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10日目。<br /><br /> 朝7時、ノックで起こされた。NさんとEさんが早々と荷物を運んできたのだ。「11時半までには戻ります」と言って出かけていった。こんなに早くからどこへ行くのかな、お店開いているのかな。<br /><br />私たち3人は食事に行く。ボーイがMちゃんの服を見て、<br />「よく似合う。いくらで買ったか」と訊く。<br />「600ルピー」<br />「高すぎる。普通は400から450ルピーだ」<br />「ディスカウントしてくれたんだけどな」とMちゃん。<br />スカートを注文してきたからあとで取りにいくという。そこで私たちも一緒にアサンへ行く。<br /><br /> クマリの館の前で「ガイドはいかがですか」と声をかけられた。<br />「ここは何回も来てるからいらない。ほら、あそこがクマリの館。どう、私がガイドしてあげようか。高いよ」と言うと笑って行ってしまった。まったくどうしようもないオバサンだ。<br /><br /> Hさんはヘナを何?も買い込んだ。ヘナは昔からある天然の髪染めだ。最近は日本でも売っている。Mちゃんが注文した店をやっと見つけると、ちょうどスカートが出来てきたところだった。<br />お客さんがひとりは入ったら満員になってしまうような小さな間口の店。Mちゃんはまだお金を払っていないと言っていたが、600ルピーはスカート代も入った代金だった。やっぱり安くしてくれたんだよ。Mちゃんは気に入ったらしく、もう一枚ブラウスを買った。<br /><br />ちょっと離れた店で私はチベットのブラウスとスカートとショールを買い、円で支払った。<br /><br /> 11時半前にホテルに戻る。アマルさんが坊やを連れて迎えに来た。歩いていくという。アマルさんち、そんなに近かったかな。さっき通った所を通って、10分ぐらいで見覚えのあるアマルさんの家に着く。奥さんと娘のアリサちゃんが出迎えてくれ、再会をよろこぶ。<br /> <br />お祭りだからと、全員に額に赤いティカをつけてくれた。一人ずつ神妙な顔をしてティカをつけてもらった。1年にこの時期だけしかないというフェスティバル・フラワー(一見稲のような黄色い花)も髪にさしてくれた。私は髪が短いので耳にかけてくれた。そしてリンゴとバナナを貰った。ティカはお米とヨーグルトと顔料でつくるのだそうだ。<br /><br /> ネパールでボランティアをしたいというMちゃんに、アマルさんがM子に部屋をあげると言って3階に連れていった。<br />この前来たとき、客室だった部屋だ。これでM子の部屋は確保された。<br /><br />「子育てが終わったら私もネパールに来てボランティアで働きたい」とNさんとHさんが言う。<br />「来て下さい。日本語を教えて下さい」とスダさんが言う。<br />「スダさん、みんなの日本語があやしくなるよ。<br />でもこの人は洋裁も編物も出来るから役に立つかも」<br /><br />屋上へのぼると、スワヤンブーが見える。私には遠く見えるが、アマルさんは「VERY CLOSE」だという。初回のとき「VERY CLOSE」だと聞いて、門前にあるのかと思った。同じ景色に私は「FAR」だと言ったが、彼はその時も「VERY CLOSE」を繰り返した。<br />距離に対する感覚は、時間と同様感じ方はそれぞれ違う。ここではあの距離は近いのだろう。まわりに新しい家々が出来た。真下のイナーリ(井戸)はそのまま。<br /><br />そこへジャヤさん、スダさんの家族も来た。ダルバートを食べながら、ひとしきりにぎやかに時を過ごす。ほんと、ネパールに親戚ができたみたいだ。スダさんがひとりずつにビーズで編んだブレスレットをくれた。私たちが旅をしている間に友人と編んだのだという。心のこもったプレゼントだ。そして日本への荷物をことづかった。重い。もっとも、若い人がこれを持ってくれた。<br /><br />ネパール民謡に「レッソン フィリリ」というのがある。Nさんはこれをチトワンで覚えたので、歌詞を書いて貰い、仮名をふって歌っている。帰り、CD屋でこの民謡のテープをNさんとHさんが買う。ダビングしてね、と頼んだが帰ると、我が家には2年前に夫が買ったCDがあった。<br /><br />6時半まで私はホテルで横になっていたが、他の人たちはまたまた外出。実に元気がいい。羨ましいくらいだ。6時半迎えに来たラナさんが「今度はシッキムやブータンにどうですか」と言う。<br />「ブータン、行けるんですか?」<br />「行けますよ。ただ2週間はとっていただかないと」<br />「高山病はありませんか」と訊くと<br />「Madame、懲りましたね」と笑いだし「大丈夫です」<br /><br />「みなさん、ブータンにもシッキムに行けるそうです」と言うと、「ブータン行きたい」という声が返ってきた。うん、それでは次はブータンを計画するか。<br /><br /> 荷物は車に積み込んだ。私たちは歩いてホテル・アンナプルナに向かう。ボーイさん達が私たちの姿を見つけ、外に出て手を振って別れを惜しむ。みんなで、次もこのホテルにしようかね、と言いながら手を振り返す。<br /><br /> ホテル・アンナプルナは新しくなっていた。新館は6ケ月前に完成したのだという。以前は舞台の前にベンチが置いてあったのだが、今は食事をしながら舞台を楽しむつくりになっている。椅子でなく大きな座布団に座る。升席みたいだ。ネパールもチベットもあぐらをかく。私にとっては好都合。 あぐらは「胡座」と書く。はるかな昔、胡座は西域からきたものだと聞いたことがある。平安時代の十二単のお姫様もあぐらをかいていたそうだ。正座になるのは室町以降。<br /><br />プログラムを見ると知っている出し物ばかり。でも衣装が前よりずっとよくなっている。ヤク・ダンスだ。やれピーコック・ダンスだと言っては席を立ち、舞台の前でカメラを構える。笛と太鼓と鼓弓のような弦楽の演奏がよかった。特に笛の音は素晴らしかった。<br /><br /> あのレッソン フィリリが始まった。私たちが手拍子を打つと、客全員が打ち出し、ついでに歌まで歌って、大いに会場を盛り上げた。おかげでラストに出演者全員が出てきて、レッソン フィリリを歌ってくれた。最後までにぎやかなオバサン達ではある。<br /><br />

チベット・ネパール11

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2000/10/01 - 2000/10/12

1260位(同エリア1271件中)

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buchijoyce

buchijoyceさん

10日目。

 朝7時、ノックで起こされた。NさんとEさんが早々と荷物を運んできたのだ。「11時半までには戻ります」と言って出かけていった。こんなに早くからどこへ行くのかな、お店開いているのかな。

私たち3人は食事に行く。ボーイがMちゃんの服を見て、
「よく似合う。いくらで買ったか」と訊く。
「600ルピー」
「高すぎる。普通は400から450ルピーだ」
「ディスカウントしてくれたんだけどな」とMちゃん。
スカートを注文してきたからあとで取りにいくという。そこで私たちも一緒にアサンへ行く。

 クマリの館の前で「ガイドはいかがですか」と声をかけられた。
「ここは何回も来てるからいらない。ほら、あそこがクマリの館。どう、私がガイドしてあげようか。高いよ」と言うと笑って行ってしまった。まったくどうしようもないオバサンだ。

 Hさんはヘナを何?も買い込んだ。ヘナは昔からある天然の髪染めだ。最近は日本でも売っている。Mちゃんが注文した店をやっと見つけると、ちょうどスカートが出来てきたところだった。
お客さんがひとりは入ったら満員になってしまうような小さな間口の店。Mちゃんはまだお金を払っていないと言っていたが、600ルピーはスカート代も入った代金だった。やっぱり安くしてくれたんだよ。Mちゃんは気に入ったらしく、もう一枚ブラウスを買った。

ちょっと離れた店で私はチベットのブラウスとスカートとショールを買い、円で支払った。

 11時半前にホテルに戻る。アマルさんが坊やを連れて迎えに来た。歩いていくという。アマルさんち、そんなに近かったかな。さっき通った所を通って、10分ぐらいで見覚えのあるアマルさんの家に着く。奥さんと娘のアリサちゃんが出迎えてくれ、再会をよろこぶ。
 
お祭りだからと、全員に額に赤いティカをつけてくれた。一人ずつ神妙な顔をしてティカをつけてもらった。1年にこの時期だけしかないというフェスティバル・フラワー(一見稲のような黄色い花)も髪にさしてくれた。私は髪が短いので耳にかけてくれた。そしてリンゴとバナナを貰った。ティカはお米とヨーグルトと顔料でつくるのだそうだ。

 ネパールでボランティアをしたいというMちゃんに、アマルさんがM子に部屋をあげると言って3階に連れていった。
この前来たとき、客室だった部屋だ。これでM子の部屋は確保された。

「子育てが終わったら私もネパールに来てボランティアで働きたい」とNさんとHさんが言う。
「来て下さい。日本語を教えて下さい」とスダさんが言う。
「スダさん、みんなの日本語があやしくなるよ。
でもこの人は洋裁も編物も出来るから役に立つかも」

屋上へのぼると、スワヤンブーが見える。私には遠く見えるが、アマルさんは「VERY CLOSE」だという。初回のとき「VERY CLOSE」だと聞いて、門前にあるのかと思った。同じ景色に私は「FAR」だと言ったが、彼はその時も「VERY CLOSE」を繰り返した。
距離に対する感覚は、時間と同様感じ方はそれぞれ違う。ここではあの距離は近いのだろう。まわりに新しい家々が出来た。真下のイナーリ(井戸)はそのまま。

そこへジャヤさん、スダさんの家族も来た。ダルバートを食べながら、ひとしきりにぎやかに時を過ごす。ほんと、ネパールに親戚ができたみたいだ。スダさんがひとりずつにビーズで編んだブレスレットをくれた。私たちが旅をしている間に友人と編んだのだという。心のこもったプレゼントだ。そして日本への荷物をことづかった。重い。もっとも、若い人がこれを持ってくれた。

ネパール民謡に「レッソン フィリリ」というのがある。Nさんはこれをチトワンで覚えたので、歌詞を書いて貰い、仮名をふって歌っている。帰り、CD屋でこの民謡のテープをNさんとHさんが買う。ダビングしてね、と頼んだが帰ると、我が家には2年前に夫が買ったCDがあった。

6時半まで私はホテルで横になっていたが、他の人たちはまたまた外出。実に元気がいい。羨ましいくらいだ。6時半迎えに来たラナさんが「今度はシッキムやブータンにどうですか」と言う。
「ブータン、行けるんですか?」
「行けますよ。ただ2週間はとっていただかないと」
「高山病はありませんか」と訊くと
「Madame、懲りましたね」と笑いだし「大丈夫です」

「みなさん、ブータンにもシッキムに行けるそうです」と言うと、「ブータン行きたい」という声が返ってきた。うん、それでは次はブータンを計画するか。

 荷物は車に積み込んだ。私たちは歩いてホテル・アンナプルナに向かう。ボーイさん達が私たちの姿を見つけ、外に出て手を振って別れを惜しむ。みんなで、次もこのホテルにしようかね、と言いながら手を振り返す。

 ホテル・アンナプルナは新しくなっていた。新館は6ケ月前に完成したのだという。以前は舞台の前にベンチが置いてあったのだが、今は食事をしながら舞台を楽しむつくりになっている。椅子でなく大きな座布団に座る。升席みたいだ。ネパールもチベットもあぐらをかく。私にとっては好都合。 あぐらは「胡座」と書く。はるかな昔、胡座は西域からきたものだと聞いたことがある。平安時代の十二単のお姫様もあぐらをかいていたそうだ。正座になるのは室町以降。

プログラムを見ると知っている出し物ばかり。でも衣装が前よりずっとよくなっている。ヤク・ダンスだ。やれピーコック・ダンスだと言っては席を立ち、舞台の前でカメラを構える。笛と太鼓と鼓弓のような弦楽の演奏がよかった。特に笛の音は素晴らしかった。

 あのレッソン フィリリが始まった。私たちが手拍子を打つと、客全員が打ち出し、ついでに歌まで歌って、大いに会場を盛り上げた。おかげでラストに出演者全員が出てきて、レッソン フィリリを歌ってくれた。最後までにぎやかなオバサン達ではある。

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