2006/02 - 2006/12
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Yunioshiさん
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訪れる人を魅了してやまない都市「New York」或る人は世界の首都と言う。
いつの時代でもAmerican Valueを創造しDiversity(多様性)を具現化してきた街が「New York」。
ほんの些細な変化を明快に感じ、体験できる都市それが「New York」。
同じところを歩いても、時間、季節の違いで新たなモノを感じ、新しい発見がある。そんな街が連続する都市「New York」。それこそが「New York」の魅力なのである。よく「めくるめく万華鏡」に喩えられる街は、移民の町であり、文化、習慣、伝統が作り出すコミュニティーが「New York」を魅力ある彩のある街にしている。この魅力を肌で感じ歩いて楽しめる街である。
更に違う角度から眺め、歴史をたどってゆくと、懐の深さを感じさせる「New York City」がどんなに素晴らしく魅力的かがよくわかる。
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ANA
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現在ロックフェラー・センターのある場所は当初メトロポリタン・オペラ社が、オペラハウスを含む商業施設の建設予定だったらしい。しかし1929年10月の大恐慌で計画を断念。その後1930年1月に高層ビル計画に変更、1933年にRCAビルとして完成、現在はGEビルとなっている。
この画はその当時ビル建設に携わった人々の様子といわれている。 それにしてもすごい。あんな高いところで休んで昼食を取っているなんて…。私なら地上に降りてきて休憩したい気がするが、休む時間がなくなってしまうかな?
http://www.sergiofurnari.com/
ラ・グァーディア市長やJ・D・ロックフェラー・ジュニア,設計者レイモンド・フッド、ハーヴェイ・コーベットのチーム、建設に携わった人たちのパワーと情熱には頭が下がる。 -
ロックフェラー・センターは5th AveとAve of Americas(6th Ave),48th Stと51th Stの3ブロックを占有する。ラジオやテレビ関係会社、商業施設、文化施設が入っているビルが21棟も集まって、都市の中の都市とも呼ばれている。
ビルの総階数は557階にも及び、約65,000人の人が働いている。
ここはチャンネル・ガーデンズと呼ばれ多くの人で賑わう。名の由来は、右側にイギリス(British Empire Building)、左側にはフランス(La Maison Francaise)を表現する建物があるので、英仏海峡(The Channel)に例えられての事らしい。
突き当りにはジョン・D・ロックフェラーの信条を彫った石碑がある。「私は個人の崇高な価値と、その個人の生命、自由、及び幸福追求の権利を信じる。」
なんともアメリカ、いやNew York的な宣言のように感じる。 -
スケート・リンクのあるところは、サンクン・ガーデン。夏は屋外レストランになる。その向こうにはプロメテウスの巨大な像が金色に輝いている。作者はアメリカ人彫刻家ポール・マンシップ、国連のヨーロッパ本部の建物正面の中庭にある、ブロンズ製の環状の天球儀(アーミラリ・スフィア)の12宮星座図もポール・マンシップの作品である。
サンクン・ガーデンを見下ろすように、万国旗が並んでいるところは、ガーデン・オブ・ネーションズと呼ばれ各国の国旗が掲揚されているが、毎年7月4日が近づくと「Stars and Stripes」一色になる。
有名な巨大クリスマス・ツリーは毎年30m以上のもみの木が各地から選ばれ、ここまで運ばれてくる。
http://www.wnbc.com/christmastree/index.html
この伝統の由来は、このビルの建設労働者たちがこのあたりに小さなツリーを飾った1930年まで遡る。
30、000個の電球の点灯式には数千人の人々でごった返すようだが、一度は見ておきたい、イベントである。 -
映画「ON THE TOWN」でかつては展望台だった事を知ってから10年。2005年に再オープンのニュース、あのエンパイアー・ステイト・ビルをほぼ対等に眺められるこのロケーションは、至福の時を演出してくれました。
時間と共に変わり行くグラデーションと空気。そのひと時は夜の帳が降りても続いて行く。(Winter Day)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3 -
幾度の時を越えどれだけの人がこの景色を眺めただろう。かつて人々は夢を実現するためにスカイ・スクレーパーに懸けた。
旧ウォルドルフ・アストリア・ホテル跡地に立てられた「Empire State Building」。
P・S・デュポンとJ・J・ラスコブは世界一を目指した。わずか1年45日で102階381mのビルを完成させた。1953年のテレビ・アンテナを冠し更に60mの高さ追加して441mを誇る。
年間360回以上の落雷と350万人の来訪を受けるこのビルは、人々の夢を叶えるスカイ・スクレーパーとして愛されている。このビルこそ「大廈高楼」の名に相応しい。(Winter Day)
http://www.esbnyc.com/index2.cfm -
漆黒の闇に浮かび上がる雄姿は、70余年を過ぎた今でも相変わらず完璧なセットバックと優美なアールデコ様式を駆使して人々をひきつける。
設計はリッチモンド・シュリーブとウィリアム・ラムの二人、途中からアーサー・ハーモンが加わっている。
晴天には80km先まで見えるという、展望台を追加設計し当時のスカイライン高さ競争に終止符をうった。
1972年1 World Trade Center(415m)が出来るまで41年間世界一を誇っていた。
「Empire State Building」は1931年5月1日オープン。
ハーバート・クラーク・フーヴァー大統領(31代)がワシントンから点灯式のボタンを押した。オープン直後は不況の煽りを受けテナントが集まらず「Empty State Buil.」がら空きビルと揶揄されたのは有名な話。
1945年7月28日悪天候(濃霧)の中B-25爆撃機が79階に激突、14名の死者と多数の負傷者を出した。翼は飛び散り爆発した燃料タンクの火炎は展望台にまで達したという。エンジンと胴体は縦5m、横5.5mの穴を開けビルの骨格の一部が露出したものの、ビル内の多くの人はこの事に気づいていなっかたらしい。このビルの頑強さを伝えるエピソードである。(Winter Night) -
Manhattanのほぼ中央に位置するCentral Parkは843エーカー(3.41k?)の広さがあり、5th Aveと8th Ave 59th Stから110th Stを占める。
移民の加速的な流入で北部へと開発が進み人口は増加するばかり、息苦しくも感ずる都市開発、そんな状態を解決する考えを持つ人が現れる、ウイリアム・カレン・ブライアント。そのアイデアを実現させるべく動いたアンドリュー・ダウニング。
ニューヨーカーだけでなく、突然訪れた私たちにも平等に憩いの場を提供してくれる。
公園の建設に携わった人たちに感謝!(Winter Day)
http://www.centralparknyc.org/ -
Manhattanのエアー・クリーナー?大都会の中の自然。Central Parkは人工の公園である。
公園の設計はフレデリック・ロウ・オルムステッドとカルバート・ヴォー。ヴォーはMETミュージアムや自然史科学博物館の一部も設計している。
この二人は、ブルックリンのプロスペクト・パークの設計をもしているので、一度訪れる機会があればよく似たところと違っているところなどを比較するのも興味深い。(Summer Day) -
Manhattanの東に位置する「East River」1700年代〜1800年代には多くの埠頭があったようだ。Brooklynからの渡し舟も多く行き交って賑わっていたらしい。
この「East River」。実は川でなく海峡である。地形的にみるとやはり海峡なんだそうだ。確かに流れが妙に速く潮の流れに準じて南から北に流れているのを目にすることも多い。でもやはり私にとっては「East River」でしかない。
写真の右側の黒い高いビルは、ヤンキース松井秀喜氏のお住まいがあると聞く。East Riverの真ん中辺りにはルーズベルト島がありその向こうはLong Island City。Queens County(Queens Borough)には皆さんもご厄介になる空港が2つもある。(Summer)
http://www.nycvisit.com/content/index.cfm?pagePkey=432 -
St Patrick's Catadedalは1850年〜1888年にかけて建設された。ゴシック様式のスラッとした容姿は101mの双塔を誇る。設計はジェームス・レンウィック。
屋根を見るとなんと大きなクロスがくっきりと見える。いろんな教会もこんなクロスが乗せてあるのであろうか?
その歴史を調べてみると、「十字架の形をシンボルとして用いた起源は古く旧石器時代で、太陽や、地水火風という4元素などを表わしたのだそうだ。
それがキリスト教のシンボルになったのは、十字架が死刑の道具になり、そこに主イエスが磔にされて殺されたからである。
、刑のむごさから、当時は「十字架」と口にすることもおぞましかったようだし、ローマ字の「T」が十字架を連想させるので、呪われた文字とも言われていたようである。
主イエスの死が私たち人間の罪の贖いのためであることと解釈されるようになってから、キリスト教徒が、尊敬・名誉・贖罪・犠牲・苦難の表象として、2世紀頃から次第に用いるようになったようである。
現在、教会で使用している十字架はラテン型。4世紀になってローマ帝国がキリスト教を公認宗教に定めてからは、教会堂が十字型に造られたり、欧州諸国の国旗や王冠、騎士団の紋章などに広く用いられるようになったようである。
カトリック教会は主イエスの磔像がついた十字架を、プロテスタント教会では像のつかない十字架を掲げている。教会堂から一切の装飾を取り除いたジョン・カルビンの教えを守っている改革派の教会は、十字架を掲げないようである。
CROSS(クロス)もなかなか奥深い。
(Summer)
http://www.saintpatrickscathedral.org/ -
1811年に発表された「グリッド・プラン」。時のメイヤー、デ・ウイット・クリントンとアンドリュー・ジャクソンが携わった。当時ワシントン・スクエアが市の郊外にあり処刑場であったころ、14th St以北を12のアヴェニューと155のストリートを配し格子模様の道路を作ることを発案、ジョン・ランダル・ジュニアが測量を行い実現した。
現在グリッドの数は2028区画。この規則正しい区画のおかげで我々旅行者も迷わず目的地にたどり着ける恩恵に与っている。(Summer Night) -
旧パンナム・ビル現在のMet-Life Buildingはパーク・アベニューを遮る巨大なビルである。
1963年に建てられた超高層ビル(当時は)である。
ガラスと金属で造られた高層ビルは当時は箱型がほとんどで八角形を変形させたような「PANAM BUIL.」は斬新だった。設計はワルター・グロビウス、ピエトロ・ベルスキー、エミリー・ロス&サンズ。
かつては世界の翼と謳われたPANAMも1978年の航空料金の自由化政策の煽りをもろに受け1991年遭えなく倒産。1993年多くのNew Yorkerに惜しまれつつPANAMサインは消えた。
時代の流れではあるが現在も航空業界は大変なようだ。(Winter Day)
http://www.simairline.net/panamerican/ -
「Top of The Rock」からはクライスラー・ビルの華麗な姿がよく見えない。巨大なMet-Life Builのせいだ。クライスラー・ビルは、やはりエンパイアーからが素晴らしい。
Manhattanは南側キャナル・ストリートから北は32nd St辺りまでは高層ビルが少ないのはなぜか?聞くところによると地盤の関係なんだそうである。岩盤の上に乗っかっているManhattanでもこの辺りは沼地が多かったらしいGramercy(でこぼこと入りくんだ沼地)なんて名前が残っているくらいである。
地質学上この辺りは1000年〜10000年くらいは地震が無いといわれている。耐震構造にお金を使わなくても高層ビルが建てられたのもすべてに運のよいNew York?を象徴しているようだ。(summer Night)
http://www.emporis.com/en/wm/ci/?id=101028 -
ハミルトン・パークに行くにはこのバスが便利。
P.A.B.Tの北側(42nd St)バーガー・キングの前辺りから出ている。料金前払い$2のフラットレート?
15分ほどでNew Jerseyに運んでくれる。
なぜか名前は「FUJI BUS」である。(Summer)
http://www.panynj.gov/CommutingTravel/bus/html/index.html -
ここはNew Jersey。Manhattanの西側の対岸だ。
Times Squareからそのまま西に歩きHadoson Riv.に出たところと向かい合う。
ここからの眺めはManhattanの凄さと美しさを目の当たりに出来る場所である。永井荷風ではないが、Manhattanにむかって「平伏したい!!」気持ちにさせられる。
(Winter Day)
http://www.worldfromtheweb.com/Parks/Hamilton/Hamilton.html -
ここハミルトン・パークの名は、合衆国初代財務長官を務めたアレキサンダー・ハミルトン($10に描かれている人)に由来する。
独立戦争当時ワシントン指令官に付き補佐官などを務めその頭角を現した。New Yorkからの首都移設の時、金融の中心をNew Yorkに残すことを力説、実現させた。多方面で先見の明を発揮したようである。
彼には政治的ライバルがいた。その人の名はアーロン・バー。この二人は政治的にも性格的にも対立し、バーはハミルトンの反対運動でNew Yorkでの政治生命を絶たれてしまった。恨みに思ったバーは決闘で決着をつけることにする。1804年7月11日ここニュージャージーのウィーホーケンでその決闘は行われた、相手を殺そうと思うバー、傷つけまいとするハミルトン、結果ハミルトンは銃弾に倒れ翌日グリニッジ・ビレッジの友人宅で息を引き取った。その決闘の場がここだと伝えられている。
ハミルトンはトリニティー教会に眠っているが、彼が心から愛したManhattanは、発展と輝きを放って彼の銅像の後方に広がる。(Summer) -
「マジック・モーメント」と呼ばれるたった数分の光のショーがある。
スカイ・スクレイパーがゴールドに輝く瞬間、日没前の金色に染められる時間である。
一秒ごとの移り変わりを見ていると、ああ生きていてよかったと実感し明日の活力が湧く。
是非刻々と変わる素晴らしい景色をお見逃しなく。
(Summer Day) -
New Yorkを舞台にした映画によく登場する「New Yorker Hotle」。少々郷愁を感じるネオンサインが大好きでした。今は目立つようにか赤色に変わってしまって…。早く訓れなくては…、やはり違和感だな。
スリーパーズの少年たちが飛び込んだ埠頭はどこだろう?(Winter Day)
http://www.newyorkerhotel.com/
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD30223/index.html -
Hadson Riverを眺めていると途轍もなく大きな旅客船を目にする事がある。Manhattanのビルを覆い隠すほどの高さもにも驚く。East Riverに比べると川底が深く大型船の航行も可能なんだそうである。
歴史的にみると船の大型化にともなってイースト・リバーからハドソン・リバーへ、さらにニュー・ジャージー側へと埠頭の賑やかさが移っているようである。
いつかは欧州の旅を終え豪華客船でNew York入りを夢見ている。「タラップを降りればそこはManhattan」なんて想像しただけで…。でもどの位お金が必要かな?(Winter Day)
http://www.cunardline.com/default.asp
http://www.cunard.co.uk/qv_experience/default.asp -
Hadoson RiverはManhattanの西を流れる河?である。
1609年9月イギリスの探検家ヘンリー・ハドソンは大西洋から太平洋への北西航路を探す航海の途中、ハーフムーン号をこの地に10日間停泊している。その後この河を溯って行き「この河は海につながっている。」と今思えばへんてこなことを言っている。どこまでも続く広い河幅のせいか、迷ったか、いずれにせよハドソンさんは途中で引き返しているようだ。
その時ハドソンさんはこの地を評して「人が踏み入れることを望める最も美しい土地である。」とレポートしている。
古くはロバート・フルトンの蒸気船が行き交ったであろう。
この河の約240km上流には、New York州の州都、オルバニーがある。驚くことに1825年に完成したエリー運河(オルバニー〜バッファロー間、約580km)により、New Yorkから、オルバニーを経て、エリー湖のバッファローまでのおよそ820kmを船で行くことができた。この中西部との交易によってNew Yorkは更なる発展を遂げたのである。
(Winter Night) -
日没してから漆黒の夜空になる前の数分間、写真全体にブルーが強調されてしまう時がある。詳しい人に聞くと「露出の関係でなるんだよ、意図的にそんな風に見せる技法もあるんだ。」と教えてくれた。
New Yorkの風景にはよく似合うような気がしてとっても気に入っている。
それぞれのビルの明かりが段々と輝き増す時間でもある。一時に比べると省エネ意識もほんの少し上がったようで、消灯して帰るビルも多くなったそうである。特に土曜、日曜のOFFの日はビルの輝きが少ないようだ。環境を考えれば仕方ない事だが、観光客にはチョッと残念なお話である。(Summer Evening?)
http://www.worldfromtheweb.com/Parks/Hamilton/Hamilton.html -
ミッドタウンの西側(30th Stから59th St)は1900年の初頭はヘルズ・キッチンとして知られている。食糧倉庫が多くテネメント(安アパート)が密集する労働者階級のエリアであった。アイルランドの移民が多く住みギャングの暗躍するスラム街で警官すら思うように動けない地区であった。1913年ペン・ステーションの建設をし再開発の名目にギャングの一掃が行われ、一時的にはギャングはなりを潜めた。しかしイタリアン・マフィアの下働きをするアイルランド・ギャングが台頭、「ウエスティーズ」と呼ばれその手口の残虐性と証拠を残さない殺人方法は人々を震え上がらせた。
このアイリッシュ居住区に1940年から1950年にかけてプエルト・リコ(合衆国の植民地で1917年に市民権を与えている)からの流入移住が大変多くなり、何か事があるとそれぞれのギャング同士が血なまぐさい争いを起こした。
ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」はこの抗争をモデルに書かれている。もちろん映画にもなっている映画のオープニングに使われているManhattan の空撮には感激する。
現在この地区はリーズナブルな各国料理が楽しめ、ニューヨーカーや旅行者の胃袋を満たしている。
(Winter Night)
http://hellskitchen.net/eating/toeat.html -
日が暮れてゆっくりと黒が濃くなってゆくとManhattanがまた輝きだす。
ウエスト・サイド・エキスプレス・ハイウエイにも光の帯が走る。West Endは数年前のガイドブックには「近づくな危険!!」の表示。思えば随分と旅行者にも優しくなったものだ。
写真の中で光が水面に映っている辺り、この右(南)側は45th St、左(北)側は46th St、この間のピア86にはイントレピッド博物館がある。1941年4月から太平洋戦争、その後ベトナム戦争作戦に従事更にはマーキュリー、ジェミニ両計画のカプセル回収船としても活躍、1970年に退役、1992年2月より博物館としてここに係留されている。固定されていないので以外に揺れる。
飛行機好きな子供にはたまらない時間が過ごせる。
http://www.intrepidmuseum.org/intrepidmuseum/index.php?MERCURYSID=78b8661d435098887bb31458dd929608
イントレピッドの近くには、皆さんが大好きなH&Hベーグルの直売店がある。個人的見解だが、アッパー・ウエストのお店より美味しいと思う。(Summer Night)
http://www.handhbagel.com/Home_page.htm -
D.U.M.B.O デストリクトからのManhattan Bridge。
1909年12月31日開通
デザイン: グスタフ・リンゼンタール/ジョン・M・カレール&トーマス・へイスティング
施工:レオン・モイセフ
全長:2089m
たわみ理論を用いたスっきりとした姿を見せる。
6車線の道路と下層部の地下鉄(B D N Q)4路線を有し1日7万8千台の車と、35万人の往来を支えている。
橋脚の間から見えるエンパイアーは私のお気に入りのヴューである。私はこれをみた時、この国の気質を考えると「意図的に造られたモノである。」と疑わなかったが、歴史的にみて橋の建設が先なので偶然だったのである。なんという事、驚きである。
映画のロケでもよく使われるエリアで、中でも
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
http://movie.goo.ne.jp/dvd/detail/D111904958.html
セント・オブ・ウーマン/夢の香り
http://www.coda21.net/eiga3mai/text_review/SCENT_OF_A_WOMAN.htm
が印象的でした。本当に絵になる景色である。(Summer) -
Manhattan Bridgeのデザイナー、カレール&ヘイスティングのコンビは、New York Public Library の設計をも担当し、ヘイスティングは有名なヘンリー・クレイ・フリック邸、後のフリック・コレクションの設計もしている。
この場所には地下鉄A.C線のHigh St駅からが行きやすい。橋の下層部を走る地下鉄の車輪からは時折大きな火花が飛び散り、映画の1シーンを見ているかのような感覚にさせられる。
また地下鉄からは「Brooklyn Bridge」の絶景が見られるので地下鉄B,D,N,Q線に乗った時にはカメラやビデオに収めよう。
(Winter Night)
http://www.nycroads.com/crossings/manhattan/ -
スティール・ハープとも呼ばれるBrooklyn Bridge。
その美しさと優雅な姿はNew Yorkのスカイラインを形作っている。1883年に完成のこの橋はManhattanとBrooklynを結びつけただけでなく、あらゆる夢の実現と、新大陸に来た移民たちの強く物怖じしない不屈の精神力をも感じる事ができる。建築史上はもちろん経済、文化にも多大な影響を与えた1800年代の創造物であった。
橋塔の高さは水面より82.8m。水面下を入れると当時としてはNew Yorkで一番高い建造物であったと推定される。 記録上の高い建物はトリニティ・チャーチの84.3m。
メイン・ケーブルの直径45cm、そこから無数のハンガー・ケーブルを出し、ネオ・ゴシック様式の橋塔からのステーケーブルで橋を吊っている。このケーブルが作り出す規則的なラインがとても美しく、これがこの橋の別称の由来となっている。
建設期間 1869年〜1883年
設計 ジョン・オーギュスタフ・ローブリング(ドイツ系)
建築 ジョン・A・ローブリング
ワシントン・ローブリング
エミリー・ワーレン・ローブリング
形式 吊り橋 全長 1804m
高さ82.8m(水面より) 橋塔間 523m 水面から橋梁まで41m
開通式 1883年5月24日 PM2:00
開通の式典にはチェスター・アーサー大統領(21代)、New York州知事グローバー・クリーブランド(のちに22代大統領)も臨席、花火が打ち上げられ祝砲が轟きわたったそうで、10万人とも15万ともいわれる人々が押し寄せたと伝えられている。開通当初のころは専用のケーブル・カーも走り、一般の通行料は1?であった。
現在この橋を通過する車の数は13万台/dayでBrooklynとManhattanを結ぶ交通の要所は変わっていない。車両道路の上にはボード・ウォークがありManhattan側からだと、歩行者は右側、自転車は左側とエリアが決まっている。ちなみに自転車の通過台数は、1000台/day位らしい。(Summer Day)
http://www.endex.com/gf/buildings/bbridge/bbridge.html -
Brooklyn Bridgeの眺めはあらゆる角度から楽しめるが私はここからの眺めが一番気に入っている。
ここには地下鉄A,C線のHigh Street駅が便利。近くにはRiver Cafeより気軽に入れるレストランもある。
http://www.bubbys.com/gallery_Brooklyn.asp
1814年には蒸気船フェリーが就航、橋ができるまではBrooklynとManhattanを移動する人で賑わったと聞く。ここも多くの船が犇めきあっていたのだろう。
Brooklyn Bridgeには多くのエピソードと伝説が残っているが、「明日に架ける橋を架けた女性」の逸話が好きだ。前出のローブリング一族の中のエミリーである。彼女はワシントン・ローブリングの妻であった、義父ジョン)はワイヤーロープに跳ねられる事故の後療治が悪く63歳で他界。夫ワシントンは橋脚建設用のケーソン内での作業中潜函病に罹り下半身麻痺と難聴となってしまった。ワシントンは、ブルックリン・ハイツの自宅から双眼鏡で橋を見ながら指揮を執りたいと希望、夫の希望をを叶えるべくエミリー自らも、建築学を学び自ら陣頭指揮を取り続けた。彼女は人望も厚く協力者も多かったようだ。市の関係者にも的確な説明と自信に満ちた言葉で対応、誰もが彼女がチーフ・エンジニアだと思ったそうである。
熱意と愛、努力と才能をもち更に自らの意思によって義父、夫の抱いた夢の実現をエミリーが成し遂げたのである。
彼女は、New Yorkの建築史上唯一名前を残した女性となっている。なおこのくだりはポール・オースターの「幽霊たち」にもブルーがこの橋を渡る時、父との思い出の一節として書かれている。
(Winter Night) -
「世界の十字路」とも呼ばれるTimes Squareはショー・ビジネスと娯楽産業の中心地であり、ある人は「ManhattanでいやNwe Yorkで最もエネルギーに満ち溢れパワーを感じる場所よ!!」と自信を持って言う。
年間2700万人の観光客が往来し、60以上の巨大看板全長64kmにも及ぶネオン・サインの人と光りのパワーかも知れない。Times Squareで「元気」をもらってくる旅行者も多いはず。
Times Squareは、42th Stから47th StのBroadwayと7th Aveで造られる三角地帯なのだがなぜか「Square」なのだ。かつて「ロング・エーカー・スクエア」と呼ばれ、グランド・セントラル・ターミナルまでの地下鉄開通にともないターミナルが整備され、現在のTimes Squareにも開発が進み44th Stにあったアストリア・ホテルなどを中心に劇場、レストラン映画館などで賑わった。
楽しみ方は変わっても賑わいの風景は変わっていないような気がする。(Winter Day)
http://www.timessquarenyc.org/ -
このビルが「Times Square」の名前の由来となっているNew York Timesの本社屋があった場所である。
開発真っ最中の1904年、この地タイムス・スクエア一番地に25階の新本社を建設。移転のお祝いに例に倣って花火を打ち上げた。この花火が毎年大晦日に盛大に行われるカウント・ダウンの始まりだと伝えられている。
現在はビルの屋上から降りてくる輝くウォーターフォード・クリスタル・ボールを歓声をあげ見物し、カウントダウンを楽しみに来る人が100万人以上といわれる。ちなみにManhattanの登録上人口はおよそ185万人なので驚く。
このビルの名は「ワン・タイムズ・スクエア」。20世紀の食のスタイルを世界的に変えたといわれる日清カップヌードル。その巨大広告が誇らしげに湯気を上げていたのはもう過去の事。(2006年5月に契約打ち切り) 現在日本企業の広告はTDKとPanasonicだけになってしまった。1スペース月20〜35万ドルと言われているタイムズ・スクエアのあのポジション、投資対効果は如何程のものか?
話は「New York Times」に戻るが現在は43rd St bet7th Ave 8th aveに1920年に移転している。最近の情報ではPABTの西40th St 8th Aveに新社屋を建設中、完成後は現在のTimes Squareが名称変更するかもと噂があるが、どうなる事やらしばらく見守りたい。(Winter Night)
http://newyears.earthcam.com/ -
Times Squareは氾濫する光と色、メッセージボード(ジッパーズ)巨大なテレビ・スクリーン、発光ダイオードとストロボ、これらが作り出す明るさはこの辺りの夜を奪っている。
T.G.I. Friday'sレストランとマクドナルドの間の土産物屋の軒にEarthCam Network のカメラが付いている。このカメラは24時間この場所を映していて、記録もされているようだ。
New York訪問の折にはこのカメラの前でしばらく映っておき、帰国後チェックしてみるのも楽しみ。電話をしながら暫らく映ってゆく人もいる。きっと友人や家の人に元気な姿を見せているのであろう。さあ!あなたもいかがであろうかよい記念になるはずである。
http://www.earthcam.com/usa/newyork/timessquare/
現在ダフィー・スクエアのTKTSは現在改築中?であるが、その南に立っていたブロードウェイの父と呼ばれたジョージ・M・コーハンの銅像。現在は箱入りコーハン?になってしまっているが、再度元気な姿を見せてくれるであろうか?鳩の糞にまみれない、いつまでも綺麗な銅像であって欲しいのだが…。(Winter Night)
http://www.palmbeachpost.com/travel/content/travel/epaper/2006/08/20/a1h_new_times_square_0820.html -
かつてのTimes Squareの風景で、Macy'sのThanksgiving Day Paradeの様子である。
1930年頃ではと推測されるが、はっきりした年数は不明。(Macy'sの8Fに展示してある。)
この当時以前から、コカ・コーラのボードが見え、7th Aveにはパーク・セントラル・ホテルが見えているのには驚く。
http://www.timessquarenyc.org/then_now/then_now_timeline.html
http://www.macys.com/campaign/parade/parade.jsp -
42nd St 5th Aveからみた「Chryslar Building」。
スカイ・スクレーパーのスカイライン競争の真っ只中の1930年代に建てられたウィリアム・バン・アレン設計のアール・デコ調の傑作ビルである。建設時のエピソードは有名だ。
http://www.actv.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/10_theme/10_02kousou/10_02kousou02.htm
少々姑息な気もするが当時の状況は何が何でも一番だったのだろう。このくだりは映画「TWO WEEKS NOTICE」http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=2771のなかにも登場する。
ライバル・ビルのウォール街40番地ビル(現在はトランプ・ビルディング)http://www.wirednewyork.com/skyscrapers/40wall/
はクレイグ・セバランスと日本生まれの建築家ヤスオ・マツイの設計である。どうもMATUIの名はNew Yorkで成功するようだ。クレイグとウィリアムはかつてはパートナーであったのも興味深い。
New Yorkのビルの中でも特別な品のよさを持っている。(Summer)
http://www.greatbuildings.com/buildings/Chrysler_Building.html -
1930年5月27日オープン。77階のフロアーを持ち282mの高さを誇る。Chrysler Buildingには展望台も無く、1階フロアーしか入れない。近くに行ったらArt Decoデザインの玄関、豪華なエレベーター(2種のマホガニーとウォールナット材を使っている)、97ftx100ftの天井画だけは見学してみるのも良いだろう。
ここのディベロッパーはビルの一部ホテル化を計画しているらしいが実現するか、夢物語に終わるか興味深い。また泊まってみたいホテルが増えてしまいそうだが…。
Chrysler Buildingはひかりが多い時間、季節ほど綺麗に見える。(Winter)
http://images.google.co.jp/images?q=chrysler+building&num=20&hl=ja&lr=&rls=GGLG,GGLG:2006-03,GGLG:ja&sa=X&oi=images&ct=title -
New York Public Library at 42nd St.
Times Squareの喧騒を後ろに感じるこの辺りは、Bryant Parkのせいかもしれない。1811年に発案されたグリッド・プランによってManhattanは近代都市計画をスタートするわけであるが、当時はこの地もご多聞にもれず無縁墓地として使われており、1847年にはCroton Reservoir(クロトン貯水池。貯水槽は現在の図書館の辺りに。)としてNew Yorkの大切な水瓶として開発され、西側はReservoir Squareとして現在と同じように公園となった。この貯水池のおかげでManhattanの伝染病は激減したと言われる。
1853年、新大陸初でありロンドンに次いで2回目の万国博覧会が開催され、この公園がメイン会場となり、ニューヨーク・クリスタル・パレスが建てられた。
この建物は不燃建築を謳っていたが、1858年にあっけなく焼失してしまった。南北戦争当時は軍の練兵場として使用され その後、1884年、セントラル・パークの提案者の一人、ウィリアム・カレン・ブライアントにちなんでブライアント公園貯水池広場に改名。
1899年は、貯水池関連の建物は削除され、ニューヨーク公立図書館の建設が始まった。 テラス、公共施設、およびキオスクを追加して素晴らしい公園となりました。
1931年の世界大恐慌のあとNew York再開発の実行者ロバート・モーゼスにより芝生やフェンスを整備され、きれいになったようだ。しかし、1930年後半にはAmerica's Ave.の高架鉄道の取り壊しや地下鉄の工事で再び汚く薄暗いイメージの公園となってしまったようである。
その後、1970年代のBryant Parkは 、麻薬の売人であふれ, 売春婦と ホームレスがたむろして、ヘロインの密売が横行し"Needle Park"(針の公園)と揶揄された。
1979年から1983年まで、「The Bryant Park Restoration Corporation」は、bookmarket、花市場、カフェ、景観改善、およびエンターテインメント活動を含むアメニティーなどを取り入れ、公園の新しい方向を示した。1992年「new Bryant Park」としてスタートしNew Yorkerや旅行者のオアシスとなっている。
歴史を振り返ってみるとやはり「繰り返される。」はセオリーなのだろうか。Washington Square Park 然り、数年前の「Tompkins Square Park」もまたそうであったのだろう。(Winter Day)
http://www.bryantpark.org/
http://www.washingtonsquarepark.org/
http://en.wikipedia.org/wiki/Tompkins_Square_Park -
New York Public Libraryhttp://www.nypl.org/
壮大なるボザール様式の建物は、学問の象徴として40th〜42nd St.at 5th Ave.にあり、New Yorkで最も楽しめる無料観光名所の1つとなっている。
19世紀のNew Yorkには、アスター図書館とレノックス図書館という2つの図書館があった。1886年、ニューヨーク州知事のサミュエル・ティルデンがこの2つの図書館を統合し、庶民のための図書館をつくるように提案をした 。
本館は 大理石をふんだんに使った壮麗な建造物であり多くのスポンサーの財力が建設時に携わっているのがよくわかる。開館は1911年5月23日。以後アンドリュー・カーネギーらによる寄付によりニューヨーク各所にブランチ・ライブラリーを増やしてきた。1980年に大幅な拡張が行われ、現在では本館の建物はもっぱら人文系の研究図書館になっている。
総蔵書は、書籍、地図、記録写真、テープ、印刷物などを含め43,600,000冊にもなる。その他コレクション数は約1563万点にもなる。
正面玄関の前にある大理石で出来た 2つのライオン像は、母体となった2つの図書館の名をとってそれぞれ "Astor" "Lenox" という名前がついているが、後にどちらも雄であるのだが「アスター卿」と「レノックス夫人」に変えられた。その後1930年代の恐慌時代には、南側の階段を守っているライオンがPatience(忍耐)、北側を守っているのがFortitude(不屈)という名に変えられたらしい。同時にはぴったりの命名だったのであろう。
作者は、エドワード・クラーク・ポッター、ホリデー・シーズンには彼と彼女?らの首は、リースで飾られる。
建物の設計は、お馴染みの「John Merven Carrère&Thomas Hastings」の設計による。建設は1897年〜1911年に及び、ボザール様式を用い、中央の3連アーチ、エントランスを包む大きな門構えが、街路に対し開放感のある、のびやかなスケールを与えている。
開館当時。New York最高のこの図書館は、広々とした3層にわたる閲覧室には500人を収容する事ができた。館内にふんだんに使われた金箔、シャンデリア、彫刻の施された玄関、天井画etc.各所に目を見張るものがある。
雨の日や、故郷や友人への手紙を書く時、Reading Room(閲覧室)でカレール&ヘイスティングスの設計したランプに見とれるのも良い。アメリカ独立宣言の「清書」やある映画で燃されそうになった、グーテンベルグ聖書も展示されている。
思いがけない面白い発見のある無料ツアーは、火→金の11:00〜14:00にAster Hallの案内デスクから出発している。ぜひご参加を…。
その他細かな情報はこちらで↓↓
http://blog.hankyu-travel.com/kaigai/00300/00301/2007/001516.php
「Breakfast at Tiffany's」のGeorge Peppardのように颯爽と館内に入って行きたいものだが、蔵書へのサインはいけないか。
(Winter Day) -
New York Public Library at 42nd Street
42nd St.には、 クライスラービルをはじめとしてNew Yorkで有名は重要なビルが多くある東のチューダー・シティあたりのフォード財団ビル、ニューズ・ビル、チャーニン・ビル、 グランド・セントラル・ターミナル, ニューヨーク市立図書館、タイムズ・スクエア、ポート・オーソリティー・バス・ターミナル、およびイースト・リバーの手前にはUnited Nations(国連本部)、ハドソン・リバーには、Circle Line の乗り場があり、見所の多いストリートとなっている。
42nd St.はTudor City(2nd Ave.)辺りから見た西側の眺めが好きだ。Chrysler Buidingの力強さと手前に見えるノスタルジックなアパート群、Hudson Riverまで見通せるビルの谷間。どれもここNew Yorkの景色だ。
半年に一度の天文現象「Manhattanhenge」(ストーンヘンジで夏至の頃に、太陽が至点の石と一直線に並ぶ方向より太陽が昇る現象になぞらえての用語)
Manhattanhengeが起こるのは、通常5月28日〜7月12日または7月13日の頃と、冬は12月5日〜1月8日に起こるようである。この現象の起こる日は、年によって変わるようだ。太陽が東西のグリッドと完全に一直線になり、Manhattanの42th St.の西側から太陽が沈むらしい。刻々と変化するこんな景色を非見てみたい。
この辺りで撮影された映画は、 ゴッドファーザーPart III、 Peacemaker、 スパイダーマン、 スパイダーマン2、 Splash、 Taxi Driver、および Bourne Ultimatumなどがある。
余談であるが、42nd St.を東に歩いて行き,チューダー・シティ・プレイスを左に折れ43rd St.から1st Ave.に面する辺りは少し高台のようになっている。眼前の国連ビルに感動すると同時に、足は階段をくだっていた。
http://www.un.org/
(Summer Night) -
United Nations Headquarters
1900年初頭のNew Yorkはアメリカの一つの都市として発展してきた。1945年以後は、世界中の移民が作り上げた輝けるコスモポリスとなった。このような背景をもって国際連合の本部がNew Yorkにおかれることが決定しても多くの人は、当然の流れと認めたようだ。
East Riverの流れを望む1st Ave.42nd St.〜48th St.を占める広大な敷地に、38階(165m)建ての事務局ビル、低層の総会ビルなど4つの建物で構成されている。敷地内はどこの国にも属さない「International
Territory」になっていて、大使館と同じく治外法権が確立する国際領土。1st. Ave.に面した正面には加盟国の国旗を掲揚するポールがずらりと並ぶ。
2006年9月現在192ヶ国が加盟している。
1st Ave.46th St.の東側辺りが訪問者用の入り口、ここから厳重な警備がはじまる。入館してしまえばのんびりムードでこの感じの違いはと少しばかり思ってしまう。
このあたりは20世紀の初め頃まではスラム街であった。かつては亀が沢山いたのかタートル・ベイと呼ばれる沼地。不動産業のWilliam Zeckendorfの持つ17エーカーの土地をJohn D. Rockefeller, Jrが買い上げ寄贈したことになっているが実はもう少し複雑な経緯があったらしい。ともあれ、1949年〜1950年に国連は、施設のデザインの競争を本部に発表し、一流の建築家の多国籍のチームで共同設計すると決められた。 アメリカ人の建築家のWallace Kirkman Harrison(ウォレス・K・ハリソン)は計画のディレクターに任命され、50ものデザインの中、ニーマイヤー/ルコルビュジェのデザインが採用されるも、コルビジェは意見の相違もあり離脱、ウォレス・K・ハリソンのリーダー・シップの元、1952年New Yorkで初の近代的高層建築が完成。建築スタイルは、Modern。熱吸収ガラスを使い金属との融合した姿は現在でも旧さを感じさせない。
建設されて60年、当時の最先端技術を駆使したビルも、老朽化が進み2008年5月遂に手直し改装工事に入ったようだ。改装にかかる予算は2千億円だそうである。期間は5年間、見学には支障は無いのだろうか?
映画では,Nicole KidmanとSean Pennの The Interpreter(http://www.theinterpretermovie.com/)
国連内部での撮影が始めて許可された。映画の内容は少々重いが、国連の映像は素晴らしい。特にラスト・シーンのクイーンズの「Gantry Plaza State Park」(http://www.queenswest.com/gantrypark)からの国連は素敵だ。そのほか国連の庭園から見える、East Riverに架かる橋(Queensborough Bridge and Williamsburgh Bridge)は是非見ていただきたい。
http://www.greatbuildings.com/buildings/United_Nations_Headquarter.html -
手前が Grand Central Terminal、
次のビルが Grand Hyatt New York
そして Chrysler Building
New Yorkで最もドラマチックなパブリック・スペースとなっている、グランド・セントラル・ターミナル。
ドラマの影響か、「グラ・セン」のほうが馴染みがある方も多いはず。New Yorkerは「ターミナル」と呼ぶ。
Park Ave. を遮る巨大な建物が造られたのは1871年。パーク・アヴェニューの上に造られた「New Yorkの玄関口」は、かの鉄道王コーネリアス・バンタービルトによって建てられた。当時の線路はすべて地上を走り、終着駅となる「グランド・セントラル・ディーポー」に集結、40以上のトラックを以ってしても増え続ける路線数には対応出来なくなってくる。
そこで改築計画がおこり、現在の駅舎は1913年に改装・修復したものである。設計はWarren and Wetmore【Whitney Warren (1864–1943) and Charles Wetmore (1866–1941)】建物は古典主義風のボザール様式(アメリカン・ボザール)巨大な三連アーチを持つ壮麗な建築物である。床は大理石。
駅近辺の鉄道はすべて地下を通っているため、プラットホームもすべて地下にある。
ターミナルの南側、Park Ave.and 42nd St.よりルーフ・トップを見ると、ギリシャ神話の神々がいらっしゃる。中央にマーキュリー、左側にはヘラクレス、右側にはミネルバを見ることができる。この高さは48 feet (15 m) というからまた驚く。重さは推定で1,500t、作者はフランスの彫刻家Jules-Alexis Coutan。この下には直径4mもある大時計がある。この時計は、かのティファニー社のステンドグラスを使いティファニーの時計としては世界最大の時計と言われている。
この建物ももう100年を経過しようとしている。数年前大掛かりな外部のクリーン・アップが行われ、なんとなく白っぽく感じるのは私だけであろうか。以前は煤けているように見えてそれも歴史だと感じていたのだ。
http://www.nyc-architecture.com/MID/MID031.htm
http://grandcentralterminal.com/index.cfm
http://grandnewyork.hyatt.com/hyatt/hotels/index.jsp -
Grand Central Terminal
中央の巨大なホールの天井は「ゾディアック」星座の天文図、黄道12星座が輝いている。作者はフランスのPaul César Helleu。高さ125フィートのプラネタリウムを想像させる星座が描かれている。また星座を描くとき、鏡に映しながら描いたため裏返しの星座が描かれているといわれている。一度鏡を持って見に行きたいのだが、毎回忘れる。
レストランやフードコート、ショップなども併設されており、ミッドタウンのショッピング・モールともなっているが、個人的にはあまり魅力はない。
この壮大なエントランス・ホールはとっても素敵だ。外観より内側の空間演出がこの「ターミナル」の魅力である。
地下鉄とメトロ・ノースを合わせた乗降客数は約700,000人/day。44のプラット・ホームを持ち、660本の列車が発着する。複数階に及ぶ路線は上層66線、下層57線に分岐し、地上の広さの数倍に及ぶらしい。
中央部の四面ある時計台はインフォメーション・センター。この地下には、オイスター・バーやレストラン、フード・コートがあり食べ物には困らない。
眺めの良いバルコニー・レベルにはステーキ・ハウスやレストランがある。
コンコース中央北側にはエスカレーターがありそこを上がり更に進むと、メット・ライフ・ビルに直結している。
幻のテニス・クラブがあったり、かのルーズベルト大統領が降り、地下の特別通路を使ってウォルドルフ・アストリア・ホテルまで行ったとか、柱に話しかけると反対側の柱から声が聞こえたり(http://nyliberty.exblog.jp/8088674/)と、まだまだ知らない「グラ・セン」を知る為には、無料ツアーが良いだろう。
http://grandcentralterminal.com/info/historictour.cfm
http://grandcentralpartnership.com/what_we_do/promote_free_tour.asp -
----Queensから見るManhattan----
JFK-airportからManhattanに向かう途中のBrooklyn Queens Expresswayから見られるこの「The City」(Manhattan)は、New Yorkのひとつの風景だけれど、いろんな思いがあり感じ方がある。何が起こっても不思議ではない街、起こった事に対し前向きに立ち向かい突き進む精神。
「Open Mind」「Anything goes」「Free&Eazy」を感じられる寛容で懐の深いNew Yorkだが一つ「At Your Own Risk」だけは忘れてはならない。
幾千万の人の夢と過去のうえに出来たCity。先人たちの努力で我々もこのNew Yorkを楽しめる。
改めて全てのものに感謝したい。(Winter)
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この旅行記へのコメント (30)
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- procidaさん 2010/01/23 09:13:58
- はじめまして。
- Yunioshiさんへ
たくさんのきれいな写真にびっくりしました。
特に夜景が素敵ですね!
私も以前一度だけNYに行ったことがあります。
活気に満ちた街でした。
何度でも行きたくなってしまいます。
コメントも読み応えがあり勉強になります。
またおじゃまします!
プロチダ
- Yunioshiさん からの返信 2010/01/23 23:45:18
- RE: New Yorkの魅力と魔力
- こんばんは、procidaさん。
ご訪問ありがとうございます。加えて旅行記へのご投票も頂いた様で感謝しております。
海外旅行は、New Yorkを訪れた時から、次に予定していた欧州の上陸を許してくれません。アメリカの大都市ぐらいに考えていたYunioshiさんは、行けば行くほどその魅力の奥深さに感動して、この大都市の魔力に惹きつけられています。New Yorkの空気、雰囲気が心地よく自然に溶け込めたのが理由かもしれません。
procidaさんのように、ヨーロッパにも足をのばして海外旅行の王道を歩んで行きたいのですがもう少しNew Yorkを探検してみます。
procidaさんの旅行記にも訪問させていただきます。
こちらこそ宜しくお願いいたします。
Yunioshi
-
- keyokoさん 2010/01/20 22:41:34
- 憧れのNYを疑似体験出来た気分です!
- Yunioshiさま
こんばんは。
以前もお伺いさせて頂きましたkeyokoです。
NYは死ぬまでに一度は行ってみたい憧れの大都市なのですが、Yunioshiさんの旅行記を拝見し、憧れのNYを実際に垣間見たような気分になりました。ありがとうございます。
Yunioshiさんの旅行記は写真だけでなく、コメントもすごく興味深く、何度も読み返しに戻ってしまうので、これからもお伺いすることかと思いますが、宜しくお願いします。
特に本編の表紙のコメントが、まさに私の中での漠然とした魅力あるNYのイメージを凝縮して表現されていて本当に好きです。
keyoko
- Yunioshiさん からの返信 2010/01/21 05:17:34
- RE: New Yorkは魅力と魔力のある街です。
- 番度のご訪問感謝しております。 Yunioshiです。
New Yorkは訪れる度に、知れば知るほどその魅力を大きくする不思議な街です。
あるNew Yorkのガイドブックに「New Yorkの魅力」と書かれたページがあり私もまったく同じ思いなので紹介させていただきます。
【ニューヨーカーはラッキーだ。だがニューヨーク・シティを旅することができるあなたは、もっとラッキーだ。ここは探検する人のための都市。5つのボロー(区)はまるで大陸のようであり、ボロー内の各エリアはそれぞれが小国のようである。街をゆく人は実に多様だ。〈中略〉歩き回るほどに、たくさんの発見があり、もっとたくさんのものを見たくなり、この都市が秘める可能性の大きさにますます心奪われていくことだろう。】
―lonely planetより―
New York(Manhattan)は歩ける(歩いて観光ができる)街です。
次々と出会う人々と街角、その1つ1つがテーマ・パークを思わせる。
New Yorkerであろうとビジネスマンであろうと無論旅行者であろうと街角は、どんな人でも平等に接してくれます、そんなこの街の素晴らしさが少しでも旅行記で感じていただけたら、魅力を共有できたらと思い書いています。一言で言うと、New Yorkが大好きなのです。
旅行記をご訪問いただき、加えて有り余るご賛辞まで頂戴いたしまして恐縮至極です。
keyokoさんも早い時期にぜひNew Yorkを訪れてみてください。素敵で魅力に溢れた街があなたを待っています。
keyokoさんの旅行記にも訪問させていただきます。
こちらこそ宜しくお願いいたします。
Yunioshi
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- 水飛鳥さん 2008/10/29 22:03:14
- はじめまして。
- Yunioshi様、こんばんは、初めまして。また私の旅行記にご訪問頂き有難うございます。この写真を拝見して『キュン!』としました。私の大好きな
アル・パチーノのセント・オブ・ウーマンの事を書かれているではないですか!! 盲目にもかかわらずフェラーリを運転し警察に止められ、見事に警官を煙に巻いたあのシーンですね。なんだかまたこの映画を見たくなってしまいました。Yunioshi様は、毎年NYに行かれているとの事ですが、確かに何度行ってもいつ行ってもエキサイティングな街ですね。私は仕事では年に5〜6回行きますが、プライベートではほとんど無いので機会を見て、ゆっくりとYunioshi様の旅行記を参考にさせていただいていきたいと思います。
これからも宜しくお願いいたします。
水飛鳥
- Yunioshiさん からの返信 2008/10/30 03:15:10
- RE: ご訪問ありがとうございます。
- おはようございます、水飛鳥さん。
New Yorkの魔力から抜け出せないYunioshiです。
お仕事とはいえ年間5〜6回のNew York滞在はいいですね。いいや、お仕事では自由もきかずかえってストレスになってしまいますか?
セント・オブ・ウーマン 夢の香り(1992)のフェラーリの爆走シーン、通過する路地から見える、イースト・リバーや倉庫街。行ってみるとまた一層とそのノスタルジックな景色が心地よい地区だとつくづく思います。
そのチャプターのラスト、イースト・リバー寄りのかつての貨物列車の引込み線からブルックリン・ブリッジを望んだシーン。ロワー・マンハッタンに聳える2つのシルバー・ビルディングが見えていました。「あぁこの景色。」
なんともいえない感じがします。なにかまだ今でも見えるような気がして…。
なにはともあれ、とっても気に入っているエリアの一つなんですよ。
>何度行ってもいつ行ってもエキサイティングな街ですね。
本当にそのとおりの街だと思います。古いものと新しいものが融合してなんともいえない雰囲気と新鮮さを感じさせてくれます。
>仕事では年に5〜6回行きますが、プライベートではほとんど無いので、
是非お仕事の後に休暇を取ってNew Yorkを感じていただきたいと思います。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。
旅行記にも伺わせていただきます。
Yunioshi
-
- 真@tokyoさん 2007/08/11 22:33:57
- NY Night & Day
- Yunioshiさん
こんにちは
この旅行記のとおり移動しましたが、こんなすばらしい写真は撮れませんでした。説明といい写真といいすばらしいですね。
ハミルトン・パークでのマジック・モーメントはうっかり失念してしまい遅れて到着しました。まあ、次回への宿題が残ったということです。
ところで、NYのトリビアで回答を寄せられた飛び出すホームの件、確かにおっしゃるとおり厚手の櫛状のものです。18st 6th Avenueの家庭用品店{Bath Bed & Beyond}に行ったときの写真ですので駅も14stで間違いないでしょう。ただし2000年当時のことです。今も変わっては居ないでしょう。
あのようにすぐに反応していただくと本当にうれしいです。
ありがとうございました。
返事を書く場所が見当たらなかったので、遅れましたがこちらに書かせていただきました。
どうも
-
- blackieeさん 2007/05/15 15:49:15
- ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
- ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカの場所ですね!と思ったら書いてありましたね!!(笑)あの映画の舞台になった時代をちょっと感じますね〜
なんか雨の夜が似合うかな・・・
- Yunioshiさん からの返信 2007/05/17 09:38:10
- RE: 好きなんです。この景色!!
- おはようございます、blackieeさん。返事遅くなりました。
D.U.M.B.OエリアにくるとManhattanの近代化に対して、古き良き景観が残っていて、ノスタルジックな気分になれてホッとすることがあります。
ブルックリンやクイーンズ、ブロンクスに行ってみると、このような景色が多く、最近は必ずこれらの地区に出かけています。
Yunioshi
-
- blackieeさん 2007/05/07 10:08:31
- 何度見てもいいですね!
- はじめまして!
最近はNY行っていませんが、大好きで以前よく行っていました。この光景何度見ても素晴らしいですね。また、遠くから見える光景も思い出深いですね〜JFKからマンハッタンへ向かう途中エンパイアーステートビルディングが見えてくるとワクワクして、「NYへ来たんだ!」と、実感しました。
また寄らせて頂きます。
今後もよろしくお願いいたします。
- Yunioshiさん からの返信 2007/05/08 01:48:25
- RE: 旅行記ご覧いただきありがとうございます。
- こちらこそ、はじめましてです。blackieeさん。
私は1996年にNew Yorkを訪れて以来New Yorkの魔力にとりつかれてしまっているひとりです。どなたかの本ではありませんが、それ以来魔法がとけません。
blackieeさんはいつ頃のNew Yorkによく行っていらしたのでしょうか?
本当に変化の早い街なので、何度行っても新鮮さを感じますよね。
私もblackieeさんと同じように、空港からイースト・リバーに差し掛かる辺りでManhattanが見えてくると「また来たよ。」と心の中でつぶやいてしまいます。最も印象的だったのは、アムトラックでワシントンからNew York入りしたときで、車窓からエンパイアーやその他のスカイスクレーパーが見えてきたときは映画を見ているような感じで、鳥肌が立ったのを覚えています。その時はまだLower Manhattanにあった高層ビルの雄姿が見えていたのでした。
いまの夢は豪華客船からタラップを降りてNew York入りすることです。
お互いにこれから良い旅行ができるといいですね。
blackieeさんの旅行記も拝見させていただきました。NY大好き(*^0^*)でも盛り上がりましょう。これからも宜しくお願いいたします。
Yunioshi
- blackieeさん からの返信 2007/05/09 11:24:27
- RE: 何度見てもいいですね!
- 自分は確か1984年あたりからだったと思います。
当時は、ほんと怖かったですね〜エレベーターは、一人で乗らないように。とか、Ave,A、B、C、D、は絶対行かないように!
ホールドアップ用に30?は必ずポケットに入れ、自分で取らず、手を上げたままここにあるからもって行け!と指差して教えろ!
など、今じゃあ考えられないでしょう!(笑)
ave,Aに友人が住んでいたのでAはよく行っていましたがね・・
当時は本当に怖い雰囲気いっぱいでしたね〜そのちょっと後から日本人を狙ったちょっとした詐欺も流行っていましたね。
紙袋にお酒を入れ(きっとただの水でしょう!)ぶつかって落とし、弁償させる。そんなのも良くありました。それならまだかわいいですが、やはり銃で殺害なんかも多かったです。ロックフェラープラザのすぐそばで、大きな銃声がして見に行ったらショットガンで撃たれている人が倒れている。タクシーに乗ったら、「そんなことは毎日さ!この街は狂っているよ!」と、タクシーの運転手が言っていたのを思い出しますね。
ジュリアーニ市長に変わってからでしょうか、交差点に必ず警官がいて犯罪を抑止している。そして、恐怖の街から安全な街に変貌。いまや、観光客が物凄いですね〜おかげでエンパイア登るのに今や行列ですね!!以前は平日なんか待ったことなかったのに(笑)
ラガーディア空港へ降りる飛行機はマンハッタンの横を通り過ぎて入るのでそれも素晴らしかったですね〜豪華客船でNY入りですか!!それはいいですね〜
最近行ったのは、確か6年ほど前でしょうか・・・
なかなか行けなくなってしまいました。でもなんとか機会を見つけ行きたいですね〜
今後もよろしくお願いいたします。
- Yunioshiさん からの返信 2007/05/11 19:19:08
- RE: すごいです。
- blackieeさん、こんにちは。
激動のNew Yorkをご存知とは…、写真でしか知らないNew Yoekの混乱と再生そして生まれ変わった街を体験されているんですね。驚きと羨望です。
伝説のエド・ゴッチ、デイビッド・ディンキンズ、ルドルフ・ジュリアーニと歴代市長の時代のNew Yorkに行っていたしたんですね。
今はのんびりした雰囲気のアルファベット・アベニューや安心して歩けるようになってしまった(いいことなんですが)ハーレムやロワー・イーストサイドetc.本当に観光客に優しい街になりました。
私も被害にはあっていませんが、JFKの白タク、ボトルマン、ヘリコプター観光の帰り道で後をつけられたりとほんの少しばかり怖い目にもあっています。その程度なのでNew Yorkは私には運よくやさしい街となっています。
2005年には約4,260万人の観光客がNew Yorkを訪れたそうです。Manhattanの人口のほぼ9倍の人が来た事になりますね。いまやファンタジー・ランドになったNew Yorkだからなのでしょう。物価に上昇とホテル料金の暴騰?にはあきれてしまいます。
また旅行記に伺います。
こちらこそ宜しくお願いいたします。
Yunioshi
-
- 真@tokyoさん 2007/04/16 09:15:39
- New York Night&Day Summer& Winter
- Tedさん
こんにちは
結局、この旅行記に戻ってしまいます。
何度見ても飽きません。
是非このコースを歩きたいと思います。
特にニュージャージーからの景観はすばらしいですね。
ハミルトン・パークにはPABTからのバス 何番で、下車する停留所はどちらですか?
終点ならば問題ないですが?
ご教示ください。
よろしく。
- Yunioshiさん からの返信 2007/04/17 03:59:17
- RE: ハミルトン・パークへの道程。
- お師匠様ご無沙汰でございます。いつも帰りが遅いので(朝も遅いのですが)返事が遅くなりました。
安く行くには旅行記にも書いたP.A.B.T(ポート・オーソリティ・バス・ターミナル)の北側(42nd St)にあるバーガー・キングの前から出ている「Fuji Bus」かルート0.6さんの情報では「Sphinx」と書いてあるバスを利用します。
料金は$2.00、前払いです。民間の簡易バスで30人乗りくらいの小さなバスです。バスは満員になると発車します。次から次とバスが来ますのであわてず座れるバスを利用したほうが楽かも。そんな風なので時刻表はないと推測されます。
このバスに関しては「Noririnさん」が詳しく書いてくれています。
?乗り方
ここが始発なので、料金は前払いです($2)乗る前に念のためBlvd.East(ブルーバード・イースト)に行くか聞いて下さい。go to Blvd.East?でも通じてしまいます!なるべく前の方に乗って下さいね(理由は後程)
?乗ったら
次の停留所はトンネルを抜けてすぐです。そこから混んでいなければ5分位で進行方向右側にマンハッタンの景色(夜景)が見えてきます(=^0^=)
?降りる際
降りる時に鳴らすベルがありません!!?で言った前の方に乗るという意味は、夜景が見えてきたら『ストップ・プリーズ』と運転手に聞こえるように言わなければいけません。ここが1番大事!! もし後方の席に座らせられたら、夜景が見えてきた時点でバスの前方に移動して運転手に伝えて下さい。
?降りたら
ハミルトンパークはかなり北側です。公園まで歩いても良し、降りた場所で堪能しても良し。最近はハミルトンパークに観光バスが側付けしてにぎやかになっています。どちらでもお好みで(^0^)/
?帰る時
降りた場所の道の反対側に、バスストップの簡単な標識があります。(見つからなかったら少し北寄りに移動してみて下さい)バスの目印はNew Yorkの看板です。暗いと人が立っているのが分からない時があるようなので、手を上げて乗る意思をバスに向けて行ってくださいね。ここは始発ではないので、降りる際に$2を支払います。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=new+jersey&layer=&ie=UTF8&z=16&ll=40.770548,-74.015493&spn=0.007085,0.014462&om=1
ニュージャージートランジットのバス利用の場合は、P.O.B.Tの41st Stの南ウィング、122番ゲートから出るバスを利用します。このゲートから出発するバスはどれでもOKのようですが、乗るときにハミルトン・パークに行けるか聞くのがよいと思います。料金は片道2.30ドル、行き帰りとも先払いです。
個人的にはManhattanの景色がみえて来る前の坂のところで降り、歩いて行くとこの素敵な景色が少しずつ見えてきて感激もひとしおです。
http://www.ebigbridge.com/bigbridge/mailmagazine/Vol26.html
おススメ時間帯は日没前からです。「マジック・モーメント」を鑑賞し、スカイ・スクレーパーに明かりが灯り始め、時間と共に変化してゆくManhattanを楽しめます。日没から30分くらいたてば夜景も堪能できます。
どうぞ素晴らしい景色をお楽しみください。
Yunioshi
- 真@tokyoさん からの返信 2007/04/17 07:05:16
- RE: New York Night&Day Summer& Winter
- Yunioshiさま
お名前を錯誤しまことに申し訳ございません。
失礼の段、深くお詫びいたします。
さて、お忙しい中を詳しい説明ありがとうございました。
これだけ丁寧に教えていただければ間違えません。
ハミルトン・パークについてはGoogle Earthで見当をつけました。
一回味をしめると、2度3度と川を渡りそうですよ。
マジックモーメントは短時間でしょうから、失敗で撮り直しもありそうで。
46stのイーストリバーまでのビルの谷間の見通しが気に入っています。
42stだと道幅も広がり、どの大様に写るか興味あります。
これからも、ちょいちょい相談に参りますのでよろしく。
- Yunioshiさん からの返信 2007/04/25 03:43:03
- RE: ハミルトン・パークからManhattanへ
- お師匠様おはようございます。
先日ご返答させて頂いた中でハミルトン・パークからManhattanに戻る時の方法を書き忘れていたので補足します。
Fuji Busならば、公園の西側の道「JF Kennedy Blvd E」のDuer Plとの交差点で手を上げれば止まってくれます。バスの「New York」の行き先看板をご確認ください。料金は後払いです。NJ Transitのバスも走ってます。こちらは先払いです。右側通行のU.S.Aなので、住宅街側のバス停でお待ちください。
もうひとつの方法は、NY WATERWAYのフェリーを使ってMidtownに帰ってくる方法もあります。こちらは少し歩くのと、フェリー料金が$6.00と高いことが難点です。パークから急な階段を降りて、線路と道路を橋で越えてハドソン川近くまで降り、更に北側に1000mくらい歩きます。だんだん近づくManhattanの夜景を船上から眺めるのも一興です。
余談ですが、ツアーで使われるレストラン「アーサーズ・ランディング」はすぐ近くです。
http://www.nywaterway.com/ferry/terminals/port-imperial.asp
http://www.nywaterway.com/ferry/schedules/ferry-route.asp?ferryid=100
すでにハミルトン・パークの位置はGoogle Mapでご確認かとは思いますが、バス停の交差点の川より「変形ひょうたん」の芝生がパークです。
それではまたでございます。
Yunioshi
-
- 大江戸一(はじめ)さん 2007/03/27 00:19:42
- 圧倒的な描写と写真にあらためて脱帽
- Yunioshiさん、こんばんは。
今日は、じっくり見させていただきました。
しかし、1枚1枚の写真に対しての思い入れがよく伝わってきますね。
みたことのない風景も多く、またニューヨークに行きたくなってしまいました。
今度行くときは、もっと長い時間滞在して、全神経を研ぎ澄ましてたくさんのことを感じてきたいと思います。
Yunioshiさんもまた、ニューヨークに行かれたらブログにアップしてくださいね。
楽しみに待っています。
- Yunioshiさん からの返信 2007/03/30 02:16:13
- RE: 返事遅れまして。
- すみません、大江戸一(はじめ)さん。
ネット環境の無い故郷に、出かけていたものでお返事が遅くなりました。
旅行記の写真に対しまして、過大なるご評価をいただき、大変恐縮しております。また構想がまとまったら投稿させていただきます。
間違っていたらすみません。「大江戸一(おおえどはじめ)のマーケットクリップ」って大江戸一さんのブログですか?
だとしたら、大江戸一さんってマーケット調査業界の方ですか?
差し支えなければ教えてください。
他の旅行記も楽しませてもらっています。
Yunioshi
- 大江戸一(はじめ)さん からの返信 2007/04/01 21:47:30
- RE: 圧倒的な描写と写真にあらためて脱帽
- Yunioshiさん、こんばんは。
「大江戸一(おおえどはじめ)のマーケットクリップ」は私の過去のブログです。
でも調査会社の人間ではありません。
ただのマーケット好きです。
沢木耕太郎の深夜特急、今読み返していますが、いいですねー、ああいう世界。
また、アップ楽しみに待ってますね。
では。
-
- 真@tokyoさん 2007/02/25 01:53:47
- Top of The Rock
- Yunioshiさん
はじめまして
すばらしい写真ありがとうございます。
説明から、NYがお好きなことが伝わってきます。
特にTop of The RockからのCentral Paek West沿いの写真は、一帯の様子が明確に表現されており、一棟づつビルを見て楽しんでいます。
アールデコの双頭のホテル達、コロンビア大・ロウ図書館のドーム、グラント記念塔、G・ワシントン橋などです。
やはり、ミッドタウンの真ん中の威力ですね。
私も次回は是非この場所に立ちたいと思います。
じっくり見てから、また書き込みさせてもらいます。
よろしく
- Yunioshiさん からの返信 2007/02/25 11:43:00
- RE: はじめまして、Yunioshiです。
- 真@tokyoさんどうもありがとうございます。時々旅行記などにお邪魔していましたが、メッセージをいただけるなんて光栄です。
ご指摘のように、New York症候群 第4期、最近は「New York Fetish」と呼ばれています。夢は世界を巡ることだったんですが…。New Yorkで世界を楽しんでおります。 New York関連の書物を読み漁っているうちにどうも薀蓄を語るようになってしまって、煙たがられています。
真@tokyoさん のアールデコ建築のお話お詳しいですね。お仕事がその関係だったのでしょうか? 現在New Yorkのアーキテクチュアーを勉強中なのでとっても参考になります。それと空撮写真も気に入ってます。どうやって撮られたのでしょうか?国内線かヘリコプターでしょうか。
これからも時々お伺いしますので宜しくお願いいたします。
Yunioshi
-
- Noririnさん 2007/02/23 01:25:20
- こんばんは
- Yunioshiさん こんばんは!
NYの写真 どれもステキに撮られていますね。
詳しいコメントを拝見しながら、大好きなNYを思い出していました。
またお邪魔させて下さいね。
Noririn
- Yunioshiさん からの返信 2007/02/23 22:33:54
- RE: ありがとうございます。
- こんばんは。Noririnさん。
New York大先輩のNoririnさんからメッセージを頂まして、大変恐縮です。
素敵な旅行記、拝見させて頂きました。
スタジオ・ガンボからの写真とオータム・イン・ニューヨークお気に入りになりました。
ハミルトン・パークへの情報パクってしまったみたいですみません。このルートは結構有名なんでしょうか?
それにコミュニティの情報提案の多さには、感服仕り候です。
また、お邪魔します。コミュニティのほうにもお邪魔しようかな…。
よろしく、お願いいたします。
Yunioshi
- Noririnさん からの返信 2007/02/23 22:45:50
- こんばんは♪
- New York大先輩だなんて言いすぎです(笑)
ハミルトンパークは、今は超有名なオプションの1つですよ。
以前は大型観光バスの側付けなんて見た事ありませんでしたもん^^;
是非是非コニュニティへ遊びに来て下さいね。
お待ちしております(^0^)/~~
Noririn
- Noririnさん からの返信 2007/02/25 00:56:19
- 早速!!!!
- Yunioshiさん NY大好きコミュニティへのご参加有難うございます。
NY情報までいただけて嬉しいです。
NYに限定しているコミュニティなので、更新が遅い時もありますが、頑張って盛り上げて参りますので宜しくお願い致します。
Noririn
-
- kaz-ykさん 2007/02/11 16:39:16
- 始めまして
- Yunioshiさん 今日は
小生のプログにお越し願い有難う御座いました。
足跡を辿り「NY」に、お邪魔しました。音楽が入ったり、綺麗な画像に
詳細な解説まで付けて頂き感銘を受けました。
「エンパイアStateビル」や「ロックフェラーセンター」の説明、「Times SQ」の今昔、至れり尽くせりです。
又NYのX−masの夜景にも感激しました。
寒い中ご苦労様でした。中でもロクフェラーセンターのX−maxツリーは、さすが、画像も秀逸です。
Thank you again
- Yunioshiさん からの返信 2007/02/13 01:41:59
- RE:メッセージ、ありがとうございます。
- kaz-ykさん、こちらこそありがとうございます。
すごいですね34ヶ国への旅行と134冊の旅行記。感服致しました。
私もいろんな国を訪れるのが目標でしたが、New Yorkで止まってしまってます。
クルーズ旅行いいですね。私もいつかはと思っているのですが…。やはり語学力がないと楽しさ半減かなとも思ったりしています。
kaz-ykさんの旅行記を楽しませていただき、次回の旅行先を検討してみます。
これからの旅行記のUP、楽しみにしております。
またよろしくお願いいたします。
Yunioshi
-
- naniwa ladyさん 2007/02/04 08:51:52
- はじめまして 8(*^o^*)8サザエ
- ニューヨーク、見せていただきました。ニューヨークにお詳しいんですね。
去年の夏、ニューヨークへ行って、さらーーと見たって感じなんですが、それでもニューヨークの魅力を堪能することができました。
活気あふれる街ですね。でも生き残るのは厳しそうな感じがしました。世界中の人々が寄り集まっているって感じで・・でも治安がよくなって、夜の外出も安心できて、ほんと感謝です。
ただ心残りはエンパイアステートビルに行かなかったことです。駆け足の旅行だったので・・まぁおみやげを残したということで。。
これからもよろしくでーーす。
p.s.3月には南米へ行きたいと思っています。
- Yunioshiさん からの返信 2007/02/04 11:59:56
- RE: ありがとうございます。Yunioshiです。
- こちらこそはじめまして。naniwa ladyさん。
掲示板拝見いたしました。New Yorkに行かれた頃はセキュリティ・レベルが上がって大変でしたね。ほんと、「水物チェック」は困りますね。
でも以外に持ってるもんだなとも思いましたが…。
New Yorkではなかなか中身の濃い観光をされたようですね。私がはじめて訪れた頃は情報が少なく(ガイドブックも少なく、インターネットも無かった)帰って来てから情報が入ったりで、「また行きたくなる病」になってしまいました。naniwa ladyさんのように夢は「世界制覇」だったのですが、New Yorkで止まったままです。
3月には南米に行かれるご予定とか、旅行記楽しみにしております。また
naniwa ladyさんの掲示板におじゃまします。
お互いに、素晴らしい旅行を楽しみましょう。
Yunioshi
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