2006/09/15 - 2006/09/25
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azianokazeさん
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バングラデシュは“洪水とあふれる人々”という混沌とモノトーンのイメージ。
それとパキスタンからの独立時の内戦の記憶。
高校時代に聞いたジョージ・ハリスンが絞り出す歌声がまだ耳奥にかすかに残っています。
そんななか、ふとネットで見かけたプティアの写真。
池ごしに並ぶ美しい寺院と豊かな緑。
「へえ〜、バングラデシュって案外ときれいなところなんだ・・・」と今回の旅行先を決定。
住んでいる奄美大島から成田に移動を予定していた日に台風13号が島に接近しそうな状況。
大事をとって移動予定日の前日の便で移動。そのため東京で2泊!
バングラデシュに着くと“大規模な政治集会があって今日はダッカ市内は危ない”とのことで予定を変更。
北西部方面をまわるとバスのストライキで交通が寸断。
おまけに旅の後半は連日の雨。雨期は終わったって言ってたのに・・・。
宮田 珠己ならずとも「私の旅に何をする!」と叫びたくなるハードルがいくつも用意された旅になりましたが、手配をお願いした“Bangladesh Travel Homes”のご好意で特段のトラブルもなく楽しむことができました。
初日は予定を変更して足慣らしを兼ねてダッカ郊外散策。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- キャセイドラゴン航空
-
当初予定では、16日の土曜日午後7時近くの飛行機で住んでいる鹿児島県奄美大島から成田に移動、翌日17日の香港ドラゴン航空で香港経由ダッカへ。
ところが台風13号が接近。
連日(仕事中も)台風情報を見つめて気を揉んでいたのですが14日になっても状況は不透明。
なにしろ東京へは1日1便。もし16日の便が欠航すると代替手段がありません。
「もう決定のタイムリミット!」という訳で、仕事は店のスタッフにぶん投げて予定より1日早く15日夕方の便で東京へ移動。
結果、東京で2泊することに。 -
東京は以前片隅でもがき暮していた街ですが、ここ10年ほどは久しぶり。
バンコク・上海以上に見慣れぬ街のような雰囲気も。
することもないし、せっかくなので“はとバス”で2時間弱ほど都内観光。
築地場外市場で昼食後、「やっぱ、六本木ヒルズっちゅうところも見とかんと・・・」と出かけますが、コンクリートの塊とブランド品のお店。あきれるほど高額な展望台。
「なんだか疲れたな・・・」と早々に切り上げ、巣鴨のカプセルホテルでバングラデシュ出発を待ちます。 -
成田発、香港ドラゴン航空。
香港経由で18日未明の0時30分ダッカ空港着。
今回、空港でのピックアップ、ダッカ及びボグラ、ラジシャヒのホテル、ダッカ市内及びショナルガオの1日観光を国内からネットで“日通ペリカントラベルネット バングラデシュ”(ダッカの日本人女性経営のホテル“Bangladesh Travel Homes”のことです。)に依頼してありました。
(日本語でのメールのやりとりがOKです。)
空港にはオーナーのTさん(“Bangladesh Travel Homes”のオーナーで通称“マダム”)とホテルの従業員2名がお出迎え。
車に乗り込むなりマダムが「メールで連絡したんですけど、今日はダッカ市内とショナルガオの予定ですが、大規模な政治集会があって市内は危険も予想されるのでホテル周辺・郊外の観光ということではどうでしょうか?」
「メール?1日早く出てきたので見てませんけど・・・」
急な話で面食らいつつも数分でホテルBangladesh Travel Homesへ到着。
ダッカ郊外の空港近くウットラにあります。
先ずはホテルでチャイ(ミルクティー)を飲みながらマダムとスケジュールの相談。
ショナルガオ・ダッカ市内は最終日にまわして、今日は空港に迎えにも来ていたホテル従業員のひとりモニバブゥの案内で独立記念碑とその周辺の村を回ることになりました。
「とてもまじめでいい子ですから」とのこと。
明日からは3泊4日で北西部のボグラ・ラジシャヒを一人でまわる予定でしたが、マダムは「ひとりで大丈夫ですか?」と心配顔。
そう言われると私も自信がないので「何とかなると思っているんですけど・・・なりませんかね・・・」
「英語もお上手そうだし、モニバブゥを連れていかれたら?」
「いや英語はダメですよ。でも費用次第では・・・」
「朝になったらマネージャーに費用を計算させましょう。」
というような成り行きで明日以降もモニバブゥとの二人旅になりました。
深夜も2時(日本時間5時)を過ぎたのでとにかく休むことに。
部屋はドミトリーを予約してありました。
2段ベッドが3組おいてありますが、客は私ひとりです。
ドミでもエアコン・ファンも付いています。1泊15ドル。
個室、VIPルームもあります。 -
共用スペースのテレビ室は軽く10畳以上はある広さ。
日本語の文庫本なども置いてあります。
さらにフロア中央は食事もできる大きなテーブルが置かれたスペースがあります。
季節にもよるでしょうが、ひとり旅でもくつろげますし、グループなら共用スペースも広くまた楽しめるかと思います。 -
朝になってモニバブゥと郊外散策にでかけます。
26歳とのことで、丁度私の半分。
マダムをとおして“バスやリキシャを使って、できるだけローカルスタイルでまわりたい”と言ってあります。
そのためCNG(インドのオートリキシャ)やバスも「あれは高い。リキシャならもっと安い。」と乗せてもらえないことも。
なにぶんお互い(少なくとも私は)ブロークンな英語ですので、こまかいニュアンスを伝えるのは困難。
「時間とか暑さとか状況次第では多少費用のかかる方法でもいいんだけど・・・」と思うことも時々ありましたが、極力彼の選択に従うかたちで。
先ずはリキシャでホテルを出発。
なお、リキシャの価格が交渉次第なのはどこの国も同じですが、数分の近場なら5tk(1tk=1.7円程度)前後、十分程度で10tk, 雨の中とか状況によっては20tkといったところでしょうか。
ただし、外国人だけの場合はこの限りではありません。現地の人間と乗っていても、値段のことで降り際に激しくもめることがありました。
また、他の国以上に英語は通じないようです。ベンガル語も読めないことが多いと思います。
もちろん地図など理解してもらえません。
今回はモニバブゥに任せきりでしたので困ることは全くありませんでしたが、ひとりでリキシャを使用する場合は行き先を理解してもらうこと、料金の交渉など、外国観光客の多いアジアの他国に比べ相当に難しそうな気がしました。 -
途中バスステーションでマキシ(モニバブゥは“メキシ”と呼んでいました)に乗り換えシャバールの独立記念塔(戦没者慰霊塔)へ向かいます。
マキシは4輪のピックアップトラックを改造した乗り合いバスです。
コの字型のベンチがあり10人ぐらいは乗れます。
料金はかなり安いのですが、出発場所・行き先が決まっていますので慣れない外国人には使いにくい
かも。
なお、乗っている間乗客からパンダのように珍しがられながめられるのは我慢する必要があります。
一般に席をつめてくれたり、窓をあけてくれたり親切にしてくれます。 -
独立記念塔は公園として整備された敷地内にたっています。
休日になると市民が大勢やってくるそうですが、この日は広い敷地内には人影がまばらでした。物売り・物乞いもいません。
ひとり例によって「どこから来た?」と聞いてくる男がいましたが、どこでもそうですが「日本だ」と答えると「そうか」と満足してそれ以上つきまとうようなこともあまりありません。
照りつける陽射しに立つ塔はバングラデシュ特産品のジュートを乾燥させる際の形をモデルにしたものだそうです。 -
第二次大戦後、インドをはさんで西のパキスタンと東のバングラデシュはひとつのイスラム国家としてスタートしますが、西パキスタンによる差別に対する抵抗は1971年のバングラデシュ独立宣言へと進みます。このときパキスタンによる無差別虐殺が行われ、その犠牲者はバングラデシュ政府の公式発表では300万人と言われています。虐殺された多くの遺体はここシャバールに運ばれ埋められたそうです。
内戦はパキスタン・インド間の戦争に拡大し、インドがダッカを制圧して終結。バングラデシュは多大の犠牲のもとに独立を得ました。
戦後この犠牲者が埋められた地に記念塔が建てられました。
なお、バングラデシュ国旗は緑地に赤い日の丸ですが、緑は豊かな大地、日の丸はパキスタン国旗の月と星に対抗して昇る太陽を、その赤色は犠牲者の血の色を表しているそうです。 -
敷地を出たところに店が数軒出ていましたので一休み。
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チャイを一杯もらいました。
ほんの2〜3tkだったような気がします。 -
素焼きの焼き物を作っている村があるとのことでマキシで向かいます。
マキシが着いた街のメインストリート。 -
-
さきにメタルクラフト(真鍮の細工)のお店に案内されました。
なかなか面白い造形も多いのですが、真鍮ですから持ち帰りには重いのが難点。
旅もスタートしたばかりで当初買う気もなかったのですが、店主が作っているところを見せるとのことで少し離れたところにある工房に案内されました。
職人さんの鋭い視線に気後れして写真は手振れしてしまいました。 -
こちらはかたどりの元になる像をロウで作っているところです。
実に微妙な手作業です。
このロウ細工の周囲を粘土様のもので覆って、その後ロウを溶かし出し、そこへ真鍮を注ぎ込みます。 -
仕上げの磨きの工程です。全工程を終えるのには2、3ヶ月かかるそうです。
店にはかなりユニークものも並んでいたので「気に入ったら買ってもいいかな・・・」という気分になってきました。
再度店に戻るものとばかり思っていたのですが、店主は工房の案内を終わるとニコニコして「じゃ、また」とひとりで帰っていってしまいました。
買いそびれてしまい少し心残り。
あまり欲のないお国柄のようです。 -
リキシャで素焼きの村へ向かいます。
奥で子供がやはりろくろを回していました。
「遊んでいるのか?」訊くとお父さんが「トレーニング中だ」と言っていました。 -
殆どはフラワーポットのようなものです。
-
こちらはタイル作りです。
出て行くとき並べてあるタイルを1枚踏み割ってしまいました。
ごめんなさい。 -
一番最初の工程です。
-
街に戻ります。
街角では、近く行われるヒンズーのお祭りに向けての準備が行われていました。
もちろんバングラデシュはイスラム国家ですがヒンズー教徒も約1割いるそうです。 -
街に1軒しかないという食堂で昼食。
メニューは大釜に入っているカレーだけというとてもシンプルな店です。 -
モニバブゥが「フラワーポット以外のものを作っているところがあるが行くか?」と訊いているようですので、特に素焼きに興味がある訳でもありませんが他に見るところがあるのかもよくわからないので「OK。行こう。」と答えました。
このあたりは言葉も十分に通じないうえに、手持ちの情報が全くなくどこに来ているのかもよくわからない状態で、いささか意思疎通に苦労しました。
(基本的には私の語学力不足ですが、独特の発音(砂糖がスガール、ランチがランス、写真はピクサーなど)も多く、「何言ってるのだろうか?」と戸惑う場面も多々ありました。)
その村は思ったより遠くの村で、リキシャでかなりの時間を走ります。
写真は収穫した米の乾燥作業です。 -
道の悪い所、坂道などはリキシャから降ります。
思いのほか幹線道路は良く整備されていますが、当然田舎の小道は荒れた箇所もあります。
レンガを敷き詰めた道はリキシャで走ると非常につらいものがあり、歩いた方が楽なくらいです。 -
とても甘いお菓子です・・・というのはウソで牛糞です。
燃料用に乾燥させています。 -
“黄金のベンガル”と呼ばれるぐらい肥沃な大地で、米は年間3回収穫する三期作も行われています。
ただ、このような三期作は人口が増加した比較的最近の話で1960年代初めまではモンスーン時期のみしか作っていなかったそうです。
年間を通して米を作るためには大量の水が必要で、地下水を汲み上げて灌漑を行っています。
この大量の地下水汲み上げが地下の砒素の地下水への溶出を招き、バングラデシュ、インド西ベンガル州では井戸水の砒素汚染が進行しているという情報もあります。 -
道を行く人。
-
リキシャを降りて村に入ります。
オレンジのTシャツがモニバブゥです。
先頭を歩いているのは私ではありません。村のじいさんです。念のため。 -
先ほどの村と似たり寄ったりの素焼きの器がつくられています。
モニバブゥは“何かポット以外のものを”とあちこちを探して歩きます。
私としては正直なところ“暑いし、もういいんじゃない・・・ポットでもそれ以外でも・・・”という感じがあったのですが、一生懸命の探し回るモニバブゥにそれは言いづらく、また言葉の問題もあってニュアンスを伝えられないので、彼の後ろについて村中を歩き回ります。 -
ようやく壷がありました。
目標を達成し「よし。帰ろう!」という訳で道を引き返します。 -
村の入り口にある学校。
トイレを借りることにしましたが、トイレ(小屋)の中は蒸し風呂状態で出てくると汗びっしょり。
見かねた学校の女性とモニバブゥが話して「ファンで少し涼んで行ったら」と勧めてくれます。
何気なくその誘いの乗ってついていくと、6名ほどで会議中の職員室に連れていかれました。
「こちらが校長先生だそうです。」
汗がひくどころか、一気に噴出してきます。
すぐに出ていきたかったのですが、その校長先生が「すわりなさい」と声をかけくれます。
出て行きたくて立ち尽くしていると校長先生は3回繰り返し、最後は大声で怒鳴られるような感じでした。
しかたなく汗びっしょり、髪バサバサの状態で校長の横に腰掛けます。
「疲れているみたいだな」
「ええ、暑いので・・・」
それ以上話も続かず、いたたまれずにモニバブゥを促し早々に退散しました。
モニバブゥ、妙なところに連れていくんじゃない!
疲れがどっと出てきました。 -
休み時間、ポンプ式の井戸に水を飲みにやってきた生徒達です。
この後バンガリ(荷台を自転車で引っ張る乗り物)、リキシャ、マキシと乗り継いでウットラのホテルにもどります。
途中、独立記念塔を過ぎた付近にマーケットがありました。
マーケット大好き人間の私はモニバブゥに「こういうところが見たいんだよ!」と伝えたかったのですが、いつも隣に座っているモニバブゥはこのときに限り離れた場所に座りしかも眠っています。
彼も疲れたのでしょう。
マーケットについては、この後旅行中毎日「マーケットが見たい」と言っていたのですが、雨や時間の都合などで結局訪ねることができませんでした。
残念。
明日からはモニバブゥとふたりで3泊4日の旅行に出ます。
行き先・訪ねる場所が決まっていますので、連れていってもらえばそれだけですみますから今日よりは楽な旅になるかと思います・・・。
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この旅行記へのコメント (4)
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- がまだす@熊本さん 2006/11/04 22:00:14
- azianokazeさん、ご無沙汰しております。
- バングラ編1冊だけ読ませていただきました。
この国は私も覗いてみたい地です。
ですから興味津々ながら読んですぐ掲示板へと跳びました。
続編は明日読ませていただきます。
お互いオタクみたいな国?を目指して足を運びますね(爆)
私はazianokazeさんの後を追いかけますね♪
- azianokazeさん からの返信 2006/11/04 23:47:59
- RE: azianokazeさん、ご無沙汰しております。
- お久しぶりです。
“オタクみたいな国”・・・確かに団体観光客が騒々しいところや、なか睦まじい二人づれが多いところなどはなんとなく身の置き所がないような感じがして避けていると、そんなところが多くなってしまうみたいです。
バングラデシュはまだまだ観光客が少なく外国人が珍しがられるところですが、その分ひとりでまわろうとすると少し不便かも。
しかし結構いろいろ見所もあって、“洪水の国”というイメージをくつがえしてくれます。なにせ“黄金のベンガル”ですから。
今回は西北部だけしか行けませんでしたが、マングローブの広がる南部、少数民族の生活にも出会える東部など、まだいろんな顔があるようです。
一度出かけられると楽しめる国かと思います。
-
- SUR SHANGHAIさん 2006/09/28 01:19:23
- 英語の訛り
- お久しぶりです。バングラディシュに行ってらっしゃったんですね。
英語は国際的にコミュニケーションをとるために使われている言語ですが、訛りが国によって違うのが興味深いと思います。
英語が母語になっているアメリカ、イギリス、オーストラリア出身でも、聞きやすい人と、全く(・・? の人もいますし。
あっちはあっちで、内心、私のことを「なんだ、こいつ、日本語訛りが強い英語で分からん。」と思ってるかもしれませんが。(^○^)
狭い日本でも、いろいろな訛りの日本語があるわけですけどね。
一度、日本語が本格的に出来るアメリカ人と話した時、
「あなたは東京出身ではないでしょう。」
と見破られた事があります。(^^ゞ
バングラディシュでは砂糖がスガール、ランチがランス、写真はピクサーですか。参考といたします。
- azianokazeさん からの返信 2006/09/28 09:53:16
- RE: 英語の訛り
- 私の場合は訛り以前の問題です。
ここ1年半ほど近所のイギリス人のもとに週1回かよっているのですが、全く進歩の兆しすら見えず、そろそろあきらめどきかな・・・とときどき考えます。
ただ、今回の旅行記にも登場するゲストハウスの日本人女性オーナーの方は現地語も話されないようですし、英語もそんなに流暢という訳でもありませんが、簡単な英語で現地従業員に指示を与えながら、日本、バングラデシュ、更にはオランダで事業を行われているそうです。
やはり言葉よりもパワーというかやる気というか、そんなエネルギーが人生を方向付けるものだなと改めて感じました。
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