2006/10/17 - 2006/10/17
124位(同エリア188件中)
まみさん
2006/10/17(火)第10日目:ジェール&バンノンハルマ修道院
ブダペスト・ケレーティ(東)駅発8:00の鉄道でジェール着9:47
ジェール:ウィーン門広場、大聖堂、カルメル教会、セーチェーニ広場
ジェール発12:00のバスでバンノンハルマ着12:43
パンノンハルマ修道院(13時からの見学ツアーに参加)
再びジェール:クサントス・ヤーノシュ博物館、セーチェーニ広場と旧市街散策、夜景撮影
パンノンハルマ修道院を旅程に組み込んだ一番の理由は、ユネスコの世界遺産だからです。
世界遺産に登録されたくらいなんだから、一見の価値はあるよね、という好奇心。
もちろん、世界遺産であることが、即、観光客、少なくとも私にとって魅力ある場所か、というのは別であると覚悟の上で行きました。
要するに、わかりやすい楽しさだけを求めても仕方がないよ、と。世界遺産を守るためには、観光客をこそ排除しなければならない場合もありますからね。
それに今でも現役の修道院なので、その豪華な建物の魅力がちょっと訪れただけの観光客にみな公開されていなくても仕方がないでしょう、と多大な期待をしないで行きました。
また、チケット売り場でもらった解説書は、見学の合間にきっちり読むようにしました。
だからか、結果的には満足できました。
見られると思って楽しみにしていたトップの2つが見ることができなかったにしても。
修道院内の見学はガイドツアーのみです。ガイドツアーは毎時ちょうどに行われますが、1英語のツアーは毎度行われるわけではありません。3時開始のツアーに参加することができましたが、ハンガリー語のツアーでした。
代わりに英語の説明書をもらいました。嬉しいことに、借りるのではなく、もらうことができたのです@
おかげで、ガイドツアーの最中はもとより、買ったパンフレットと合わせて、後から見学内容を思い出すのによい資料となりました。
ちなみにパンノンハルマ修道院が世界遺産に登録されたのは1996年、修道院の創建1000年祭にあわせてでした(修道院の創建は996年)。
「996年の創建以来、信仰の中心であり、国内の教育の推進役でもあったパンノンハルマ修道院。現存する最古のキリスト教教会として世界遺産に指定された。」
(「東欧の郷愁」(新潮社)より)
「現在も活動中の、ハンガリーで最も重要なベネディクト会修道院。中心となる3廊式のロマネスクの礼拝堂には、高く上げられた祭壇と地下礼拝堂がある。その横を巡る15世紀の回廊は、人頭の彫刻に支えられた複雑なリヴ・ヴォールトが特徴的。バロックの内装が圧巻の食堂、新古典様式で明るい印象の図書館も有名。」
(「世界の建築・街並みガイド5」(エクスナレッジ社)より)
「パンノンハルマは、ゲーザ公がハンガリー国の存続のためにキリスト教に改宗して西ヨーロッパに所属しなければならないと判断して996年に建設を始めたもの。チェコからベネディクト派修道士アダルベルトらを招いてハンガリーにキリスト教布教の道を開いた。」
「13世紀のモンゴル来襲では持ちこたえたが、16世紀にやって来たオスマントルコには屈せざるを得なかった(Lonely Planetによると、建物が東を向いていたという単純な理由で破壊を免れ、モスクに改築された)。修道士たちは図書館の蔵書や教会堂内の宝物を他へ移し、修道院を明け渡した。18世紀にトルコ軍が完全に撤退した後、修道院の修復工事が開始された。同時に増築も行われ、20世紀初頭まで続けられた。そのためあまり古さは感じられない。」
(「旅名人ブックス ハンガリー“千年王国”への旅」(日経BP社)より抜粋要約)
修道院の入場料(もちろんガイドツアー込み)は1,500フォーリントでした。
(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)
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左から、パンノンハルマ名物のラベンダーオイルの小瓶、パンノンハルマ修道院のガイドツアーの英語の説明書、日本語版パンフレット、チケット売り場にあったリーフレット
ラベンダーオイルと日本語版パンフレットは、修道院のギフトショップで買いました。
オイルは10ml入りで、990フォーリント。
(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)
パンノンハルマの修道士たちが種をまいて育てたラベンダーから作られたものです。
これはもともと箱入りですが、箱がついていなくて小瓶むき出しのものは、もうちょっと安かったです。
それにしても、いいラベンダーオイルというのは、本当にすーっとする良い匂いで、トイレの芳香剤を連想させないのですね(笑)。
日本語版パンフレットは、1,200フォーリントでした。
ほかにギフトショップでは、紅茶好きの母や妹のために、喉によいというハーブティーを買いました。
ティーバッグが10袋入りくらいで、540フォーリントでした。
喉によいハーブティーだけでなく、胃腸にきく、とか、頭痛にきく、とかいろいろありました。
左にある白黒のリーフレットは、ガイドツアーの英語の説明書です。英語での説明がない代わりにチケット売り場のところでもらったものです。
パンノンハルマ修道院はガイドツアーでなければ見学できないのですが、外国語のツアーは1日に2回しかないのです。
でも、ハンガリー語のツアーであっても、代わりにこの英語の説明書をもらって、参加することができます。
しかも、見学が終わっても返却する必要はなく、こうやってお持ち帰りできるのも嬉しいです。
量は、この封筒サイズで9ページです。見学中に読んでも苦になる量でありませんでした。
写真に写したのは、表紙ではなく、一番最後のページです。
「寿」に似た記号は、1990年代に発掘調査をした際の1446年の工事跡の落書きだそうです。
これはチケットのデザインにも使われています。
落書きであっても、デザイン的に修道院の人たちに気に入られたのでしょうか。あるいは何か意味があるけれど、まだわかっていないだけなのかな。
説明書の最初のページには、これは英語のツアーがないときのための案内である、と書かれてあります。見学セクションは8ヶ所あり、その場その場でこの説明書を読んでくださいとあります。
実際の見学の場で読み終えるかどうか分からないと思っていたのですが、ガイドのハンガリー語の説明は意外に長かったので、読む時間は十分にありました。きっと、この説明書に書かれてある以上のことが話されていたのでしょうね。
ちょっとソンした気がしなくもありませんが……ハンガリー語が分からないのだから仕方がありません。
逆に、こうして手元に説明書が残る方が、記憶がよみがえる手がかりになって、かえって良かったです。
英語ツアーだったら説明書をもらえなかったでしょうし、いずれにせよハンガリー語のツアー並みの説明がなされるとも思えません。
ちなみに、この説明書の最初のページには、見学中は携帯の電源を切って欲しいと、今となってはあちこちで聞かれる注意書きも添えられていました。それから、いくらハンガリー語で話される説明が全然わからないからといって勝手に歩き回られたら困るからでしょう。見学ツアー中、グループから離れないでくだい、というお願いも書かれています。このような注意から、いかに年間の見学者が多いか、伺えます。
また、修道院内はフラッシュさえたかなければ、写真撮影OKとも書かれてあります。
とはいえ、見学中、あまり撮影意欲がそそられなかったのも事実です。だからこそ、ゆっくり英語の説明書を読む時間があったともいえます。
あまり撮影意欲がそそられなかったのは、建物の外観は全体的に抑制のきいた新古典主義様式だったからでしょう。少し離れたところから眺めると壮大でかっこ良いのですが、近寄ってみると、意外にシンプルだという印象が強く、あまりかっこよく撮れそうにないのです。
また、内部も、その空間全体で見回すとすばらしいのですが、どこかにスポットをあてて写真を撮ろうとすると、どこを切り取ってよいか迷ってしまいました。
一部を切り取った写真では、記録写真にはなるかもしれないけれど、写真としての魅力があまり感じられない気がして、思ったほどシャッターを切りませんでした。 -
修道院の建物配置図
日本語版パンフレット「パンノンハルマ修道院」より
ガイドツアーの英語の説明書によると、見学セクションは以下の8ヶ所となっています。
1. アーケード(正門)の下
2. メインビルディングの前
3. 塔の前
4. 教会の中
5. クリプト(教会の地下礼拝堂)
6. 歩廊
7. 図書室のエントランス・ホールの中
8. 図書室の中
この中で、見応えあったのは───少なくとも、ほぉぉ、と満足できる程度に見た目が豪華だったのは@───「4. 教会の中」、「6. 歩廊」、「8. 図書室の中」くらいですね。
見学できたところは、写真の配置図でいうと、紫の斜線「修道院付属聖堂及び回廊」とレモン色の斜線の「図書館」だけです。磁石をそばにおいたところです。
それにしても、上記の8ヶ所の見学セクションうち、最初の3つまでが、建物の外です。
この写真の三角印のある赤い斜線の正面玄関(アーケード)から入り、中庭をぐるっと回ったところにあたります。
建物の中に入るまで、いやに時間がかかったように思えました。
最初のビデオ鑑賞を除いても、ガイドツアーは約1時間ときいていたのに、なかなか建物の中に入れてくれなくて、やきもきしました。
だってね、見学料を払わなければそもそも敷地の中に入れないとはいえ、アーケードもメインビルディングも塔も、何も修道院の中に入らなくても見られるものですから。
それで見学コースの3分の1が終わってしまったのですから、視覚的には拍子抜けする見学だったと思ってしまっても仕方がないですよね。
この見学ガイドツアーで他にも惜しかった点は、バロック食堂には案内してもらえなかったことです。
ハンガリー旅行の下調べで参考にさせていただいた、ブダペスト在住の「さがみ」さんのHPには、パンノンハルマ修道院について詳しく案内がありました。
HP「ハンガリー良いとこ一度はおいで」
http://www.szagami.com/index.htm
同HP「各街への行き方・歩き方」─「パンノンハルマPannonhalma」
http://www.szagami.com/cities/ac-pannonhalma.htm
また、ハンガリー観光案内所のHPでも、たくさんの写真付で紹介されていました。
ハンガリー観光案内所HP
http://www.hungarytabi.jp/index2.htm
同HP「世界遺産」─「パンノンハルマのベネディクト会修道院と周辺の自然環境」
http://www.hungarytabi.jp/sekaiisan/isan003.htm
これらを読んで一番楽しみにしていたのは、「聖母マリアのモザイク」と「バロック食堂」でした。でもその2つとも、見学できませんでした。
印刷された英語版の説明書にも何も書かれていないのですから、いつからか、見学コースから外されてしまったということでしょう。
特に宝石だけで出来たというモザイク。これはものすごく、ものすごく楽しみにしていたのに(泣)。
もしかしたらガイドが特に見学者に紹介しないこともあるかもしれない、と思って気をつけていましたが、最後まで見つけることができませんでした。
「地球の歩き方」にすら、写真が載っていたというのに……。
たぶん、見学コースで見られるところにはおいてなかったのだと思います。そうにちがいありません。
見学コースから外されたと思うと哀しいですが、見逃したとはますます思いたくないというのも正直な気持ち。
後で、さがみさんのHPのパンノンハルマのページをもう一度チェックしたところ、2005年10月に新しくアップされた「パンノンハルマPannonhalma 02」では、最近の見学コースからバロック食堂が外されたり、チケット売り場と見学開始場所が変わっていたりなど、前と随分様子が変わったというレポートがありました。
HP「ハンガリー良いとこ一度はおいで」
「各街への行き方・歩き方」─「パンノンハルマPannonhalma 02」
http://www.szagami.com/cities/ac-pannonhalma02.htm
このHPは2年前の2004年度の初ブダペスト観光の下調べ時点からチェックしていたので、逆にその後のアップデートを、今回の旅行に行く前の段階ではいくつか取りこぼしていました……。 -
パンノンハルマ修道院の正門
ジェールからパンノンハルマまで行くバスは、修道院のふもとの村の真ん中までしか行かないバスと、修道院の目の前まで行くバスとがあります。
ただし、Lonely Planetによると、修道院の目の前まで行くバスは1日に4〜5本しかなく、ほとんどはふもとの村までしか行かないそうです。
私は幸いにして、修道院のこの正門前まで行くバスをつかまえることができました。
ただし、残念なことに、チケット売り場も見学集合場所も、この門のところではないのです。駐車場のそばにある建物なのです。
そのせいで、せっかくここまで来たのに、少し山を下りなくてはなりませんでした。
といっても5分で着きましたし、ふもとのバス停から延々と登って来ることを考えたら、下りるのはずっとラクチン、ランチン! -
パンノンハルマ修道院の正門
アーチ門の鉄細工
どうやらこれは修道院のシンボルのようです。
なかなか可愛いです@
見学ツアーの内容は、まずはチケット売り場の建物で15分ほどのビデオです。
音声はハンガリー語のみでしたが、英語の字幕付でした。
内容は、パンノンハルマ修道院の活動や修道士たちの生活の紹介でした。
ビデオでは、修道士たちを含む何人もの人たちのインタビューが流れていました。
修道院でどのように過ごしているか、修道士になって、あるいはたぶん修道士とまでならなくても修道院の活動に参加して、いかに心の平安を得られるようになったか、自分の弱さを見つめることで、他人の弱さを受容できるようになった、とか。
良いお話だなぁ、と最初のうちは敬虔な気持ちで見ていたのですが───ときどき英語の字幕が消えるのが早すぎです。画面の中の人がまだしゃべっているのに、英語の字幕が一瞬で消えたときもありました。
おかげで、だんだんまじめに見る気がしなくなってきて、最後の数分はちょっと居眠りしてしまいました@
ちなみに、パンノンハルマ修道院のベネディクト修道会は、国民教育に貢献するという使命がありました。
修道院には、付属の神学校もあれば、中等学校(ギムナジウム)もあります。
修道院が神学教育に励むのは当然かもしれませんが、修道院が一度閉鎖されたあと(1786年)、また復活する際(1802年)のハプスブルグ家が出した条件が、国民教育だったのです。
順番が逆になりますが、1786年に修道院の閉鎖令を出したのは、ハプスブルグ皇帝ヨーゼフ2世(マリア・テレジアの息子)です。
日本語版パンフレットによると「啓蒙専制君主たちは、社会への直接的な奉仕と社会的有益性という観点から修道会の活動を評価したが、ベネディクト会の活動は国家にとって有形の利益をもたらすものではなかったから」とありました。
そのため、1802年に復活するまで、修道院は無人状態となってしまいました。 -
パンノンハルマ修道院の正門
アーチ門の鉄細工
鉄門にも、なにやらとても可愛いシンボルが並んでいます。
パッと目を引いたのは、ニワトリです@
アーチ門の前で、ガイドが説明を始めました。
ところが、私はてっきり、修道院に入るための全般的な注意事項でも話しているのかと思ってしまいました。たとえば、この修道院の中には修道士だけでなく学生も住んでいて、今も現役なので、見学はうるさくしないように、とか、立ち入り禁止のところは守ってくれ、とか。
だって、まだ建物の中に入る前でしたから。
勘違いは、ツアーメンバーの大半が中学生くらいの団体だったせいもあります。だから少し丁寧に注意してるのかしら、なんて。
ここからもう、ガイドツアーの本番が始まっているとは思いもしませんでした。ビデオ鑑賞を思い出し、まだプロローグだと思っていました。
まあ、ある意味、プロローグで当たりでしたけれど。
なので、まだ説明書を開かず、グループからあまり離れすぎない程度にあたりをぶらぶらしていました。
こんな風に写真を撮ったり。
正門をくぐり、ふもとの村が見下ろせる塀近くでまたガイドが延々と説明を開始したときにやっと、すでに見学が始まっているのだと気付きました。
見学セクションでいえば、「2. メインビルディングの前」にあたるでしょう。
なので、正門の前では、「1. アーケード(正門)の下」を読んでいなくてはならなかったのだと後から気付きました。
大急ぎで、説明書を読みました。
「1. アーケード(正門)の下」
このセクションでの説明は、修道院の歴史のはじまりでした。
プラハから聖アダルベルトに率いられ、修道士たちがハンガリーにやって来てこの地で活動を始めました。
時のハンガリー支配者ゲーザ公は修道士たちを歓迎し、聖マルトンの丘に修道院を建てることを奨励します。
そしてゲーザ公の息子であり、ハンガリー初代国王のイシュトヴァーンは、1002年に修道院の権利を認める勅書を発行しました。この勅書の中で、彼は修道院のある丘を「パンノニアの聖なる丘」と呼びました。
修道院は、守護聖人として聖マルタンを選びました。フランスの守護聖人としての方が有名な気がしますが、生まれはパンノンハルマといわれています。
もっとも、ベネディクト修道士たちの間で慕われている聖人だから、というのも、選ばれた理由にあったようです。
イシュトヴァーンは修道院に莫大な寄贈をする代わりに、建国されたばかりの若いハンガリー王国の安泰のために祈りを毎日捧げることを修道士たちに求めました。
「2. メインビルディングの前」
(英語版の説明書の要約に日本版パンフレットから若干補足)
内容は、修道院の歴史の続きでした。
修道院は、13世紀のモンゴル人来襲を耐え抜きました。ところが16世紀にやってきたオスマントルコには征服されてしまい、1590年代に修道士たちは修道院を明け渡しました。
17世紀に修道院は復活し、建物もバロック様式で改築されました。
ところが1786年、皇帝ヨーゼフ2世は、当時の流行の啓蒙主義に影響されて、パンノンハルマ修道会の閉鎖を命じました。
1802年にフランツ1世によって修道会の復活が赦されますが、中等教育に携わることが条件でした。そのため、修道会は、従来からの神学大学や中等教育活動に加え、中等教育のために国内初の教員養成学校を設立しました。
以来、中等教育に携わることが、ハンガリーにおけるベネディクト修道会の主な活動の1つとなります。
第二次世界大戦中、修道院は国際赤十字の保護下におかれました。公文書など重要な収蔵品はだ修道院長の命によって疎開され、戦禍を乗り切りました。
現在の神学校は1939年に設立されました。社会主義時代に学校を含め、修道院は没収されましたが、1950年に再び修道会の手に戻りました。
現在、パンノンハルマのベネディクト派寄宿学校には300人以上の生徒がいます。
ちなみに日本語版のパンフレットの方のデータは1995年現在のものですが、それによると、パンノンハルマ・ベネディクト会ギムナジウムと付属学生寮には学生360人、教師は19人のベネディクト修道士の他、僧籍にない世俗の教師が常勤20人、非常勤19人、神学大学生は11人在籍、それから付属の老人ホームに老人62人でした。
ちなみに、修道院で生活している修道士は68人でした。 -
パンノンハルマ修道院の塔
これぞパンノンハルマ修道院のシンボルと言いたくなるくらい、この塔は欠かせないでしょう。
といっても、これは、パンノンハルマ修道院の長い歴史からいえばごく最近の19世紀建造部分にあたります。高さ55m。
新古典主義様式。
設計は、エンゲル・ヨージェフ・フェレンツ、それからその後をパーク・ヤーノシュが引き継ぎます。
パーク・ヤーノシュはエステルゴム大聖堂の設計も行った建築家です。
ちなみに2人が手がけたのは、この塔と、修道院の中でも有名な図書室です。 -
パンノンハルマ修道院の塔の入口
金地の美しいモザイクに目をひかれました。
モザイク以外も、よく見ると、なかなかお洒落な装飾の入口です。
ジェスチャーから、ガイドがモザイクのテーマの説明もしていることが分かります。
もちろん、ガイドツアーの英語の説明書にもありました。
テーマは、パンノンハルマ修道院の2つの使命でした。
修道院創設にかかわる使命である「福音を説教せよ」と、1802年に修道会が復活したときの使命である「教育せよ」。
うーん、そうは見えないけれど。
中央の王座の左右に立つ人が差し出す紙に、そう書かれてあるようです。
「3. 塔の前」
説明書によると、ここでの説明内容は、ベネディクト修道会と修道士についてでした。
修道院には、現在50人以上の修道士たちが生活しています。
ベネディクト修道会の創設者である聖ベネディクトは、修道士たちに対し、すべき仕事を特に指定しませんでした。彼は単に、仕事と祈りのバランスある生活を求めました。
パンノンハルマ修道院の修道士たちは、仕事として主に教育に携わりましたが、その他にも15の教会教区において司祭としての活動も行っています。
また、大勢の人々がゲストとして修道院に滞在し、修道士たちの生活を一緒に体験しています。
聖ベネディクトは、最初の修道院をカシノ山に建てました。山は神により近づける場所として聖なる場所とみなされたのです。
よって、以後、中世において、修道院は山の上に建てられるようになりました。パンノンハルマ修道院もそれに倣って、山の上に立てられました。 -
パンノンハルマ修道院の付属教会への入口
美しいクジャクの彫刻
修道院の外観は全体的新古典主義らいし抑制がきいていますが、Lonely Planetによると、その手がけたものについては議論を呼んでいる修復家(a controversial family of restorers)であるシュトルノーが、ロマネスクやゴシック建築に当時のロマン主義の流行を押しつけるように改築を加えてしまったのだとか。
シュトルノー。どこかで聞いたことがある、と思ったら、次に訪れる街ショプロンの見どころのトップが「シュトルノーの家」でした。
シュトルノーは19世紀のスイス・イタリア系の修復家一家で、その修復・改築については議論もあるものの、ハンガリーのドナウ川流域地方の、忘れ去られる一方だったたくさんのロマネスクやゴシックの教会の祭壇や調度品をもう一度よみがえられたことは確かだそうです。
悪評が高いのは……もとはどちらかというとわび・さびに通じる美しさのロマネスクやゴシック様式のものを、19世紀ロマン主義たらたらのメロドラマチックな、コテコテに作り直してしまったせいではないでしょうか。
私はミーハーだから、そういうのも嫌いじゃないんでけどねぇ。 -
塔の入口の扉の浮彫
翼を広げた大ワシがバッと目につきますが、山あり谷ありブドウあり。目立たないけれどヒマワリらしきものも見られます。
ひょっとしたら、修道院をとりまく自然を象徴的に描いたものかもしれません。
ヒマワリはわかりませんが、ブドウ栽培、そしてワイン造りは修道士たちにとって重要な仕事なのです。
また、パンノンハルマ修道院の周辺には、修道士たち自ら種をまいて育てているラベンダー畑があり、そこから作られるラベンダーオイルは、パンノンハルマ名物の1つと言ってよいでしょう。
私も一瓶、買いました@ -
付属教会のゴシック様式らしい天井と説教台
天井の交差ヴォールト(アーチ型の天井)とフレスコ画が美しいです。
奥の祭壇の窓は光が射し込んでいるので、ステンドグラスがきれいに白とびしてしまいました(泣)。
教会は13世紀に建造された部分です。
「4. 教会の中」
ここでの説明は一番長かったですし、説明書の中でも一番紙面が割かれているところです。でも私にとって一番興味深いところでした。
まずは中世の教会の建築を理解するための簡単な説明があります。
中世の教会は、祈りのためだけでなく、天上と地上のつながりを感じられるように造られました。
そのため教会は星と惑星の体系を意識して建てられました。
まず、昇る太陽の光は、その教会が捧げる聖人の日に一番美しく正面のバラ窓から教会内に射し込むように設計されています。
柱頭の装飾は、天国の木をイメージしています。教会全体で、エデンの園、そしてヨハネ黙示録に描かれた天上のエルサレムを象徴しています。
考古学的研究によると、現在の教会の場所は、最初に建てられた場所と一致するそうです。修道院がカトリック教を信奉するハンガリー王によって建設されたため、教会はカトリック教会の王立の教会の様式に倣って建築されました。その最初の教会は、12世紀に火事で焼け落ちてしまいました。
(続く) -
付属教会の説教台
台の彫刻に注目。特にライオンが気に入りました@
聖マルクスという文字が読めるので、このライオンは福音書記者の聖マルコを象徴していることになります。
同様に、隣の天使チック(でも羽根はありません)な像は、福音書記者の聖マタイを象徴しています。
Lonely Planetによると、この説教台はネオ・ゴシック様式で、シュトルノーの作品だそうです。
「4. 教会の中」(続き)
現在の教会は、13世紀初頭に後期ロマネスクと初期ゴシック様式で建てられたものです。シトー修道会の建築の影響を受け、シンプルで、過剰な装飾はありません。残念ながらオスマントルコの占領時代に、中世の教会部分の大半は破壊されていまいました。
19世紀に、当時の有名な建築家シュトルノー・フェレンツが、教会内部の改装を手がけました。現在も見られる細長い主廊、天井のフレスコ画、天蓋付きの主祭壇、説教台その他ロココ調の内装は、シュトルノーの手になるものです。
また、教会の床は平らではありません。中世における教会の序列に従い、聖なる場所、賛美歌を歌う場所、信者席と明確に高さが違います。(エクスナレッジ社の「建築・街並みガイド5」やLonely Planetでも、祭壇部分が高く上げられたことが特記されています。)
床の高さによって、ミサを行う司祭、一緒に祈りを捧げる修道士、信者の階層がはっきり区別されているのです。現在の民主主義時代からすると違和感がありますが、中世において、属する社会階級によって神の救済への道筋が違うことは当然だったのです。
他にも興味深いところがたくさんあります。クリプト(教会の地下礼拝堂)への入口は、数少ないロマネスク様式です。教会内の2つの礼拝堂の天井の編み目ヴォールト、星の形に見える主祭壇の天井の編み目ヴォールト、ハンガリアン・ルネサンス様式の面影を残すアーチ型の入口など。 -
付属教会の聖ベネディクト像
背後にある紋章はアールパード王家のものなので、ひょっとしてシュトヴァーンかしら、と思ったりしましたが、服装からすると、王様というよりはやっぱり修道士ですね。
ベネディクト修道会の創設者の聖ベネディクト像でした。
祭壇まわりは確かに高くなっていました。
しかし、私は特に違和感なく、すんなり受け入れていました。教会の1つのスタイルと思ったからです。
特に2000年に旅行したスペインや、2005年に旅行したポーランド(ポルトガルではないですよ@)のカトリック教会には、よくあった気がします。
それにスペインといえば、なんてったってものすごい祭壇がありましたもの。コルドバの大モスクの中のカトリックの祭壇です。あの美しいアーチの一部をくずして作り上げられたやつ!
あれを見てしまったら、たいがいのことには驚かないかもしれません。
「5. クリプト(教会の地下礼拝堂)」
地下礼拝堂は、13世紀初頭、教会と同時に建てられました。後期ロマネスクと初期ゴシックの装飾は今でも見ることができます。
西側に赤い大理石で覆われたくぼみがあります。伝説によると、オスマントルコによる占領時代、聖イシュトヴァーンのものと思われる木製の王座が隠されていたそうです。
もっとも現代、確実にわかっていることは、そのくぼみの上部は13世紀のもので、真ん中はオスマントルコが去った後に造られたようです。つまりは、伝説はあくまで伝説でしかない、ってことかしら。
地下礼拝堂には、ベルギー出身のステファニー公爵夫人(皇帝フランツ・ヨーゼフの息子であるルドルフ皇太子の正妻)と彼女の2番目の夫であるハンガリー公爵の墓もあるそうです。2人は第2次世界大戦中にパンノンハルマ修道院に疎開し、死ぬまで修道院で暮らしたそうです。世俗の煩わしさから離れて平穏だったのかもしれませんね。
とはいえ、見学中、伝説のくぼみは、ハンガリー語のガイドが示していたので説明書で確認したため、なんとなく覚えていますが、お墓については、全く記憶にありません。 -
付属教会の回廊に出る華やかな扉
目を引く豪華な扉がありました。
ゴシック様式の教会の中で、まるで仮面をつけたようにやや浮いた豪華さです。
これも思ったとおり、シュトルノーが修復したものでした。
カメラを構えていると手ぶれ警報が出て仕方がなかったので、シャッタースピードを上げるためにISO感度を上げたところ、ノイズが目立つ写真となってしまいました。
(こういう色が分離して画像が荒れたかんじがするのがノイズなのだ、ということは、つい最近(2006.12.24頃)、知りました(泣)。ISO感度を上げるとノイズがでることがある、って、知識では知っていましたが、なんのことかずっと分からなかったのです。) -
回廊の南扉口「ポルタ・スペツィオーサ」
13世紀建造部分です。
ここ以外の回廊がほとんど白一色なので、ひときわ目立ちます。
これは思いがけぬハイライトでした。といっても、ハンガリー政府観光案内所のパンノンハルマ修道院の見どころには名前だけは挙がっていました。
※修道院内の見どころ
「ゴシック様式の星形リヴ・ヴォールト天井を持つ聖殿、礼拝堂、1001年に奉献式が行われた地下聖堂、ハンガリーで唯一完全な形で現存する中世の回廊、赤大理石の扉口ポルタ・スペツィオーサに残るルネサンス様式の彫刻、36万冊という世界最大の蔵書を誇るベネディクト会図書館と古文書館(ハンガリー最古の現存するハンガリー語文書である、1055年の日付のあるティハニ修道院Tihanyi Apatsagの創設趣意書はここに収められている)、学術・芸術コレクション」
(ハンガリー観光局HPステップ・バイ・ステップ・ハンガリーより抜粋) -
回廊の南扉口「ポルタ・スペツィオーサ」
眺めていると、フランスのゴシック様式の大聖堂を思い出します。
赤い大理石が使われているところは珍しいですが、入口がこういうかんじのところって、よくあった気がするのです。
実際、アカンサス葉飾りの中東と、枝を絡ませたブドウの葉の模様の透かし彫りのアーチあたりは、フランス・ゴシック様式の影響を受けているようです。
扉に描かれている聖人は、聖マルタンです。
パンノンハルマ生まれとされているため、修道院の守護聖人に選ばれました。
彼には、寒さに震えている乞食を見て、自分のマントを引き裂いて与えた、というエピソードがあります。
「6. 歩廊」
ここでの説明は、やはりポルタ・スペツィオーサが中心でした。
ポルタ・スペツィオーサは、かつては教会のメイン・エントランスの一つでした。13世紀に造られたもので、回廊から教会へと続く入口でした。
扉は、双柱で飾られ、柱は赤大理石、台座は灰色大理石、柱頭は白の石灰岩でできています。アカンサスの葉飾りの柱頭と、枝を絡ませたぶどうの葉模様の透かし彫りのアーチは、フランス・ゴシック様式との関連を示しています。
修道士たちは、毎朝、回廊でのミーティングのあと、この入口を通って教会に入りました。黙示録によると、天国のエルサレムには、12使徒を象徴する12の門がありますが、ポルタ・スペツィオーサはその一つとされています。
歩廊に囲まれた庭は、エデンの園を象徴しています。中世、その庭で作られたハーブの癒しのパワーは神の力であるとされていました。
15世紀、パンノンハルマ修道院には6〜7人の修道院しかいませんでした。時の国王マーチャーシュはパンノンハルマ修道院を国王専用の修道院とし、いくつかの改築を行いました。 改築にあたったのは、ヴィシェグラードに王宮を建築した工匠たちではないかと推測されています。
1990年初頭の修復時、中世の絵画と思われるものが発見されました。
薄い線描がうっすらあったのを覚えています。 -
回廊の天井を支えるアーチ迫り元の彫刻
あるいは、人面が刻まれた「インポスト」(円柱が伸びる起点)
回廊も教会同様、13世紀建造部分です。ゴシック様式。
この回廊の天井を支える柱の台座もこういうアーチ迫り元も、施された彫刻は1つ1つ違うのです。
「さがみ」さんのHP「ハンガリー良いとこ一度はおいで」から、台座にカエルやトカゲやサンショウウオなどの彫刻もあると知っていて、写真を撮ろうと思って探しましたが、撮りたいほどのものはありませんでした。
それに、台座はいちいちかがんで見なければなりませんが、ほぼ目線上にあるアーチ迫り元はすぐに目に入ります。
どれ1つとして同じものがないのですから、眺めるのに忙しいです。
さまざまなアーチ迫り元の人面図は、Lonely Planetによると、人間の情動や悪徳の寓意だそうです。たとえば、怒り、強欲、うぬぼれ……。
確かにそういうのもありました。
でも、このおじさんの像!
4等身くらいしかない寸胴さで、片手をあごにあてて、どこか困ったような風情なのが、たまらなく可愛いですっ! -
パンノンハルマ修道院の図書室
柱は大理石のように見えますが、Lonely Planetによると、すべて木造なのだそうです。
それはそれは、すっかりだまされました(笑)。
図書室は19世紀建造部分です。1836年建築。
設計は、エンゲル・ヨージェフ・フェレンツが始めたものを、パーク・ヤーノシュが引き継ぎました。
天窓のに鏡を設置して、太陽光が室内にくまなく入るように設計されているそうです。
確かに広くて窓が上の方にしかないのに、明かりがなくても室内全体がとても明るかったです。
図書室に入る前に、エントランス・ホールでも説明がありました。
エントランス・ホールは、修道院に収蔵されている貴重な公文書の一部が展示されていました。
日本語のパンフレットによると、修道士たちは高価な美術品の収集にはそれほど熱心ではなかったそうです。全然ないわけではないようなのですけどね。
なので修道院の収蔵品として重要なものは、主に公文書となります。
特に重要な公文書としては、最古のハンガリー語が書かれているという、1055年のティハニ修道院の創立文書が有名です。
というか、バラトン湖畔きっての景勝地であるティハニに行った縁から、あちこちで目にするその説明は印象に残るようになりました。
ティハニ修道院の地下博物館に展示されていたのはコピーで、オリジナルはパンノンハルマ修道院にあるということも。
ところが、ここでガイドが説明しながら見せてくれたティハニ修道院の創立文書も、思いっきりコピーでした。まさか、と思ってしっかり眺めたのですが、やっぱりコピーでした。拍子抜けです。
まあ、本物だろうがコピーだろうが、私にはその価値はピンと来ませんけどね。ならコピーでもいいじゃない、ってことになりますが。
ちなみに、そのティハニ修道院の創立文書は、それ自体がハンガリー語で書かれているのかと思っていたのですが、どうもラテン語の文書の中にハンガリー語が、それも地名と合わせて60単語あるところから、最古のハンガリー語の文書と言われているようです。
「7. 図書室のエントランス・ホールの中」
解説書にも、ここに重要な文書が2つ展示されていますが、コピーとはっきり書かれてありました。
一つは1055年のティハニ修道院の創立文書で、もう一つは、1002年にイシュトヴァーン王によって発行された修道院の権利を認める勅書です。この勅書によって、パンノンハルマ修道院は、ベネディクト修道会の最初の修道院であるモンテ・カシノの修道院と同等の権限が認められたそうです。パンノンハルマ修道院の上位にある教会組織は、ローマ教皇庁だけです。
修道院の修道士たちは、今日でも、初代国王の意志を受けて、ハンガリーの国の安泰のために祈り続けています。 -
パンノンハルマ修道院の図書室の袖廊部分
これも、柱が大理石に見えますが、Lonely Planetの言うとおりなら、全て木造なのでしょう。
見事な図書室だとは思います。
しかし、実は、同じような図書室は、5日前にケストヘイのフェステティッチ宮殿で見てきたばかり。今回の旅行で2ヶ所目なので、残念ながら、それほどインパクトは強くありませんでした。
だから、図書館自体の写真は2枚しか撮りませんでした。
フェステティッチ宮殿のヘリコン図書室
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11524613/
関連の旅行記
「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第5日目(3)ケストヘイ:フェステティッチ宮殿を見学」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10106818/
といっても、あらためて写真を比べて記憶をたぐると、パンノンハルマ修道院の図書室の方がずっと大きかった気がします。
実際、あちらの蔵書は8万6千冊。一方、こちらの約40万冊という世界最大の蔵書を誇るのですから。
(書籍やインターネットで調べると35万冊以上、とあるのですが、ガイドツアーの英語版の説明書の方には約40万冊と書かれています。)
といってもあちらはあくまで個人の図書館でしたからね。それを考えたらたいしたものです。
といっても、修道院の創立が996年であった歴史に対し、図書室の蔵書は近代以降に急増しました。11世紀末の蔵書は記録によると80冊だったそうです。
ただし、この頃の蔵書といえば、とても手の込んでいて美術的価値も高い手書きの彩色写本。印刷技術発達以降の1冊とは重みが全く違います。
しかし、オスマントルコ支配をくぐり抜け、17世紀末に修道院が再建されたときはそれがわずか10冊しか残っていませんでした。
1786年、ヨーゼフ2世によって閉鎖令が出された時は、4,249冊の本が引き渡されたそうです。
1828年に図書室が新築されたときは、3万冊ほどでした。
この図書館は今も現役で、蔵書は増え続けており、国内外の大学や研究者から資料の要請があるとコピーをして送ってくれるのだそうです。
ちなみに、図書室の中では静粛に、ということで、ガイドの説明は、中に入る前の廊下のところで行われました。
「8. 図書室の中」
1802年に修道会が復活した後、修道士たちは中等教育に携わるようになりました。そのために書籍の購入が必要となりました。書籍は短い期間に急速に増えました。パンノンハルマ修道院の図書館はいまやハンガリーで最大の図書館の一つであり、現在、約40万冊あります。
ベネディクト会を創設した聖ベネディクトは、修道士たちの日々の生活に関するルール本を編集しましたが、それによると、修道士たちは毎日必ず一定の時間を読書に当てることになっています。つまり本は修道士たちの生活の必需品であったため、修道院創立当初から蔵書があったわけです。
本の数が増えるに従い、図書室が必要となりました。ところがオスマントルコ占領時代に、たくさんの本が失われてしまいました。修道士たちが修道院に戻ってきた後でも、失われた本のオリジナルを取り戻すことはほとんどできませんでした。
現在の図書室は19世紀初頭に建てられたものです。長方形のホールと卵形のホールから成ります。長方形にホールには、ギリシャ神話の知恵の女神アテネが描かれています。聖イシュトヴァーンとフランツ1世の絵画と彫像は、ヨーゼフ・クリベール(Josef Klieber)作です。
ちなみにフランツ1世は、1802年に修道会の復活を許可した王です。 -
パンノンハルマ修道院の図書室にあった頭像
聖イシュトヴァーン像……?
それともフランツ1世かしら。
てっぺんの曲がった十字架が特徴的な「聖なる王冠」を被っているので、初代国王イシュトヴァーン1世かと思ったのですが、イシュトヴァーン王として描かれる容貌は、髪も髭ももっと長いタイプの方が多いので、フランツ1世のような気もします。
そもそも「聖なる王冠」は、歴代のハンガリー王はこの冠を通じて王権を授かり、戴冠式では使われていたというのですから、イシュトヴァーンでなければならない理由がありません。 -
図書室にあったパンノンハルマ修道院の模型
ふーん、パンノンハルマ修道院ってこうなっているのですね。
と思ったのですが、よく考えたら今のパンノンハルマの修道院に、塔は1つしかありません。
この模型は、実現しなかった設計に基づくものなのでしょうか。
日本語のパンフレットをひっくり返したところ、1802年に修道院が復活したときに、エンゲル・ヨージェフ・フェレンツや、その後を継いだパーク・ヤーノシュが壮大な大改築計画を提案したのですが、その一部しか実現に至らなかったとありました。そのときの模型かもしれません。 -
パンノンハルマ修道院の図書室にて
半円ドーム状の袖廊の白い像と
この像こそ、初代国王イシュトヴアーン1世のイメージです。
手にしている文書は、彼が発行したという、パンノンハルマ修道院の権利を認める勅書ではないでしょうか。
頭の冠は、ねじ曲がった十字架こそ見えませんが、「聖なる王冠」のような気がします。
うん、やっぱりイシュトヴァーン王でしょうね。 -
マリア礼拝堂へ向かう途中の山道
1時間20分のパンノンハルマ修道院見学は、見応えが全くなかったとはいいませんでしたが、最初に英語の字幕がろくに読めないビデオが15分、建物の外での説明が長かったと思うと、見学したところの半分は見た目は地味なところだった上、一番楽しみにしていたバロック食堂や宝石モザイクの聖母子像が見つからなかったりしたものですから、終わってみると、物足りなく感じました。
丘の南端に礼拝堂が見えました。
もしかしたらバロック食堂はマリア礼拝堂にあるのかと思い、行ってみました。 -
マリア礼拝堂へ向かう途中の道にあった家屋
あいにくマリア礼拝堂は閉まっていて入れませんでした。
建物も、近くから見るとシンプルすぎて、あまり撮影意欲が沸かず、結局、写真は撮りませんでした。
ふもとの町を見下ろすのも、見学中に修道院の敷地内からの方が見はらしが良かったです。
どちらも写真を撮ってはいますけれど。
むしろ、山道の途中に、こんな風に木に覆われた森の向こうの家という風情の窓を見かけたので、こちらの方が撮影意欲が沸きました。
修道院の敷地内からふもとの町を見下ろした写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11626831/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11626832/
マリア礼拝堂へ向かう途中でふもとを見下ろして撮った写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11626833/
関連の旅行記
「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第10日目(3):ジェールからパンノンハルマへのバスの旅」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10113280/
後で日本語のパンフレットをひっくり返したら、マリア礼拝堂の中の写真もありました。
ほとんど白い漆喰であまり飾り気がなさそうでしたが、バロック様式の祭壇画はナマを見たかったです。 -
おまけ
バロック食堂
日本語版パンフレット「パンノンハルマ修道院」より
見学コースから外された、幻の(?)バロック食堂です。
楽しみにしていたバロック食堂の写真が日本語のパンフレットに載っていたので、おまけとしてアップします。
天井のストゥッコ(化粧漆喰)装飾はだまし絵っぽいですが、ロココ様式のすてきな食堂です。
ああ、見学できなくて、残念!
Lonely Planetによると、4〜12月の特別な日には、オルガンやコーラスのコンサートがあるようです。特別な日とは、イースターの月曜日、ホワイト・マンデー、聖イシュトヴァーンの日(8/20)、聖母マリアの生誕記念日(9/8前後の土曜日)、ハンガリー動乱追悼記念日(10/23)、それから12/26です。
ただし、私のLonely Planetは2003年発行の第四版なので、詳しいことは現地のインフォメーションで確認することをお勧めします。
英語のガイドツアー解説書の末尾には、3月〜11月まで毎年企画展が行われるとありました。
そんなのあったかなぁ!と思ったのですが、思い出しました。修道士たちの一人にプロ並みの写真家がいるらしく、その写真展でした。ガイドツアーで最後に案内してくれましたが、あんまり興味が湧かなかったので、スルーしてしまいましたっけ。
それから、修道院のワイナリーでワイン・テイスティングコースのガイドツアーもあるようです。詳しくはガイドツアーに聞いてくださいとのことでした。
パンノンハルマ修道院オフィシャルサイト
www.bences.hu
E-mail: tricollis@osb.hu
Tel: 0036-96-570-191/Fax: 0036-96-570-192
(2006年10月現在)
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