2006/09/22 - 2006/09/28
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2006年9月に、旅の仲間4人で行ってきた、現地5泊のベトナム縦断旅行の旅行記第3弾。
3日目の早朝にホーチミンのホテルを出発した私達は、飛行機で中部の都市フエへ。フエはベトナム最後の王朝であるグエン朝の都で、1945年までベトナムの首都であった都市。王宮をはじめとする幾つかの建造物が世界遺産に登録されており、ベトナムの古都といった感じの、観光にはもってこいの街、だったのだが・・・。
フエに着くと外はどしゃ降り。無事に飛行機が着陸して良かったねぇ〜、と言われる程の散々な天気。そのためのんびりと観光するなんて雰囲気は全くなかったっす(ToT)。
それでも当初から観光予定の場所へは、気合いで回ってきました。これは、そんな旅人4人が嵐の中で観光を敢行した根性と執念の記録である(大げさ)。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ベトナム航空
PR
-
フエで私達を待っていた現地ガイドさんは、今回の旅で最も日本語が流暢に話せる男性の人だった。なんでも、某ゼネコン会社の専属の通訳をしたり、NHKの番組の撮影班の通訳を担当したこともあるのだとか。
この日の観光は、1993年に世界遺産に登録された建造物群のうち、4ヶ所の建造物を訪れました。まずは土砂降りの雨の中、最初に連れてこられたのがここ、カイディン帝廟。 -
入口の階段の、龍(かな?)
カイディン帝廟は山の急斜面に建てられているため、入口からは急な階段を上っていくことになる。 -
最初の階段を上ったところにある広場。広場の両脇には、役人の像が並んでいる。西安の兵馬俑坑に通じるものがある。写真には写っていないが、役人だけでなく馬や象なんかも並んでいる。
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同じ広場から見た廟。フランスの様式を取り入れた造りで、フランスの植民地時代の1920年から完成までに12年かかったんですって。
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いよいよ廟の中へ。廟の中は贅を尽くした造りになっている。
写真は廟内部の壁面を撮影したもので、四季を代表する植物を時期やガラスを砕いて破片をモザイクのように並べて作ったもの。特に左側に写っている植物(梅か桃)の幹には、日本のビールの瓶が使われている。 -
啓成殿と呼ばれる一室にあるカイディン帝の座像。カイディン帝は、1802年から1945年まで続いたグエン朝の第12代皇帝。だが、この皇帝の時は、実質的にフランスの傀儡国家となっており、カイディン帝はフランスの言いなりになっていたそうだ。そのせいか、この皇帝はあまりベトナム人から人気はないのだとか。
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再び壁面を撮影。竹の部分に使われているビール瓶をよ〜く見ると「東京」の文字が読めました(写真では確認できません、悪しからず)。
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唐突な場面転換ですが、次にやってきたのはトゥドゥック帝廟。トゥドゥック帝はグエン朝で最も在位が長かった第4代皇帝。
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トゥドゥック帝廟は離宮としても使われていた。1つ前の写真の石段の上からの景色。中国風の蓮池や釣殿などが見える。
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蓮池の畔に建つ釣殿。屋根をよく見ると、屋根の装飾として設けられている龍の口から水が流れ出ており、雨どいの役目も果たしていることが分かる。
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階段を上りきった所にある謙宮。トゥドゥック帝は風流な人ではあったようだが、この代から次第にフランスの傀儡国家となっていったこともあって、カイディン帝同様、ベトナム人には評判が悪いようだ。
ちなみにトゥドゥックさん、フランスの圧力に屈していったことによる自責の念もあって、この建物に「謙」という文字を用いているらしい。 -
謙宮内部。中には色々な美術品が陳列されているが、中でも柱に掛かっている絵が素晴らしい。
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謙宮より更に進むとトゥドゥック帝を祀った陵がある。
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陵に建つ碑。トゥドゥック帝が在位中に行ってきたことが書かれているらしいが、ここでも自責の念からか、トゥドゥック帝が自ら行ってきた事への反省のような文面が並んでいるのだとか。
ちなみにこの記念碑の字数は、ベトナムにある記念碑の中で1番多いのだとか。よほど字数を費やさなければ語り尽くせぬほどの後悔をしてきたのだろうねぇ。 -
トゥドゥック帝の陵。といっても、実際にここにトゥドゥック帝が埋葬されているわけではないらしい。
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トゥドゥック帝の陵の門。
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陵の門から外を望む。
・・・雨、降り止む気配ないなぁ。。。 -
次に私達が訪れたのは、グエン朝の王宮。写真は午門と呼ばれる正門。
空港からトゥドゥック帝廟までの道は、街から外れた田舎道を走っている感じだったが、王宮は旧市街にあるため、ようやく街中へ来たという感じだった。 -
王宮の正門である午門を通り抜ける。
写真は、午門を通り抜けた後に撮影したもの。 -
午門を通り抜けて正面に見えるのが、この太和殿。皇帝の政が行われた宮殿。
グエン朝王宮は、中国の紫禁城を模して造られたもので、大きさは紫禁城の3/4。 -
太和殿を通り抜けたところ。何しろどしゃ降りだったため、あまり色々と歩き回る気になれなかったのだが、写真に映っている壁の向こう側は、しばらく野原が続いている。もともとは色々と建物が建っていたのだろうが、ベトナム戦争で壊滅的な打撃を受け、今は荒野になってしまっているのだとか。
何となく「夏草や 兵どもが 夢のあと」という句を連想させる風景がそこにあった。 -
私達4人は全員、一応レインコートも用意していたのだが、この頃には既に靴の中に水が浸水して足もとはびしょびしょの状態だった。
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顕臨閣と呼ばれるグエン朝の菩提寺にて。
写真では中央の1つしか分からないが、青銅製の鼎が全部で9つ置かれており、それぞれの鼎が歴代皇帝を象徴しているといわれている。
うち写真中央に見える鼎は、グエン朝初代皇帝のザロン帝(グエン・フック・アイン)のものとされている。 -
前の写真の鼎の方から顕臨閣を撮影したもの。
写真の建物の中には、グエン朝の歴代皇帝が祀られている。
グエン朝が存続し続けた期間の大半はフランスの植民地下にあり、グエン朝は自らの存続のためにフランスの傀儡となるという憂き目にあってきた。歴代皇帝の中にはフランスに反発し続けた者もいたが、そういう皇帝に限って処刑等により短命に終わったという。
ベトナム国民に慕われる皇帝ほど短命で終わるというのが、どこかベトナムの悲しい歴史を感じさせる。 -
再び午門にて。写真は午門の楼閣の上に上って、太和殿の方向を撮影したもの。写真の左手の方向へ進んだところに顕臨閣がある。また、楼閣には鐘やら太鼓やらが置いてあった。
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楼閣から王宮の外側の方向を臨む。写真はフラッグタワーで、1番上は30m近くにもなるという。
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グエン朝王宮前の通りを、フォン川に沿って上流方面(西側)へ進むと、この日の観光の最終目的地、ティエンムー寺に到着。写真は高台に立つ高さ21mの7層の塔。
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境内の中に展示された1台のオースティン。これは、ベトナム戦争の最中、サイゴン(現ホーチミン)で抗議の焼身自殺を遂げたこの寺の僧侶の車。この僧侶は、サイゴンまでこの車に乗って行ったという。
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ティエンムー寺にて。写真は僧侶の墓らしいが、先ほどの僧侶のものではない。
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ティエンムー寺からフォン川を望む。大雨で増水し、茶色に濁っているが、本来は青い川らしい。
この時点で時刻は12:30。まだまだ昼間なのだが、雨がやむ気配は全くないので、私達はこの後、昼食を摂ってホテルにチェック・インすることになったのだった。あ〜あ、晴れているときにもっとのんびり時間をかけて見てみたかったなぁ。。。
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