2006/05/14 - 2006/05/26
31位(同エリア40件中)
明石DSさん
新疆ウィグル
『1949年に最終的に中華人民共和国建国時に統合され、1995年に新疆ウイグル自治区が設置され中国の一自治省になった。』(『』内、抜粋)
彼の地はどんなところなのか?
たった13日間、新疆滞在11日間の旅ですが・・・。
-
2006.平成18年5月16日(火)
■天池一日遊の帰路
帰路の途中、若い感じの良い女性添乗員がマイクを持ち、みんなにクイズ形式なのか?一人ずつに質問し、回答を求めだした。
私は質問の意味も何も分からなかったが、他の人の回答に真似をして適当に養鼠(ヤンシュー=鼠を養う)とか養老虎=(ヤンラオフー=虎を飼う)とか適当に答えた。
だけど急遽、彼女も思いついたのか、私に「日本の歌を歌って下さい」と言ってきた。
下手な歌など唄う気持ちなど普通は更々ないが、一応「嫌だ・・」と言ったけどマイクを持って回っていた男の添乗員も私を引っぱるので、こんなとこでグダグダせず下手でもええやろ・・・と、前まで行ってマイクを持って「故郷」を唄った。
しらっばくれていた奴もいたけど、拍手をしてくれた者もいた。下手な中国語で良いから、もうちょっと挨拶でもしておけばと反省。
でもガイドの彼女はホンマ性格の良い、笑顔一杯のいい子だった。普通の三倍給料上げても会社にとっては大いに得だ。 -
その後、ツアーのお決まりなのか漢方薬店により、次は絨毯屋に寄って買い物を勧められる。
絨毯屋に行っていた頃に、次の歌舞観劇のために旅行社から私の携帯に電話が掛かって来た。
早口だし電話だから・・・相手の女の子の話すことがほとんど聞き取れず、こっちの状況を伝える語学力もなく、又後から電話をするということだけは聞き取れたが・・「聞き取れない」と言って電話を切った。
そして案の定、又10分後くらいに電話があり、そばにいた女子大生の添乗員に代わってもらった。
やはり「時間が迫っているから一人で先にホテルに戻ってくれ・・・」ということだった。
今、鳥魯木斉の何処にいるのか定かではないが、タクシーに乗って帰るからというと、天使の添乗員の彼女が道まで付き添ってくれタクシーを停めて行き先を告げてくれた。
途中、彼女から「今回の旅行の印象はどうでしたか?」・・・と、聞かれたので
「貴方のお蔭で今日の天池一日遊は最高に楽しかったです」というと喜んでくれた。今の時期は休みはないとのこと・・・しかし冬場は休みばかりのようだ。
「あなた方中国人は日本や日本人には好感を持っていないのでは?」・・・と、彼女の答えは分っていたけど、いじわるな質問をすると、彼女は悲しそうに「そんなことは絶対ないです。日本はとても素敵なところだと聞いています」と言っていた。
不思議なくらい感じの良い女性だった。天使なのかも?いやきっと天使だと思う。 -
■歌舞の観劇へ(鳥魯木斉)
ホテルの部屋に戻ると間もなく
旅行社から部屋に電話があり、「下で待っているから直ぐに降りて来て・・」ということで一服もせず、顔だけ洗って又エレベーターに乗って降りた。
エレベーターを降りると前に立っている数人がいたが素通りした。そして振り向くと向こうも振り向き、互いに「こいつだろう」と認識する。それが相手は二人も居た。若い男女二人の出迎えか?
えらい大げさやなあ、俺の他にも沢山いて順番に集めて行くのか・・・と、思って聞いたら私一人だけとのこと。
中国ってのは何があるか分らんから・・・二人は車もなくタクシーを停めて三人で目的地に向かう。
すぐ近くのようだった。国際大バザールにある劇場だった。
三人とも降りたが男は付いてこず、女の子がまずショッピングセンターに案内してくれた。これもツアーの一環のようだ。でも私に買う気も見る気もないようだと察すると、早々に劇場に向かい入場した。
そして、そこの係りの人と打ち合わせ一人参加の私の席を決めてくれた。席は値段なのだろう、後ろの方だった。
座るや否や、彼女は私に「食事はバイキング形式で歌舞を見終わったらタクシーで一人で帰って下さい・・・」と言って、私が「分かりました」というとすぐに立ち去った。
これが歌舞ツアーだったのか・・・。なるほど。券を買ってくれて連れて来てくれるだけのことか・・・。 -
バイキングでの食事は始まっていた。おもむろに席を立ち、大皿を手に適当に入れる。中華から羊肉まで・・・果物、パン、ケーキも。
途中、席を立って新たに食い物を取りに行って戻ると、そこに白人達の一行が私の席に座っていた。そして中途半端な場所の私の席は変えられていた。
一瞬私は何がなんだか分らず立ち止まる・・・と、私の前の席だった中国人があんたの席はこっちになったと教えてくれた。
舞台に若干近くなり、私はそれで良かったが、その有様に私の席に座った白人は大いに恐縮し、申し訳なさそうにしていた。
どこの国か知らないけど、10人以上の集団だった。その立ち居振る舞いは、マナーという点においては一枚も二枚も彼らは上手だ。紳士・淑女と言えるだろう。
その白人達の私への恐縮振りは・・・。
白人の我々が地球人類の最優位の人種であり、他人種の模範となるべき立場であるという確信を持った自信と余裕の裏返しのような気がした。 -
中国人は、その点、ホンマやかましいし、食い散らかすし、演舞が始まれば立ち上がって、後ろに人が座っているのに写真を撮りまくるし・・・そんな姿にはうんざりだ。
白人の老女が自分の前の通路に立って写真を撮っている中国人に注意をしていた。その内、劇場の者が、写真は座ったまま、自分の席で撮るように注意をしていた。私はたまたま席が変わって通路側だったので写しやすかった。
でも白人連中は、むやみやたらに写真など写さず、じっくり観賞を楽しんでいた。そして時折、カメラを取り出し写していた。ちょっと確かに違うなあ。 -
■歌舞が始まり・・・。
あまりのウィグル女性の美しさに感動する。
侵略者・漢族観光客が多数の前で、笑顔一杯を振りまき、その手のしなやかさ、体のしなやかさ・・・踊りの優雅さ、ハッとするくらい美しかった。
思わず胸が熱くなり、目がウルウルするくらい美しかった。その哀愁を帯びた笑顔に強烈なるオーラがあったのか?
悲しくも美しい、美しい笑顔。 -
勝手な私の思い込みなのだろうか・・・。司会者のウィグル人男性のしゃべる流暢な中国語に違和感を感じた。
ウィグル語での挨拶は最初の一言くらいだったろうか? 男性も男前揃い、女性はホンマ綺麗というより美しい。そして可愛い。
「何で漢族に負けるねん」「何でウィグル語でしゃべれへんねん」「あんたら中国人か?」「違うやろ、どう見てもちゃうで」「これが侵略された民族の悲劇か?」「この舞台で踊る貴方達は、その象徴なのか?」「他民族に飲み込まれる悲劇」「町の看板に溢れる漢字」「ウィグル人が電話でウェイ(中国語=もしもし)という」「中国語なんてしゃべるなよ」
いろんな思いが交錯した。
でもでも、とにかく哀しくも美しかった。タイのニューハーフショーも感激したが、それより訴える何かがあった。 -
確かにウィグル人もうっとうしい奴が居た。タクシーの運転手にも、町の兄ちゃんにも・・・。そして、幾らかっこよくても、美人でも、その生活レベルは見た目100年前の農村姿だった。
馬とロバ、農耕と葡萄、その他の果物作り、そしてイスラム教信仰、踊りとで彼らの人生は満足だったのだろうか?
そんな地に漢族が軍事力を持って制圧し、『1949年に最終的に中華人民共和国建国時に統合され、1995年に新疆ウイグル自治区が設置され中国の一自治省になった。』(『』内、抜粋)
これこそ中共による侵略であり、現在の世界の常識からすれば許されることではない。チベットも同じだ。 -
他民族による侵略の悲劇、中共・侵略側の暴力、傲慢、不遜・・・許しがたい憤りを感じた。
そして、それを言うと・・・
一部の日本人は過去の日本を持ち出し、日本人にそれを言う資格があるのか?・・と、非難する輩がいる。
「日本も朝鮮・台湾を併合し、満洲の地に満州国を建国したではないのか・・・」・・・と。
■確かにこれは「ずっこけ旅日記」だが、これだけは言っておく。
日本の過去の台湾、朝鮮併合や大陸進出、満洲建国と、今の中共のチベット・新疆ウィグルの侵略は全く違う次元のものだと私は認識している。
その理由は
100年前、そして80年前、そして第二次世界大戦が終わるまで、世界の強国は弱国を植民地化し覇権を争っていた。それが良くも悪しくも世界の趨勢であり、当時の、そんな過酷な状況の中で日本も独立を守りその立場を堅守する為に白人列強国と競っていた。
勇気と克己心ある父祖は、子々孫々の為にも命懸けで列強と競い、すでに列強の草刈場になっていた支那朝鮮半島を含む、アジアに進出し国力を高めようとした。そして自らの独立を保ち、尚且つ大東亜共栄圏という壮大な目標を掲げ、白人列強国と対峙し最後には戦うことになった。
そんな日本の足を引っぱり続けたのは当時の国家の体をなしていなかった支那である。現、中共政府は日本の敗戦を利用し、かろうじて自らの政権を奪取した。
あげくに、敗戦後の日本を非難し、現在進行形の自らの侵略を正当化するどうしようもない国家だ。
第二次大戦後、植民地のほとんどは独立を果たした。
そして世界の良識・常識は他国・他民族への侵略・植民地化を「悪」とすることが共通の認識になった。そんな時代に逆行し、中共は厚顔無恥にもその軍事力を背景に侵略国家として今も嘯いている。
今、侵略が許される時代なのか?
他民族を併合することが許される時代なのか?
日本の過去を今の時代の価値観で裁き、父祖を辱めるのは天に唾吐くことだ。
私は過去の父祖の行いを只非難する輩とは一線を画す。たとえ仕方なく付き合いはしても、内心では認めない。どんな奴でも。
現況の日本・日本人・そして自分を棚に挙げ、
子々孫々の為に、国の独立を守る為に戦い命を落とした父祖を辱め非難する日本人は誰であっても嫌悪する。 -
最後の方に男性歌手が出てきてウィグル語で終始唄った。それが垣間見せた意地のように感じた。
歌舞が終わった。
客を舞台に呼び寄せ、舞台上でみんなで踊っていた。女性の顔にはさっきと違う作り笑顔があった。そう・・・私の気のせいかもしれない。そう思いたかった。 -
観劇した大劇場での表演
-
一歩外に出るとこのあたりはウィグル族の夜店で賑やか
-
町に出た。そこはウィグル人の夜店が居並び賑やかだった。
-
やっと私が来たかった場所に来れた・・・ここにあったのか。
それまで、新疆に来ながら街の風情は中国の他の町となんら変わらぬところばっかりだったから -
こんな穴にも気をつけなければ。
ホテルへ帰ったら切符を買ってくれていた。その切符は確かに第一希望の汽車だったが、発車時刻が違っていた。
12時50分・・・なら、庫車到着は深夜の2時半ころになる。ああ、どうしたものか・・・。
キャンセルして別のに変えるか、それとも明け方まで乗って遠くのアクスに行こうか?? -
2006.平成18年5月17日(水)
■さあ、どうしよう・・・
朝9時前に匯源酒店を退房した。
・・・と、いっても新疆時間:7時前だから、どうも感覚がおかしい。
匯源酒店の朝、部屋の窓から外を写す・・・ -
広々とした部屋・綺麗だったフローリング
こっちの人は、学校も仕事も一日のペースは新疆時間のようで、汽車・バス・飛行機などの時間は北京時間。この新疆時間と北京時間の使い分けは新疆に滞在していた11日間くらいの間、どうにもややこしかった。
昨日、服務員が買ってくれた汽車の切符は私の第一希望通り
N946次、軟臥・下鋪。326元(4564円)
その他に、切符の購入のために使ったタクシー代を請求された。何故か?三枚の領収書・・・値段も見ていないが、30元くらい?だったかも、それと少しチップを渡した。
インターネットで中国の鉄道時刻表を検索したのは15:51分発〜庫車(着)午前5:44分だった。でも買ったのは同じN946次だが12:50(発)である。到着は13時間53分後だから、深夜の2時43分になる。
今、ここで考えれば15:51分発でも新疆時間なら深夜3時44分(着)だし、今回の切符も深夜の0時43分となる分けだから、いずれにせよこのN946次を第一希望にしたこと事態間違っていたということか。
やはり新疆時間というのが日本にいる時は余計にピンとこなかったのだろう。
まず、この切符をキャンセルし、あと二本出ている別便の切符を買って明るい時間帯に庫車に着けるようにしたい。
そう思ってタクシー(初乗り=6元)で鳥魯木斉駅に行った。 -
新疆時間ではまだ早いのか?切符のキャンセル窓口も良く分らないので、そばの旅行社に入っていった。玄関で座っていたおっちゃんに聞けば「2階だ」と言うので上がると誰もいなかったが、直ぐに事務所の者であろう人間が来た。
こういうのは素早いなあ・・・。事情を言うと、彼は良い人らしく「今から今日のその切符をキャンセルすれば260元ものキャンセル料が必要だから・・・そのまま乗って行け」と言う。
*「深夜に降ろされてタクシーはあるの?泊まるところはあるの?」・・・と、聞いたら「なんぼでもあるから・・」とのこと、「ヨッシャ、これで行こう」と、その一言で決めた。
わざわざ事務所に戻ってきてくれて、その内容が商売の種にもならんことだったので。
*「対不起(申し訳ない)、謝謝!ありがとう」と言うと、その40代のおっちゃんは「没事ル=メイシィアー=気にするな」と、軽く笑顔で言ってくれた。この「没事ル」は、しょちゅう聞く言葉だ。
土産物屋で、あれこれ言った挙句、「買わなくて御免ね」というと「没事ル」である。その辺、何でもありで気にしない良さなのだ。 -
紅山公園
汽車の発車時間まで鳥魯木斉市内が一望できる紅山公園に行こうとタクシーに乗る。
ちょうど女性ドライバーだったし感じが良かったので、「24日に又鳥魯木斉に戻ってくるから、その時、又頼むから名刺頂戴」と言うと「名刺持って居ない」と言うので電話番号を聞いた。
料金表示は10元5毛だったが10元にまけてくれた。タクシー料金まけてもらったのは初めてだ。
標高934.4メートルの紅山と言っても丘のようなものだけど・・・もともとの標高が高いのだろう。
公園の中は、市民の散策場所のようなもので運動器具もあった。そこで「雲梯=水平のはしご」を往復している老人がいた。年の頃、70歳くらいに見えたが、長さ5メートルくらいだろうが、行ったり来たり。
それを競うように、おっちゃんたちが並んで見ていた。そして、次から次と交代で・・・競っているの?
みんな体を鍛えている。達者そうだ。こんな公園の光景も日本では見たこと無い。
小学校や幼稚園でガキが遊んでいるのは見るけど。
やっぱり国民皆保険の無い国の健康への執念を感じる(笑)俺は片道も無理だし(泣) -
遠眺楼
それから遠眺楼(3元)に入った・・・まさに何処にもある、これ見よがしの支那の建物である。
ほとんど観光客はなく、ユックリと鳥魯木斉の市内を眺める。東の方向にボコダ峰が見える。逆光で雪景色は見えない。あ〜大都会だ。 -
■鎮龍塔
鎮龍塔にさっきは大勢の観光客が居たが、私が行った時は少なかった。ここでも、又ゆっくり景色を眺める。
俺は今、はるばる鳥魯木斉だ。 -
紅山公園で兵馬俑を見る
次に兵馬俑が置いてあるというので入った。
15元を何故か団体割引の10元にしてくれた。
本物か?どうか?分らんが・・・同じような大きさだとは思う。一体一体私より大きかった。それぞれに表情も違い精巧である。落書き自由?の本物はないだろうな。 -
やっぱり。それとも、まだまだ一杯出土されるかから金儲けの為ならちょっとぐらいいいのかも??
触り放題、蹴り放題、落書きし放題の兵馬俑。
誰も居なかった。でも私はやっていません。 -
2006.平成18年5月17日(水)
鳥魯木斉駅前の風景
■13時間50分の汽車の旅
12時50分発に乗る為に駅に戻る
駅傍のウィグル人のやっている小売店でナンを二枚とペットボトルの水と紅茶を買う。汽車はN946次・17号下鋪。 -
汽車に向かう
四人部屋だが二人だけで、上のベッド二つは空いていた。
直ぐに車掌が検票に来て、切符とカードとを交換する。そして客が降りる駅の手前にきたら車掌が切符を持ってきてカードと交換する。
だから客が降りるのを間違えたり、夜中でも寝過ごしたりしない。やはり乗っている時間が長いし、こんな方法がないと乗り過ごす客が多くなってしまうだろう。
私も深夜の到着だが、これだと安心して寝ることも出来る。 -
鳥魯木斉〜庫車へ、汽車の旅
同乗者は、漢族の“唐○○”という人だった。三人家族、警察官を5年間勤めたが給料が安く新天地での商売に賭けて、カザフスタン国境の町・・・まさに辺境の地の伊寧(イーニン)という街に来たとのこと。
18歳の息子は北京の大学に行っているようで、奥さんは商売の手伝い。名刺をくれたが副社長の肩書きだった。新疆というよりカザフスタン・キリギス・ロシアなどと商売をしていると言っていた。
私にお茶は好きか?と聞くので「好きだ」と言うとバックからお茶の葉の入った封を取り出しそれごとくれた。
そして、私に手帳に名前と電話番号を書いてと言われて書いた。「日本に帰ったら日本のお茶を送ります」と言うと、喜んでいた。そして、「伊寧に来ることがあれば是非連絡して下さい・・・」とのことだった。
14時間あまりの汽車の旅
私は廊下にも椅子があるし、この汽車は2階建てなので2階の通路の椅子に腰をかけて車窓の移り行く景色を飽きることなく眺めていた。
最初の頃は遠くに高峰連なる山脈が見えたりしたが・・大体は、トルコのように平らではないが、不毛の大地が続いていた。
PS:お茶送りました。
私の好きな玄米茶と緑茶と汽車で写した写真 -
赤茶けた山々・・・。日本では見たことのない風景が続く。
そして、鉄道も道路も押し寄せる砂との戦いに四苦八苦しているようだ。
今も既存の線路と平行して複線化するのか鉄道工事をしているが、砂風除けの防砂風堤のようなものが線路と平行に作ってあるところも多い。石油や、地下資源の運搬の為なのか、鉄道の工事は急ピッチのようだ。 -
途中、4時ごろガラガラになった食堂車に行き1時間ぐらい座っていた。そこで、ハムなしのハムエッグ?を食べる(12元)
それとスープ(2元)。食堂車のスープは一人用なのか小さいお椀に一人前にも少ないぐらいだったがうまかった。
中国語を話すウィグルの女の子が給仕として働いていた。中国語が話せなければ仕事につけない実態が良く分る。 -
ガラガラの食堂車でうまい物を食う・・・美味かった
-
車窓の景色
午後5時頃
自分の携帯で庫車賓館に今日から三日間の予約をする。
電話の声量が小さいので聞き取りにくかったが188元で何とか予約はOKだと思う。 -
鳥魯木斉〜庫車、汽車の旅
車窓の景色 -
鳥魯木斉〜庫車、汽車の旅
車窓の景色 -
鳥魯木斉〜庫車、汽車の旅
車窓の景色 -
午後5時半
魚ル溝駅を出発して2時間走った午後7時半ごろ、この鉄道の最高海抜地点を走っているとのアナウンスがあった。
海抜何メートルなのか聞き取れず残念だったが、その付近の外の光景はモンゴルの大草原を思わす草原が車窓一杯に広がっていた。 -
その後、判明したところに寄ると、3,000メートルらしい。人生55年一番高い地点に到達。空気は薄く苦しかった・・・(嘘)
山々も木こそはえていないが、なめらかな山並みで見てる気分は良かった。羊や牛の放牧も行われていた。 -
2006.平成18年5月18日(木)
夜中:庫車のプラットホーム
■庫車での攻防
結構な人数が夜中に降りていた。
でも自分のことが心配で他の人間は眼中になく駅の出口を一歩出るとタクシーの客引きが群がって声を掛けて来た。二三歩進んで立ち止まり、結局出口の一番前に停めていたおっさん運転手の車に乗った。
メーターはなし。「なんぼや」・・・と、聞くと。いきなり、「遠いから・・」と言うだけで金額の提示なし。
又「メーターも倒せよ、なんぼや?」と聞いても「メーターはどのタクシーも線を繋いでいない。遠いから・・・」と言うだけ。
*「じゃあ、降りるから」と言って、降りかけた。
おっさん慌ててメータの線を繋いだがメーターは作動せず。
「もう、ほんなら5元で行くから」と言い出した。
*「なんやて5元、そんな安い値段嘘やろ。降りるわ」と言って荷物を持って降りた。
その横に、我々の様子を伺うちょっと若いお兄さんタクシーが停まっていたので、「あんた、庫車賓館なんぼや?」と聞いたら「10元」と言ったのですぐに乗る。
実際走ったら5元の距離だったが、深夜だし10元なら妥当だろう。
まったく地理も何も分らないから・・・どうしようもない。あのおっさんの5元もまんざら嘘ではなかったのかも?客待ちタクシーも一杯あったし。
若い兄さん運転手に「包一天車多少銭?=一日貸切いくら?」と聞いたら350元と言っていた。
その時は、「そりゃあ高いやろ200元って聞いているぞ」って言ったけど350元も行く場所によっては妥当な値段だと言うことが後になって分った。
でもねぇ・・・旅先で、初対面の“人”を信用しろと言っても信用出来るものではない。
どうにも第一印象は怪しげに見えてしまうし
タクシーの運転手もそうだし、髭を生やした怪しげなおっさんもそうだし・・・拙い日本語を喋る奴らもそうだ。
どのガイドブックにも“気をつけろ!”って書いてあるし
庫車賓館に到着しフロントへ・・・服務員の小姐が一人だけ居た。
*「5時頃汽車の中で携帯電話で予約した」
「貴方の名前は?」
*「あの時、電話の音が小さくて名前は言っていない」
「何日泊まるのですか?」
*「三天、一個晩上188元」
「そんな値段のホテルは道の向こうのホテルです」
*「なんやて、電話で小姐が一番高い部屋が188元と言ったからそれで良いと言ったんや」
「・・・・188元、対」
*「あの時の小姐は言った188元、180元、○○元、一番高い部屋だ」
「フーン・・・」
*「一番高い部屋だ」
「188元×3=564元、押金136元、合計700元」
*「分った」
「部屋番号502・服務員が鍵を開ける」
後で分ったが、ホンマ部屋は一杯だったようで鍵の壊れている502号室だけが空いていたようだった。
そしてこのホテルの値段どおりの良い部屋だった。この小姐も良い娘さんだった。
鍵も翌日に直って、このホテルの三日間には文句はない。評価=良い
午前3時20分
何とか無事に庫車賓館に入ってシャワーを浴び就寝。
寝たのか寝てないのか・・・・。
分らんけど朝になるだろうな。 -
■やはり、すぐに朝が来たようだ
昨日?いや今日の深夜3時前に庫車に汽車は到着。そしてホテルに着いて深夜3時半ころ就寝した
そして朝8時頃には起きていた。
この庫車賓館は朝食付き(バイキング形式)だ。大体、新疆のホテルの朝食は北京時間8時半からである。新疆時間6時半だから。
私も8時半:オープンして一番くらいに食べに行ったということは、それくらいしか寝ていないということか・・。 -
庫車賓館は朝食付き・・・
豆乳があればいつも大体二杯飲む
そして、今日の準備のためにフロントに行き、小姐に「今日タクシーを貸し切りたい。女性の運転手を紹介して・・・」と頼んだ。
フロントの女性ではなかったが、そこにたまたま居た一人の女性服務員が、知り合いがいるらしく直ぐに電話を掛けてくれた。
何度か電話をしなおしてやっと本人と接触できたようでロビーで待つように言われ、ロビーのでっかい椅子に座った。
これも旅の出会いの楽しさだ。一体?どんな女性が来るのかなあ?一体?料金いくらって言うのかなあ?
ちょっとドキドキしながら待つ。 -
■○巧英(漢族)との出会い
彼女はやって来た。案の定、逞しそうだ、柔な女性はタクシーの運転手なんて難しいだろう。結構厳しい仕事のようだし・・・。
早速、ロビー椅子に座って交渉開始。
ガイドブックに記しを付けているのを示して。
*「ここと、ここと、ここと、ここと、ここと、ここと・・・行きたいのだけど、幾ら必要」
「・・・・。・・・・。・・・。フーン、ウーン。500元」
*「そりゃあ高いで、そんなんじゃ、いいわ。別のタクシーを探すから・・」
「じゃあ、あんた、何ぼや、言うんよ」
*「俺は、先月ここに旅行に来た友達からメールをもらった。これを見て、書いてあるやろ220元やったと・・・そして、その時のタクシーの運ちゃんが、この大峡谷に行くのなら100元追加で行くからと、言われて行ったらしい。それで合計320元やったと・・・」
「見せてみィ〜。これやったら、ここと、ここと、ここと、ここと、全部で4箇所やろ。あんたさっきもっとようけ言うたやんか」
*「ムムム・・・・。ほんなら4箇所で幾らいるんよ。この大峡谷が一番遠いらしいけど。ここは絶対行きたいから・・・」
「・・・・ホンマしゃあないなあ。320元でええわ」
*「OK、なら就行(ええわ)頼む」
「ホンマあんたいうたら、私に正直に言わんと最初、あれだけ行って200元なんか言うて・・・ホンマ」
*「しゃァーけど、あんたも500元なんて吹っかけたやろ・・・」
「・・・・・・」
結局
?塩水渓谷。?天山神秘大峡谷。?キジル千仏洞。?クズルガハ烽火台。?スバシ故城。
以上、包一天車:320元。
やはりインターネットの情報などで、一応の相場を知っていると、それを崩さないようにと気を使う。上記のメールの一件も、中国の旅関係のメルマガで勝手に仕入れたものをコピーして持って行っていた。役に立った。
?の塩水渓谷に立ち寄って、5箇所。彼女はどうでも良いついでの一箇所のおまけを私に恩に着せていた(笑)行ったけど、大峡谷の途中で、ホンマ?はどうでも良かった。 -
そんな交渉をしている時
テーブルを挟んで前に座った上品な奥さんが、私に向かって「日本人の方ですか?」と声を掛けてくれた。
私も思いもよらない場所でいきなりの日本語に驚いたが
その方は、同じ兵庫県の西宮から来られた方で、娘さんがウルムチに在住のウィグル人と結婚したそうです。
そして、この度、娘さんが日本で出産し、その後のお手伝いに一ヶ月くらいの予定でこっちに来て、この5月の末くらいに日本に帰国するので、その間を利用して娘さんと孫の男児を連れて三人で観光旅行をしていると言うことでした。
「さっき、娘が日本人の人が泊まっているようだ・・・と話してくれたので、何だか懐かしくて・・・」と、私より少しは年上であろう、そのお母さんは言われました。
「一人でこんなところまで凄いですね。私はヨーロッパやアメリカなどの旅行の方が好きなんですが・・・」とのことでした。お孫さんの男の赤ちゃんはまさにウィグルの血を引く日本人離れの男前の顔でした。
■出発
途中、○巧英たちの住まいでもありの主人の職場でもある会社に立ち寄り、私ようのペットボトルの水、二本くれた。
給油(ガス車)をし、庫車の街から外れると、すぐに日本では想像も出来ない風景が広がる。 -
庫車市内から神秘大峡谷へ向かう
とにかく木がなく、山の稜線も険しく荒々しい。そして、やたらでっかい。
滑らかさの欠片も無い。 -
ここが地球なのか?それともどこかの惑星の大地なのか?
*「凄いなあ、圧倒されるなあ、ナンじゃあこりゃあ、すげえ・・」
*「あんたらは日常的にこんな景色見てるやろけど、俺達こんなん初めて見るわ、ホンマ」
「毎日、見てるよ・・」 -
とにかく、でっかい。荒々しい山々が壁のようにむき出しにそびえている。
写真だと、アカン。「百聞は一見に如かず」・・・・と、言うしかない。 -
■塩水峡谷(無料)
途中で車は停まり、○巧英が「ここが塩水峡谷ですよ・・」と、言う。
私は降りて、そこらを歩きまわり写真を撮る。風があって砂粒が目に入りそうになったり、デジカメのレンズを襲う。 -
ガイドブックの写真とはちょっと違うようだったし、ちょっと良く分らなかったけど。
ガイドブックにもあるようにたいしたことは無い。干からびて塩の結晶のある川はいろんなところで目にする。 -
■天山神秘大峡谷(門票40元)
神秘っていうより巨魁っていうほうが?
・・・何せ、見たことの無い代物ですから。 -
ここは地球の庫車です・・・が、
怪しげな景色になっています。作り物ではありません -
着いた。
どでかい、やたらどでかい赤茶けた岩の壁が両側にどっかりそびえていた。
又、又、始まる。「ナンじゃあ、こりゃあ。ばかでっかいなあ。何を圧倒するんじゃ」
○巧英はここで待って、一人で行く。2時間ほどの時間をくれた。
この峡谷をすべて回れば4時間はかかるらしい。 -
12時55分
峡谷を歩く。聳え立つ峡谷の間を縫うように道が作ってある。上から落石などあれば運が悪ければ一巻の終わり。
日本ならこんな危険なところ歩かせたりしないだろうなあ。自己責任である。
「落石注意早く通り抜けろ」という注意書きはあちこちにあるが。 -
このどでかい入り口の左の壁は、
只只でっかい、それだけで感動物です。
確かに初めて見た瞬間は、圧倒される景色だ。無論、十二分に一見の価値はあり、感動も得る。
しかし、1時間の行き道から戻り道はうつむいて他の事を考えている自分に気付き驚く。
日本人の思う“美”とは違う。“風景”というか、自然の荒々しさというか・・・又違う次元の世界のような気がする。
それもこれも、ここに来て、この景色を見てこそ感じたことであり。それはそれは“凄いっ”てことに偽りは無い。
見る値打ち十分ありまっせ
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
明石DSさんの関連旅行記
庫車(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
50