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オルヴィエート、この旅行の最初の訪問地。<br />ここはトスカーナ州の南東端に接するウンブリア州内にある。<br />この旅行でのトスカーナ州以外に訪問したその他の州は、リグーリア州とロンバルディア州。<br /><br />トスカーナ地方の歴史は古く、紀元前7世紀頃にはイタリア半島の大部分を支配したエトルリア人がいた。<br /><br />1400年代にフィレンツェがトスカーナを掌握するまでに、独自の文化が育ち、歴史の波の中で生まれた遺産も多い。<br /><br />最初の訪問地オルヴィエートでそれらが凝縮している姿を見ることになった。<br /><br />詳しくは<br />https://www.wtshin.com/toscana/Frametoscanaroot.html<br />「小川順子TDと行った海外旅行」?イタリア<トスカーナ編をご覧ください。

オルヴィエート'06秋

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2006/10/16 - 2006/10/16

93位(同エリア133件中)

WT信

WT信さん

オルヴィエート、この旅行の最初の訪問地。
ここはトスカーナ州の南東端に接するウンブリア州内にある。
この旅行でのトスカーナ州以外に訪問したその他の州は、リグーリア州とロンバルディア州。

トスカーナ地方の歴史は古く、紀元前7世紀頃にはイタリア半島の大部分を支配したエトルリア人がいた。

1400年代にフィレンツェがトスカーナを掌握するまでに、独自の文化が育ち、歴史の波の中で生まれた遺産も多い。

最初の訪問地オルヴィエートでそれらが凝縮している姿を見ることになった。

詳しくは
https://www.wtshin.com/toscana/Frametoscanaroot.html
「小川順子TDと行った海外旅行」?イタリア<トスカーナ編をご覧ください。

旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • 旅行初日。<br />ローマの宿舎からオルヴィエートに向う。

    旅行初日。
    ローマの宿舎からオルヴィエートに向う。

  • オルヴィエート旧市街には国鉄オルヴィエート駅からケーブルカー。

    オルヴィエート旧市街には国鉄オルヴィエート駅からケーブルカー。

  • ケーブルカーでロッカ駅へ

    ケーブルカーでロッカ駅へ

  • ロッカ駅から林を抜けるとサンパトリッツィオの井戸<br /><br /><br />

    ロッカ駅から林を抜けるとサンパトリッツィオの井戸


  • この井戸は、16世紀に法王がこの町への逃避を想定し建設。<br />

    この井戸は、16世紀に法王がこの町への逃避を想定し建設。

  • イタリアではどうしようもない浪費家を<br />「”サン・パトリツィオの井戸”のようなポケットを持った奴」   <br /> と云うそうな

    イタリアではどうしようもない浪費家を
    「”サン・パトリツィオの井戸”のようなポケットを持った奴」
    と云うそうな

  • 螺旋階段248段。53m

    螺旋階段248段。53m

  • 井戸の底

    井戸の底

  • 行きはよいよい帰りは・・・<br /><br />昔は水を入れた皮袋をロバに担がせて上ったという。

    行きはよいよい帰りは・・・

    昔は水を入れた皮袋をロバに担がせて上ったという。

  • ロッカ(要塞)といっても城壁らしいものが見られるのは、この門の辺りだけ。

    ロッカ(要塞)といっても城壁らしいものが見られるのは、この門の辺りだけ。

  • ローマに征服されるまではオルヴィエートはエトルリアの領土。<br /><br />4世紀から10世紀にかけて,平野部にいた農民がゴート族などの侵略を避け山岳地に入った。<br />そして14世紀頃の「中世」に山岳都市が形成される。<br /><br />14世紀後半、アヴィニオンからローに戻った法王庁だが,16世紀になって神聖ローマ帝国(時の皇帝カール5世)からローマ侵略”サッコディローマ”を受けたの機に,時の法王クレメンス7世がいざという時の避難場所としてオルヴィエートに井戸を穿ち,併せて要塞、、宮殿等を再整備した。

    ローマに征服されるまではオルヴィエートはエトルリアの領土。

    4世紀から10世紀にかけて,平野部にいた農民がゴート族などの侵略を避け山岳地に入った。
    そして14世紀頃の「中世」に山岳都市が形成される。

    14世紀後半、アヴィニオンからローに戻った法王庁だが,16世紀になって神聖ローマ帝国(時の皇帝カール5世)からローマ侵略”サッコディローマ”を受けたの機に,時の法王クレメンス7世がいざという時の避難場所としてオルヴィエートに井戸を穿ち,併せて要塞、、宮殿等を再整備した。

  • 天然の断崖を利用した要塞(ロッカ)

    天然の断崖を利用した要塞(ロッカ)

  • ドゥオモ<br /><br />「ボルセーナの奇跡」の聖遺物を奉るために1290年に建設開始、1600年に完成。<br /><br />

    ドゥオモ

    「ボルセーナの奇跡」の聖遺物を奉るために1290年に建設開始、1600年に完成。

  • 壮麗なドゥオモのファサード

    壮麗なドゥオモのファサード

  • バラ窓の上部に12人、左右に6人ずつの預言者。<br />その下(3角の部分)に「マリアの被昇天」のモザイクが施されている。<br /><br />この教会はこの「マリアの被昇天」に捧げられた。

    バラ窓の上部に12人、左右に6人ずつの預言者。
    その下(3角の部分)に「マリアの被昇天」のモザイクが施されている。

    この教会はこの「マリアの被昇天」に捧げられた。

  • 左の扉の大理石の浮き彫りは、左が「創世記」と右が「預言者」。<br /><br />その上のブロンズ像はマタイを表す「天使」とマルコを表す「ライオン」。<br /><br />最上部のモザイクは(バラ窓の横)は「マリアの結婚」。

    左の扉の大理石の浮き彫りは、左が「創世記」と右が「預言者」。

    その上のブロンズ像はマタイを表す「天使」とマルコを表す「ライオン」。

    最上部のモザイクは(バラ窓の横)は「マリアの結婚」。

  • マタイを表す「天使」

    マタイを表す「天使」

  • マルコを表す「ライオン」

    マルコを表す「ライオン」

  • 右の扉の大理石の浮き彫りは、左が「イエスの生涯」と右が「最後の審判」。<br /><br />その上のブロンズ像はヨハネを表す「ワシ」とルカを表す「牛」。<br /><br />最上部のモザイクは(バラ窓の横)は「マリア奉献」。

    右の扉の大理石の浮き彫りは、左が「イエスの生涯」と右が「最後の審判」。

    その上のブロンズ像はヨハネを表す「ワシ」とルカを表す「牛」。

    最上部のモザイクは(バラ窓の横)は「マリア奉献」。

  • ヨハネを表す「ワシ」

    ヨハネを表す「ワシ」

  • ルカを表す「牛」

    ルカを表す「牛」

  • エミリオ・グレコ作の中央扉<br /><br />この扉製作だけに1961年から1964年までの3年の期間を要した。<br />素晴らしいモザイクが扉の周囲を飾っている

    エミリオ・グレコ作の中央扉

    この扉製作だけに1961年から1964年までの3年の期間を要した。
    素晴らしいモザイクが扉の周囲を飾っている

  • 左扉両脇の大理石の浮彫<br />左:創世記

    左扉両脇の大理石の浮彫
    左:創世記

  • 左扉両脇の大理石の浮彫<br /><br />右:預言者

    左扉両脇の大理石の浮彫

    右:預言者

  • サン・プリッツィオ礼拝堂(正面遺向って左翼)

    サン・プリッツィオ礼拝堂(正面遺向って左翼)

  • コルポラーレ礼拝堂(正面向って右翼)<br /><br />「ポルセーナの奇跡」の血がついたリネン地が収められている聖遺物箱の祭壇。<br />

    コルポラーレ礼拝堂(正面向って右翼)

    「ポルセーナの奇跡」の血がついたリネン地が収められている聖遺物箱の祭壇。

  • 壁面に描かれている「ボルセーナの奇跡」に関するフレスコ画。<br /><br />人口2万人の山岳の町にこれ程のドゥオモを建てさせた「ボルセーナの奇跡」ッてなに?(以下私の調べた要約。間違ってたらご指摘を!)<br /><br />*キリストは最後の晩餐の際、これを「私の肉体と血だと思え」言ってパンと葡萄酒を配った。<br />これが現在も続くミサの儀式、「聖体拝領」の由来。<br /><br />1263年、オルヴィエートの北西10キロにあるボルセーナの町の教会での出来事。<br /><br />そこでミサを挙げていたローマへの巡礼途上のボヘミヤの司教が、この儀式にふと疑いを持ち、儀式のパン(聖体)を割ると、聖体から血が滴り落ち、リネン地の布(聖体衣)を真っ赤に染めた。<br /><br />この事実を知った時の法王ウルヌバス4世が1264年、聖体祭を制定し、オルヴィエートにその血に染まった「聖体衣」を奉納する大聖堂の建設を開始した。*

    壁面に描かれている「ボルセーナの奇跡」に関するフレスコ画。

    人口2万人の山岳の町にこれ程のドゥオモを建てさせた「ボルセーナの奇跡」ッてなに?(以下私の調べた要約。間違ってたらご指摘を!)

    *キリストは最後の晩餐の際、これを「私の肉体と血だと思え」言ってパンと葡萄酒を配った。
    これが現在も続くミサの儀式、「聖体拝領」の由来。

    1263年、オルヴィエートの北西10キロにあるボルセーナの町の教会での出来事。

    そこでミサを挙げていたローマへの巡礼途上のボヘミヤの司教が、この儀式にふと疑いを持ち、儀式のパン(聖体)を割ると、聖体から血が滴り落ち、リネン地の布(聖体衣)を真っ赤に染めた。

    この事実を知った時の法王ウルヌバス4世が1264年、聖体祭を制定し、オルヴィエートにその血に染まった「聖体衣」を奉納する大聖堂の建設を開始した。*

  • 洗礼盤

    洗礼盤

  • 聖水盤

    聖水盤

  • 壁画「聖母子」

    壁画「聖母子」

  • イタリア最大といわれるパイプオルガン

    イタリア最大といわれるパイプオルガン

  • オルヴィエート出身の彫刻家、イッポーリスト・スカルツァ(1532〜1617)の「ピエタ」。

    オルヴィエート出身の彫刻家、イッポーリスト・スカルツァ(1532〜1617)の「ピエタ」。

  • 泣き崩れる「マグダラのマリア」

    泣き崩れる「マグダラのマリア」

  • 共和国広場の柱廊

    共和国広場の柱廊

  • 共和国広場の市庁舎

    共和国広場の市庁舎

  • 共和国広場に面した建つサンタンドレア(聖アンドレア)教会。

    共和国広場に面した建つサンタンドレア(聖アンドレア)教会。

  • 聖アンドレア教会の「ピエタ」

    聖アンドレア教会の「ピエタ」

  • 狭いきれいな街並み

    狭いきれいな街並み

  • モーロの搭の入口

    モーロの搭の入口

  • ポポロ宮殿遠望

    ポポロ宮殿遠望

  • モーロの搭

    モーロの搭

  • 「トスカーナ・リヴィエラ’06秋(表紙)」へ戻る<br />http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10105403/

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    http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10105403/

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