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3月下旬、花桃が見頃を迎えた古河を訪れた。<br />古河を訪れるのは2回目。<br />前回訪れた時も花桃の季節で、その時は古河総合公園と博物館に立ち寄っただけだった。<br />この日は、9時前に古河駅に到着。<br />改札周辺が大混雑していたので何事かと思ったら、駅からハイキングの参加者だった。<br />駅前に出ると、臨時の自転車ステーションがあり、桃まつり期間中はレンタサイクルが無料とあったので、今回は無料のレンタサイクル『桃チャリ号』に借り、古河の街を探訪することにする。<br />受付を済ませ、先ずは花桃が咲く古河総合公園へと向かう。<br />そして、古河総合公園には10分ほどで到着した。<br /><br />※2021.03.23 再公開(表紙写真の変更、写真の差し替えと文章の書き直し)

花桃咲く春の古河へ ~古河総合公園と城下町探訪~

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2007/03/21 - 2007/03/21

5位(同エリア157件中)

旅行記グループ 【下総国】

10

56

旅猫

旅猫さん

3月下旬、花桃が見頃を迎えた古河を訪れた。
古河を訪れるのは2回目。
前回訪れた時も花桃の季節で、その時は古河総合公園と博物館に立ち寄っただけだった。
この日は、9時前に古河駅に到着。
改札周辺が大混雑していたので何事かと思ったら、駅からハイキングの参加者だった。
駅前に出ると、臨時の自転車ステーションがあり、桃まつり期間中はレンタサイクルが無料とあったので、今回は無料のレンタサイクル『桃チャリ号』に借り、古河の街を探訪することにする。
受付を済ませ、先ずは花桃が咲く古河総合公園へと向かう。
そして、古河総合公園には10分ほどで到着した。

※2021.03.23 再公開(表紙写真の変更、写真の差し替えと文章の書き直し)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 正門前には、世界の主要な文化景観の保護と管理を目的とした顕著な活動に対して贈られる『ユネスコ メリナ・メルクーリ国際賞』の記念碑があり、古河総合公園は、日本で初の受賞だと知った。<br />入口に自転車を止め、管理棟がある方へと向かう。<br />そこからは、御所沼と古河公方の屋敷跡である公方様の森が見渡せる。

    正門前には、世界の主要な文化景観の保護と管理を目的とした顕著な活動に対して贈られる『ユネスコ メリナ・メルクーリ国際賞』の記念碑があり、古河総合公園は、日本で初の受賞だと知った。
    入口に自転車を止め、管理棟がある方へと向かう。
    そこからは、御所沼と古河公方の屋敷跡である公方様の森が見渡せる。

    古河公方公園(古河総合公園) 公園・植物園

  • その御所沼には、船着場の跡のような場所があった。<br />この場所は、古河公方の屋敷跡だったが、それとは関係ないようだ。

    その御所沼には、船着場の跡のような場所があった。
    この場所は、古河公方の屋敷跡だったが、それとは関係ないようだ。

  • 管理棟のすぐ近くでも花桃が咲いていた。<br />今年は、すでに見頃を過ぎたものと満開のものがあり、遅咲きの源平などは、まだ咲いていないようだ。

    管理棟のすぐ近くでも花桃が咲いていた。
    今年は、すでに見頃を過ぎたものと満開のものがあり、遅咲きの源平などは、まだ咲いていないようだ。

  • 富士見塚と中山台の間を登っていくと、浄円坊の池に出た。<br />初夏の頃、蓮の花に彩られる大賀蓮池はこの先らしい。

    富士見塚と中山台の間を登っていくと、浄円坊の池に出た。
    初夏の頃、蓮の花に彩られる大賀蓮池はこの先らしい。

  • その大賀蓮池の手前で白い花桃が目に留まった。<br />『寒白』という品種で、赤や桃色ばかりの中で、ひと際輝いていた。

    その大賀蓮池の手前で白い花桃が目に留まった。
    『寒白』という品種で、赤や桃色ばかりの中で、ひと際輝いていた。

  • 歩いていると、桃林の向こうから気球が上がって来た。<br />しかし、風がかなり吹いていたので揺れている。<br />結局、木々を越えるくらいの高さまでしか上がらなかった。

    歩いていると、桃林の向こうから気球が上がって来た。
    しかし、風がかなり吹いていたので揺れている。
    結局、木々を越えるくらいの高さまでしか上がらなかった。

  • 大賀蓮池の畔までやってきた。<br />鏡のような水面に、池の畔の花桃が映り込んでいる。

    大賀蓮池の畔までやってきた。
    鏡のような水面に、池の畔の花桃が映り込んでいる。

  • 大賀蓮池の周辺をのんびりと散策。<br />この辺りは、古河総合公園の中でも景色がのびやかだ。<br />花菖蒲田もあり、初夏にはまた違った景色が見られそうだ。<br />今は、菜の花が、花桃と春を競い合っているかのようだった。

    大賀蓮池の周辺をのんびりと散策。
    この辺りは、古河総合公園の中でも景色がのびやかだ。
    花菖蒲田もあり、初夏にはまた違った景色が見られそうだ。
    今は、菜の花が、花桃と春を競い合っているかのようだった。

  • 大賀蓮池から、徳蔵院跡へと移動。<br />徳蔵院は、鎌倉円覚寺の末寺で、明治元年までここにあったそうだ。<br />その辺りが、花桃林となっていた。

    大賀蓮池から、徳蔵院跡へと移動。
    徳蔵院は、鎌倉円覚寺の末寺で、明治元年までここにあったそうだ。
    その辺りが、花桃林となっていた。

  • 寺の跡らしく、古い石碑が建っている。<br />近寄ってみると、ひとつは天保9年の銘がある馬頭観音だった。

    寺の跡らしく、古い石碑が建っている。
    近寄ってみると、ひとつは天保9年の銘がある馬頭観音だった。

  • 花桃には、色々な種類があり、花期も少しずつ違う。<br />古河総合公園には、矢口、源平、菊桃など2千本があるそうだ。

    花桃には、色々な種類があり、花期も少しずつ違う。
    古河総合公園には、矢口、源平、菊桃など2千本があるそうだ。

  • 桃の花らしい色合いで咲いているのは、花桃の代表である『矢口』。<br />桃色の春らしい花が、優しい光の中で輝いていた。

    桃の花らしい色合いで咲いているのは、花桃の代表である『矢口』。
    桃色の春らしい花が、優しい光の中で輝いていた。

  • 桃林には散策路があるわけではないので、思い思いに歩ける。<br />新府の桃畑も美しいが、ここも悪くはない。

    桃林には散策路があるわけではないので、思い思いに歩ける。
    新府の桃畑も美しいが、ここも悪くはない。

  • 徳蔵院跡には、古河公方第五代足利義氏の墓所があった。<br />古河城内で没した義氏の遺骸か、その一部が埋められたとされるが、墓石は存在しない。<br />傍らに、娘氏女と、その子義親の墓もある。

    徳蔵院跡には、古河公方第五代足利義氏の墓所があった。
    古河城内で没した義氏の遺骸か、その一部が埋められたとされるが、墓石は存在しない。
    傍らに、娘氏女と、その子義親の墓もある。

  • 桃林の奥までやってきた。<br />ここまで来ると、人の姿も疎らだった。<br />公園は、思いのほか広く、十分に花桃を楽しむことが出来た。

    桃林の奥までやってきた。
    ここまで来ると、人の姿も疎らだった。
    公園は、思いのほか広く、十分に花桃を楽しむことが出来た。

  • 桃林の中を歩いていると、鯉のぼりが泳いでいた。<br />3月と言うのに気が早いものだ。

    桃林の中を歩いていると、鯉のぼりが泳いでいた。
    3月と言うのに気が早いものだ。

  • 桃林を抜け、虚空蔵近くにある御洗池へと向かう。<br />その池の水で目を洗うと眼病が治ると伝えられていたそうだ。<br />ちなみに、平癒した際には、池にウナギを放したそうだが、もちろん、今はいない。池のそばの小高いところに虚空蔵があった。<br />その斜面には、諸葛菜の紫色の花が多く咲いていた。

    桃林を抜け、虚空蔵近くにある御洗池へと向かう。
    その池の水で目を洗うと眼病が治ると伝えられていたそうだ。
    ちなみに、平癒した際には、池にウナギを放したそうだが、もちろん、今はいない。池のそばの小高いところに虚空蔵があった。
    その斜面には、諸葛菜の紫色の花が多く咲いていた。

  • その虚空蔵へ行ってみると、境内では八重咲きの椿が咲いていた。<br />椿は傷みやすいので、すべての花びらが綺麗な花を観るのは稀だが、運よく、美しい花に出会うことが出来た。

    その虚空蔵へ行ってみると、境内では八重咲きの椿が咲いていた。
    椿は傷みやすいので、すべての花びらが綺麗な花を観るのは稀だが、運よく、美しい花に出会うことが出来た。

  • 歩き疲れたので少し休憩。<br />管理棟の近くまで戻ると、魅力的な匂いが漂って来た。<br />その匂いのほうへ行ってみると、炭火で豪快に焼かれている鶏肉だった。<br />あまりにも美味しそうだったので迷わず買い求め、近くの休憩所の椅子に座り、熱々を頬張る。<br />その旨さは、麦酒が飲みたくなるほどだった。

    歩き疲れたので少し休憩。
    管理棟の近くまで戻ると、魅力的な匂いが漂って来た。
    その匂いのほうへ行ってみると、炭火で豪快に焼かれている鶏肉だった。
    あまりにも美味しそうだったので迷わず買い求め、近くの休憩所の椅子に座り、熱々を頬張る。
    その旨さは、麦酒が飲みたくなるほどだった。

    第48回古河桃まつり 祭り・イベント

  • 御所沼のほうへ行ってみる。<br />沼に架かる相ノ谷橋からは、御所沼と公方様の森がよく見えた。<br />その森は、古河市に残る貴重な雑木林だ。<br />市の名木古木に指定されているそうだ。

    御所沼のほうへ行ってみる。
    沼に架かる相ノ谷橋からは、御所沼と公方様の森がよく見えた。
    その森は、古河市に残る貴重な雑木林だ。
    市の名木古木に指定されているそうだ。

  • 沼の畔で、ネコヤナギの花を見つけた。<br />久しぶりに間近で見たが、とても可愛い。

    沼の畔で、ネコヤナギの花を見つけた。
    久しぶりに間近で見たが、とても可愛い。

  • 天神橋で沼を渡り、公方様の森へと入る。<br />そこには、雑木林の中の素敵な道が続いていた。

    天神橋で沼を渡り、公方様の森へと入る。
    そこには、雑木林の中の素敵な道が続いていた。

  • その道を辿ると、土塁と堀の跡が僅かに残って場所に出た。<br />人が造ってから幾多の時間が流れても、微かにその痕跡を残すのも凄いが、それを自然の姿に還そうとする力はもっと強い。<br />人の営みは、所詮、自然には勝てないのだ。

    その道を辿ると、土塁と堀の跡が僅かに残って場所に出た。
    人が造ってから幾多の時間が流れても、微かにその痕跡を残すのも凄いが、それを自然の姿に還そうとする力はもっと強い。
    人の営みは、所詮、自然には勝てないのだ。

  • 広い場所に出ると、先ほど見た鯉のぼりがあった。<br />その足元には蒲公英がたくさん咲いてる。<br />前に訪れた時にはたくさんの菫が咲いていたのだが、林床が刈り払われていて見られなかった。

    広い場所に出ると、先ほど見た鯉のぼりがあった。
    その足元には蒲公英がたくさん咲いてる。
    前に訪れた時にはたくさんの菫が咲いていたのだが、林床が刈り払われていて見られなかった。

  • その先に、古河公方館跡の碑があった。<br />鎌倉を落ちた足利成氏が拠点としたのが古河。<br />古河城の修築が終わるまでの約2年間を過ごしたのがここだ。<br />その後、古河城の別館として『鴻巣御所』と呼ばれたそうだ。

    その先に、古河公方館跡の碑があった。
    鎌倉を落ちた足利成氏が拠点としたのが古河。
    古河城の修築が終わるまでの約2年間を過ごしたのがここだ。
    その後、古河城の別館として『鴻巣御所』と呼ばれたそうだ。

    古河公方館跡 名所・史跡

  • 館跡の一角に、茅葺の建物が建っていた。<br />延宝2年(1674)に建てられたという旧中山家住宅で、茨城県指定文化財だそうだ。<br />中山家は武家出身で、江戸初期に帰農したそうだ。

    館跡の一角に、茅葺の建物が建っていた。
    延宝2年(1674)に建てられたという旧中山家住宅で、茨城県指定文化財だそうだ。
    中山家は武家出身で、江戸初期に帰農したそうだ。

    古河市民家園 美術館・博物館

  • その隣には、旧飛田家住宅というものもあった。<br />常陸地方によく見られるという曲がり屋形式の建物とのこと。<br />県下最古の曲がり屋で、国の指定文化財だそうだ。<br />建てられたのは18世紀前半らしい。

    その隣には、旧飛田家住宅というものもあった。
    常陸地方によく見られるという曲がり屋形式の建物とのこと。
    県下最古の曲がり屋で、国の指定文化財だそうだ。
    建てられたのは18世紀前半らしい。

  • 花桃を堪能したので、古河総合公園を後にする。<br />自転車で公園沿いに走り、古河城のあった渡良瀬川へと向かう。<br />河川敷へ降りてみると、改修される前の川の面影を残す場所があった。<br />そこは、とても郷愁を感じさせる風景だった。

    花桃を堪能したので、古河総合公園を後にする。
    自転車で公園沿いに走り、古河城のあった渡良瀬川へと向かう。
    河川敷へ降りてみると、改修される前の川の面影を残す場所があった。
    そこは、とても郷愁を感じさせる風景だった。

    渡良瀬川 自然・景勝地

  • その広い河川敷の向こうに、雪を被った日光連山が綺麗に見えた。<br />土手の上はサイクリングコースになっていて、爽やかな気分で走れる。<br />古河公方の本拠地であった古河城は、この河川敷の辺りにあったのだが、河川改修のせいで完全に破壊されてしまった。

    その広い河川敷の向こうに、雪を被った日光連山が綺麗に見えた。
    土手の上はサイクリングコースになっていて、爽やかな気分で走れる。
    古河公方の本拠地であった古河城は、この河川敷の辺りにあったのだが、河川改修のせいで完全に破壊されてしまった。

  • 土手には、失われてしまった古河城本丸跡を示す碑が立っていた。<br />このあたりに城があったとは思えない風景だ。<br />写真を撮っていると、駅からハイキングに参加していると言う初老の男性から声を掛けられた。<br />古河城の話しなどをしているうちに盛り上がり、土手に腰掛けて話し込んでしまった。<br />しかも、驚いたことに、同じ市に住んでいる方だったのだ。<br />これぞ奇遇である。

    土手には、失われてしまった古河城本丸跡を示す碑が立っていた。
    このあたりに城があったとは思えない風景だ。
    写真を撮っていると、駅からハイキングに参加していると言う初老の男性から声を掛けられた。
    古河城の話しなどをしているうちに盛り上がり、土手に腰掛けて話し込んでしまった。
    しかも、驚いたことに、同じ市に住んでいる方だったのだ。
    これぞ奇遇である。

    古河城跡 名所・史跡

  • しばらく走ると、『田中正造翁遺徳之賛碑』を見つけた。<br />渡良瀬川といえば、田中正造だ。<br />公害第一号と言われる足尾鉱毒事件で、農民運動の中心となって活躍したのは有名である。<br />碑には、田中正造が明治天皇に直訴を試みた時の情景が描かれていた。<br />古河市は、現在渡良瀬遊水地となっている旧谷中村からの移住者が多かったそうだ。

    しばらく走ると、『田中正造翁遺徳之賛碑』を見つけた。
    渡良瀬川といえば、田中正造だ。
    公害第一号と言われる足尾鉱毒事件で、農民運動の中心となって活躍したのは有名である。
    碑には、田中正造が明治天皇に直訴を試みた時の情景が描かれていた。
    古河市は、現在渡良瀬遊水地となっている旧谷中村からの移住者が多かったそうだ。

  • 碑の先にには、万葉歌碑も建っていた。<br />日本最古の歌集・万葉集には、東歌というものが収録されていて、その中に、古河の地名が入った歌が2首ある。<br />そのひとつ、<br />「まくらがの 許我の渡りの からかじの <br />         音高しもな 寝なへ児ゆえに」<br />が刻まれていた。

    碑の先にには、万葉歌碑も建っていた。
    日本最古の歌集・万葉集には、東歌というものが収録されていて、その中に、古河の地名が入った歌が2首ある。
    そのひとつ、
    「まくらがの 許我の渡りの からかじの 
             音高しもな 寝なへ児ゆえに」
    が刻まれていた。

  • 万葉歌碑のすぐ裏手、土手から降りたところに、古河の総鎮守である雀神社が鎮座していた。<br />千年以上前に勧請された古社で、歴代古河城主に厚く信仰されたそうだ。<br />現在の社殿は、慶長10年に時の藩主松平康長により建立されたもの。<br />&quot;お雀様&quot;の愛称で親しまれているそうだ。

    万葉歌碑のすぐ裏手、土手から降りたところに、古河の総鎮守である雀神社が鎮座していた。
    千年以上前に勧請された古社で、歴代古河城主に厚く信仰されたそうだ。
    現在の社殿は、慶長10年に時の藩主松平康長により建立されたもの。
    "お雀様"の愛称で親しまれているそうだ。

    雀神社 寺・神社・教会

  • 雀神社から土手沿いに少し戻ると、永井(えいせい)寺に辿着いた。<br />永井寺は、寛永3年(1626)に古河城主永井直勝により創建された永井家の菩提寺。<br />境内にある永井家墓所には、初代直勝をはじめ、二代尚政、三代尚征、その弟尚傭の供養塔が建ち並んでいた。

    雀神社から土手沿いに少し戻ると、永井(えいせい)寺に辿着いた。
    永井寺は、寛永3年(1626)に古河城主永井直勝により創建された永井家の菩提寺。
    境内にある永井家墓所には、初代直勝をはじめ、二代尚政、三代尚征、その弟尚傭の供養塔が建ち並んでいた。

    永井寺 寺・神社・教会

  • 永井寺と道を挟んで向かい側には、頼政神社も鎮座していた。<br />以仁王の乱で討ち死にした源頼政の首塚が、古河城の立崎郭にあったという伝承があり、郭と首塚が河川改修で破壊されたため、ここに神社を建立したらしい。<br />参道にあった大きな石灯籠は、元禄九年(1696)に社殿を修築した際、古河城主松平信輝の弟で高崎城主だった松平輝貞が寄進したものだそうだ。

    永井寺と道を挟んで向かい側には、頼政神社も鎮座していた。
    以仁王の乱で討ち死にした源頼政の首塚が、古河城の立崎郭にあったという伝承があり、郭と首塚が河川改修で破壊されたため、ここに神社を建立したらしい。
    参道にあった大きな石灯籠は、元禄九年(1696)に社殿を修築した際、古河城主松平信輝の弟で高崎城主だった松平輝貞が寄進したものだそうだ。

    頼政神社 寺・神社・教会

  • 狭い境内にあった狛犬は、石灯籠と同じ時期に寄進されたものらしいが、寄進者は不明だそうだ。<br />なお、近くの水神社と境内がつながっていて、実は迷った挙句、水神社側から辿って頼政神社に来ることが出来たのだ。

    狭い境内にあった狛犬は、石灯籠と同じ時期に寄進されたものらしいが、寄進者は不明だそうだ。
    なお、近くの水神社と境内がつながっていて、実は迷った挙句、水神社側から辿って頼政神社に来ることが出来たのだ。

  • 頼政神社の近くで、菫が綺麗に咲いていた。<br />菫は大好きな花なので、嬉しい。<br />

    頼政神社の近くで、菫が綺麗に咲いていた。
    菫は大好きな花なので、嬉しい。

  • 菫が咲いていた近くに、古河城船渡門址の碑があった。<br />さらに、近くの住宅街の中では、古河城追手門跡の石碑も見つけた。<br />追手門は、古河城の大手にあたり、この門の北側に武家屋敷が建ち並んでいたそうだ。<br />しかし、完全に破壊された古河城跡は、碑が建っていても往時の情景がまったくわからないので悲しい。

    菫が咲いていた近くに、古河城船渡門址の碑があった。
    さらに、近くの住宅街の中では、古河城追手門跡の石碑も見つけた。
    追手門は、古河城の大手にあたり、この門の北側に武家屋敷が建ち並んでいたそうだ。
    しかし、完全に破壊された古河城跡は、碑が建っていても往時の情景がまったくわからないので悲しい。

  • 住宅街を抜けると、右側に竹やぶがあった。<br />土手で出会った男性から頂いた地図を開くと、この竹やぶが古河城の土塁の跡とのこと。<br />『獅子崎の土塁』と呼ばれているらしい。<br />この手前に、百間掘跡があるらしいのだが、確認できなかった。<br />民家の間にあった狭い暗渠がそれだったかもしれない。

    住宅街を抜けると、右側に竹やぶがあった。
    土手で出会った男性から頂いた地図を開くと、この竹やぶが古河城の土塁の跡とのこと。
    『獅子崎の土塁』と呼ばれているらしい。
    この手前に、百間掘跡があるらしいのだが、確認できなかった。
    民家の間にあった狭い暗渠がそれだったかもしれない。

  • 土塁跡の向かいにあった長屋門跡。<br />地図を見ると、武家屋敷の門だったらしい。<br />保存してあるわけでもなく、たまたま残ったと言う感じだな。<br />そして、このあたりに御成門があったようだ。

    土塁跡の向かいにあった長屋門跡。
    地図を見ると、武家屋敷の門だったらしい。
    保存してあるわけでもなく、たまたま残ったと言う感じだな。
    そして、このあたりに御成門があったようだ。

  • 土塁跡から東へ向かうと、古河歴史博物館に出た。<br />前に来た時にゆっくりと見学したので、今回は素通りする。<br />博物館の向かいにある鷹見泉石記念館は、駅からハイキングの人たちで賑やかだったので、入口から覗くだけにした。

    土塁跡から東へ向かうと、古河歴史博物館に出た。
    前に来た時にゆっくりと見学したので、今回は素通りする。
    博物館の向かいにある鷹見泉石記念館は、駅からハイキングの人たちで賑やかだったので、入口から覗くだけにした。

    鷹見泉石記念館(歴史的建造物) 名所・史跡

  • 博物館近くの路地裏で、明治30年創業と言う鮒甘露煮の老舗『ぬた屋』を見つけた。<br />古河市は、鮒甘露煮発祥の地なのだそうだ。<br />土産に買っていこうと思っていたのだが、街を巡っているうちに忘れてしまった。

    博物館近くの路地裏で、明治30年創業と言う鮒甘露煮の老舗『ぬた屋』を見つけた。
    古河市は、鮒甘露煮発祥の地なのだそうだ。
    土産に買っていこうと思っていたのだが、街を巡っているうちに忘れてしまった。

    ぬた屋 (本店) お土産屋・直売所・特産品

  • ぬた屋の近くで、古河市のマンホールを見つけた。<br />渡良瀬遊水地の花火をデザインしたものらしい。<br />渡良瀬川にかかる三国橋だろうか。

    ぬた屋の近くで、古河市のマンホールを見つけた。
    渡良瀬遊水地の花火をデザインしたものらしい。
    渡良瀬川にかかる三国橋だろうか。

  • 城下町らしい鉤の手状の道を行くと、お茶屋口跡の石碑が立っている。<br />前を走る道が旧日光御成道で、歴代将軍の日光東照宮参詣の際、岩槻、古河、宇都宮のいずれかで休憩することが決まっていたため、将軍はこの門から古河城へと向かったそうだ。<br /><br />名前に由来は、古河城主土井利勝が、三代将軍家光をもてなすために、茶屋を置いたことからだそうです。

    城下町らしい鉤の手状の道を行くと、お茶屋口跡の石碑が立っている。
    前を走る道が旧日光御成道で、歴代将軍の日光東照宮参詣の際、岩槻、古河、宇都宮のいずれかで休憩することが決まっていたため、将軍はこの門から古河城へと向かったそうだ。

    名前に由来は、古河城主土井利勝が、三代将軍家光をもてなすために、茶屋を置いたことからだそうです。

  • むた屋の前に戻り、道沿いに歩いて行く。<br />すると、左手に福法寺の山門が見えてくる。<br />その門は、旧古河城の乾門を移築したもので、明治6年(1873)に古河城が取り壊された際、この寺の檀家が払い下げを受けて、寄進したそうだ。<br />現存する古河城の貴重な遺構のひとつである。

    むた屋の前に戻り、道沿いに歩いて行く。
    すると、左手に福法寺の山門が見えてくる。
    その門は、旧古河城の乾門を移築したもので、明治6年(1873)に古河城が取り壊された際、この寺の檀家が払い下げを受けて、寄進したそうだ。
    現存する古河城の貴重な遺構のひとつである。

    旧古河城 乾門 名所・史跡

  • 福法寺の先にある旧肴町に建つのは板長本店。<br />肴町通りは、古河城内に米や茶、酒などを運ぶための道として栄えた所。<br />板長本店は、江戸初期から両替商を営み、江戸末期からは酒問屋を生業とした古河城下の代表的な商家だ。<br />通りに面した店蔵は、旧古河城の文庫蔵、袖蔵は旧古河城の乾蔵で、共に明治6年の廃城令の時に払い下げられた建物だそうだ。

    福法寺の先にある旧肴町に建つのは板長本店。
    肴町通りは、古河城内に米や茶、酒などを運ぶための道として栄えた所。
    板長本店は、江戸初期から両替商を営み、江戸末期からは酒問屋を生業とした古河城下の代表的な商家だ。
    通りに面した店蔵は、旧古河城の文庫蔵、袖蔵は旧古河城の乾蔵で、共に明治6年の廃城令の時に払い下げられた建物だそうだ。

    おみやげ処 坂長 お土産屋・直売所・特産品

  • 板長を訪れるのは2度目。<br />前回お邪魔した時、女将さんからお茶と漬物でもてなされ、長居をした。<br />酒問屋としてはすでに営業をしてない上、細々と僅かな商品を売るだけになってしまったのを、女将はかなり寂しげに話してくれた。<br />ここは、とても居心地の良いところだ。

    板長を訪れるのは2度目。
    前回お邪魔した時、女将さんからお茶と漬物でもてなされ、長居をした。
    酒問屋としてはすでに営業をしてない上、細々と僅かな商品を売るだけになってしまったのを、女将はかなり寂しげに話してくれた。
    ここは、とても居心地の良いところだ。

  • 板長本店の並びに、古河藩使者取次所址の碑があった。<br />古河城下を通る大名は、使者を派遣して挨拶をし、藩からも、役人が出向いて接待を行ったそうだ。<br />その時に使用したのが使者取次所。<br />別名を『御馳走番所』とも呼ばれていたらしい。<br />なお、古河藩より格式が高い大名や公卿はなどは、お茶屋口でもてなしを受けていたとのこと。

    板長本店の並びに、古河藩使者取次所址の碑があった。
    古河城下を通る大名は、使者を派遣して挨拶をし、藩からも、役人が出向いて接待を行ったそうだ。
    その時に使用したのが使者取次所。
    別名を『御馳走番所』とも呼ばれていたらしい。
    なお、古河藩より格式が高い大名や公卿はなどは、お茶屋口でもてなしを受けていたとのこと。

  • 本町2丁目のほうへ走ると、篆刻美術館というものが会った。<br />その表蔵棟と言う建物は、酒類卸売業を営んでいた平野家の耐火石蔵として、大正9年(1920)に建てられたものだそうだ。<br />大谷石が使われ、裏蔵棟とともに国の有形登録文化財に指定されているとのこと。

    本町2丁目のほうへ走ると、篆刻美術館というものが会った。
    その表蔵棟と言う建物は、酒類卸売業を営んでいた平野家の耐火石蔵として、大正9年(1920)に建てられたものだそうだ。
    大谷石が使われ、裏蔵棟とともに国の有形登録文化財に指定されているとのこと。

    篆刻美術館 美術館・博物館

  • 永井路子旧宅の前を通り、大手町へ入ると、古河城主土井家の菩提寺正定寺に着く。<br />格式を誇る朱塗りの山門から入り境内を散策。<br />境内には、初代藩主土井利勝夫妻の墓を始め、歴代藩主や一族の墓があり、本堂の脇には、4代将軍徳川家綱の生母お楽の方の供養塔もあった。<br />その供養塔の傍らには、お楽の方が子育て祈願をしたと云う岩船地蔵尊も祀られていた。<br />なお、黒門は、土井家の江戸下屋敷表門だったものだそうだ。

    永井路子旧宅の前を通り、大手町へ入ると、古河城主土井家の菩提寺正定寺に着く。
    格式を誇る朱塗りの山門から入り境内を散策。
    境内には、初代藩主土井利勝夫妻の墓を始め、歴代藩主や一族の墓があり、本堂の脇には、4代将軍徳川家綱の生母お楽の方の供養塔もあった。
    その供養塔の傍らには、お楽の方が子育て祈願をしたと云う岩船地蔵尊も祀られていた。
    なお、黒門は、土井家の江戸下屋敷表門だったものだそうだ。

    正定寺 寺・神社・教会

  • 正定寺から駅の方へと戻る。<br />その道の途中に、長い塀と立派な門を備えた屋敷があった。<br />そこは、古河に残る貴重な武家屋敷の遺構なのだそうだ。

    正定寺から駅の方へと戻る。
    その道の途中に、長い塀と立派な門を備えた屋敷があった。
    そこは、古河に残る貴重な武家屋敷の遺構なのだそうだ。

    旧武家屋敷 名所・史跡

  • 二つ目の四つ角を左へ行くと、武蔵屋本店と言う老舗の鰻屋が建ってた。<br />明治の建物だそうだが、創業は江戸末期だそうだ。<br />店の前を通る道は、旧日光街道(よこまち柳通り)だった。<br />古河は鰻が名物らしいが、確かに鰻の店がかなり目に付いた。

    二つ目の四つ角を左へ行くと、武蔵屋本店と言う老舗の鰻屋が建ってた。
    明治の建物だそうだが、創業は江戸末期だそうだ。
    店の前を通る道は、旧日光街道(よこまち柳通り)だった。
    古河は鰻が名物らしいが、確かに鰻の店がかなり目に付いた。

    武蔵屋 グルメ・レストラン

  • 旧日光街道に沿って駅へと向かうと、石造りの道標があった。<br />それは、旧街道の曲の手という場所に建っていた。<br />左日光道、右筑波道と書かれている。<br />文字は、永井寺に墓のある書家小山霞外、梧岡、孫堂の三代によるもの。<br />当時は、2丁目の突き当たりにあったが、新しい道を造る際に移設したそうだ。<br /><br />※現在、元の場所の近くに再度移設されています。

    旧日光街道に沿って駅へと向かうと、石造りの道標があった。
    それは、旧街道の曲の手という場所に建っていた。
    左日光道、右筑波道と書かれている。
    文字は、永井寺に墓のある書家小山霞外、梧岡、孫堂の三代によるもの。
    当時は、2丁目の突き当たりにあったが、新しい道を造る際に移設したそうだ。

    ※現在、元の場所の近くに再度移設されています。

  • 旧日光街道は、次の交差点で南へと折れる。<br />道標は、その交差点の北側に建っていたそうだ。<br />東へと伸びる道が旧筑波道で、駅へと向かう道が旧日光街道だ。<br />その道を辿れば、江戸となる。

    旧日光街道は、次の交差点で南へと折れる。
    道標は、その交差点の北側に建っていたそうだ。
    東へと伸びる道が旧筑波道で、駅へと向かう道が旧日光街道だ。
    その道を辿れば、江戸となる。

  • 道標のあった場所の裏手には、レンガ造りの旧古河市役所の建物の一部が残っていた。<br />駅前まで戻ってくると、道端に古河城下本陣址の碑があった。<br />その石碑の後ろにある建物の奥に、古河市の名木古木指定を受けている樹齢約200年という大きなタブの木もあった。

    道標のあった場所の裏手には、レンガ造りの旧古河市役所の建物の一部が残っていた。
    駅前まで戻ってくると、道端に古河城下本陣址の碑があった。
    その石碑の後ろにある建物の奥に、古河市の名木古木指定を受けている樹齢約200年という大きなタブの木もあった。

  • 道路を挟んで反対側には、高札場址の碑もあった。<br />この辺りが、旧日光街道の古河宿の中心だった場所だ。<br />高札場址から少し東へ走れば古河駅前に出た。<br />駅前には、万葉歌碑がもうひとつあった。<br />「逢わずして 行かば惜しけむ まくらがの<br />          許我こぐ船に 君も逢はぬかも」<br />自転車で巡った古河、城下町の名残を見つけた旅もここで終わりだ。

    道路を挟んで反対側には、高札場址の碑もあった。
    この辺りが、旧日光街道の古河宿の中心だった場所だ。
    高札場址から少し東へ走れば古河駅前に出た。
    駅前には、万葉歌碑がもうひとつあった。
    「逢わずして 行かば惜しけむ まくらがの
              許我こぐ船に 君も逢はぬかも」
    自転車で巡った古河、城下町の名残を見つけた旅もここで終わりだ。

    古河駅

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この旅行記へのコメント (10)

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  • rokoさん 2008/05/01 22:07:43
    花桃
    旅猫さん こんばんは〜

    花桃ていろんな種類があるのですね、
    知りませんでした。

    ここの公園ではすごい数のきれいな花が見られていいですね、
    そしてこの素敵な散歩道
    雰囲気ある道、こんな風景大好きです。

    春っていいですね。


       roko




    旅猫

    旅猫さん からの返信 2008/05/02 08:33:19
    RE: 花桃
    rokoさん、おはようございます。
    古河の花桃を見てくださり、ありがとうございます♪

    > 花桃ていろんな種類があるのですね、
    そうなんですよ、旅猫もここへ行ってから知りました。
    この時は見られなかったのですが、もっと変わったものもあるそうです。

    古河公方の館跡が公園の大きな部分を占めていて、
    そこが雑木林になっているため、春先はとても気持ちがいいです。
    以前はスミレがたくさん咲いていたのですが、
    去年はまったく見ることが出来ず、ちょっと寂しかったです。

    旅猫
  • 花さん 2007/03/30 15:28:33
    花桃が綺麗〜♪
    旅猫さん こんにちは〜♪

    花桃、あでやかで綺麗ね〜古河総合公園も堪能しました。ありがとう〜♪

    >虚空蔵の境内に咲いていた八重咲きの椿。
     
    正面からではなく斜め45度(笑)う〜ん素敵!
    お花の色&形も艶っぽいわね〜
    一輪お部屋に飾りたいわ。(^_^)

    明日から帯広に行って来ます。
    旅行ではありませんので、帯広だけに滞在します。
    アップしましたら、又お遊びにいらしてね。
    スローペースですので、首をなが〜〜〜くしてです。(^^ゞ

    旅猫さんの綺麗なさくらのお写真を楽しみにしています。

    ではでは。

              花 (*^_^*)

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2007/03/31 01:10:48
    RE: 花桃が綺麗〜♪
    花さん、こんばんは!
    ありがとうございます。

    >一輪お部屋に飾りたいわ。(^_^)
    素敵なコメント、嬉しいです!

    >明日から帯広に行って来ます。
    帯広ですか〜。
    私のお気に入りは、郊外の坂本直行記念館。
    森の中の素敵な美術館ですよ。

    旅行記、楽しみにお待ちしていま〜す。

    >旅猫さんの綺麗なさくらのお写真を楽しみにしています。
    むむ、プレッシャーが(^^;
    桜は、かなり難しい被写体ですね。
    天気が良ければ、ちょっと出かけてきます。
  • ユキゴローさん 2007/03/29 16:35:28
    そろそろ春爛漫?
    旅猫さん こんにちは!

    古河といえば関東でも結構北になると思いますが、もうこんなに花が咲いているんですね。
    信州は梅が5〜6分咲きで、水仙がやっと咲き始めたところです。
    雑木林の写真、情緒があってすてきですね!

                    ユキゴロー

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2007/03/29 20:39:10
    RE: そろそろ春爛漫?
    ユキゴローさん、こんばんは!
    ありがとうございます。

    渡良瀬川の河川敷から日光の山々が見渡せるのですが、結構穏やかな土地のようですね。

    >信州は梅が5〜6分咲きで、水仙がやっと咲き始めたところです。
    梅に水仙ですか!
    1ヶ月以上遅いんですね。
    でも、そのおかげでいろいろな花に出会えるのですからね!

    >雑木林の写真、情緒があってすてきですね!
    ありがとうございます!
    実は、私もこの写真が気に入っています。
    雑木林って、良いですよね。
  • そよ風さん 2007/03/29 13:29:36
    春らしいピンクの景色!
    旅猫さん、お久しぶりです^^

    家の近くに花桃の林があるのですが、
    八重の花びらが枝いっぱいに咲いた様子は、
    とっても華やかで綺麗です。
    こちらの公園も、さぞかし綺麗だったことでしょう。
    小さくてもボリュームのある花なのと、
    鮮やかなピンクがゴージャスで、
    なんかウキウキ気分になりますよね〜
    今週末あたり桃に代わっていよいよ桜の見頃ですね、
    お花見旅行記、期待していまーす!

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2007/03/29 20:35:42
    RE: 春らしいピンクの景色!
    そよ風さん、いつもありがとうございます!

    花桃の花は、桜と違って、華やかさがありますよね。
    大きな花が密集して咲くので、遠くから見ると桃色の林みたいで。

    >今週末あたり桃に代わっていよいよ桜の見頃ですね、
    職場近くの公園でも、もう7分咲きぐらいの木もありました。
    今週末は、お花見が期待できますね!

    >お花見旅行記、期待していまーす!
    どこへ行こうかと、今考えています。
    またお越しください!
  • Noririnさん 2007/03/28 23:04:51
    春真っ盛りですね♪
    旅猫さん こんばんは!

    花の写真がすっごくステキに撮れていて感動しました。
    カメラ撮影の腕前にビックリです!!

    でも私は花より団子。
    鶏肉の炭火焼をビール無しでいただいたなんて私には出来ません(笑)

    古河の春を満喫させていただきましたm(_ _)m

    Noririn

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2007/03/28 23:15:06
    RE: 春真っ盛りですね♪
    Noririnさん、こんばんは!

    >花の写真がすっごくステキに撮れていて感動しました。
    ありがとうございます!
    嬉しいな〜。

    >鶏肉の炭火焼をビール無しでいただいたなんて私には出来ません(笑)
    ビール、売ってなかったような気がします。
    もちろん、ビールが欲しくてたまりませんでした(^^;
    天気も良くて暖かかったので、まさにビール日和だったのに。。。

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