2006/05/14 - 2006/05/26
79位(同エリア163件中)
明石DSさん
10日目:吐魯番にて:5月23日(火)晴れ
ここの旅行記は自分のHPのものを、
ほぼそのまま転載しています。
自分のHPは容量が限られ写真も小さいものしか載せれないので、この4トラベルを使わせてもらっています。
それと旅の情報が少しでもお役に立てれば・・・と、思い。
私も旅立ち前には、幾度も見せて頂き参考にさせてもらました。
インターネットの普及のお蔭で随分と助かっています・
この4トラベルでも有名な、こまちゃんさんには、三峡旅遊の時に上海で一度お目にかかる機会があり、画家爺ぃさんにもお話を聞かせて頂きました。その節はありがとうございました。
世の中には、旅のプロフェッショナルとも言えるような方々が、山ほどおられ驚くとともに、勇気付けられます。
私は自分の能力・根性・経済力の範囲の旅しか出来ませんが(当然ですね)それでも旅は目一杯テンションがあがり充実感があります。
帰国前はホッとし、帰ってくると、また、行きたくなる。
楽しからずや・・・です。
行きたい時に、行ける時に、出来るだけ行こう。
そんなことが出来るのも、ホンマ自分の力ではなく、たまたま日本人に生まれたというお蔭だと思っています。
日本という国に感謝しています。
吐魯番は、鳥魯木斉・庫車・庫爾勒の中では、一番ウィグル族の街という雰囲気があったように思います。
写真は。5月23日撮影、吐峪溝の元気者です。
-
2006.平成18年5月23日(火)
■吐魯番で朝を迎へる・・・。
7時に起きた。
170元の安い料金だが朝食付き。メニューに差別はない。朝食を食べ、用意をする。 -
これが吐魯番大飯店の食堂です
・・・・・・・・・・・・
9時に待ち合わせだったから、8時55分部屋を出て下に行くとマジさんは来ていた。
何故か、今日も出発時はもう一人の最初に出会った司機が揃って私を出迎えてくれた。
そんな訳の分からない光景に。なんやまたかいな二人で来てどうするん?というのが私の正直な感想ですが。
とりあえず三人で乗って、最初の日本語達者なおっちゃん?の家におっちゃんを送る。何で?
おっちゃん曰く「ここが私の家です。時間があったら帰りに寄ってね・・」であった。 -
まあ朝はこんなもんでも・
-
吐魯番大飯店の勇姿・・・評価=良い
-
■まず砂漠へ 向かう
道中にて撮影する:吐魯番
その時は分からなかったが、帰国後ガイドブックを見直すと、砂漠はピチャンという町の観光ガイドの方に載っている。ピチャンは吐魯番からバスで2時間足らずの近い町だ。
だから私の予備知識に吐魯番観光での砂漠行きは脳裏になかったのだ。やっと納得。
ガイドブックによると、この砂漠はクムターグ砂漠となっている。中国で最も町に隣接する砂漠とのことだ。
何か分からなかったが、行ったらそこは紛れもない砂漠の景色だった。
道中、驚くほどの石油の試掘がされている光景に出くわした。ここでもそうなのか・・・である。
埋蔵量が如何程なのか、知らないがウィグルの独立は夢の又夢なのかと、この光景を前にすれば思わずにはいられない。
景色としては全くの興ざめである。 -
出石油
庫爾勒が石油の町って聞いていたけど
庫車では、庫車の方が今では埋蔵量も多いと運転手が言っていた。
吐魯番には驚くべき数の試掘が行われ
石油の櫓?が、あっちにも、こっちにも
只、只、驚いた。
こんなんがひしめく様に・・・
こんなんもあっちこっちに、出石油。気分は最悪 -
吐魯番市内から、車で少し砂漠方向に向かったところで・・・。
火焔山の近くだったと思う -
周囲がこんな景色になっている。
-
今の状況は知らないが
地元の運ちゃんは
ガソリン代が上がったと言っていた。
石油の恩恵は有るのか?無いのか?
ウィグルの古い街並みを解体し
新しい高層団地の建設や
道路の整備には、金を使っているのかもしれないが
石油はみんな
広州・上海・北京に行くとウィグル人は言っていた -
こんなん見たくなかったけれど
やはりこれが現実だったのか・・・と、
実際に見て、やはりがっかりしました。 -
砂漠に向かう。
やっと石油掘削現場の風景がなくなる。 -
砂漠近くの風景
こんな雰囲気はいいですね、
額に入れれば名画のように -
砂漠に到着。
前方遠くにクムターグ砂漠あり -
マジちゃんは車で待機、私は歩いた。
歩いた。登った。
タクラマカン砂漠、同様、砂漠だった。
一番砂丘の高い所まで行って、その先が見たいと思ったが、行けども行けども近づかず断念する。腰のこともあるし・・・。 -
我、クムターグ砂漠に立つ・・・
これが、砂漠というものです
朝からハードなトレーニングになった。
砂漠で夜の星を見たいなあとここに来て思ったけど・・・。 -
■次は、吐峪溝へ行く(門票30元)
ここもピチャンの観光地として載っていた。だから、何か?噛みあわずどこのことなのか?分からなかったが、ようやく全ては分かった。帰国後ですが(笑)
ピチャンの南西40キロの所にある。・・・と本には書いているから、吐魯番との中間点なのだろう。 -
途中、マジさんが「運転できるならしてみるか?」って聞くので「免許もないのに大丈夫かいな?」と言うと「大丈夫」と言うので実はこっそり運転した。
左ハンドルのボロいミッション車だけど。前にも満洲で女性の運転手から勧められたけどその時は断った。
ここは、まあ地の果てと言えば言える景色だし・・・。
でも、20分ちょっと運転して、もうすぐ村みたいなのが近づくのでは?と、思った頃に、マジさんがボチボチ路肩に寄って停まれと言う。
やっぱし私の運転は許容範囲は只の広〜い道だけだったのかと、逆にちゃんと法が機能?していることを知りちょっと安心した。 -
吐峪溝は、
吐峪溝大峡谷:古民居:千仏洞:ホージャ墓
の四つの見所があったらしいが、予備知識皆無のままで行ったので、
私の記憶と写真にはホージャ墓はない。
大峡谷も定かではない。
でも、吐魯番観光で司機も「日本人も、その他の外国人も一番喜ぶ所だ」と言っていたが、その通りだと思う。 -
今も普通に生活をされているのでしょうか?
・・・確かに生き物は生きていましたが。 -
ホージャ墓を写真で見つけた(←麻礼)って標識がある・・・
ここが新疆の昔からの風景だ -
まず、今も住民が生活する吐峪溝古民居村を歩きながら、千仏洞に向かう。
途中で村の女性達が井戸端会議をやっていたので写真を撮らせてもらった。ガキ二人おちょけてポーズをとる。 -
吐峪溝古民居村
300年以上の歴史を持つ、ウィグル族の伝統建築様式の村だそうです。 -
古民居に育つ元気者
-
ほへぇ〜中々の風景だなあ -
血圧高い者、心臓悪い者、気合一番走って登れ?
-
最初に一人で登った時
・・・・・・・・
■吐峪溝千仏洞へ
ヒィヒィ言いながらやっとの思いで階段を登り千仏洞に辿りついた。
洞は鍵が掛かっていたが一通り外から見学して満足し、階段を下の方まで降りた時、誰かが私に向かって近づいて来た。ウィグル人青年だった。他に観光客らしき若者三人と。
そして私にもう一度この階段を登れと言う。庫車の時と同じだった。
この門票30元に、石窟の鍵開けと案内料が含まれている??のだった。 -
上から景色を望むとこんな風に、
石窟の中から昔の方々もこの風景を。
・・・・・・・・・
しんどかったが、折角だからと又みんなと一緒にUターン。
その三人の若者の一人が、
「おじさん、日本の方ですか?」と日本語で声を掛けて来た。彼は韓国移民の息子でカナダ国籍の大学生だった。 -
大学の休みを利用して、カナダから一人で北京経由で新疆に来たらしい。
あとの二人はドイツ人の白人で北京に留学中の学生とのこと、北京で知り合い三人一緒のほうがより旅も安く付くということで一緒に回っているという説明だった。
全部日本語で説明してくれる。
そして英語は母語。中国語もしゃべる。多分韓国語も話すだろう。フーン、凄いなあ。
言葉もさることながら行動力も大したものだ。
日本語も正式に学んでいるのではなく、カナダに留学中の日本人などとの交流で独学しているとのこと。 -
韓国系カナダ人の好青年、日本語も上手、中国語も上手だった。カナダの大学生。
・・・・・・・・・・・・・
一緒に石窟を回り終わり私が「我先走口巴」と何故か?中国語で「お先に行くよ」って声を掛け別れた。
彼は日本語で「さようなら」である。
オモシロイ。
好青年だった。 -
■吐峪溝
石窟の中はウィグル青年が説明してくれたが、言葉も分からないし記憶に何もない。
でもガイドブックには「内部は一般公開されていない」と書かれている。
特別?そして俺はたまたまいたからオマケ?かも。
よう分かりませんが鍵開けて何ヶ所も見せてもらいました。 -
■吐峪溝にて
戻るとマジさんは地元の人たちと休憩していた。
私にも座れって言ってくれたので、地元のおっちゃんの向かいに座った。
「アッサラーム アレイコム」と右手を胸に当ててまず挨拶する。
返事は「ワレイコムッサラーム」だ。 -
マジさんがいるから私が日本人だと言うことはみんな知っている。
この辺の葡萄が絶品のうまさだと知っているが収穫期はまだ先なので食べることは出来なかった。
でも、ここで“食べろよ”って出してくれた
葡萄の10分の一模型?
ジュジャムっていうよな名前だったと思うけど定かでないが写真は撮った。
これはうまかった。そんなに極甘っていう風ではないが、それだから余計に幾らでも食べれる。
初めて見て初めて食った。
その後、あちこちで量り売りで売っているのに気がついたが。 -
美味しかった葡萄の10分の一模型。
・・・・・・・・・・・
このおっちゃん、
私に向かって「あんた何歳?」って聞いてきた。
「当ててみて」と言うと「分からん」と言うので
「195?年生まれ、もうすぐ5?歳」って言うと、
「わしゃ、1949年生まれ、57歳や」と教えてくれた。貫禄はちゃうけど・・・歳はよう似たもんです。
しばし佇み別れを告げる。 -
道中にて景色を写す
■次は、昼飯に
途中、・・・と、言ってもさすがウィグル人のマジさん。この辺の人間は、みんな知り合いのようだった・・・何処に行っても。 -
昼飯を食ったレストラン
レストランの中庭、夜は家族でここで寝るとのこと、本当です・
このレストランの人たちも
みんなマジさんの知り合いだった。
どんな知り合いなのか知らないが・・・。 -
私はこのポテトを食べた・・・日本と同じ
・・・・・・・・・・・
そこそこ大きな店で、中で男が二人楽器演奏の練習をしていた。
吐魯番はホンマ漢族の影響が、私の行った中では一番少なく、その昔の新疆の雰囲気を感じさせてくれた。石油掘削現場以外は・・・。 -
店の人もみんなマジさんの友達
・・・・・・・・
ここでもマジさんは例のラグマン
(野菜と羊肉のトマト風味皿うどん)
ウィグル人の主食のようだ。
それなら飽きずに毎日食うのも当たり前かも、私はポテト(見た目も味も一緒)があったのでそれと例のカワプ(羊肉の串焼き)三本頼んで食った。
うまかった。 -
昼飯を食ったレストラン。
-
■高昌故城へ行く(門票30元)
総面積おおよそ200万?。
周囲約5キロm。
漢代以降1000年もの長き間、国都として繁栄していたそうな。
玄奘三蔵が印度に向かう途中ここで二ヶ月滞在したことも知られている・・・とのこと。 -
あ〜、もうちょっと本を読んでおけば良かった。
後の祭りだったが。
何を?って、
こんな広い故城だと思ってもいなかった。 -
これは隠れ家ではないようですが、
沢山用意しています。 要注意!!
・・・・・・・・・・・・・
これだったらロバの車を
「高いやんけ、歩いて見るからええわ」・・・
なんて、啖呵きらずにロバ車に乗せて頂いたのに。 -
入った。歩いた。
歩けば歩くほど広さが分かって来た。
こんなん無理や、日射病でぶっ倒れる。
それに、あちこち洞穴があって、落ちたら生死に係わる。 -
5キロ四方とはこれ如何に・・・。
遠く、後方には火焔山が広がっています
・・・・・・・・・・・・・・・・
マジさんもその辺、何にも言わない。
そのような性格のようだ。
もう一人の日本語話す司機なら、いろいろ教えてくれただろうけど。
でも、そんなマジさんだが憎めない男だった。 -
このロバ車に乗らないと生きて返れません・・・
何だか遺跡だらけです
・・・・・・・・・・・
ひとしきり意地で歩き回って、
恥かしいからロバの観光馬車連隊から見つからないように岩陰を歩いて戻る。
何せ、こんな広〜い遺跡を歩いて見ようなんてケチ臭い男は世界中で俺一人かも知れない。
そんな心境になっていたから・・・。 -
高昌故城の全容ってか、見ずに入っってしまった。
-
■高昌故城にて
戻ったテント張りの入場門の、店屋、靴磨き屋、その他いろいろがあるショッピングモール?がオモロイ。
小学生のちびっ子土産物売り軍団に取り巻かれる。
鈴の付いた飾りをぶら下げて、
「一個5元買ってよ」とか言いながら、
三人四人の子どもたちに囲まれる。
商売用の日本語を巧みに操り、みんなウィグル族の子ども達だ。 -
ちょっと体は小柄ですがみんな美人の演者たちです・・・それに働き者です
・・・・・・・・・
その中の一人の女の子が無料で鈴を一個くれた。
「いいの?」って聞いても「いいよあげるから」と言う。直ぐに「だから、これ買って」と言われて納得。
「要らないよ、じゃあこれ返すから」と言うと「返さなくてもいい」と言う。
そんなんしながら「写真を撮っても構わない?」と聞くと、みんなポーズをとりながら撮ってとのこと。 -
小学校三年生の彼女に鈴をもらいました。
・・・・・・・・・
その内、ポケットから一枚の用意してあったメモ紙を取り出し、私にくれた。
それには自分の住所が漢字でしっかり書かれていた。
住所の宛先は小学校だったが。
なるほど彼女の戦略だ。賢い女の子なんだろう・・・買ってもらえなくても写真を撮ってもらって、住所を書いて渡せば今まで日本から何度か写真と共に何かを送ってもらったんだろう。 -
10年後はきっと鳥魯木斉の大劇場で。
・・・・・・・・・
見え透いた戦術かもしれないが、そのひたむきさと実行力は中々のものだと思う。
紙質の悪いノートのきれっぱしに三年級二班と書かれていた。3年2組か・・・何を送ってあげようか、今、考えている。
きっと送るから、楽しみに?待ってて下さいよ。
名前を漢字で書くからどう読むのかほとんど分からないけど。可愛い女の子だった。
PS:6月11日
ちょうどマイカル大久保店の文房具店で、1000円の文具の福袋が売っていた。中味は5000円相当とあった。
それを買って箱に詰めてみんなの写真と一緒に
住所の学校のクラスに送りました。お菓子も少し -
そして靴磨きの少年が私に声を掛けた。
「運動靴なのに」って言っても座ってと言うので、まあ休憩しようと頼もうとしたら。
横の同業のおっさんが椅子をさっと差し出して私を自分の方に座らせた。
さすが、このおっさんの早業に感心したし、少年も又横取りされたって言う顔で文句は言わない。
私は、「そりゃあないぜ、こっちの子に頼んだんやから」と席を変えて少年の椅子に座った。
おっさんは苦笑い。少年は、はにかみ笑い。
直ぐに靴磨きは終わった。2元(28円)である。そりゃあ客がいればボロい商売だろうけど。運動靴を初めて磨いてもらった。
女の子たちの飾り物は一人から買えない。
みんなから買うと鈴の音でやかまし過ぎるし。
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この旅行記へのコメント (3)
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- こまちゃんさん 2007/02/25 01:46:41
- 気合い入れて登れ!
- ウケました!
「有高血圧,心臓病者,請厳禁攀登千佛洞」
事実はお判りですね。
こま
- 明石DSさん からの返信 2007/02/25 20:03:37
- RE: 気合い入れて登れ!
- 事実はお分かり??と、言われても
そのまましか分かりませんが
勾配が急で体力がない者はきついぞって言う意味だと・・・。
- こまちゃんさん からの返信 2007/02/25 20:16:34
- RE: 気合い入れて登れ!
- 「気合い入れて登れ!」
と言う、「励まし文」じゃなく、
「高血圧、心臓病のある方は、千佛洞に登城しないで(登城厳禁)下さい」
と言う注意書きでした!(^ω^;(〜,請「厳禁」攀登千佛洞)
こま
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