2006/10/18 - 2006/10/25
4331位(同エリア4542件中)
明石DSさん
夜明け前のチャイティーヨー
巡礼地の朝
2006.平成18年10月22(日)
■今、5時5分。
4時半頃に目が覚める。誰かが周囲の部屋をドンドンとノックして起こして回っている様子だった。
外を岩に向う人の足音も聞こえる。
このチャイティーヨーの朝はいつもきっと早いのだろう。目が覚め、温水シャワーを浴びて準備し、私も夜明けのチャイティーヨーを見に行った。
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- タイ国際航空
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夜明け前、祈る僧侶
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夜明け前、祈る僧侶
絵になる光景だった -
夜明け前から、岩にお供えをする
夜明け前から広場には人が集まり、ゴールデンロックではすでに参拝者たちの金箔はリが行われていた。
そして周囲には仏塔に供えるのかお盆に入った食べ物がズラッと並んでいる。 -
チャイティーヨーに朝陽が登る
神々しい景色に見とれる
残念ながら陽の出は、大岩と反対の方向からであり朝日が金色の岩に輝くという光景にはならないようだ。
でも、朝の清々しさの中に周囲の風景も尚更絶景に感じ、気分は良い。デジカメのスイッチをやたらに押す。何せ、1ギガのメモリーで6千枚以上が撮影できるのだから。 -
夜明けに集まる人々
しばし、夜明けのチャイティーヨーを堪能し、ホテルに戻って朝食を食う。パン食だった。 -
チャイティーヨーの朝の風景
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チャイティーヨーの朝の風景
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サラバ、ゴールデンロック
今度、見る機会があるのだろうか?
きっとないだろうが・・・。 -
チャイティーヨー・チャイトホテルのフロント
チャイティーヨーで一泊するなら、是非、このホテルを
ゴールデンロックまで徒歩5分、便利です、行ったり来たり出来ます。 -
朝食付きの朝食、パンでした
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私が泊まった建物、新品
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ベランダからゴールデンロックが見えます
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ホテル前を托鉢する僧侶たち
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チャイティーヨーに名残りを惜しみ
デジカメだから写真撮りすぎます
■今、7時2分。
ホテルをチェックアウトし、下山する。ホテル前にたむろする担ぎ屋の兄ちゃんたちにもリュックの小ささなのか?ひつこく迫られず、それに昨日の兄貴の姿もなく自分で担いで下りる。
サラバ、チャイティーヨー。 -
朝早くから店開きの店で土産買う
鬼のように?値切り
それでも、叔母ちゃんご機嫌ですが
途中、土産を買う。やはり値切る。
2500チャットを2000チャットで。まだ朝早く、閉まっている店も多い。
下りは上りより私にとっては圧倒的に楽だが、神輿で下りる者もそこそこいるようだ。 -
店で土産買う
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お土産物店で暮らす子供たち
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又もチャイティーヨーを撮る
左端が大岩、全体はこんな感じの山です -
7時32分
ボチボチ歩き、大分下りて来る。 -
トラック送迎、中継点の広場
毎日、ここで同じような光景が繰り広げられるのだろうな -
この荷台の棒が座席です・・・何か?文句でも
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準備万端居並ぶトラックは全て日本車
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7時55分:すでに中継点に着きトラックの荷台に座る。
直ぐに荷台座席も一杯に・・・なったのに、出発まで延々30分ほど待ちました、何で? -
青い上着が彼らの制服のようだった
稼いだ金の分け前を相談中?
8時20分:トラック三台が客で一杯になっているのに未だに出発しない・・・のは何故?? -
御輿に担がれて下りてくる人も結構います
料金は、聞かなかったので知りません -
座席が満席になって待つこと30分以上
やっと出発の模様
後のトラックが次々先に出発し、文句の声が上がる -
私が乗ったトラックが一番先に一杯になっていたのに中々出ない。
その上、後のトラックの方が先に出発したり???乗ってるミャンマー人が我慢強いというのか?あきらめているというのか?これがミャンマーなのか?
私はトラック荷台の座席?歩み板の半分くらいの幅の木に座って苛立っていた。
やっと出発 -
ジャングルの中をジェットコースターばりに暴走
やっと出発、今度は山道を暴走するトラック。
ジェットコースターの如く、女性達が嬌声を上げている。
これもサービスなのか?と思うくらい、その走り方は、急に加速したり急カーブを速度を落とさず回ったり、そこそこのスリルはある。 -
キンプンに到着す
9時1分、さっきキンプンに到着。下りは30分ほどだったと思う。
我が、お抱え運転手はいずこに??
9時5分、直ぐに運転手のNさんと出会う。
時間は午前中にと言っていただけで決めていなかったが、私が下りてくれば分る所で待っていてくれたようだ。 -
Nさんと出会い、キンプンを出発
又、来る日まで
今からヤンゴンに向かい、ヤンゴンの日本人墓地によってからホテルに帰着する。それで今日の予定は一応完了だ。 -
こんな関所が、何ヶ所もあって
通行する車から金を取ります -
こんな関所が、何ヶ所もあって
通行する車から金を取ります -
広がる風景はこのようなものでした
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こんなんものどかな風景というのでしょうね
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何処へ?居眠りは死に直結す
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街路樹の太さも半端ではない
樹齢○○○年の如く、立派な木が多い -
ガソリンは漏斗(じょうご)にて給油すべし
こんなん初めて見ましたが、ミャンマーでは普通のようです -
バゴーの店で食事予定が、このバスのせいで全席予約済み
その上、例の彼女にここで又偶然出会い
とうとう扇子を買う羽目に
「お兄さん、覚えてる。私覚えてるよ!」って声を掛けられた
土産押し売り稼業に励む?例の彼女
日本からバゴーに旅行される方へ
中国製の扇子をお求めの節は、是非彼女に・・・。 -
バゴーのこの店で昼食を食いました。
10時50分
フォーを通過し、次はペーヤージ、そしてバゴーで昼食の予定。左右に相変わらず田園風景が広がっている。
バゴーにちょうど昼頃着き、食事をしに前回入った店に入る。な、な、何と、全席予約で一杯で入れなかった。そういえば前にバスが三台並び、この観光客が入るようだ。
近くの店に入ったが、Nさんは食い物を注文せずコーラだけ頼んでいた。客と一緒に食事は厳禁されているようだ。無理矢理誘った私が、かえってNさんに気を使わせ迷惑を掛けたようだが・・・。
半分分けるも三分の一で良いといい、仕方なし。
腹ごしらえも終わって、さあヤンゴンへ、その前に飛行場近くの日本人墓地に寄ってもらう。 -
途中、消防車が道を塞ぎ・・・何かと思ったら
車が一台炎上、もう火は消えていました
やはり消防車も日本の中古のようです -
日本人墓地入り口
■日本人墓地に参拝
午後1時55分、日本人墓地の敷地は広かった。中に入ったら、今日は日曜日というのに敷地の植木を手入れしているミャンマー人が居た。
「ミンガラーバー(こんにちは)」と声を掛けながら、「いつもお世話になっています・・・」とかなんとか日本語で言いながら、それぞれに心付けを手渡す。笑みを持って受け取ってくれる。
私の他に参拝者はなし。 -
昭和55年3月28日:日本国政府が建立した記念碑が墓苑の真ん中にあった。宗教色を除いたのか?
それは四角い記念碑であった。 -
昭和56年3月28日:日本国政府、竣工
ビルマ平和記念碑 -
管理して下さる二人の女性
そこに二人の女性の管理人が居た。線香をもらい、記帳ノートに名前を記す。
女性にも心付けを渡す。気が済むまで佇み、墓石を見て回る。明治時代の墓も多い。無名の墓石もある。 -
記念碑の中から入り口方向を写す
■「大東亜戦争」その時、19万人の日本人がこの地、ビルマで命を落とした。
例え餓死であっても、彼らの死は決して無駄死にではない。
何人死んでも進撃する。陣地を奪取し、自軍の領地を確保しながら、敵を追い詰める。やはり国家には兵隊アリが必要なのだ。いくらアリのように無残に踏み潰されても、後から後からゾロゾロ湧き出て来て前へ前へと進む。戦場での死は全てが崇高なる死だ。
国家の中の男子たるものは戦う駒であり兵士である。そして駒を巧に使い動かす有能な指揮者があってこそ国家は名誉も誇りも安全も保てるのだ。それが自分の子供を守り家族を守ることにもなる。
そして兵隊アリは、国家国民の誉れであり、戦場で戦果を挙げれば英雄として、戦果上げることなく死んでも永遠に栄誉を与えられる。そうでなければ国家は国家足り得ない。
61年前までの日本には誇るべき兵隊アリが居た。
「貴様は命が惜しいのか?」「惜しくありません」・・・と、嘘でも何でも良いから迷わず瞬時に返答できる兵隊が居た。
物心ついたその時から、疑問なく、当たり前にその覚悟を持った兵隊が居た。
そして、その兵隊に「貴様らに死に場所を与えてやる」と厳然と命令できる政治家・軍人・指揮官が居た。だから日本は誇りある国家として世界に存在し得た。
そして国民は、命ある時間を懸命に生き、子孫を残し、恥を知り、常識を知り、高い道徳性を保つことが出来た。
61年前には、今とは違う日本国があり、日本国民が存在した。その証がこの墓であり、墓苑である。ご冥福を祈り、感謝の誠を捧げ、許しを乞う。 -
元皇族:伏見 博明さんのお名前
-
ムムム・・・何で?こんなとこに「許永中」の名前が???
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白木の墓標も多くあった
明治時代の墓もあった -
最近の墓石である
2002年2月23日:さくのじよ・きたむらさん
・・・と墓石に書いてある
きっと元日本軍兵士の方がビルマで終戦後生き抜き
死んで日本人に戻ったのだろう
故国日本への里帰りはしたのだろうか?
胸打つ墓標に足が止まる
↓Web頁で偶然、北村作之蒸さんを見つける(H18.11.6)
http://www.ayeyarwady.com/ph_essay/essay1.htm -
日本人墓地を参拝した
この旅の目的の一つであったが
こんな所に、こんな風にあったのか・・・と、知った。
土地を提供し、整備して下さるミャンマーの方々に感謝したい
そして、
遠く故郷を離れ、戦いの中で命を落とした兵士の方々に
哀悼の誠を捧げ深謝する
将来、この地に多くの日本人が訪れ
戦い散った父祖の冥福を祈らんことを願う -
■3時頃、ホテルに戻る
三日間付き合ってくれた、Nさんと別れホテルの自室へ、今度は3階の部屋になった。少し狭いが値段は同じ25ドル。
しばし小休止。
又、のこのこ出て行く。スーレーバゴダへと、ここはダウンタウンの象徴であり、中心でもある。ロータリーの真ん中にあり靴を脱いで入った。入場料は要らない。この近くにはチャイナタウン・インド人街などなどもあり、多くの人で賑わう場所である。
そんな人込みに呑み込まれながら、歩くのが楽しい。彼の地の匂いを感じ、文化の違いを感じ、分らない言語の飛び交う商店街を歩くのが私の旅である。
ぶらぶと行く、行き先はやはりスーレーバゴダ
今日もここは観光客や地元の人たちで溢れている -
スーレーバゴダの境内で、ミャンマーの双子ちゃんの写真を撮り、行き交う人々を何気なく見る。
ヤンゴンン双子姉妹
この着飾りで、みんなの注目を独り占め
彼女達の将来は如何に?ミャンマーの10年後は? -
衛星放送受信用アンテナが至る所に
NHKの衛星放送もこのアンテナがあれば見れると思う -
歩道橋の上から市街地を写す
-
街角の電話屋さん
携帯の普及は遅れて、今もこんな光景が普通です
ここでPLGに電話をしました
日本では考えられませんが、繋がりにくい時も多いです -
トゥラとモーエンの二人
トゥラはどう見てもインド系ですね、モーエンは?
ちなみに政治問題はミャンマーではタブーです
もっとも彼らとは意思疎通困難故、話深まらず
インターネットをする。
サクラタワーの傍にインターネットの店があるのを聞いていたので初めて入った。中国よりも、まだまだIT世界は未熟であり、料金も高く、一般人からは程遠い世界だと思う。料金は1時間足らずで¥1200チャットだった。
しかし、ここのネット環境は日本語フォントが入っており、日本語でも書き込める。
それから街を散策途中、インド系の自称:学生Thura、トゥラ、25歳、それと21歳のモーエンの二人である。大概は「ハロー」と声を掛けてくる。
そして「チェンジマネー?OK?」が、連中の第一声なのだが、本当に学生のようで、自分の事を説明したり、日本のことを彼は聞いてきた。
しばらく離れずに付いて来るので、暇だし「飯でも一緒に食おうか?」と聞くと「OK」と言うので、日本式「焼肉屋」に入った。
トゥラが、そこでも良いというので入ったのだが、結局彼は牛肉が嫌いだった。
何を話したか?英語なのでほとんど会話にならず、記憶に定かでない・・と、言うことは大したことは話していないということだ。
財布にあまりチャットも持っていなかったので、飯を誘いながら支払いが気になったので、席を外し先に勘定してもらったけど¥12,050チャットで何とか足りた。 -
量、質とも、しょぼいカルビ
焼肉は肉のボリュームが全然なく、タレの味も今一、美味しいという代物ではなかった。腹は膨れた。
焼肉はミャンマーでは高い食い物だ。でも、三人でそこそこ腹一杯食って日本円1200円か。でも高いって向こうでは思いました。財布が空になりそうで・・・。
1000チャット札、一番の高額紙幣を12枚財布から出して払うのですから・・・。財布にあと2枚くらい残りましたが。 -
この店が、JAPAN STYLEの焼肉店
-
またまたのこのこやって来た、夜のスーレーバゴダ
■6時42分その後、ホテルに戻り、又、ノコノコ出かけ街をさ迷う。
バナナの6本くらいの房を買って、ちぎって食う。小さい頃食べた台湾バナナを思い出す。小ぶりで美味い。
ガキどもに声を掛けられ写真を撮ったり、乳飲み子と夕涼み中の母親から、ぶら下げているバナナをくれと言われてあげたり・・・。 -
ミャンマーの子供たち
デジカメが珍しいのか?寄ってくる
そして自分を写してくれと・・・
でも、写真を送ってとは誰一人言わなかった
大人も子供も、写真を頼み写しても、送ってとは言わない
何故なのか?今もって分らず
写すだけで、楽は楽だが -
ミャンマーの子供たち
-
ミャンマーの子供たち
-
ミャンマーの子供たち
■午後8時37分:ホテルに戻る
その後、もう一度インターネットをして、ダウンタウンの散歩を楽しみ部屋に返って来た。
そして明日何処に行こうか・・・ガイドブックを見て考えようと思って、本を探したが見当たらず。
Nさんの車に置き忘れた事に気付いた。早速、PLGのニャン・リンさんの携帯に電話をして、明日午後3時からの半日ガイドの確認とガイドブックをホテルに届けてくれるか、明日のガイドに持って来て貰うように頼んだ。
帰国後に旅行記を書くために、観光の順序などを記しているので本は私にとって必需なのだ。その他のメモもしてるし・・・。
チャイティーヨーからヤンゴンへ戻って来た。
さあ、明日は午後7時に祖父探しの彼女に会う約束がある。その他、何処で何をして過ごすのやら・・・
午後3時にガイドを頼んでいる
10月22日(日)チャイティーヨーからヤンゴン
No5:終了
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