2000/10/01 - 2000/10/12
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buchijoyceさん
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4日目。
薬を飲むにしても、空腹時に飲むと胃をやられる。朝まで待って、朝食の時、風邪がぶり返したと話すと、全員が頭が痛かったという。一番若いMちゃんもそうだったという。
そこで、持ってきたナロンエース(頭痛薬)をみんなして飲む。頭の痛いのはすぐとれた。日頃はまったくと言っていいほど薬を飲まない私が、この日から薬漬けとなる。
ラサホテルの建物の回りを歩くと、コスモスが今を盛りと咲いている。バラも咲いている。
9時15分、ソンゾさんが「ショボデレ(おはよう)」と言いながら迎えに来た。今日は午前中デブン寺を見学、昼にホテルに帰って、午後はノルブリンカ見学の予定。日差しは暑いが物陰は涼しいので、スウェターを着、サングラスをかけ、コートを座席に投げ込んで出かける。
短いレンズのついたカメラを右肩に、左肩にはフィルム10本とロングレンズのついたカメラとウェット・ティッシュとミネラルウォターを入れた小さなバッグ。このミネラル・ウォターの小さなビンは入れ替えが出来るように関空から買ってきたのものだ。水を飲む習慣がないのだが、どの本も、高山病に備えて水を飲むことを推奨している。
デプン寺はラサ市街からちょっと離れた山の谷間にある。
市街を出ると、舗装がなくなり、乾期に入った道は車が走るたびに埃を舞いあげる。道路わきの野原にはヤクがのんびりと草をはんでいる。
「あのヤクの写真が撮りたい」とNさんが叫ぶ。「帰りに止めて貰うから、覚えておいて」
しばらくすると、今度は生肉がつるしてあるのに目が行った。
「ドライ・ミートをつくっているんだよ」
チベットはもっと乾燥したところだと思っていたら、乾期だというのに、かなりの湿地だ。湿地だからか柳が目立つ。やたらと木の名前を聞いて、その時は覚えたが、もうみんな忘れてしまった。ともかく、街路樹が黄色く色づいて、土埃の道と調和している。いい雰囲気だ。
デプン寺、寺というより僧院、600人ほどの修行僧がいる。舗装された入り口には土産物屋がならび、坂道には両側に物乞いが並ぶ。ソンゾさんが英語でデプン寺の説明をする。だれがいつ何のためにと故事来歴をしてくれるのだが、左から右へと抜けてしまう。
「あとでガイドブック読んでおいてね」。名刹は各部屋に中国語(漢字)、チベット語、英語の説明が付いているから、のんびり読めばガイドはいらない。
なにやらにぎやかな歌が聞こえた。その声をたよりに行くと、屋根の上で女の子達が棒を持って屋根を叩いている。「何しているんだろう」物見高いNさんが屋根に上ってみる。続いてEさんも、Mちゃんも上る。あの棒で屋根を平らに葺いているんだという。下りてくると、売店でまたひっかかった。やたらとお守りを買っている。どうでもいいけど、つられて私もウシの絵のお守りを買った。10元。この僧院は被写体がいっぱいある。
薄暗い部屋には灯明がいっぱいともされている。ろうそくではない。きくと、ヤクのバターだという。ヤクのバターは甘い香りがする。お参りする人たちがポリ袋に入ったヤクのバターを杓子ですくって灯明の中に入れていく。皿のバターはあふれんばかり。それを係りが取り除いて燃えやすくしている。ここデプン寺も何代かのダライ・ラマの居寺であったので、その座像が仏像といっしょに並んでいる。金ぴかで色鮮やかな仏像たちだ。壁画も実に細かく、物語が描かれているのだが、これは夫がいないと私にはわからない。
ソンゾさんはかって修道僧だった。そして大学で英語学を専攻してガイドになったのだそうだ。
「私はダライ・ラマ14世の本を何冊も持っているよ」というと「あなたが」という。そうなんだ。夫でなく、私自身が買った本なのだが、どれもよみかけの中途半端。
「でも難しいから、途中でなげだしちゃった」というと笑っていたが、うれしそうだった。チベットは中国にはなったが、どっこい、ラダイ・ラマは彼らの心に生きているようだ。
僧坊を撮して、本堂の方に向かった途端、躓いてころんでしまった。とっさにカメラをかばったので、右手を切ってしまった。血が流れる。「カメラは大丈夫?」「mamasan、さっきお守りを買ったからその程度ですんだのよ」と皆がからかう。バンドエイドを貼って貰い、顔をしかめながら「そうだね」とうなずく。
本堂の前の広場では修道僧達がヤクを連れて来て、観光客をそれに乗せて稼いでいる。ミーハーオバサン達はよろこんでのっている。しょうがない、写真を撮らされた。私も1枚いくらで売りつけようか。
台所に入ると、バター茶をつくっていた。ここは木を燃やしている。外には燃し木が山のように積まれている。修道僧がバター茶をポットに入れ、配っている。ある僧坊の庭先で太陽光調理器を見た。太陽光線を焦点に集めて、煮炊きする調理器だ。アフリカなどではNGOが使っている。日本でも、エネルギー節減に日中はこれで調理している人たちもいる。うーん、日差しは十分あるのだし、ここでこれを使うのはいいことだ。光を集めた上には大きな薬缶が湯気をたてていた。
あれ、ふたりいない。待っていると、トイレに行ってきたのだという。「トイレあるの?」と聞くと「奥にある」という。そこで3人連れだって、トイレに行く。さっき見た台所をまわって、橋でつながった別棟というんだろうか、そこにトイレがある。高いから景色がいい。絶景かな、これはいい、としゃれこんだのはいいが、落とし紙が舞って落ちて行くには驚いた。物を落としたら大変だ。次の人に「荷物みんな持っていてあげる。帽子も預かってあげる」カメラを預けてきてしまったが、このトイレは撮しておくべきだった。
デプン寺をちょっと下りると、絨毯工場がある。作業風景をのぞいたが、糸をかける手先のすばやいこと。ここからはデプン寺の全貌がよく見える。ここの庭にも、薬缶をのせたたくさんの太陽光調理器が並んでいる。そのひとつには鍋ものっている。これはいい、と言いながら、写真に撮る。子ども達が出てきたので「デヒデレ(こんにちは)」と言ったが、「ニーハオ」と中国語が返ってきた。
帰りヤクの写真を撮ろうと思ったら、ヤクは野原のはるか向こうに移動してしまっていて、とても近づけない。「チャンスの神様は前髪しかないんだ」とくやしがる。
昼食にホテルに帰った。
エレベーターで日本人団体客といっしょになった。彼らは成都から来たのだという。
「頭、痛くなりませんでした?」ときくと
「痛いなんてもんじゃありませんでしたよ」という返事。
「もう大丈夫なんですか」
「やっとラクになりました。身体が馴れたんでしょうね」
「どのくらいかかりました?」
「三日目です」
「それでは、私たちは昨日ついたばかりですから、あと二日ぐらいかかりますね」
昼食の時、この話をすると、もう少しの辛抱だとみんな納得。ともかく薬は飲み続ける。息も切れるので、ゆっくりゆっくり行動することにする。でも、習慣とはおそろしいもので、つい走ってしまう。そしてフーフーと深呼吸するはめになる。空は青いし、空気もさわやか。どこにも酸素が薄いような感じはしないのだが、目には見えないが、確実に空気の薄さが私たちに影響を与えている。
ホテルをちょっと出てみると、街路樹のある広い歩道に露店が並び、いろいろなものを売っている。「安いよ」「ちょっと見てください」といった日本語が売り手の口からきかれる。
3時、ソンゾさんが迎えに来た。ノルブリンカはホテルの続きだ。と言っても1?くらい離れている。車に乗り、入り口で下りる。ノルブリンカの前がチベット博物館。ちょっと目にはお城のような立派な建物だ。ノルブリンカは離宮として建てられ、インドに亡命しているダライ・ラマ14世が居住していたものだ。広い敷地はノルブリンカ公園になっている。
14世が会見していた部屋、寝室、居間等々眺めながら、「ダライ・ラマがはやく帰って来れますように」と声を出して手を合わせる。政治的配慮か、英語が通じないのか、居合わせた人々はだれも無言。
公園内でチベット・ダンスをしている人々を見る。歩いているだけでも息切れするのに、この人達は楽器を演奏しながら、かなり激しく踊っている。軽妙なリズムなので、つい引き込まれそうだ。
公園の入り口には土産物屋が並ぶ。オバサン達またひっかかった。数珠のような腕輪をいくつも買ってはめている。
「一日に2ヶ所はキツイなぁ」と私は売店で葉書を買って部屋に戻る。夕食後、はがきを書き始めたのだが、あとの人たちは外に出て行った。たいしたものだ。
薬を飲んでいるにもかかわらず、一眠りすると頭が痛くて目が覚めてしまう。Tさんも頭が痛いと薬を飲みだした。私は胃を心配してお茶は飲んだが、今回も朝まで薬を飲むのを我慢。
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