2005/11/30 - 2005/12/01
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akkiy363672さん
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2005年 秋、紅葉の嵐山界隈…、嵯峨野竹林~野宮神社~常寂光寺~落柿舎~ニ尊院~祇王寺~化野念仏寺~嵐峡館~大悲閣~亀山公園~大河内山荘~清滝~水尾~先斗町と歩いた旅行記です。
(旅の顛末は、http://www.ztv.ne.jp/kyoiku/monomiyusan/M88%20Kyoto%20no%20Aki%202005.htm へも記しています。よろしければ、のぞいてみてください。)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
-
午前5時05分、自宅を出発しました。
栗東ICから名神に乗ったころに東の空が白み始め、京都東ICで降りるころには夜が明けました。
桂川堤防まで、早朝なので渋滞などは全くなし。
春の桜のときには、堤防へ上ってからまだ1時間かかったなぁと思いながら、7時15分に、嵐山渡月橋へ着きましたた。 -
駐車場も土産物店も、まだ開いていません。
全国各地から来ている車が、市営駐車場の入り口近くに列を作って、会場を待っていました。
章くんの前の車は、沼津ナンバーです。
← 朝日に照り映える渡月橋 -
駐車場が開くまで、あたりをウロウロしていました。
渡月橋の上から下流を見ていると、バリバリとエンジン音がして、ハングライダーが飛んできました。 -
この朝、テレビで、「嵐山の紅葉特集」を放映していたそうです。
そのカメラが、章くんの頭の上を飛んでいったのですね。 -
← 渡月橋の橋の上から、上流右岸をパチリ…。
駐車場場が開いて、車を預けたあと、章くん、渡月橋のたもとの茶店で、自転車を貸りました。
免許証を出して800円を払うと、1日貸してくれます。10年ぶりに乗る自転車は、前のバスケットに荷物を入れているからか、ちょっと不安定です。 -
「人の少ないこの早朝に、ぜひ竹林を訪ねてみてください」と、自転車屋のおじさんに勧めてもらって、天竜寺の横を左へ入り、竹林の中の道を走りました。
-
風に鳴る竹笹の道を抜けると、錦の衣を纏ったかわいい小社に出ました。
伊勢神宮の斉宮の皇女が伊勢に行く前に潔斎をしたという「野宮(ののみや)神社」…、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた宮のいでたちは、源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。
← 竹林の中にひっそりとたたずむ野宮神社。
嵯峨野めぐりは このお社から始まります。 -
野宮神社横の竹林の中をペダルを踏んで行きます。
やがて大河内山荘に突き当たり、そこを右折すると、トロッコ列車の嵐山駅があります。
その左手を抜けて300mほど行くと、左手が「常寂光寺」です。 -
「常寂光寺」は、秀吉建立の方広寺大仏殿供養に宗門が違うことを理由に出仕せず、この地に隠棲した、本圀寺(ほんこくじ)住職の日禎(にっしん)上人が開いた寺です。
← 山門右手の駐車場のあたり
奥へと続く紅葉が盛りでした。 -
常寂光とは、仏教上の天台四土の一つ、生滅変化を超えた永遠の浄土を言い、日禎はこの小倉山の山すその地に、その浄土を見たというのですね。
← 駐車場奥の紅葉 -
← 常寂光寺仁王門
茅葺きの山門をくぐると、そこは今、色鮮やかな錦繍の世界です。
章くんたちは、開門を山門前で待っていた朝一の訪問客ですから、まだ喧騒前にこの庭を歩くことができましたが、もう1時間もしたら、「常寂」ではなく、ただただ「光寺」となることことでしょうね。 -
境内から、京都の町と東山が展望されます。
真ん中のポコンと高い山が比叡山です。 -
境内の紅葉は真っ盛り…。
-
落葉が地面を赤く染めていて、上下左右の全てが錦繍の世界でした。
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竹林の奥に、なにやら人影が…。
甘味処か、何かのお店だったと思います。 -
常寂光寺を出て、落柿舎へと向います。
ダラダラとした登り道がつづく嵯峨野の一帯…。道の両側には、赤や黄色の彩り多い木々を植え込んだ邸宅が続いています。 -
← 向井去来の庵 落柿舎
侘び寂びの世界に遊ぶ洒脱な俳諧人の住処らしく、門口を入るとすぐに裏に抜けるような、藁葺きの閑居でしたが、いかにも住み心地の良さそうな幽棲でありました。
落柿舎の名は、庭にある40本の柿の木の実が、一夜のうちにほとんど落ちたことがあり、以来、去来は自ら「落柿舎の去来」と書くようになったということです。
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小さな可愛いお土産物屋さんが並ぶ道を、さらに10分ほど行くと、「ニ尊院」に出ます。
「ニ尊院」の寺名は、本尊に釈迦如来と阿弥陀如来のニ尊を祀っているためにこう呼ばれています。
角倉了以が伏見城の「薬医門」を移築した総門をくぐると、唐門までの間の参道は『モミジの馬場』と異名をとる紅葉の見所です。
← ここが『モミジの馬場』です。 -
← ニ尊院 奥 茶亭前の庭
本堂に上がり、ニ尊に参拝しました。
左手の茶席「御園亭」前の庭の色づきに、目を見張りました。赤、朱、ももいろ、オレンジ、黄色…、さまざまな色合いの紅葉が、生垣の緑と見事なコントラストをなして、縁側に座って眺めていて、いつまでも見飽きることがありません。 -
← 祇王寺の庵と庭
壇林皇后と呼ばれた橘嘉智子(嵯峨天皇后)ゆかりの大寺「壇林寺」の奥に、ひっそりとたたずむ「祇王寺」は、『平家物語』に名高い白拍子「祇王」ゆかりの寺です。 -
← 祇王寺 庭にちょっと日差しが…。
平清盛の寵愛を受けていた祇王は、仏御前の出現によって捨てられ、母と妹とともに嵯峨野に庵を結んで、尼となります。
後には、清盛の寵を失った仏御前も祇王を頼ってこの寺に入り、4人の女性はここで念仏三昧の余生を過ごしたといいます。
時に、祇王18歳、仏御前20歳であったそうです。 -
← 祇王寺 ③
世の中の栄枯盛衰に身を任せ、運命を恨みもせずに、その赴くままに生きた祇王のこころを思い遣るほどに憐れが増します。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり … 奢れるものは久しからず ただ春の夜の夢の如し」。
平家一門が滅び、鎌倉の世となっても、祇王はこの小倉山の庵で、一代の夢に心を残して死んだ清盛の供養を仏に祈って暮らしました。
「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」…、清盛の心変わりや自分を捨てた冷たい仕打ちを恨むのは詮無いことを、彼女は知っていたのでしょうか。
この寺の庵の左手の小高い一角に、小さな4つの墓があります。春は花、夏は緑、秋は錦、冬は白雪に包まれて、彼女たちは静かな眠りについています。 -
喘ぎつつ、さらに北に向かって自転車を漕ぐこと5分…、左手に石段が見えてきました。
この石段を登れば、「化野(あだしの)念仏寺」です。
← 石段の横の生垣に、大きな猫がいました。
僕に向かって、大きな声で「ニャーニャー」と呼びかけてきます。
まるで「私は化野の巫女…。そなたの肩に水子の霊が見える」とかなんとか呼んでいるみたい。
近づいて頭を撫でようとしたら、「フー(無礼者)!」と叱られてしまった。 -
← 化野(あだしの)念仏寺 ①
石仏で知られる念仏寺は、弘法大師が、弘仁2年(811)、化野の風葬の惨めさめを知って五智山如来寺を開創し、野にさらされていた遺骸を埋葬して、里人に土葬という埋葬を教えたことに始まります。
その後、法然上人がこの地に念仏道場を開いたことから、化野念仏寺と呼ばれることになりました。 -
← 石塔の周りに多くの石仏が並べられています。
賽の河原になぞらえて「西院の河原」と呼ばれています。 -
境内にはおびただしい石仏・石塔が並べられています。昔、あだしの一帯に葬られた人々のお墓だとか。
何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没したいたものを、明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してあるのだといいます。
賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられています。 -
徒然草第七段の書き出しは、『あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそ、いみじけれ(化野の露が消える時がないように、この世にいつまでも住み通すことが出来るなら、趣などない。人の寿命は定まっていないからこそ、妙味があるのだ)』とあります。
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この世は無常であるからこそ素晴らしいという、兼好法師の無常観の現れですね。
寄る辺なき世の遺骸をさらすあだし野の露…。やはりこの地は、密教の妖しさを秘めて魅力的です。 -
← 鐘楼です。
毎年、8月23・24日の地蔵盆には、無数の石仏石塔にろうそくを灯す千灯供養が行われます。
無明の闇の中に、寄る辺なき石仏たちが幾万の炎に揺れる光景は、この世を離れて幻想的な風景でしょうね。 -
しおりに、化野の「あだし」は、はかない…むなしい…という意味…。そして「化」の字は、「生」が化して「死」となり,さらにこの世に再び生まれ化わることや,極楽浄土に往生する願いなどを意図している…とありました。
古来、京都には、大文字の送り火や鞍馬の火祭りなど、亡き人の霊を慰めるさまざまな行事がありましたが、ここ化野をさまよった霊は人々の厚いとむらいによって静かに鎮まり、今日、辺りは晩秋の涼気に清々しい気配でした。 -
化野から、渡月橋付近まで戻りました。
途中、「花のさと」(学校共済宿泊施設)門前で、舞妓姿の撮影が行われていました。
新しいパンフレットでも作るのでしょうか。 -
渡月橋の上から、保津川(桂川)上流方面をパチリ…。
対岸へ渡ります。 -
渡月橋を渡って川沿いの小道を上流へ走り、保津川を掘削して水運の便を開いた、角倉了以が晩年を過ごしたという、「大悲閣」を訪ねました。
← 保津川河畔には休憩所がありました。 -
自転車を石段の下へ置いて、嵐山の中腹にある「大悲閣」へ登りました。
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了以は、岩だらけの大堰川(保津川)を開削して船が通れるようにし、丹波・山城間の物流に大いに貢献しました。今、保津川を観光船が下っているのも、了以の開削のおかげです。
「大悲閣」は大堰川の工事で命を落とした人を弔うために、了以が建立した仏閣でもあります。
急な石段を登らねばならず、自転車で消耗した章くんの足は、途中で2回ほどの休憩を余儀なくされました。
← 石段の途中に何箇所か、石仏がありました。 -
大悲閣仏間の展望窓からの眺めは、ここまでの疲れが吹き飛ぶ見事さでした。
嵐山や小倉山の山肌の紅葉の間を保津川が流れ、視線を上げると京都の市内の向こうに東山連峰が連なっています。 -
← 亀山公園側の山肌
観光客には知られていないのか、渡月橋から遠すぎるのか、訪れる人は少ない。
了以は晩年をここで過ごしたと聞いたので、「年とってからの住家としては、階段がきついね」と言うと、若い住職は、「昔の人の健脚は、今の人とは全然違いますから」と言って笑っていました。 -
また、渡月橋を渡って右岸へ戻り、嵐山(亀山)公園を歩きました。
この公園を横切ると、「大河内山荘」へ出ます。 -
「大河内山荘」へ入りました。
嵐山(亀山)公園の奥、小倉山の南麓に広がる「大河内山荘」は、丹下左膳などの時代劇で活躍した、ご存知「大河内傳次郎」が、36歳のころから約30年をかけて築き上げた大庭園です。 -
入口には竹林、大乗閣には紅葉、持仏堂には松、滴水庵には苔を配し、月香亭からは市内を眺望することができます。
← 保津川対岸の嵐山の山肌に、先ほど訪れた「大悲閣」が見えています。 -
2万?の敷地に傳次郎が命を注いだという庭園は、歩を進めるごとにさまざまな表情を見せてくれます。
← 月香亭からの京都遠望 -
せっかくここまで来たのだからということで、邸内の「静雲亭」で一番安い湯豆腐を食べました。
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午後4時過ぎ。駐車場へ戻って車に乗り、清滝へ向かいました。
訪れた清滝の町は、時間が遅いせいか、家々の戸は閉ざされ、全く人影がありません。
渓谷の紅葉は少し盛りが過ぎたころでした。 -
なぜ、「保津峡駅」が出てきたかというと、清滝口から愛宕山の山麓を北西へ10Kmほど登った「水尾」の村落を訪ねてみようと、山道を走ってきたからです。
『 本能寺の変の10日ほど前、愛宕山で連歌の会に参列した光秀は、そのあと一人で念仏を唱えて一夜を明かすとして、愛宕権現の念仏堂へ篭ります。その夜、正親町天皇は密かに水尾に行幸され、念仏堂を抜けて山を下った光秀と密会したという説があります。
本能寺の変のあと、秀吉による厳しい詮議が行われ、この夜の連歌に参会した人々にも聴取が行われましたが、誰一人として、この夜、光秀が山を下ったと証言したものはいませんでした。』 -
暗闇の中の山道を30分ほど走ったでしょうか。左手に人家が見えました。薄暗い蛍光灯の光に浮かんだ文字は「水尾公民館」…、着いたーッ。
それにしても、人っ子一人歩いていない。一軒、門口に明かりをつけて、門を開いている家がありました。看板が掛かっていて、「柚子風呂 丸源」と書かれています。
あとで聞いてみると、水尾は枇杷や松茸とともに柚子が特産品で、銭湯だったンですね。知っていれば、入ってきたのに…。 -
先斗町に戻って、「招月庵」で夕食…。
今日のおまかせ…、椀物、蒸し物、鴨の治部煮と秋野菜の合わせ煮など。
師走の京都…、その温かさが美味しかったです。
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