスプロクには、クラクフ〜ブロツワフを結ぶ幹線上のスツェルツェ・オポルスキーという町から一日数本走っていた列車で向かっていた。一日僅かな運行だが時間に合わせればスーパーや大きな市場のある町までのアクセスはスムーズだった。<br />しかし合理化の波はポーランド国鉄にも押し寄せ、スプロクを走る路線も2000年に廃線となった。その為、スツェルツェのバスターミナルまで、これもまた一日数本のバスを利用することとなった。<br /><br /> スプロクへのゲートウェイのスツェルツェオポルスキーは幹線上に位置しているとはいえ、急行列車も停車しない。その為、ベルリンやクラクフから目指す場合、一度オポーレに降り立つ必要があり、乗換えを何度も要す上、乗り継ぎのタイミングを逸してしまうと、数時間も待ち惚けを食らう事になる。<br /><br /> 中心地オポーレからスプロクまでの距離は約30キロ、公共交通機関を使って行けなくはないが、一山離れた隣り村まで列車に乗り、そこから3キロの山道を歩かねばならない。夏なら汗をかきながら歩くのも気持ち良いが、冬は悲劇だ。鼻水も凍る寒さの中、雪の積もっていない山道の轍を歩いて向かわなければならない。そしてたまに車やトラックが通り過ぎる時には、たんまりと雪の積もった路肩に足を踏み入れ、車をしのぐ必要がある。雪が靴の中に入り込み、溶けて水となって足を冷やし、爪先が強烈に痛む。悪路を歩くのは、思いのほか体力を消耗し、時間がかかる。その上夜になると狼も出没するらしいのだからある意味命がけだ。ひょっこり狼にでも遭ったりしたら、自分が彼らのエサになるかもしれないのだから。<br /><br /> そもそもオポーレですらアジア人に出くわすことは全くない中、私は近隣の村に訪れた初めてのアジア人、目立ちに目立った。自転車をこぎながら近隣の村々を物見遊山していれば、私が通り過ぎるまでジーッと見ていたり、滞在先のスプロク村の教会のミサに参加すれば、神父様の目にも止まり、ミサの間もチラチラと見られた。とはいえスプロク村と隣り村のシュタニシュツェマウェの人達は日本人の私を歓迎して受け入れてくれ、神父様も滞在先の民家に訪れる程だ。<br /><br /> ポーランドは世界で最も親日国の一つでであると言うことは有名だ。村民の中には、私と知り合うと、家に立ち寄ってくれと誘い、彼の家の本棚から京都の写真集を取り出し、誇らしげに私に見せてきたこともある。こんな田舎でも日本や日本人に大変敬意を払っていることに大変驚かされた。擦れ違う人は「ジェン・ドブリ!(こんにちわ)」と声をかけて来る。そして村の子供たちは学校で習いたてのドイツ語で話しかけて来る。<br /><br /> スプロク村の学校は村の人口が少ないせいか、田舎の日本の学校と同様に小学校と中学校は同じ敷地にある。私は学校に尋ねに行くと、校長先生が私を大歓迎して校長室に招き入れ、是非授業を受けて行きなさいとドイツ語で言われ、私の弟分のクラスでドイツ語、数学、地理学、体育の授業を受けた。クラスの生徒はポーランド語を殆ど話せぬ私をドイツ語で助け、改めてドイツ語教育の水準の高さに驚かされたもので、ポーランドでの一日体験授業は大変思い出深いものとなった。<br /><br /> スラブ民族の中でポーランド人は「スラブのラテン」と言われるほど、陽気な人が多い事で知られている。こうした明るさは、村唯一のバーに行くと、こうした気さくなポーランド人の姿を垣間見る事ができるが、バーではウォッカ三昧の中高生の悪ガキ共からキツい歓迎の洗礼を受ける。次々と私のグイ呑みにウォッカを注ぎこみ、お互いに強さを競わされる。<br /><br /> ウォッカをグイ呑みに入れると、グイ呑みを手に持ち、お互いに目を交わし、「ナ・ズドローヴィェ」といい、一気に飲み干し、机を叩くようにグイ呑みを置くのがポーランド流。少年のような若い時から常にウォカ漬けの毎日を暮らす彼らの強さは半端ではない。バーで知り合った二十歳前位の女性はウォッカが余り飲めないと言っていたが、それでもボトル一本は飲み干す事ができるのだから、私など彼らの足下にも及ばない。彼らは底なしなのか!?<br /><br /> ポーランドの冬は厳しい。オポーレ周辺では−20℃を下回る事もざらだ。家の暖房は地元シレジア地方で採掘されるコークスや薪を燃料としたペチカなので、就寝前こそまだ余熱があるから良いが、夜中から明け方はペチカの火が消えている為、ウォッカを飲まねば、例え布団にくるまっていようとも寒くて仕方ないこともある。ポーランドの田舎ではウォッカは貴重な防寒対策の一環なのだ。<br /><br /> そんな水のようにウォッカを飲み干す大酒飲みのポーランド人でさえもクリスマスは全く別生活だ。世界で最もカトリックへの信仰心の厚いポーランド人はクリスマスには酒と肉を断つ。クリスマスイブの日、村の人達は、近くの大きな町、スュツェルツェオポルスキーやオポーレへと出掛け、クリスマスプレゼントやクリスマスを迎える為の食材を買出しに行く。そして家の風呂桶には生きた鯉がどこからともなく運ばれてくる。鯉はクリスマス当日に捌かれ煮付けや唐揚げなどに料理される。<br /><br /> クリスマス当日、ポーランドは素敵な日を迎える。出稼ぎに出ていた家族達も実家に戻り、家族団欒で過ごす。夕食時になると机の上にロウソクが灯され、一家の家長がロウソクの僅かな灯の中、聖書を読み上げる。そして祈りを捧げ、静かに食事をとる。この神秘的な食事が終わると一人一人にフ菓子の煎餅のようなものが渡され、家族一人一人と対になり、お互い手を取り目を見つめながら、慕う言葉を詩を読むように語る。そして抱擁し、相手の煎餅のようなものを一切れ割り、それを食べる。家族全員と続けていき、皆が家族の絆をそっと静かに確認する。これがポーランドのクリスマスの素敵な習わしだ。一人は家族の為に、家族は一人の為に強く愛する。その絆をクリスマスに確認し再認識するのだ。<br /><br /> そして夕食後ミサの為に教会へと赴く。教会には入り切れぬほど人達で埋め尽くされ、風来坊ですらも、熱心に神父様の説教に耳を傾ける。私が過ごした家は教会に向かうまでに森を一つ抜けなければならない。シンシンと雪が降る森の中を皆で腕を組みながら-20度を下回る寒さに肩を寄せ合いながら15分の雪の森道を歩いて抜ける。森の中に響き渡る教会の鐘の音を聴きながら・・・。<br /><br /> 一方のシルベスタ(大晦日)は騒ぎに騒ぐ。家ではウォッカ、ビールのアルコール三昧。そして歌い、踊り、笑う。近所の人たちも集まり、更に輪が広がる。「スラブのラテン」の真骨頂だ。こうして一年が終わりを向かえ、二日酔いのうちに正月を迎え、新年が始まる・・・。アルコールをこよなく愛するポーランド人らしい新年の迎え方だ。<br /><br /> 村には何があるわけでもない。まぁ精々隣町のクラシユヴに近年恐竜博物館ができた程度。こうしたクリスマスの伝統はワルシャワやクラクフと言った大都会で続いているのか、私にはわからないが、村には伝統の営みが続く、ポーランドの素敵なポーランド人気質と伝統が未だに残されている。私はこのスプロク村の素朴な人たちに惚れてしまった。<br /> 

ポーランドの素敵なクリスマス−家族の絆

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1996/07/23 - 2000/12/26

73位(同エリア245件中)

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worldspan

worldspanさん

 ポーランドのオポーレは、第二の故郷のように愛着がある。
私が頻繁に訪れていたのはオポーレ県の中心、オポーレから30キロ離れた
スプロク村。スプロク村の田舎さ加減は、99年当時ですらクラクフやワル
シャワと言った大都会の生活から、まるで同じ国だとは思えぬ程とてつも
なくかけ離れた世界だった。

 村の民家のうち数軒しか電話が通っていなかった。その為電話のない家に用事がある時は、電話を敷いた近所の家に電話をかける。すると「〜さん!電話かかっとるよ!」と呼びに来るような、まるでタイムマシンで昭和30年代の日本に戻って来たような環境だった。

 兎にも角にもそんな通信事情だったので、日本から知人宅に連絡を取るのは殆どが手紙。手紙もスプロク村に届くまで2週間以上かかった。これだけ時差があると、手紙を頻繁に出していると話がかみ合わなくなることもある。しかしこの手紙の返信を待ちわびる時間は、どんな事を書いて来るのだろうかと胸を時めかされ、時に遅い返事にイラだたされたものだ。また急ぎで連絡を取るときは電報を打つこともあった。

 しかしその半年後、家庭用電話を一気に飛び越え、村民間に携帯電話があっという間に普及していたのには驚いた。40年もの時があっという間に流れ去り現代に追いついたような感覚だ。村の交通機関は自転車。自動車はまだまだ一部の家庭にしか持てない高級なものだったので、馬車も健在、薪や農作物の運搬に活躍していた。

 一方冬になると雪が多いスプロク村では、クロスカントリー用のスキー板が大変役立つ。そんな典型的田舎町のスプロクには、クラクフ〜ブロツワフを結ぶ幹線上のスツェルツェ・オポルスキーという町から一日数本走っていた列車で向かっていた。一日僅かな運行だが時間に合わせればスーパーや大きな市場のある町までのアクセスはスムーズだった。
しかし合理化の波はポーランド国鉄にも押し寄せ、スプロクを走る路線も2000年に廃線となった。その為、スツェルツェのバスターミナルまで、これもまた一日数本のバスを利用することとなった。

 スプロクへのゲートウェイのスツェルツェオポルスキーは幹線上に位置しているとはいえ、急行列車も停車しない。その為、ベルリンやクラクフから目指す場合、一度オポーレに降り立つ必要があり、乗換えを何度も要す上、乗り継ぎのタイミングを逸してしまうと、数時間も待ち惚けを食らう事になる。

 中心地オポーレからスプロクまでの距離は約30キロ、公共交通機関を使って行けなくはないが、一山離れた隣り村まで列車に乗り、そこから3キロの山道を歩かねばならない。夏なら汗をかきながら歩くのも気持ち良いが、冬は悲劇だ。鼻水も凍る寒さの中、雪の積もっていない山道の轍を歩いて向かわなければならない。そしてたまに車やトラックが通り過ぎる時には、たんまりと雪の積もった路肩に足を踏み入れ、車をしのぐ必要がある。雪が靴の中に入り込み、溶けて水となって足を冷やし、爪先が強烈に痛む。悪路を歩くのは、思いのほか体力を消耗し、時間がかかる。その上夜になると狼も出没するらしいのだからある意味命がけだ。ひょっこり狼にでも遭ったりしたら、自分が彼らのエサになるかもしれないのだから。

 そもそもオポーレですらアジア人に出くわすことは全くない中、私は近隣の村に訪れた初めてのアジア人、目立ちに目立った。自転車をこぎながら近隣の村々を物見遊山していれば、私が通り過ぎるまでジーッと見ていたり、滞在先のスプロク村の教会のミサに参加すれば、神父様の目にも止まり、ミサの間もチラチラと見られた。とはいえスプロク村と隣り村のシュタニシュツェマウェの人達は日本人の私を歓迎して受け入れてくれ、神父様も滞在先の民家に訪れる程だ。

 ポーランドは世界で最も親日国の一つでであると言うことは有名だ。村民の中には、私と知り合うと、家に立ち寄ってくれと誘い、彼の家の本棚から京都の写真集を取り出し、誇らしげに私に見せてきたこともある。こんな田舎でも日本や日本人に大変敬意を払っていることに大変驚かされた。擦れ違う人は「ジェン・ドブリ!(こんにちわ)」と声をかけて来る。そして村の子供たちは学校で習いたてのドイツ語で話しかけて来る。

 スプロク村の学校は村の人口が少ないせいか、田舎の日本の学校と同様に小学校と中学校は同じ敷地にある。私は学校に尋ねに行くと、校長先生が私を大歓迎して校長室に招き入れ、是非授業を受けて行きなさいとドイツ語で言われ、私の弟分のクラスでドイツ語、数学、地理学、体育の授業を受けた。クラスの生徒はポーランド語を殆ど話せぬ私をドイツ語で助け、改めてドイツ語教育の水準の高さに驚かされたもので、ポーランドでの一日体験授業は大変思い出深いものとなった。

 スラブ民族の中でポーランド人は「スラブのラテン」と言われるほど、陽気な人が多い事で知られている。こうした明るさは、村唯一のバーに行くと、こうした気さくなポーランド人の姿を垣間見る事ができるが、バーではウォッカ三昧の中高生の悪ガキ共からキツい歓迎の洗礼を受ける。次々と私のグイ呑みにウォッカを注ぎこみ、お互いに強さを競わされる。

 ウォッカをグイ呑みに入れると、グイ呑みを手に持ち、お互いに目を交わし、「ナ・ズドローヴィェ」といい、一気に飲み干し、机を叩くようにグイ呑みを置くのがポーランド流。少年のような若い時から常にウォカ漬けの毎日を暮らす彼らの強さは半端ではない。バーで知り合った二十歳前位の女性はウォッカが余り飲めないと言っていたが、それでもボトル一本は飲み干す事ができるのだから、私など彼らの足下にも及ばない。彼らは底なしなのか!?

 ポーランドの冬は厳しい。オポーレ周辺では−20℃を下回る事もざらだ。家の暖房は地元シレジア地方で採掘されるコークスや薪を燃料としたペチカなので、就寝前こそまだ余熱があるから良いが、夜中から明け方はペチカの火が消えている為、ウォッカを飲まねば、例え布団にくるまっていようとも寒くて仕方ないこともある。ポーランドの田舎ではウォッカは貴重な防寒対策の一環なのだ。

 そんな水のようにウォッカを飲み干す大酒飲みのポーランド人でさえもクリスマスは全く別生活だ。世界で最もカトリックへの信仰心の厚いポーランド人はクリスマスには酒と肉を断つ。クリスマスイブの日、村の人達は、近くの大きな町、スュツェルツェオポルスキーやオポーレへと出掛け、クリスマスプレゼントやクリスマスを迎える為の食材を買出しに行く。そして家の風呂桶には生きた鯉がどこからともなく運ばれてくる。鯉はクリスマス当日に捌かれ煮付けや唐揚げなどに料理される。

 クリスマス当日、ポーランドは素敵な日を迎える。出稼ぎに出ていた家族達も実家に戻り、家族団欒で過ごす。夕食時になると机の上にロウソクが灯され、一家の家長がロウソクの僅かな灯の中、聖書を読み上げる。そして祈りを捧げ、静かに食事をとる。この神秘的な食事が終わると一人一人にフ菓子の煎餅のようなものが渡され、家族一人一人と対になり、お互い手を取り目を見つめながら、慕う言葉を詩を読むように語る。そして抱擁し、相手の煎餅のようなものを一切れ割り、それを食べる。家族全員と続けていき、皆が家族の絆をそっと静かに確認する。これがポーランドのクリスマスの素敵な習わしだ。一人は家族の為に、家族は一人の為に強く愛する。その絆をクリスマスに確認し再認識するのだ。

 そして夕食後ミサの為に教会へと赴く。教会には入り切れぬほど人達で埋め尽くされ、風来坊ですらも、熱心に神父様の説教に耳を傾ける。私が過ごした家は教会に向かうまでに森を一つ抜けなければならない。シンシンと雪が降る森の中を皆で腕を組みながら-20度を下回る寒さに肩を寄せ合いながら15分の雪の森道を歩いて抜ける。森の中に響き渡る教会の鐘の音を聴きながら・・・。

 一方のシルベスタ(大晦日)は騒ぎに騒ぐ。家ではウォッカ、ビールのアルコール三昧。そして歌い、踊り、笑う。近所の人たちも集まり、更に輪が広がる。「スラブのラテン」の真骨頂だ。こうして一年が終わりを向かえ、二日酔いのうちに正月を迎え、新年が始まる・・・。アルコールをこよなく愛するポーランド人らしい新年の迎え方だ。

 村には何があるわけでもない。まぁ精々隣町のクラシユヴに近年恐竜博物館ができた程度。こうしたクリスマスの伝統はワルシャワやクラクフと言った大都会で続いているのか、私にはわからないが、村には伝統の営みが続く、ポーランドの素敵なポーランド人気質と伝統が未だに残されている。私はこのスプロク村の素朴な人たちに惚れてしまった。
 

交通手段
鉄道 高速・路線バス 自転車 タクシー
航空会社
KLMオランダ航空
  • ポーランド南部の町、オポーレからバスで30分ほど行った場所にある、ポーランドでの有名な巡礼地の一つ、グーラスヴィエンティ アンヌィGora Swietej Anny。フランシスコ会の修道院と37もの教会がここにあり、ポーランド人の巡礼地の一つになっています。前法王ヨハネ・パウロもここを訪れたと聞いています。

    ポーランド南部の町、オポーレからバスで30分ほど行った場所にある、ポーランドでの有名な巡礼地の一つ、グーラスヴィエンティ アンヌィGora Swietej Anny。フランシスコ会の修道院と37もの教会がここにあり、ポーランド人の巡礼地の一つになっています。前法王ヨハネ・パウロもここを訪れたと聞いています。

  • 修道院の内部。修道院の直ぐ近くにはローマ時代の遺跡で円形球技場の跡も残されています。<br />

    修道院の内部。修道院の直ぐ近くにはローマ時代の遺跡で円形球技場の跡も残されています。

  • オポーレ郊外の町スツェルツェ・オポルスキー。町のランドマークの教会です。スプロク村からイベント事の買い物の際にはここスツェルツェかオポーレにバスで向かいます。町には青空市場が活況を呈しています

    オポーレ郊外の町スツェルツェ・オポルスキー。町のランドマークの教会です。スプロク村からイベント事の買い物の際にはここスツェルツェかオポーレにバスで向かいます。町には青空市場が活況を呈しています

  • 教会のマリア像<br />

    教会のマリア像

  • 教会内部

    教会内部

  • スツェルツェオポルスキーからスプロクに向かう列車。二階建ての客車ですが、朝の列車以外はガラガラでした。

    スツェルツェオポルスキーからスプロクに向かう列車。二階建ての客車ですが、朝の列車以外はガラガラでした。

  • 無人駅から乗車すると、車掌から切符を購入します。

    無人駅から乗車すると、車掌から切符を購入します。

  • オジメクOzimek郊外に位置するクラシエユヴ。石炭の産地でもあるシレジア地方に位置する為か、恐竜の化石の発掘で有名な町です。

    オジメクOzimek郊外に位置するクラシエユヴ。石炭の産地でもあるシレジア地方に位置する為か、恐竜の化石の発掘で有名な町です。

  • クラシエユヴの教会内部。クラシエユヴ近辺はUFOが稀に現れるという事でも知られており、なぞの多い街です。1999年12月25日にクラシエユヴ郊外のスプロクに滞在時、UFOが3〜4機現れ、自分も目の当たりにし、近所で話題騒<br />然になりました。<br />

    クラシエユヴの教会内部。クラシエユヴ近辺はUFOが稀に現れるという事でも知られており、なぞの多い街です。1999年12月25日にクラシエユヴ郊外のスプロクに滞在時、UFOが3〜4機現れ、自分も目の当たりにし、近所で話題騒
    然になりました。

  • シレジア地方の中心の町の一つ、オポーレからチェウンストホヴァにむかう幹線上に位置するスタニシュツェ・マウェStaniszce Male村です。中学校の前に<br />て。

    シレジア地方の中心の町の一つ、オポーレからチェウンストホヴァにむかう幹線上に位置するスタニシュツェ・マウェStaniszce Male村です。中学校の前に
    て。

  • 96年7月に知り合いスプロク村へ・・・。

    96年7月に知り合いスプロク村へ・・・。

  • ポーランド南部オポーレから約30キロ離れた位置にあるスプロク村<br />

    ポーランド南部オポーレから約30キロ離れた位置にあるスプロク村

  • 平坦な台地が広がっています。

    平坦な台地が広がっています。

  • 冬は厳しく日中マイナス20度の時もありました。<br /><br />

    冬は厳しく日中マイナス20度の時もありました。

  • 村では馬車も活躍中です。向こうの森を越えた場所に村の教会がありますが、狼が出てきます。夜は気をつけねばい<br />けません。

    村では馬車も活躍中です。向こうの森を越えた場所に村の教会がありますが、狼が出てきます。夜は気をつけねばい
    けません。

  • 村では薪やコークスがキッチンやペチカで使われています。<br />

    村では薪やコークスがキッチンやペチカで使われています。

  • ウォッカでご機嫌の若者。ポーランドではウォッカが国民的な飲料。村では10代前半からウォッカが飲まれているのには驚きでした。<br />

    ウォッカでご機嫌の若者。ポーランドではウォッカが国民的な飲料。村では10代前半からウォッカが飲まれているのには驚きでした。

  • 村でスポーツと言えば、フットボール。

    村でスポーツと言えば、フットボール。

  • 村の学校は小学校と中学校が同じ敷地にあり、日本の田舎の学校のようでした。たまたま学校に遊びに行くと、校長先生に呼ばれ、中学生と一緒に授業を受ける事になりました。授業は数学、地理、体育、ドイツ語でした。オポーレ県はドイツに近いせいか第一外国語はドイツ語が一般的。中学生とは言え、かなり流暢なドイツ語を話す子供もいます

    村の学校は小学校と中学校が同じ敷地にあり、日本の田舎の学校のようでした。たまたま学校に遊びに行くと、校長先生に呼ばれ、中学生と一緒に授業を受ける事になりました。授業は数学、地理、体育、ドイツ語でした。オポーレ県はドイツに近いせいか第一外国語はドイツ語が一般的。中学生とは言え、かなり流暢なドイツ語を話す子供もいます

  • 村の子供達。

    村の子供達。

  • はにかんだ笑顔が素敵なコルネラ。過ごしていた家によく遊びに来ていました。将来典型的なポーランド美人になることでしょう。ポーランドの女性は美人が多く、家庭的であることで知られています。

    はにかんだ笑顔が素敵なコルネラ。過ごしていた家によく遊びに来ていました。将来典型的なポーランド美人になることでしょう。ポーランドの女性は美人が多く、家庭的であることで知られています。

  • 5人の子供の一家を支える男性。とても26歳とは思えぬこの貫禄ぶり!

    5人の子供の一家を支える男性。とても26歳とは思えぬこの貫禄ぶり!

  • ジーンズのCMみたい

    ジーンズのCMみたい

  • スプロクの冬の遊びと行ったらこれ!<br />手作りのソリをトラクターで結んで思いっきり道路を飛ばします。速くて迫力あります。

    スプロクの冬の遊びと行ったらこれ!
    手作りのソリをトラクターで結んで思いっきり道路を飛ばします。速くて迫力あります。

  • 部屋の奥に見えるのはペチカ。薪とコークスをくべて火を燃やしますので、外は−20度でも部屋はあったか快適

    部屋の奥に見えるのはペチカ。薪とコークスをくべて火を燃やしますので、外は−20度でも部屋はあったか快適

  • 寝室の暖房。就寝前に薪とコークスを入れてあっためておいてベッドに潜ります。

    寝室の暖房。就寝前に薪とコークスを入れてあっためておいてベッドに潜ります。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ayanさん 2008/01/22 00:38:59
    もしや・・・
    これですか?ペチカというのは!!
    燃えてるときは暖かそうですが、火を消したらすぐに冷たくなってしまいそうですね*_* それにしても鼻水も凍る−20℃って・・・クラクフの−6℃で知らないうちに鼻水がたれてびっくりしていたわたしはまだまだ修行が足りませんね・・・・・

    worldspan

    worldspanさん からの返信 2008/01/22 12:44:36
    RE: もしや・・・
    ははは、ざんね〜〜んそれは普通のキッチンです。ペチカのようにメッチャ暖かくはなりますけどねー。ペチカは暖炉のことなんですよ。ほら、サンタクロースが降りてくる煙突の下に薪を燃やしてたりするでしょ?あれがペチカです。でもあれって結構寒いので、ポーランドはタイルで固めた釜みたいなのが部屋にひとつづつあって、その釜にコークスや薪を入れてあったまるんです。写真で言えば、三人組の酔っ払いの若い男性の後ろに写っている黄土色のタイルがペチカです。石炭ってすごい熱を放つので、燃えてるときは部屋はかなり暖まります。洗濯物もこれで乾きます。何せ外に干すと乾くどころか、凍ってしまいますからね(笑)。

    就寝前には石炭や薪を多めに入れておくんですよ。じゃないとすぐに消えてしまって夜中は寒くなるので。だから石炭や薪の補給を忘れて寝てしまったら最悪です。あまりの寒さに夜中目が覚めてしまいます。そのペチカの余熱は結構すごいんですよー。部屋がコタツみたいなもんですからね(笑)。でも明け方には冷めてしまうので、布団から出るときのその勇気というのは・・・(笑)。

    ayan

    ayanさん からの返信 2008/01/22 13:44:33
    RE: もしや・・・
    これは普通のキッチンでしたか〜それはすぐ冷めてしまいそうなわけですよね(苦笑)もっと温かい暖炉が他にあって安心しました!笑 

    さすがに暖炉という言葉は知っていますよ〜小さい頃、暖炉のある家にあこがれていました(笑)さらに私の頭の中では暖炉の前に熊の毛皮?のカーペットが引いてあります(笑)

    それにしてもshijoさんはいろいろと貴重な体験をされていていいですね!五右衛門風呂も薪割りも未体験なのでいつかどこかでできたらいいんですが・・・。次の旅行はshijoさんのおばあさんのお家にホームステイでもしに行ってみようかな〜!なんて(笑)

    worldspan

    worldspanさん からの返信 2008/01/22 22:42:46
    RE: もしや・・・
    きっと私のおばあさんち行ったら毎日暇ですよ〜。遊ぶものもなければ、周りに田んぼと山しかないですから(笑)。でも身体にはよいです♬

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