2006/05/14 - 2006/05/26
149位(同エリア244件中)
明石DSさん
上海〜鳥魯木斉(ウルムチ)〜庫車(クチャ)〜
庫爾勒(コルラ)〜吐魯番トルファン〜鳥魯木斉〜上海
日時:2006:平成18年
5月14日(日)〜5月26日(金):12泊13日
9日目:庫爾勒〜吐魯番へ:5月22日(月)晴れ
新疆の旅も中盤を折り返し後半になった。
毎日歩き歩きで、疲れもたまっているようだ。
腰の不安を抱えながら・・・それでも歩きたくなるのが旅
写真は
吐魯番の交河故城
-
退房は気合を入れて・・・これが日本人の退房じゃ
2006.平成18年5月22日(月)
■さあ、次は吐魯番か・・・。
8時半から朝食。
9時過ぎに退房。 -
庫爾勒の長途汽車の站
バスの乗り場が何ヶ所かあって、未だ吐魯番行きがどの站から出てるのか定かでなかったが、タクシーに乗ったらその司機が、私が思っていた站と同じところだと言うのでそこに向かう。
そこは、やはり庫爾勒賓館から遠くない庫車から着いたバスターミナルだった。
今日の吐魯番までのバスの旅は、ガイドブックによると7時間とか書いてあるので、午前中に適当な便があれば早々に乗ろうと思って行った。
ちょうど10:00発があり切符を買う。 -
長距離バスターミナル サラバ庫爾勒
バス代は60元5毛で、今年の新疆の旅で始めての経験だったが、長距離バスやボストン湖でモーターボートに乗るときには、交通障害保険のようなものに入らされる。
保険代といっても1元とか2元とかいうものだが、このバスもそうで、庫爾勒〜吐魯番:7時間ほどのバス代は計63元(882円)ほどだった。だから切符と保険の領収書二枚を受け取る。 -
このバスターミナル前でタクシーを降りた時に、タクシーの乗り合わせ(小車)便の運ちゃんから吐魯番まで150元と声を掛けられた。私が「すぐ出発できるのか?」と聞いたら「あと一人」って運ちゃんは言ったけど当てにはならない。
「考える」と言ってターミナルに来た。
バスは半額以下だし、急ぐ旅でもなく、タクシーは早いけどぶっ飛ばすので、そんな乗り心地も良くないから。
バスは定刻出発、その時点では半分ほどしか乗っていなかったが・・・途中の駅に停まりながらやがて満員になるのだろう。 -
動き出すと車掌がナイロン袋を各自に配りだした。
なるほど、これも“初”だったが、嘔吐用の袋だった。でも、途中で降りた客の中に、せっかく袋をもらいながら、座席の下に吐いた奴もいた。
通路を挟んで斜め少し後ろの奴だったので、私は知らなかったが、私の後ろの席に座っていた子連れの女性(漢族)が車掌に言うと、30代の男の車掌だったが、平然とティッシュ?トイレットペーパーを持って、さっさと掃除をしていた。
そこに吐く奴も吐く奴だが、車掌の手際もお見事とというか・・・フーン、なるほどって感心した。 -
さらば庫爾勒
又いつの日か来て見たい
大都会だなあ -
庫爾勒〜吐魯番へ
バスの車窓からの景色
やはり緑のある景色は心が和み美しい -
長旅なのか?昼食タイムがあった。
1時頃、飯屋の前(日本ではドライブインとも言うのかも)バスは停まり、
めし〜(吃飯=チーファン)と車掌の一声。 -
店の中に入って食う者もいたが、食わない者も多い。
私はパン一個と飲料を買って外で食事。
漢族の老女も私に倣って??パン一個を買い、四分の一ほど食ってました。 -
このドライブイン?
で食事休憩 -
新疆の旅、すでに1週間、この頃には車窓の景色にも慣れ、驚きも感動も急下降。
新疆の民になってました。でも、写真は何枚か・・。旅行記を書くために(笑) -
バスの中
やはり庫爾勒・吐魯番ともなるとウィグル人の縄張りも強いのか、ウィグル人客も多いので、バスのテレビの番組にも、音楽にもその影響大。
その上に、このバスには“めちゃやかましいウィグル女性”(20代半ば〜30代前半)二人が後部座席で圧倒的に喋り捲ってました。
比較的ベッピン。
私のバス道中、寝たり、景色を見たり。 -
■吐魯番に着く
吐魯番到着はやっぱり出発後6時間30分後の午後4時半ごろでした。 -
日本語の上手い吐魯番の司機(23日朝、撮影)
何故か?待ち構えていたのか?
バスを降りると、日本語を話す司機のタクシーに乗っていた。
その成り行きをどうしても思い出せない。偶然そのタクシーに乗ったのか?それとも、相手が私を狙って掴まえたのか?
何も思い出せず、只、その出会いを喜んでいたから多分、偶然だったと思う。
吐魯番には日本人観光客も多く、ガイドブックには日本語を巧みに使うウィグル人には要注意と書いてあるので・・・その時は、警戒していたが。
40前後のやり手そうな司機曰く
「私は鳥魯木斉に住んでいるMさんという日本女性を知っています。彼女は時々私の家に遊びに来ます」・・・なんて、如何にもガイドブック要注意話しをしていた。
でも、私の拙い経験と本能的感覚から、まあ、大丈夫だと感じていた。
それで、吐魯番観光のことも聞いた。
彼は落ちついた受け答えで、「吐魯番大飯店に着いてから相談しましょう」と言い、ホテルに到着。
このホテルは日本で楽天トラベルで予約していたが、間違いなく名前はあった。一泊170元(2380円)予約通りである。
チェックインを済ませた私に彼は「下で待ってます」と言うので「10分後に降りてくるから・・」と言い部屋に上がった。
そして、10分後ロビーの椅子に座って交渉開始。相手はその道のプロで、私の要求を聞きながら、吐魯番を知らない私に提案もしてくれた。
その案が、気が利いているので納得。
それは、今日、今から交河故城と蘇公塔を観光し、明日はクムターグ砂漠・吐峪溝(とよくこう)・高昌故城・火焔山の二日で計六ヶ所を巡る。包車費=400元という提案だった。
安くはないが、ちょっとくらい高くても妥当な提案だったので即OKした。その他に彼は砂漠で夜空を見ながら一晩過ごすオプションツアーのようなものを提案してくれたが、その時、いきなり言われても予備知識もなくそれは断った。
とにかく彼は、まず客の要望を聞きそれに応じた提案と価格で客を掴み、その上で、もっと更なることを「何でも叶えまっせ」という卒のない手馴れたプロフェッショナルって言う男のようだった。
そして、30分後くらいに出発の約束をして部屋に戻り小休止。司機がウィグル人だからここまで機会がなかったエバラの焼肉のタレを一応持って出る。
約束の5時頃下に降りると彼はすでにロビーで待っていた。
そして吐魯番大飯店の玄関脇に停めている車に向かうと、別の男が運転席から出てきた。
「何や?またかいな・・」と一瞬、気分はブルーになったが、その男も真面目そうだったし、まあこれもあれもこんなもんだろうし。
車に三人乗ったところで最終確認「我想再確認一下=もっかい確認しときたい」
*「今日はこことここ、明日はここと、ここと、ここと、ここと行って、計400元=OKね」と言うと
「心配しないで」との返事に、
「そやけど昨日も、その前も騙されたから・・・」
ホンマ疑り深く猜疑心の塊になっている自分に???ですが。
でも旅先で人を信じれるのでしょうか? -
■交河故城へ(40元=560円)
三人で出発し、まずは中国銀行に行ってもらう。2万円を両替する。人民元1389元也。
案の定、時間は掛かり、出てみると最初の交渉相手の一人はいなかった。
真面目そうな20歳下の名前は聞いたが忘れた。
以後、真面目のマジさん(仮称)と交河故城に向かう。
来たばっかりだし、吐魯番の位置関係もなにもかも全く白紙。風が強かった。
でも、新疆ウィグルに来て以来、二泊三日の短い滞在だったが、ここ吐魯番が一番漢族の匂いの少ない街のように感じた。
ウィグル人の町っていう雰囲気があった。それだけ高層ビルも目に付かず、記憶になく、写真にもなく、漢族の為の新しい街づくりがないということなのかも知れない。
交河故城に着いて入場券を買いに行ったら、窓口のお姉さん方が「今日はもう風が強くて危険だから入城出来ません」と言われた。
タクシーの方にすごすご帰って来たら、マジさんが「こんなに風が強くても、あなたは見たいですか?」と聞くので「折角来たのだから見たいけど、券を売ってくれないようで・・・しょうがない」と言うと、「私が買ってきます」と言って私からお金を受け取り窓口に行ったら、ちゃんと入場券を持って戻って来た。
なるほど -
■交河故城
ホンマ風がうなりを上げ、砂が目に入ってくる。
デジカメのレンズが傷つかないかと心配になるくらい。
それにデジカメの電源を切ってもシャッターの扉が砂が入るのか閉まらないくらい。
体は前傾、ぼそぼそ歩く。誰もいないのか?と、思ってたが戻ってくる観光客もそこそこいる。 -
要所、要所に暴風の中、監視員が座っている。
風など生活の一部でなれたものだろうが・・・慣れない私にはミニ台風しかりである。
看板やつぶれかけのトタン屋根がないので、物が飛んでくる可能性は少ないが・・・砂嵐とはこのことだったのか。
規模は大きく、凄い遺跡だろうという感じは一見して分かるが、何せ、ガイドおらず、説明もなく、予備知識もなく、取りあえずガイドブックに載っていた交河故城にやってきた。 -
これが、メーンの交河故城のようですが、
帰国後ガイドブックと照らし合わせる
・・・・・・・・・・・・・・
写真を撮って、帰国後しみじみ感傷に耽ろう・・・などと浅はかな旅人というのは私のことです。
広い。でっかい。どこからどう見て良いのか?分からん。
風強い、目が痛い、もう来たからいいじゃん。帰ろうか・・・いや、まだ奥の方になにやらここより凄い遺跡がありそうだ。
ツアー客の一行が立っているのが見える。歩こう。
・・・なんて、いい加減にうろつき、しばらく歩きました。
南北1キロ・東西300メートルと資料にあるが、もっと広いように感じた。
6世紀初頭に築かれたのか。
(日本:飛鳥時代:大伴氏←継体天皇の擁立。6世紀後半・593年、聖徳太子の政治始まる)
そうか。城壁はない。なるほど。墓地群も広がっている。
その時は、何が何か分からんかったけど遺跡やっちゅうことは見たら誰でも分かりますから・・・。 -
歴史好き、予備知識大いにありの人、
感動でしょうね・・・
交河故城出入り口。 -
二日間お世話になった真面目で優しい
ウィグル人、司機
吐魯番への旅の節は、彼をご指名を
少し日本語も話します
連絡先は、後ほど -
■次は、蘇公塔へ行く(30元)
絹の道によると
『』内抜粋
『1998年に訪れた時は、あたりには何もなく、ただ塔のみがポツンと立っていたのですが、2004年に再び行ってみたところ、すっかり公園風に様変わりしていました。何が何でも儲けてやろうという人民の強い意志が感じられます。』
抜粋終わり
そうです。素晴らしい公園でした。
エミン・ホージャ・ミナレット(エミン塔)・・・イスラーム建築を代表する最古の塔(1777年建立)らしいです。 -
蘇公塔
どっかで見たことあるような??と、思えば、そうか札幌の雪祭りの雪像の如く、これは土像だ・・と。率直な印象。 -
でも、中々良かったです。支那風の時代を感じない嘘っぽい建物よりか、何倍も味があって風情があって。
中には礼拝堂があり、塔は傾いて登れないですが、建物は二階に上がって行けます。韓国からのツアー一行が来ていました。 -
二階にウィグルの方が窓に腰掛けて下界の風景を見ていたので、やおら「ヤポニヤディン ケルディム」と一声掛けたら、ニコッと大いに歓迎してくれました。満面の笑みで。
少し、話しをしたかったのですが、直ぐに韓国一行がガヤガヤ登ってきて話しも出来ず。「ホッシ=さようなら」と挨拶し、去りました。
後でちょっと後悔。もう少しゆっくりして、話しをすれば良かった・・・と。 -
エミン・ホージャ・ミナレット(エミン塔)・・・
イスラームの匂いがするぞ
傾いたエミン塔 -
■今日の予定は終了し、晩飯を食いに
マジさんとウィグル料理の店に入り腰掛ける。
ここでエバラの焼肉のタレを出したが、どうも羊の肉が臭みがあるのか?
シシカバブにしても、他の肉料理にしても超辛味の利いたスパイスをまぶして焼いているし、タレらしきものも既に付いているような気がする。 -
生の肉を焼いて、何かをつけて食べるというのにお目に掛からない。
たった10日余りの旅だし、一般家庭を訪ねる機会もなかったので何分ホンの微々たる見聞録だが。
それにマジさんは若い頃腕に友達に刺青を入れてもらっている。
聞く所によると、イスラム教関係の学校か?そういう宗教スクールのようなところに属していたようだった。
今はその刺青を後悔していると言っていた。片方の手首の刺青は、自分で消してアザになっている。
エバラのタレの能書きを真剣に見ていたが、調味料のエキスでも気になるのだろうか?
断固拒否したのには少しビックリ。
他のウィグル人にも試せば良かったと今になって思うが、その時の様子がマジ、マジだったのでエバラの焼肉のタレは私がその時、シシカバブをつけて食べただけでゴミ箱行きとなった。
今頃、タレは?吐魯番で如何に? -
何故か?吐魯番にあったエバラの焼肉のタレ
・・・羊の肉にピッタシの味
ここでシシカバブ3本づつと、又、例の拉麺を食う。マジさんはこの拉麺が大好物、毎日食っているらしい。私も、昼はパンだったので、初めて全部食う。
マジさんが帰り道、「ウィグルの表演を見に行きませんか?」と誘ってくれた。私は直ぐに鳥魯木斉での感激の歌舞を思い起こし、「行きたい」と即答した。
まだ時間があるから一端、吐魯番大飯店に戻って9時に迎に来ます。と言うことで夜8時頃(・・・と言っても新疆時間6時だから昼間)ホテルに帰ってきた。 -
この店にエバラの焼肉のタレ
「あぶりにんにく味」が置いてありました。
嘘ですが。 -
■9時に・・・。
部屋で一服し、9時に降りるとマジさんはロビーの椅子に座っていた。
場所は吐魯番賓館。私が楽天トラベルで予約する時、どっちにしようかと迷ったホテルだ。吐魯番賓館の方が無論高い。
直ぐに着いた。
数人の日本人・中国人が椅子に座っていた。
ここでは毎日、この歌舞が開かれているらしい。入場料一人30元、マジさんと二人分60元を払い舞台に向かって右側の最前列に腰掛ける。
写真が撮りやすいように・・。 -
吐魯番賓館で表演の観劇
「明日、観光終わったあと時間が有れば私の家に来て下さい」・・・と、誘ってくれたので、「行かせてもらいます」と、言ったが、
その明日には、奥さんか親の了解が得れなかったようで、残念ながら訪問はならなかった。 -
■部屋に戻って日本に電話
この吐魯番大飯店は部屋の電話で国際電話が出来た。
家内に電話をしたら、普通の声だった。あまりに普通だったので「何してるん」と聞くと「昨日の日曜日の新聞のクイズがまだできんと、てこずってるねん」であった。
納得。
長男にも電話をし、この時初めて、ワールドカップのメンバーを聞く。
フォワードの久保が外れたのに驚いたが、他のメンバーはそれなりだったと知る。
今、一番心配な腰も何とか無難に持っている。
さあ、又明日、又頑張ろう。 -
吐魯番賓館で表演の観劇
まあ雰囲気は分かるが、
鳥魯木斉の歌舞を見た者にとっては・・・
もうちょと何ぼでもおりそうなものを -
庫爾勒〜吐魯番へ
了
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この旅行記へのコメント (2)
-
- こまちゃんさん 2007/02/25 00:39:50
- イスラムの信仰
- なのです。
彼らは、彼ら以外の民族が「ぶたさん」を食べる事を知っています。
なので、彼ら以外の民族が使うものは、洗った食器すら使いません。
従いまして、日本の調味料には、ぶたさんに繋がる器具が存在する・・と言う事です。
気を悪くされたとしたら、彼らの宗教的な面ですから忘れてやって下さい。
世界って広いですよね。
そのタレは、きっと以前に来た日本人旅行者が置いていったんでしょうね。
敦煌の司馬義さんも維吾爾人。これは家に遊びに来た時のブログですが、
→http://green.ap.teacup.com/applet/chinaart/20050707/archive
この記事には書いていませんが、こんな風に家には来ますが、お茶を出しても拒否されます。綺麗に洗ったコップでもダメです。出す飲み物はミネラルウオーター。しかも、紙コップでの提供です。
爺ぃに聞いたら、彼らはそういう宗教信仰なんですって。流石30年住んでいた強者〜!
あ、丁度今日のブログにこんな記事も書きました。
→http://blog.so-net.ne.jp/chinaart/2007-02-24
日本人は中々入られない領域を感じますね。でも、理解して仕舞えば、難なく交流出来るようになります。(^^v
(納豆を拒むこまみたいな感じ?そんな簡単な事ではないか・・・(^^;)
香辛料は生活慣習上のもの。標高の高い新疆地域で取れた羊肉は、塩分を多く含んだ草を食べているからなのか臭みが全くなく、そう言った理由からではありません。(旅行記のどこかに説明していますが、探し出せませんでした・・・(もう多すぎです(^^;))
あ、そうそう。喀什(カシュガル)には「香辛料なし!!」でバカ旨のカバブ店がありますヨ。
→http://4travel.jp/traveler/chinaart/album/10101272/
新疆に関して語ると止まりませんが、余りにも長くなったので一端切りますね。
こま
- 明石DSさん からの返信 2007/02/25 20:01:52
- RE: イスラムの信仰
- お教授ありがとうございます。
そうだったのか・・・と、納得です。
エバラのたれは重いのに自分で持って行きましたよ。
このタレの旨味は羊肉好きのウィグル人に気に入られるのかと思って
瓶を見るだけで無視されたのが・・・。
やはり彼らの信仰心は私から見れば、凄いなあと思います
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