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2006年10月21日(土)<br /><br />心地よい酔いとともに、卓球に人生を見つけようとした時代の、話に花が咲く。<br /><br />当時は靴がないので、はだしだった。<br />皮やゴムは1939年(昭和14年)ころより「統制品」となり、靴は店先から消えていたからである。<br /><br />戦後の闇市で運動靴は出回ったが、一足600円もして値段が高い上、質が悪く、われわれには高嶺の花だった。<br />1946年(昭和21年)、内閣総理大臣の給料は3,000円、巡査の初任給は420円である。(週間朝日編「値段の風俗史」)<br /><br />1950年(昭和25年)の春、近くの履物店に「運動靴入荷予定」と貼り紙があり、それを見て世の中が明るくなった記憶がある。<br />一足230円だった。<br /><br />1947年(昭和22年)全国紙に、金沢の繁華街を3人で歩いている「はだしで歩く四高生」なる写真が、出たことがあった。<br /><br />当時の高校生は、朴歯(ほおば)の高下駄が普通であり、この写真にはわれわれ一同もビックリする。<br /><br />ところが、それを見た三重県の女学生が、手作りのわらじを送ってきた。<br />これも美談として、新聞に載せられた。<br /><br />校長がこの一件を恥ずかしいことと考えて、「そのようなことをするな」と訓示したが、学生たちはそうした意見を馬鹿にした。<br /><br />外見より、中味が大切ではないか。<br />「校長はもっと人生の『本質』に関心を持って欲しい」<br /><br />素足で毎日五時間も練習すると、足の裏がやられて、皮がむけて来る。<br />皮はだんだん薄くなり、痛い。<br /><br />鍛えることにより、足の裏の皮が厚くなると思っていたのは、間違いだった。<br />ゆっくり時間をかけて鍛えれば厚くなるが、急に鍛えれば磨り減ってしまうものらしい。<br /><br />冬になれば、足の裏にしもやけができて、地図のような水泡の模様が見える。<br />水泡の形は、アフリカ大陸になったり、南米になったり、色々変わる。<br /><br />しかし与えられた環境の中でも頑張るだけで、へこたれる暇がなかった。<br />試練は多いほど、有難いとさえ思った。<br />インターハイまでの残された時間は、10ヶ月を切っている。<br /><br />「今こそ自分の限界を知るための、貴重な機会なのだ。」<br />そのように考えて、毎日が素晴らしく充実していた。<br /><br />誰にも強制されず、自分の責任と創造で生きる人生は、最高に楽しかった。<br />この年わが四高では、自殺者を8人数えた。

秋空の金沢を訪ねて【05】足の皮がむけて難渋した練習

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2006/10/21 - 2006/10/21

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ソフィ

ソフィさん

2006年10月21日(土)

心地よい酔いとともに、卓球に人生を見つけようとした時代の、話に花が咲く。

当時は靴がないので、はだしだった。
皮やゴムは1939年(昭和14年)ころより「統制品」となり、靴は店先から消えていたからである。

戦後の闇市で運動靴は出回ったが、一足600円もして値段が高い上、質が悪く、われわれには高嶺の花だった。
1946年(昭和21年)、内閣総理大臣の給料は3,000円、巡査の初任給は420円である。(週間朝日編「値段の風俗史」)

1950年(昭和25年)の春、近くの履物店に「運動靴入荷予定」と貼り紙があり、それを見て世の中が明るくなった記憶がある。
一足230円だった。

1947年(昭和22年)全国紙に、金沢の繁華街を3人で歩いている「はだしで歩く四高生」なる写真が、出たことがあった。

当時の高校生は、朴歯(ほおば)の高下駄が普通であり、この写真にはわれわれ一同もビックリする。

ところが、それを見た三重県の女学生が、手作りのわらじを送ってきた。
これも美談として、新聞に載せられた。

校長がこの一件を恥ずかしいことと考えて、「そのようなことをするな」と訓示したが、学生たちはそうした意見を馬鹿にした。

外見より、中味が大切ではないか。
「校長はもっと人生の『本質』に関心を持って欲しい」

素足で毎日五時間も練習すると、足の裏がやられて、皮がむけて来る。
皮はだんだん薄くなり、痛い。

鍛えることにより、足の裏の皮が厚くなると思っていたのは、間違いだった。
ゆっくり時間をかけて鍛えれば厚くなるが、急に鍛えれば磨り減ってしまうものらしい。

冬になれば、足の裏にしもやけができて、地図のような水泡の模様が見える。
水泡の形は、アフリカ大陸になったり、南米になったり、色々変わる。

しかし与えられた環境の中でも頑張るだけで、へこたれる暇がなかった。
試練は多いほど、有難いとさえ思った。
インターハイまでの残された時間は、10ヶ月を切っている。

「今こそ自分の限界を知るための、貴重な機会なのだ。」
そのように考えて、毎日が素晴らしく充実していた。

誰にも強制されず、自分の責任と創造で生きる人生は、最高に楽しかった。
この年わが四高では、自殺者を8人数えた。

  • 四高のグランドは<br />中央公園になっている

    四高のグランドは
    中央公園になっている

  • この辺りはグランドの片隅で<br />「琵琶湖遭難碑」が建っていたと記憶する<br /><br />1941年(昭和16年)4月、四高漕艇部は琵琶湖で練習中、突風にあおられて転覆し、全員が帰らぬ人になる。<br /><br />前年5回目の全国制覇を達成した、名門だった。<br />

    この辺りはグランドの片隅で
    「琵琶湖遭難碑」が建っていたと記憶する

    1941年(昭和16年)4月、四高漕艇部は琵琶湖で練習中、突風にあおられて転覆し、全員が帰らぬ人になる。

    前年5回目の全国制覇を達成した、名門だった。

  • 旧四高校舎を背景に<br />公園の隅に小さなカフェがある<br /><br />この辺りには「ドッペリの松」があった<br />「ドッペリ」はドイツ語で 落第を意味する隠語だ<br /><br />二回続ければ退学させられるので、失望した学生が、この松で首を吊ったと伝えられた

    旧四高校舎を背景に
    公園の隅に小さなカフェがある

    この辺りには「ドッペリの松」があった
    「ドッペリ」はドイツ語で 落第を意味する隠語だ

    二回続ければ退学させられるので、失望した学生が、この松で首を吊ったと伝えられた

  • 「ドッペリの松」の辺りで<br />親子が遊んでいる

    「ドッペリの松」の辺りで
    親子が遊んでいる

  • 昔の寮の跡に植えられた木は<br />すっかり大きくなっている<br /><br />当時は1年生全寮制だった

    昔の寮の跡に植えられた木は
    すっかり大きくなっている

    当時は1年生全寮制だった

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