2006/10/18 - 2006/10/25
3965位(同エリア4542件中)
明石DSさん
2006.平成17年10月20(金)
運転手のNさん(仮名)と、コロナマーク?(AT車)
Nさん、寡黙だが、時間は厳守し嫌な顔はなし
三日間の私の専用車
クーラーは良く利きドライブは快適だった
■7時53分、さあバゴーに
バゴーはヤンゴン北東70kmのところにあり、バゴー管区の州都で、マンダレーやバガンと並ぶ古都として知られているそうだ。
20〜22日、二泊三日の専用車利用:運転手の宿泊代込み(220ドル=¥26400円)
8時の約束どおりPLGで頼んでいた運転手のNさん(仮名、名前は聞いたが忘れた)がロビーに来てくれた。
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- タイ国際航空
-
さあ、ヤンゴンから地方への出発である。・・・と、いっても車で2時間足らずで着く予定。
運転手のNさんは日本語は出来ないし、英語も互いにほとんど会話にならず。それでも何とか聞き取れたのは、Nさんは結婚し5人家族、妻と12歳の長男を筆頭に8歳、5歳の三人の息子がいるそうだ。
ヤンゴンでの初日の半日観光の時も運転手だったが、ガイドのティンさん曰く、「Nさんは大人しい」と言うことで5人家族を聞いただけで、その他の会話は、三日間ともほとんど成り立たなかった。
でも運転手としての仕事は、黙々と滞りなく行ってくれた。
これもNさんのいつものスタンスなのだろう。文句はない。 -
ヤンゴンの出勤風景を車窓から眺めながら直ぐに景色は郊外の風景になった。街を通過する度に、Nさんはその町の名前を教えてくれた。
?ヤンゴン、?ミンガラドゥー、?タウチェン、
?べグー、?インディゴー、?バゴーであった。 -
移り行く車窓の景色を眺めながら、此処は日本ではない?
確かに、そう感じる。 -
10時前にはバゴーのエンペラー・モーテルという日本で言うビジネスホテルに着いた。
これでも町の中心部にあり「地球の歩き方」にも写真入で紹介されているままの道路沿いのホテルであった。
早速、4階の407号室の部屋に案内されエアコンのスイッチの入れ方を聞いたり、トイレ、シャワーの使い方の要領を聞く。
一泊9ドルでもあり、確かに部屋の中も外観も粗末なホテルだが、小奇麗であり一泊の宿には十分である。 -
これがバゴーで有名な?エンペラー・モーテルだ
別に不満はありません。蚊取り線香つけました。
朝は早くから喧騒が目覚ましになってくれます
ここで、ゆっくり朝寝坊出来る人はバカか、余程の無神経な人です
自分はバカで無神経だと悩んでいる人は一度泊まって下さい
朝寝坊してしまったらやっぱりそうです、その時はあきらめて下さい
荷物を降ろし、観光に出向く。 -
若い僧侶が沢山修行している僧院
恐る恐る侵入す、何か周囲は合宿所のような雰囲気
■先ずは、チャッカワイン僧院へ
説明によれば
『ミャンマー国内屈指の規模の僧院。常に1000人以上の若い僧侶が修行に励んでいる。』
何せ、ガイドがいないのでガイドブックからの簡単な説明を読み、入って行く。僧侶たちの寮が周囲に立ち並び、中は広い板敷きの広間に何人かづつが合宿所のように生活しているようだった。 -
将来の高僧:ウグィラ、好青年だった。
椅子に座ってポーズをとるウグィラ。
広々とした講堂のような所に入って、周囲を見渡していたら若い僧侶が近づいてきた。
「写真を撮っても良いですか?」と聞くと、自ら高僧の座るような椅子に座ってポーズを取ってくれた。 -
彼の趣味、楽しみは一体何なのか?将来の夢は?
聞きたい事は山ほどあったが・・・。何せ、言葉が通じない
英語で盛んに話してくれるが聞き取れず、彼は私の住所や電話番号を聞いてくる。そして、自らの手のヒラにボールペンで書き込んでいた。
私のメモ帳にも彼の父親や母親の名前を書いてくれたり、彼の属していた学校の住所を書いてくれたりしたのだが、中途半端で分からない。分かれば帰国後、写真を送ってあげようと思ったのだが・・・。
結局、分かったのは彼が29歳で、名前はウグィラということだけだ。29歳と聞いて驚いた。もっと若く見えたし、その人懐っこさから20歳前後だろうと感じていたから・・・ -
何やってんの?何か面白いことあんの?
何人かの若い僧侶が、見に来てくれました。
ウグィラは構わず、いろんな事を私に聞いてきます
何を聞いているのか?熱意は重々感じますが一方的で分らない。
彼と写真を取ったり、通じない会話をしていたら何人かの僧侶も集まって来た。
毎日、変化の少ない修行の日々の中で珍しいものには興味があるのだろう。デジカメもその一つだと思う。 -
追記:上座仏教(小乗仏教)について・・・
↓以下はWeb参照
「大乗仏教」・・・非伝統的、在家肯定的:日本
誰でもががんばれば(修行をすれば)悟りを開けるというのが「大乗仏教」であり、北伝仏教とも言われインドから中国を経て日本に至った仏教である。
「小乗仏教」・・・保守的、修行尊重的:ミャンマー
これに対するのが小乗で、仏陀のような優れた人でも何度も何度も生まれ変わりを繰り返して、ようやく悟りを開けたのに、我々凡人はそうそう悟りを開けないという考え方である。南伝仏教ともいい、インドから東南アジアに伝わった仏教である。
「小乗仏教」とは「大乗仏教(偉大な教え)」に対して「劣った教え」という意味でつけられた名称であり、大乗仏教の優位性を前提とした蔑称に過ぎないので、上座部仏教側が自称することはない。
・・・・・・・・・↑以上、参照
仏教についてもミャンマーの僧侶につても何も知らない私だった。
あれだけの若い僧侶が、生涯、結婚もせず僧侶の修行を続けるのか?・・・と、不可思議だったが、やはり、一度の出家修行や、二度、三度等々、坊さんにもいろいろあるらしい。
やがて昼食の時間が来て、ウグィラは去っていった。 -
10時53分
そして、その昼食風景が圧巻でもある。それは観光の目玉にもなっているようだ。写真もOKである。
食堂入り口に左右から僧侶が飯を入れてもらう食器を持って一列に並ぶ。延々と、延々と続く、淡々と並び、淡々と飯を入れてもらい食堂に入って行く。今いるのは1100人くらいだと横に居たおっちゃんが教えてくれた。
これだけの数が揃えば、確かに見応えはある。最初から最後まで入り口付近で見入っていた。そして写真を遠慮なく撮った。
飯を食う風景を撮るのは如何なものか?・・・と、いわれても私には通じない。 -
こんな大釜が三つ四つ用意されていた
-
昼飯を食うために並ぶ僧侶達
どこにこんな沢山の僧侶が居たのかと??? -
並びます。一列で左右から彼らはやってきます
-
何処まで続くのだろうか?この列は、
最初の僧侶は
もう食い終わってしまうかも
おかずはどこに?焦らないのか?僧侶達よ -
大釜に残ったご飯は、一つにまとめて中に運ぶようです
お代わり自由のようです
めいめい自分でよそいに行ってました -
ちょっと暗いですが
黙々と食う1000人以上の僧侶
観光客も見ています
私もしばし見てました
おかずもありました・・・一応
4,5人で囲んで食ってます -
このバゴーのお姉さんを宜しく
土産の押し売り?してます。中国製の扇子売ってます
後日談:ここでは買わずに振り切ったのに・・・。
何故か?二日後にチャイティーヨーからの帰り道
バゴーに立ち寄り偶然出会う
「お兄さん、覚えてる。私覚えてるよ!」って声掛けられ
「ムムム・・・覚えてるわ」と懐かしく
中国製の扇子、2本1000チャットで買ってしまった。 -
最後の瞬間、私の言い値で売るは羽目になり、ちょと不満気な顔
300円を200円に値切る?金持ち日本人の私は鬼なのか?蛇なのか?
左の少女はまだ中学生くらいでした。学校は行っていないようです
みんな頑張っています
出る時に土産売りの連中と丁々発止の駆け引きをし値切って買った。
出る最後の瞬間にこっちの言い値になったから。それでも写真は撮らせくれた。楽しからずや。 -
■次は、シュエモード・バヤーへ行く
『バゴー最大の見どころとも言える。仏塔の歴史は古く1200年以上昔に遡ると言われている』・・・そうだ。
仏塔の高さは114メートルで、ヤンゴンの象徴、シュエダゴン・バヤーよりも高いと知ったのは、これを書いている今ですが(笑)。
入る時に10ドル払った。これはバゴーの入域料というもので、この領収書を持っていればバゴーの他での観光はお金は要らない。一括払いの制度である。
その場になるまで知らなかったが、10ドルという事を聞いて、確かガイドブックにそんなことが書いて有ったと思い出し領収書を財布に入れておいたのが正解だった。
デジカメ撮影料:100チャット(10円)も払う。 -
シュエモード・バヤー・・・ここで入域料10ドル払う
10ドルでバゴー市内は全部OK、高い?安い?高い。 -
実は、大きな日傘
こんなんがあっちこっち並んでいます -
少女と仏像
-
手前のは1931年・地震で崩れ落ちた「塔」
-
昼になったのでホテル近くに引き返し、昼食。
運転手を無理矢理さそって一緒に飯を食う -
こんなん食べました
バゴーの高級?レストランにて
味はまあまあ
こんなん食べました -
■次に、シュエタリーリャウン寝仏
『バゴーで最も有名なのがこの全長55mの寝仏。994年に建立?密林に埋もれていた巨大な像』
かっての日本軍人も見たのだろうか。今では金ぴかにされて寝ていた。しばしたたずみ、床に寝転び寝釈迦を仰ぎながら何かを思う?何を思ったのか忘れた。 -
ジャングルの中に埋まっていたそうだ。
“金ピカ”に修復することは是か?非か?
趣味趣向の問題なりや? -
日本人の慰霊碑に向う
■第五十五師団慰霊碑に参る
この慰霊碑は徳島県人が中心になり、第五十五師団の戦没者(16,311柱)の慰霊をする為に建立したそうです。1992年の徳島県知事の感謝状が飾って有りました。
-
何故か?「地球の歩き方」にも載っていないが、上記、寝仏の直ぐ近くに慰霊碑はある。
たまたまNさんが、私に教えてくれたので是非と言って連れて行って貰う。 -
そこには第五十五師団の慰霊碑があった。
チャニンガン寺院:寝仏様のすぐ近くにこの寺院はある。 -
二人の少年僧が鍵の掛かっている扉を開けてくれる
何がこの奥にあるのか・・・と、分らないまま入る
ミャンマーの僧侶及び地元の方々が慰霊碑を守り手入れをしてくれているようだ。その費用も日本の関係団体から出ているのかも知れないが・・・感謝の気持ちで一杯になる。思ってもいなかった慰霊碑に出会う事が出来て嬉しかった。
少年僧が鍵を開けてくれて、線香もくれた。火をつけ線香を供え、座って拝む。 -
そこには第五十五師団の戦没者(16,311柱)
・・・の慰霊をする為に建立した慰霊碑があった
少年僧が用意してくれた線香を供え祈る
鎮魂
慰霊碑は奇麗に保たれていた
合掌
ご冥福を祈ります -
第五十五師団慰霊碑
この慰霊碑は1956年(昭和31年)元日本軍軍人で
徳島県人がビルマ巡拝慰霊に訪れた際
一念発起し亡き戦友(通称、楯兵団第五十五師団戦没者
16,311柱)を偲び四国四県を中心とし、全国に散在
する戦友の篤志により1979年(昭和54年)ビルマ
の古都であり、又寝釈迦仏が祀られる
聖地ペグー市チェニンガン寺院内に建立、1997年同時寺
院隣地に移転したものでございます。
改めて、ミャンマー国民の皆様に深甚なる感謝を申しま
すと共に亡き戦友の冥福を祈念するものでございます。
1997年3月吉日
元第五十五師団ミャンマー現地慰霊碑建立委員会 -
チェニンガン寺院の僧侶
お布施を直接手渡す
そして、いくばくかのお礼を少年僧に渡そうとすると、何時来たのか、後ろから女性が私に声を掛けて、「お坊さんを呼んできますので、お布施は直接、僧侶にお渡しください」というようなことを言われた。
その時は、ここが寺院なのか?何なのか?良く分からなかったが建物の中に通されると、直ぐに高僧とおぼしき僧侶が現れた。その方に頭を下げ日本語で感謝を言った。そしてお布施を女性から差し出された封筒に入れて渡した。
お茶を出してくれた美人で上品な女性が説明してくれる言語を意味不明ながら適当に頷き聞いていた。
お布施の相場は分からないし・・・。適当である。日本円にすれば????後で写真を見れば、ここはチャニンガン寺院となっている。
今日のバゴー観光、ここの慰霊が何よりの収穫だった。 -
お世話をして下さった女性の方々
お茶をご馳走になりました
感謝です。これからも宜しくお願いします
1992年の徳島県知事の感謝状が壁に掛かっていました -
■午後1時12分:シュエグーガラー・バヤーに行く
『一見どこにでもありそうな小さな仏塔だが、内部に回廊があり、64体の仏像が安置されている』
暑い中、この回廊は涼しかったです。アベックが一組、何やらミャンマー語で話していましたが、回廊ゆえ声が響いていたことを覚えています。その他、鐘を撞きました。 -
こんな感じです。一周回廊になっています。
涼むのにはちょうど良いかも。 -
こんな寺院でした
帰り道、振り返り写す -
■次は、チャイプーン・バヤーへ行く
『1476年に建立された4面の仏像』・・・一面は修復工事中だった。
又、ここで土産売りの少女と駆け引きを楽しんだ。結構、この少女は日本語が上手だった。学校には行っていないようだった。因みにミャンマーには義務教育はなく、小学校5年間・中4年・高2年、合計11年のようです。学校に行っていない子供も沢山いるようだった。 -
チャイプーン・バゴダ。
-
絵葉書、1000チャットで買いました
小学生くらいに見えましたが、学校は行ってないようです
この女の子が日本語一番上手だったように思います
車の中の土産を下調べして、
「これ持っていない」って売りに来ます -
お兄さん、少女に圧倒されています
少女のお蔭で私に売れた?絵、向って左側、今我が家にあります -
チョンチョンorトントン、発音が聞き取りにくい。
■怪しげなガイド、チョンチョンに遭遇
Nさんには今日の予定は終了と伝え、明日8時に約束をして2時頃だったがホテルに戻った。そして小休止。
またホテル前に出て行くと二人の男に囲まれ、いつもの調子で声を掛けられる。その一人のいかにも怪しげな風体の男は、日本語が上手く十分な意思疎通が出来た。日本語ガイドとまでもいかなくても・・・。 -
チョンチョンの単車に二人乗り、
こんな道を通って叔母さん?の家に。
名前はチョンチョン、42歳、親父は元教師で今は日本語の先生のようなこともしているらしい。母親も元教師。チョンチョンの奥さんも教師、日本語も少し話す。今は子育てが忙しいのか?休職中の模様。
6人家族、小学校の長男、二男、そして長女、まだ一歳になっていない二女の計6人家族である。何年か前に奥さんが病気で費用が沢山要って家を手放し、今は竹を組んだ家に住む。それが長男、二男の子供たちは恥かしいらしい。
チョンチョンはまず私に、「近くに叔母の家があるから連れて行きますよ、どうですか?」と、声を掛けてきた。
旅行者の興味に「地元の家庭の様子を見たい・・・」という者が沢山いるのだろう。
特に私のように一人旅をしているような者には・・・それが効果的なのを彼は知っているようだった。 -
チョンチョンの単車に二人乗り、
こんな道を通って叔母さん?の家に。
私もその話に直ぐにのり、「一体、なんぼやねん?」と交渉を始める。
チョンチョンは自分の家まで往復で¥3000チャットと言うので一応私は値切って「2000チャットなら行くけど・・・」と言うと、それで交渉成立になった。
そして彼のオンボロ単車の後部座席に乗り、約束通り、まずは近くの叔母?宅へ。
中に入る。子供がいた。お婆さんも出て来た。あとからチラッと子供の母親のような女性も出て来た。
「ふ〜ん、これがミャンマー人の家の中の様子か・・・」と、写真を撮りながら周囲を見渡していた。
チョンチョンはその間、私を置いてどこかに出て行っていた?
チョンチョンが戻って来たら、直ぐに出発。
ボロ単車、無論、ノーヘルで、ガタゴト道をどこかに走る。 -
チョンチョンの叔母さんと、叔母さんの孫?
それとも?正体不明ですが -
こんなかっこいい写真がリビング?の壁に
-
帰る時に、何故か?金網越しに発見した子供の母親
笑顔で見送ってくれました・・・が
「チョンチョン、また、日本人のカモを見つけて来たな」
そういう呟きが聞こえました -
単車の後部座席から肩越しに写す・
-
周囲の光景。
チョンチョンの家って、ホンマ近くにあるのかなあ? -
しばらく走って道沿いの喫茶店?前に停車
あんたの家ではないやんか・・・。 -
そこにチョンチョンの家族が勢ぞろい
状況はほとんど掴めてませんが
悪い人たちではないようで、ひとまずホッとする
20分ほど走って停まったのは、道沿いのレストランand喫茶店のような店。そこには何故か?奥さんと二人の娘がいた。
そして、私はジュースを飲んだが、他の誰も茶を飲むだけで居座っていた。一体ここは何処?店とチョンチョンの関係は?何も分からないが、その時は勝手に想像するだけだった。
家に連れて行く約束が・・・店に連れて来られた?
そして、しばらくすると息子二人が学校から帰って来た。学校に子供を通わせているということは、さすが奥さんも教師のようだし、まともな家庭なのだろうと思う。
ここでチョンチョンは私の今後の予定を聞き、ヤンゴンに戻る時はガイドとして奥さんを雇ってくれないか?と、持ち掛けてきた。
その話を横で聞いていた奥さんも乗り気になり「私も行きたいわ・・・」と言う。
「こんな小さな子供がいるのに?子守りはどうするのよ?」と私が聞くと「もう母乳は離れているしミルクで大丈夫だし、祖母に頼むから」とマジに言うので驚いた。
私は直ぐに「いや、すでに予定は決まっているし、ガイドは要らない」と断わるとあっさり夫婦はあきらめた。 -
なんちゅう寺院か知らぬが、日本人初の参拝とは私なのか?
チョンチョン、嘘ばっかり言うなよ
しばらくしてチョンチョンが行こうというので、又後部座席に座って出発。ガタガタ道を何処に行くのか?と思っていたら、ひなびた寺院に到着した。 -
チョンチョン曰く
「ここは日本人の誰一人して来ていません。あなたが初めての日本人です・・・」と、得意気に演説するので、私は呆れながら「いつもそうやって日本人に言ってるのだろう」と言い返すと・・・ニタッと笑って黙っていた。 -
あんまり信仰心のなさそうなチョンチョンの後ろを付いて歩く
-
私:「暑いのに登らしやがって・・・連れて来てくれなんて言うてないやろ」
チョンチョン:「ブツブツ、ブツブツ、せっかくの親切、何ちゅうおっさんや」
「金になりそうにないな」「骨折り損のくたびれ儲けにならんようにしよう」 -
チョンチョン家族の竹の家
敷地面積は広いからなあ・・・私には庭の広い豪邸に見える
やっとこの寺院から出て当初の目的地である彼の自宅へと向かう。喫茶店にいた奥さんと子供も戻っている頃を見計らい。
成るほど、テレビの画像などで良く目にしている高床式の簡素な竹の家だった。私が家に入ろうとするとべキッ、ベキッと何やら枝が折れる音がするがチョンチョンは「問題ない」と言ってくれる。
ミャンマーの気候にはぴったりの家であり、庭も広いし、日本人から見れば質素ながらもその一戸の庭を含めてのゆとりには、どっちがゆったりとした気分で暮らせるのだろうか?と、竹の家の粗末さから貧しさは感じなかった。 -
チョンチョンの家の日本的な物の数々
-
竹の家の内部、涼しそうだ。歩けばベキッ、ベキッと音がするけど
歩けば音がする。ここはホンなら、ミャンマーの清水寺なのか? -
部屋の窓から庭と通りの方向を写す
緑溢れる広い庭、環境はグッド
日本人どもよ、悔しかったらこんな家に住んでみろ -
末娘にミルクを飲ます、42歳の母親
帰りがけにミルク代と言って、そっと1000チャット渡す
「お父さんもうたよ」って、こそっと言っていたのを見た -
バゴーにお越しの日本人の皆様へ
ミャンマーの竹の家にご招待します
日本語ガイドのチョンチョンとは、私の事です
旅行記で宣伝を頼まれました。↑宣伝のための写真です。
しばらくその部屋に滞在し、家庭の雰囲気を味わった。私はこの部屋でゴロッとしばらく寝転んでいたかったのだが、一通りここを訪ねた日本人の写真や手紙を見せてくれたら、まだ次に予定があるのか、「さあ、行こう」とチョンチョンは私を急かした。
奥さんにミルク代と言って1000チャット手渡し、家を出た。 -
子供たちが物珍しそうに集まってくる
ここには小子化っていう悩みは無いのか?
ようけいるなあ、ゴロゴロ・・・と -
通りの風景
バゴーです、バゴーってミャンマーの街です。 -
通りの風景
-
日本語を学ぶ青年と、チョンチョンの母親
日本語はまだ挨拶程度だった
次も、やはり予定があったようで、彼の実家に連れて行かれた。そこは元教師の父母が住む立派な二階建ての家だった。
そして直ぐに誰かが訪ねて来た。来たのは、お父さんに日本語を教えてもらっている近くの青年で、日本人が来るからお前も来いとチョンチョンに呼ばれたようだった。
初歩の日本語会話教室の開校である・・・はずだった。と言うのは、折角、彼が日本語で私に「何処から来たのか?」とか「これから何処に行く予定ですか?」と言うような質問を考えながらの日本語でしようとするのに、チョンチョンが勝手に先走ってその質問に応えていた(笑)。
わざわざ来てくれた誠実な青年は、それでも笑みを浮かべながら座っていたが。 -
チョンチョンの父親
瓜二つじゃんか -
竹の家ではない実家
きっと母親にとっては、チョンチョンは
気になる可愛い息子なんだろう -
さあ、やっと予定は終了したようでバゴーの街に戻り、途中で彼と夕食を食べる。
このレストランで夕食を食べました
前の席では、人相の悪い警官がテーブル囲んで宴の最中でした
チョンチョンに質問
私:「警官と軍人と、どっちが恐い?」
チョン:「警官、でも私友達だから恐くない」
・・・とのことでした -
勿論、私のおごりで。焼きソバを食う。二人で2500チャット(250円也)。
焼きソバ、美味かった。サルオカウンデ -
アップのチョンチョン
バゴーで日本語話すガイドさんです
最後、ホテルの前で停まるのかと思えば、大分行過ぎてから単車を停めた。そして言い訳をしていた。
誰かに借金があるらしくホテル前で停まるのはヤバイらしい。最後まで面白いおっさんだった。
「是非、旅行記で私のことを宣伝して下さい」と頼まれる。
見た目はちょっと怪しげだけど奥さんも学校の先生で、きっと彼と出会えば旅の面白さも一味違うものになると思います。
私は彼と出会えて楽しかったです。別れ際にチップを渡しました。金額は想像に任せます。
その後、真っ暗なバゴーの街を歩き、露店で串焼きの鶏肉を三本とモモ肉一個を食う。
バゴーでの面白かった一日も終了です。このホテルでやっと金鳥の「蚊取り線香」が役立ちました。
クーラーも利き過ぎるくらい利いたので、消しました。一泊9ドル(1080円)の宿泊代は十分妥当です。評価=良
さあ明日は又8時出発、チャイティーヨーに行こう。
10月20日(金)No3:終了
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