2006/05/14 - 2006/05/26
127位(同エリア270件中)
明石DSさん
■新疆ウィグル
私の認識では、新疆ウィグルはチベットとともに中共が1949年、中共建国以降に軍事力によって侵略した地だと思っている
彼の地は、中国からの独立を目指す民族戦線なる地下組織もあり、外国にある一部のテロ組織は公然と「宣戦布告」なるものを発しているのだから・・・。
そんな彼の地の現況はどのようなものか?
他民族に侵略、抑圧された民族の悲哀は?
新疆ウィグルの人口1900万人の45%を占めるウィグル族
突如として大量移住し、今は40%の人口を占める漢族
両者の対立の構図は如何なものか?
そんな固定観念と先入観の塊の私の
13日間・新疆滞在11日間の一人旅です
-
2006.平成17年5月14日(日)
■出発の朝
無事に戻って来れるかなあ・・・。
なんか、そんな不安を胸に抱いての出発の朝だった。
遠いから?情報が少ないから?ウィグル語が全く分らないから?中共による侵略?の地だから。
きっと敵対しているだろう漢族vsウィグル(最大多数)・カザフ・モンゴル・その他42の民族が共生する危うい地に向かう。そんな複雑な気持ちが何処かにあった。 -
■関空〜上海へ
午前9時に家を出て、三ノ宮10時のリムジンバスで関空には11時前に到着。
早速、今回の格安航空券を購入した阪急交通社「e−very」の窓口に出向き航空券をもらい、次に中国東方航空の窓口に行く。
すでに日本人らしき人たちが長い列を作っていた。 -
日曜日の空港は凄く混んでいた。
日曜日に関空を利用するのは初めてだったが、ちょっと失敗だったと反省。
いつも空港に来るたびに思うけど搭乗口までの煩雑さは何とかならないものなのか・・・と。確かに人の国境を越えての移動も、空を飛ぶ乗り物の危険性も考慮すべきものだろうが・・・。
指紋でも手の平の紋でも、顔の骨格でも、何でも良いから瞬時に個人を特定する情報が世界中のコンピューターで共有できない物なのか?
それとも、そんなことは人間にとって凄く危険なことなのか?よく分らないが?邪魔臭い。
100年後の人類の移動は一体如何なるものになっているのかと考える。 -
さあ、準備万端、MU516に乗り込んだ。座席は窓側2座席、真ん中3座席、横一列7座席だった。
私は窓側に座り、隣の60前後の紡績関係の仕事で出張の方と話しをした。一ヶ月に一度は家に帰れるそうだが、出張で海外を飛び回る生活のようだ。さすが日本のサラリーマン戦士:タフそうな方だった。
(以後)*「 」・・・私
*「今日は日曜日だからこんなに満員なのですか?」
「いやこれは安いからいつも満員なんですよ」
納得。
機内食は肉か?魚か?私はフィッシュを頼んだ。うなぎ弁当のようなものでうまかった。 -
■上海到着
北京時間午後3時、日本時間午後4時に浦東飛行場に到着。
また1時間くらい掛けてやっと入国。
いつもの入国出口での二重三重の出迎えの人垣からの視線と、客引きの声を無視し黙々と歩く。 -
■浦東機場〜良安賓館へ
リムジンバスに挑戦である。
乗り口を捜したが見つからず案内の少姐に聞いたら7号の門を出ればそこにバス乗り場があると聞き向かう。
ITで調べた通り目的地の5角場は4番乗り場だった。乗って座れば車掌が切符を売りに来る。
料金は16元で二つ目の停留所だった。 -
地図で見れば近いし歩いて行こうと決めていたのでバス停で下り四平路を見つけ、ひたすら同済大学を目指して歩く。
何度も旅しながら地図と現実の距離が未だ定かでなく、又も歩けども歩けども・・・で、1時間以上歩き二度ほど路を尋ねながらやっと大学横の上海良安暇賓館に辿り着く。 -
同済大学
-
■上海良安暇賓館。
料金(日本円2700円)は日本でアップルワールドでカードで支払済み、予約もちゃんと出来ていた。
部屋は3階の320号室。IT世界はますます進化し便利になる。部屋で一服、直ぐに又出て行く。 -
目的地は外灘(ワイタン)・・・どうも、上海に来れば外灘・南京東路・豫園・魯迅公園など何度か行っている懐かしい場所、人の混みあう場所に行きたくなる。
もうすでに外は夕闇だった。賓館前でタクシーに乗り外灘へ向かう。
まず南京東路を歩き路地を入った角の歩道上で夫婦で開く?屋台の店で焼きソバを食う。
日本の焼きソバに見た目そっくりで焼き飯もあったので、日本のソバ飯風に「米飯と麺とを半分半分混ぜてくれ・・」と頼んだが「不行=ダメ」と一蹴された。
味は辛いがそれなりにうまかった。 -
■外灘
世界を夢見た昔日の日本人達も驚きをもって眺めたであろう外灘。 -
居並ぶ洋館がライトアップされた夜景を楽しみ、又タクシーで戻る。
-
そして賓館近辺を散策し、今日の目的であった携帯電話を使えるように・・・と、電話カードを買いに携帯ショップに入った。
そこに携帯の修理の看板を見つけ・・・「この携帯を使えるようにして欲しい」と頼むと、「音が小さくなっていて聞こえにくいから修理が必要」と言われたので値段を聞いてから頼んだ。
修理代は60元(840円)、10分くらいで直してくれた?・・・と、言っても良く分らないが、確かに声は小さかったような気がする。そして電話カードを80元(1120円)で購入し、その場で使えるようにしてくれた。
でも携帯のカードが中国国内だけの物なのか?日本に掛けることも出来ず、何故か?去年重宝した短縮のアドレスも消えていた。
インターネットカフェイ(網バ=ワンバ)も一杯で入れず、この賓館の部屋の電話も国際電話はこのところの携帯の普及で「不開通」、家には連絡できなかった。 -
2006.平成18年5月15日(月)
■上海の朝
魯迅公園へ、何度来ても、光景は同じでも、たまに見るのはやはり面白い。
そこそこ年輩のおっちゃん・おばちゃんがネットをたてて本格的なバドミントンをやっていたけどレベルは高そうだった。でも、今日は月曜日というのに若い者も多い。仕事は無いの?? -
魯迅公園
何せ、広い公園で大勢の人たちがそれぞれにグループを作って、音楽も歌も楽器の音も混じり合っての喧騒の中でも、それぞれが集中?して、それぞれが勝手にやれる神経が凄い!
これも漢族の文化というのだろう
日本人ならすぐ隣のグループと違う音楽で踊ったり出来ないだろうし・・・
しないだろうと思う。如何なものか? -
2006.平成18年5月15日(月)
■上海火車站(上海駅)・・・で、あわや
ここで危機一髪があった。
近くの公衆トイレで5毛(7円)を払い入った(小)。出て20メートルほど歩いたところで後ろから呼ぶ声に振り向いたら、トイレの管理のオバちゃんが私に向かって呼び掛けていた。
その手に何かを持って・・・近づいたらそれは何と航空券の束だった。今日から帰るまで全ての。上海〜鳥魯木斉〜鳥魯木斉〜上海〜関空・・・の、見て、冷や汗が出もしなかった。最初、ことの重大さにピンと来なかったから
「これ、あんたが落としたんでしょ」
*「あ〜、我的、謝謝、ありがとう」
・・・で、受け取って歩いた。そして、あ〜・・・助かった。 -
腰のウェストポーチが体にきっちりへばり付いていたので、賓館から出て魯迅公園で航空券を確認し入れ直した時に、ジッパーを開けその中に入れたつもりが中に入らずウィストポーチと体の間に挟まっていたのだ・・・。
あのオバちゃんが拾ってくれて声を掛けてもらっていなかったら・・・私は虹橋空港で悄然と肩を落とし、どうしたのだろうか??
今回の旅は大方終わっていただろうなあ。あ〜ホント救われた。 -
やっと正気に戻り、何かお礼をしなければと考える。
最初、お金とケンタッキーフライドチキンでも買って渡そうと思ったが、小額のお金などよりケンタッキーだけ渡そうと店に行った。
その前に、一呼吸置こうと朝飯を食いに小奇麗な店に入った。
若い小姐がマイクをつけて客を呼び込み注文も聞いてくれる。ラーメン8元+コーラ7元=15元の朝食である。
ラーメンはインスタントの麺のようでまずかった。 -
それから、ケンタッキーの店に行った。
マクドナルドか?わからないほどホットドックがあるけど、朝10時頃と言う時間なのに何で?こんなに人気があるのか・・・並んでやっと買った。
ケンタッキーをぶら下げてトイレに行ってオバちゃんに声を掛けたら、キョトンと怪訝な顔をして“なんじゃこいつ・・と、しかめっつら” で私を見た。
*「さっき拾ってもらったのは航空券で、今日これからが旅の始まりで落としていたら私の旅は終わっていた・・・」
「そう航空券だったの」
*「これは私の気持ちですから・・・食べて」
「いや、そんなのいいですから・・」
オバちゃんは手で押し返すようにしたが、置いて出てきた。 -
上海の交通指導員
■さあ、虹橋空港へ
寄存で荷物を受け取り、最初はバスで行こうと思ったが探しても分らず、聞けば駅の裏側に停留所があるといわれて地下道を探したが、それも不明で結局タクシーで行く。 -
2006.平成18年5月15日(月)
■上海站〜虹橋空港までタクシーで
タクシーの運ちゃんは1956年生まれ50歳。娘26歳。奥さんは退休(退職)し家でぶらぶら、本人も朝8時から24時間勤務ではなく夜の11時までで次の日は休むと言っていた。
まあ、娘も働き出し、あくせく働かなくても食うには困らない上海の気楽な家庭の様子が伺える。53歳で自分も退職すると言っていたが・・・それはどうだか
駅から虹橋空港まで47元(658円)・・・50元札を渡し、お釣りは「不用」と言って別れた。
ちょっと迷ったが東方航空にたどり着き、鳥魯木斉行きの搭乗口についてホット一息。
起飛(チーフェイ=離陸)は13:05分。搭乗時間は30分前の12:35からだが音沙汰なし。そうだった、一昨年浦東空港から国内線で重慶に行った時も時間は出鱈目だった・・・と、思い出す。
結局、搭乗口も変わり・・・私はみんなに着いていった。
アナウンスが有ったのか?分からなかった。 -
さあ鳥魯木斉へ
出発は2時間遅れの3時にやっと飛行機は飛び立った。鳥魯木斉行きでほぼ一杯の乗客なのにウィグル人の姿が2〜3人しか見えなかったのが意外だった
やはり・・・か、漢族ばっかりっか。鳥魯木斉〜上海の帰りの便はどうなんだろう。一緒だろうな・・・。 -
3時出発ならプラス5時間で8時か、暗くなっているのだろうか?そんな心配も頭によぎる。下界はその時は雲に覆われて見えなかった。
座席は窓際を頼み、窓際の席に座った。トルコに行った時に見た機上からの光景の素晴らしさをもう一度・・・と、思って。
通路を挟んで左右に三座席、幸い私の横は空席だった。
機内食はスパゲッティーのような物。うまかった、全部食った。 -
遠くはボコダ山脈、最高峰ボコダ峰(5445m)
北京時間PM6:30機外は真昼の明るさで、時々機外の景色が雲の切れ間に見えるようになった。
遠くに雪を頂いた高峰連なる山脈が見えたり、こげ茶色の大地に水があるのかないのか川筋が蛇行して見える不毛の地が見えたり・・・飽きずに眺める。 -
■鳥魯木斉到着
飛行機を降りての第一声は「暑い」真昼のような明るさ。
出口では二重三重の出迎えではなく、旅行社が順番に並んで大きなパンフレットを手に客引きの声と手が伸びる。素通りしながら、最後のところで立ち止まり二三歩バックして小姐に聞く。
*「明日、天池一日遊へ行きたいけど・・・幾ら?」
大きなパンフレットの束をまず渡され、説明を簡単にしてくれたが、ほとんど聞き取れない。
「140元、ホテルに着いたらここに電話して」
そう言われて彼女の名刺を受け取り、電話の約束をしてタクシー乗り場に向かった。
PM8:25分。
鳥魯木斉時間はマイナス2時間のPM6:25分・・・日本時間はPM9:25分 -
■鳥魯木斉の匯源酒店へ向かう
タクシーで匯源酒店(HUIYUAN JYU DIAN)に行くために正規のタクシー乗り場でタクシーに乗った。
30代後半の第一印象何かうっとうしい運転手(漢族)???だった。メーターは倒したが、いきなり“奴”曰く「50元だから・・・」と言う。
ガイドブックに市内まで36,7元と書いてあったので
*「メーター通りでないなら下りる。ふざけるなこのバカヤロウ(日本語)」と怒鳴った。
「なんじゃ、かんじゃ、遠いんっじゃ・・」・・・と、奴、
直ぐに有料(高速?)の料金所に辿り着き
*「俺は下車(降りる)」・・・と、降りかけたら
奴、曰く「メーター通り行くから」と言った。そして「有料の金を出せ」って言うことをほざいていた。
それならいいかとゆっくり5元か?なんぼか?出した。 -
その後、こいつと
*「俺は日本での仕事は警察官じゃ、中国との公安とも交流があるんじゃ」・・奴はきっと信じてないだろうが。一応能書きの練習のため。
日中の問題の話になり、靖國問題等々の話しになった。どれだけ通じたか分らないが
*「靖國神社参拝は日本人なら当然のことで誰でも参拝したいんじゃ。俺も家から遠いけど毎年でも参拝したい。まだ二回しか行っていないけど・・・そうでないのは日本人とは言えないんじゃ」
*「日本人は共産主義と共産党が大嫌いだ。日本人にとって重要なのは民主主義と機会の平等と自由じゃ」
*「共産党は国のためではなく、都為了共産党(全部共産党のため)やろ・・」
「中国は5千年の歴史がある国や」
*「中国なんて国は1949年に出来た国やろ、継続性がないんじゃ。蒙古・満族はじめ統治者の民族も違うし、一貫性がない。俺達日本人はそう思っている」
奴「・・・・・」・・・通じて無いかも
やはり37元だった。きっちり釣りももらった。「謝謝!再見!」と私は言ったが奴はブスッとして立ち去った。
まあ今思えば、旅の終わりだったら、「まあええか10元くらいくれてやるから・・50元で行けよ」って思うかも知れない。でも、まだ元気だったし旅のとっぱしだったからムカッと来た。
ある旅行記に、60代の方が
淡々と「メータを倒したら37元。倒さなかったら50元」と書かれていた。
それも由・・・かも。
でも私に出来ないことは分かっているが(笑) -
■匯源酒店に到着(ビジネスホテル風=評価:満足)
ここも日本で楽天トラベルで予約していた。
一泊朝食なし:208元(2912円)・・・ちゃんとIT予約どおりでホッと一息。
フロントで明後日の庫車行きの汽車の切符を頼んだら、このホテルでは扱っていないけど・・・と、言いながらボーイのお兄ちゃんが「買って来ます・・」と言ってくれた。
汽車の希望1,2,3を書いた紙を渡して頼んだ。
その後、22階の部屋に行くやいなや、旅行社から電話があった。空港では小姐なのに男の声で全く意味が分らず電話を切った。
でも直ぐに今度は日本語のできる男の人が代理で掛けて来た。やっと意味が半分ほど分り部屋の番号を言うと直ぐに男はやって来た。あの空港で小姐に泊まるホテルを言ったからなのか?早速の素早い電話にホンマ感心する。
中国のホテルには日本の個人情報保護法案は未だ周知徹底されていないようだ(笑)
20代後半の青年で、早速明日の「天池一日遊=130元」の契約を交わし名前を書き込んだ。
そして彼は、その後のウェイズ人の歌舞を見に行かないかと誘って来た。私も行こうと思っていたので値段を聞いたら188元。まあ高いけれど決まった値段だろうと・・・OKで、合わせて318元を支払った。
一挙に明日の予定は一杯になる。
そして一休みして、そこらを散歩しようと下に降りたらフロントで呼び止められ、そこに又旅行社の男が立っていた。
全くホンマにこれが中国ってものなのだ・・・重慶の三峡旅遊の時を思い出す。
*「もう契約もしたし、金も払ったよ」・・・と、言うと
「どこの旅行社ですか?」と聞くので
*「いやどこか知らんけど・・・部屋に戻れば分るだろうけど」と言うと彼はあきらめてそれ以上は何も聞かず立ち去った。
????である。一体私は誰と?どこの旅行社と契約を交わしたのか?ようわからん・・・というのが正直なところだ。確か空港で小姐は140元と言っていたのに130元だったから、違う旅行社なのかも??今もって不明です。
明日の朝7時半(新疆時間9時半)、このホテルに迎に来てくれるとのこと・・・そして一日遊は午後5時までらしい。
5時半から歌舞の観劇に・・・明日は忙しそうだ。 -
それから晩飯を食いに近所の中華料理店に入った。
揚州焼き飯(14元)と豆腐湯(4元、スープ)を頼んだ。 -
写真では分らないが量はめっちゃ多い、
スープが入っているのは洗面器に見えるでしょうか?
日本なら軽く三杯分は飲んだと思うけど、減ったのは4分の一
部屋に戻る。日本時間12:50分・・・新疆時間9時50分。眠たいのも当たり前・・・か。
さあ、明日 -
2006.平成18年5月16日(火)
■鳥魯木斉の朝
匯源酒店の朝、22階10号室、このホテルの最上階は23階のレストラン。
部屋も広く眺めは最高。窓からの風景は鳥魯木斉の市内を眼下に見下ろし、遠望にはボゴタ山脈の高峰:雪を戴いたボゴタ峰が東京の高層ホテルから富士山を眺めるが如く正面にそびえている。 -
ひょっとしたら一泊208元(2912円)の楽天トラベルで予約したこのホテルの最高級の部屋って??ことなの?
朝8時に旅行社から部屋に電話があった。
「9時に迎に行くから下で待っていてくれ」とのこと。手際がいい。まあ、そうでないと個人客や少人数単位の客を集客しての一日ツアーなんてスムーズに行かないだろう。
このホテルは朝飯はついていなから、大久保サティーで仕入れた日ハム、魚ソーセージと水ですます。 -
ホテルの前の通り
9時:時間通りに迎が来てマイクロバスに乗った。それには7人くらいが乗っていたが、そのまま又何人かを乗せて本来の出発場所に行く。
そこで少し大型のバスに乗り換え、人数は30人くらいだった。
「天池一日遊」だから日本人の少人数客もいるのかも?と、思っていたけど日本人は私一人だった。 -
匯源酒店の隣にある鳥魯木斉第五小学校
-
■「天池一日遊(130元=1820円)」へ出発
1元=日本円14円の計算です
添乗員は最初何名か分らなかったが、途中で分かった。
正規の添乗員・男女2名:そしてバイトの女子大生2人の計4人も同乗していた。 -
ちょおと大型バスに乗り換えて、日本人は私一人
しゃべっりぱなしの男性ガイドと、ホント天使のように素敵だった女性ガイド
バスは出発、そこからも又客を何人か拾って11時過ぎに一路天池に向かって走る。
ガイドの若い男性は前でしゃべっりぱなし。
聞く者はいるのか?いないのか?おかまいなし。
無論私は何も分からない -
鳥魯木斉郊外に出ると景色は一変し、遠くボコタ山脈が連なっている。景色は素晴らしい。
-
天池の麓でバスは停車、次は天池専用バスに乗り換えて移動する。排気ガス対策?
-
それにしては電気自動車でもなく?仕事の割り振り?
失礼しました。その後の調査により?
やはり環境保全に考慮して電気自動車だそうです。
なんかよう分らないけど三峡ダム見学の時もこうだった。 -
■新疆時間10時に昼飯タイムとは・・・
天池の麓で先に食事タイム。
12時過ぎていても、新疆時間なら10時過ぎということだからピンと来ない。 -
ウィグルの食事だった。
メニューはたった二つ。
ラグマン(麺)かポロ(ピラフ)で、私はポロを選んだ。
日本の焼き飯と見た目変わらないが味は今一、上に羊の肉塊が一個、おまけに毛も付いている。
丸テーブルに同行者達と適当に座り食う。量は多く半分しか食えなかった。 -
ナンを焼いていたウィグルのカッコイイ男性に
ウィグル語で初挑戦
「私は日本人です」「日本から来ました」・・・と、言うと。
「それがどうした・・・」っていう顔でちょっと無視された。
そして「写真を撮ってもいいですか?」と聞くと、「勝手に撮れよ・・?」とOKしてくれた。
刺青を入れ髭のある、かっこいい男だった。
イスラム戦士の風貌だったが、「何でこんなことこで中国人相手に、観光客相手にナン焼いてるんや・・・」「そんなんしてる場合とちゃうやろ」・・・と、言いたかったが。これが現実だった。 -
■日本からウィグル語を書いていった。
今回の旅の資料は「絹の道に行こう」
http://home.m01.itscom.net/shimizu/yultuz/silkroad/index.htm
このウェーブサイトで、今回の旅のほとんど予備知識を仕入れさせて頂きました。素晴らしいHPです。
今回の旅で私が使いまくったウィグル語
「メン ヤポンルック=私は日本人です」
「ヤポニヤディン ケルディム=日本から来ました」
「ヤフシムスィズ=こんにちは」
「アッサラーム アレイコム=こんにちは」
「ワレイコムッサラーム=こんにちは」
「ラフメット=ありがとう」
「アルズィメイドゥ=どういたしまして」
「ケチュルン=ごめんなさい」
「ホッシ=さようなら」 -
■天池と天山
ガイドブックでは天池は観光化されすぎて期待はずれかも??と、書かれているのが多かったけれど。 -
この日は物売りや、その他の客引きの姿もなく天池の風景は、静かで観光客も少なく、空と池の紺碧の青と白い雪渓を抱く高峰が背景にそびえ素晴らしい景色だった。
-
■天池にて
ガイドとともに解説を聞きながら一周し、その後、自由時間をもらう。
2〜3時までの1時間。撮影タイムでも散歩でも自由である。たっぷり1時間ガイドブックで繰り返し見ていた風景がそのまま目の前に広がっているのを飽きずに見ていた。 -
途中、ウィグル人夫婦と老いた女性の三人連れに話しかける。
ウィグル語で呼びかけの二回目
「ヤフシムスィズ」「ヤポニヤディン ケルディム」・・・と、言うと、ニコッと満面に笑みを浮かべて歓迎してくれた。
最初の頃は、ウィグル人に話しかける要領も今一ぎこちなかったが・・・。 -
すぐに、そのタイミングも分って来た。
最初からいきなり「日本人や、日本から来た・・」と言っても、「それがどうした・・」に成りかねない。
例え最初は漢族と思われても、そこはちょっと我慢をし・・・「こいつ、何か、漢族と雰囲気違うし・・・」という間合いを見てから「ヤポニヤディン ケルディム」と言うと、ほぼ100%相手は満面の笑みになる。
ウィグル族のほとんどが日本人と言うと喜んでくれた。ホンのちょっとは無視されたこともあったような気もするが・・・。
ご主人に写真を送ってくれと頼まれた。
ほとんど彼は漢字を書けないけど、勤務先ホテルと名前は漢字の当て字で庫熱什(クラシュー)という文字を書いてくれた。まだ送っていないが必ず送ります。 -
それから次は同行中国人・父娘と話しをし、写真を撮り、又この親父さんにも写真を送ってくれと頼まれる。
この父娘は今日の朝、鳥魯木斉から汽車で1時間半くらいの河北東路に住む親子で、娘は結婚し4ヶ月の女の子の一児の母親である。ご飯はご主人が作っているらしい。 -
3時の集合時間になり、帰りはケーブルカー(別途35元を徴収される)・・・スキー場のリフトと同じ。で、下に降りる。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- こまちゃんさん 2006/11/08 20:25:44
- あ!・・・・・・
- 懐かしの人が、こんな身近に居られたなんて・・・・
なんで、今まで気付かなかったんだろう!!?。(^ω☆)\バキッ!
(今頃気付くな!ってね。)
お久しぶりです!!!(><
しかも、この「机場4線」は、こまの上海の家からいつも使っている
路線ですよ!今月4日も乗ってきました。
烏魯木齊の沙漠から一旦離れ、今から3日の広州−上海と、4日の上海−大阪の帰国記録を製作します。
こま
- 明石DSさん からの返信 2006/11/08 21:57:58
- RE: あ!・・・・・・
- こまちゃんさんへ
そうでしたか、又上海でお会い出来る日を楽しみにしています
それといつも素晴らしい旅行記、写真等々も楽しみにしています
きっと、膨大な旅行記録として価値あるものになるでしょうね
私も真似して、ここに複写させてもらってますが・・・。
今後とも宜しくお願いしま〜す
明石DS
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