ウィーン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 子供の頃から、外国に憧れを抱いていた。英語を習い始めるとすぐ、世界中にペンフレンドを求め、夢はさらに膨らんでいった。彼らの一人が、ハンガリー人のImre(イムレ)、高校の頃からのお付き合い。それは今から20年数年も昔のこと、突然友人に海外旅行に誘われた。パリとウィーンの旅。すごーい・・。当時私はあまり健康に自信がなく、半ば諦めかけて家族に話すと、「行ってきたら」<br /><br /> ついに夢がかなうことになって、大喜びの私は、当時文通していた2,3人のペンパルたちに手紙を書いた。彼らが住むのはイギリスとハンガリー、訪ねることはできないけど、「近くまで行くのよー!」出発まで、あと1月もなかった。2週間後イムレから返事が来た。ウィーンに来るのはいつか。もしかして、その日に合わせてウィーンに行けるかもしれない・・。<br /><br /> 「え~!」驚きうろたえる。英語で辞書片手に手紙は書けても、外人と話したことなんて一度もない・・。5,6年前に写真を交換したきりで、顔もよく知らないぞ・・・。でも、10年来のペンパルだったし、若い頃の写真は、なかなかの美男子であった。当時私も彼も既に結婚していて、彼には3歳くらいの子供もいた。今からでは間に合いそうもないと思ったが、旅の日程を知らせる。ウィーンに入るのは5月4日、でも「まだホテルは決まっていません・・・。」もう、これの返事は間に合わないだろう。<br /><br /> ところが、出発の前日、見慣れないものが郵便局から届いた。国際電報。(当時の通信手段って大変だったのよねー)短い文面だった。『5月5日午後6時から6時半の間、ウィーンのシュテファン寺院広場で待つ。』 <br /><br />5月4日(火)<br /> 午前3時頃、目が覚める。4時半にはみんな起床、もうフランスとお別れ。7時頃の飛行機でウィーンへ発つ。午前11時ごろウィーンに着く。期待感に胸を躍らせて飛行機のタラップを降りる。暖かくていいお天気、風がとっても爽やか。ホテルに向かう途中に、有名な音楽家たちのお墓に立ち寄る。ガイドは早口でせわしなく話す日本人女性。<br /><br /> ホテルはシェーンブルン宮殿の近くのクラシックな建物で、もと宮殿のゲストハウスだったとか。部屋にはシャンデリアの照明、大理石の家具など、雰囲気のいい小奇麗なホテル。<br /><br /> シェーンブルン宮殿。ここは素晴らしかった!ベルサイユみたいに金ぴかでもなく、センスが良い。マリー・アントワネットが幸せな子供時代を過ごした宮殿で、彼女の残した刺繍の作品などもあり、彼女がとても身近に感じられる。<br /><br /> バスに乗って市内をぐるっと廻る。明日は自由行動、そしてイムレに会う日。ちょっぴり不安。<br /><br /> 今夜はカラヤンとベルリンフィルのコンサート、大急ぎで着替えてレストランに集合、食事後バスで楽友会ホールへ。我々の席は、正面の2階席。建物は素晴らしく、きらめくシャンデリア、美しい絵に装飾された天井はぴかぴかに輝く女神の柱に支えられている。手渡されたプログラムはドイツ語なのでろくに見もせず、今日の曲目もわからないままに、熱狂的に迎えられるカラヤンとオーケストラを眺めていた。始まって驚いた、なんとベートーベンの第九!音楽はホール内に反射してきらきらと輝き、ここはウィーンなんだとつくづく実感。<br /><br />5月5日(水)<br /> ウィーンでの初めての朝。窓を開けると、小鳥のさえずりと共に朝の祈りの鐘の音が風に乗って流れてきた。町並みの向こうに、遠くシュテファン寺院の尖塔が見える。あそこが彼との待ち合わせ場所。一番早く行くには、地下鉄とのこと、早速友人のナバちゃんと練習のため出かけた。ところが乗り換えを間違えたらしく、降り立った所は「?」<br /><br /> 地図を広げていたら通りかかったおばさまが、「Can I help you?」と声をかけてきた。ここはどこですかと尋ねると、「時間はありますか?それじゃ私がご案内いたしましょう。」ウィーンの人たちはほんとに親切。あの建物は何々、この教会は誰それが建てた、マリア・テレジア女帝は素晴らしい母親であった、などなど。教会では一緒に平和の為に祈りましょうと、手を合わせる。ドイツ語なまりの英語はかなり聞き取りにくかったけど、一生懸命案内してくれた。やがて広い賑やかな通りに出たので、ショッピングもしたいし、おばさまにていねいにお礼を言って、分かれた。ショッピングなどを楽しんで、夕方4時ごろにはホテルに戻った。イムレに会いに行く準備しなくちゃ。シャワーも浴びたいし。<br /><br /> 部屋で支度を始めた時、Nちゃんが言った。「なんだか具合が悪いの・・」頭痛がするし、熱っぽいとのこと。一緒に付き合ってもらうつもりでいた私は、あわてた。「大丈夫よ、一人で行けるから・・」自分に言い聞かせるように言いながら、彼女のために薬を出したり、持参の食料を用意したりしているうち、もう6時を過ぎていた。大変、急がなきゃ。<br /><br /><br /> 覚悟を決めて、ホテルを飛び出した。地下鉄は自信ないから諦め、市電に乗り込んだ。これだと時間かかると言われたけど、辺りの景色が見えるから何とかなりそうだった。ところが・・・。乗客を捕まえては、「すみません、英語分かりますか?」通じなかった。若い人なら、とまた声をかけたけど、だめ。え~、困った。すると、やっと通じる人に出会った。「あと6つ目の駅で降りなさい」<br /><br /> のんびりと電車は走っていき、時だけが刻々と過ぎていく。約束の6時半までもうあと10分しかない・・。やっと6つ目の駅に止まった。でも、シュテファンの尖塔はまだかなり遠い。あと一つ乗っていこう。これが間違いだったと気づいたときは手遅れ。そこから急に電車はぐるりと向きを変え、とんでもない方向へ向かって走り出したのだ。<br /><br /> 「降ろして~」叫びたいのをこらえて、出口のドアに張り付いたままじっと次の駅に着くまで待った。どんどんシュテファンの尖塔が遠ざかっていく。絶望しかけた頃、やっと電車は止まった。さあ、それから夢中で走り出した。あと5分。まずはさっきの駅まで、全速力。「ウィーンでは走るのは子供か泥棒・・・」ガイドが言っていた言葉がよみがえるけど、もうどうでもいい。ヒールの靴にワンピース姿で、髪を振り乱し、走る、走る・・。<br /><br /> やっと分岐点に来た。とたんに周囲の建物が高く迫って、もう目指す尖塔が見えなくなった。ウィーンの道路は放射状に広がっているので、一つ間違えるととんでもない方向へ行ってしまう。もう、勘に頼って進むしかなかった。既に時間は過ぎていた。「もう少し、もう少し待ってて・・」どこをどう通ったのか覚えていないけど、突然目の前が開けた。広場の向こうに聳え立つのは、まさにシュテファン寺院。<br /><br /> 男が一人近づいてくる。さっきそばを通ってきた人だ。まっすぐこっちを見ながら・・。イムレ?いや、違う、どうしよう。でも・・・。目の前まで来て立ち止まると、その人は英語で言った。「日本から来た○○○を知りませんか?」なんと、彼だった!手を取り合って感激の対面となる。笑顔は確かに面影があった。もう、嬉しくて、嬉しくて、まるで古くからの友人に会ったみたい。彼は6時10分に着いて、ずーっと立っていて日本人に会うたび、声をかけていたそうだ。私も夢中でこれまでのいきさつを説明する。とにかく良かった-!<br /><br /> 夕食の時間には少し早いけど、どこかで何か飲もうと彼が言い、見つけたレストランはたまたまハンガリー料理店だった。入っていくとまだお客は誰もいない。彼は店の人とハンガリー語で何やら話している。きっと日本からお客様だよ、とか言っているようだ。席に案内された。今思えば、一番目立つ上席。ジプシーの楽師たちが、たちまち我々のテーブルを取り囲み、歓迎の賑やかな音楽が始まった。<br /><br /> まずは食前酒で乾杯。まるでレストランを借り切ったみたいで、最高の気分!花売りのおばさんがやってきて、そちらのご婦人にいかが、という感じで花束を差し出した。彼は受け取ってお金を渡し、それを遠くで見守っていたウェイターが心得たように花瓶を持ってきて、あっという間にテーブルの上にはバラの花束が。「ありがとう、とってもきれい・・」どぎまぎしながら、お礼を言った。何もかも始めての体験の連続。写真屋までやってきて、記念に1枚どうかと言ってきたが、手を振って断る。めちゃ高いのはわかってたし。でも、後で思えば欲しかったなー。自分のカメラが調子悪くて持っていけなくて、その時の写真などは何も残ってないのだ。<br /><br /> 楽師たちが私たちのために、賑やかなジプシー音楽を奏でてくれる。ヴァイオリンのおじさんは素晴らしくうまいが、色黒の仲間たちはいかにもジプシーといった感じで、伴奏のビオラ弾きなんかは楽器を縦にして抱え込んで弾いている。全く自己流らしい。生で聴くハンガリーのジプシー音楽、哀愁を帯びてしっとり聴かせたかと思うと、くるくると目が回るようなスピードに変わる。「このテンポで、どうやって踊るの?」イムレに訊ねると、「こんな風に」と、テーブルに指を2本、立てて、音楽に合わせてちょんちょんちょん。なるほど。<br /><br /> デザートのケーキをパクついていると、(生クリームがすっごく美味しかった)ヴァイオリンを弾きながらおじさんが耳元で囁いた。「チョコレート・ケーキが好きなの?それ、太るよ」いつの間にかレストランはお客で一杯になっていた。奥の部屋から拍手が起こる。こんな拍手をするのは日本人じゃないかなと思ったら、やっぱり、日本の団体さんだった。イムレがさっとチップを手渡し、楽師たちは他のテーブルへ移っていく。<br /><br />  イムレといろんなことを話した。彼は髪も目もブラウンで、笑顔が優しい。スマートだった学生時代の写真とは少し違って、いくらか太ったようだが、まるで初対面の気がしない。なんだか昔から知っているような気がする。長年の文通での共通の話題は尽きなかった。彼の話す英語のスピードが、ちょうど私に合ったせいもあって、「ほんとは心配でこれ持ってきたの!」と英和辞典のミニ判を出して見せる。彼も英語がさほど流暢じゃないから、時々単語が出てこなくて、えーと、えーと、とやると、あれかな、それともこれ?と助け舟を出し合ったり。<br /><br /> それぞれが持ってきたプレゼントを交換。私が用意したのは、畳のミニチュアとこけしの男の子と女の子。畳の上に乗っけて見せた。彼が取り出したのは、ミニチュアの革細工の水筒(表面に馬の皮が張ってある、手の込んだもので、今でも私の宝物。あの晩が現実の出来事だと言う、唯一の証)と、チョコレート。<br />気が付くと、夜は更けてもう11時半になっていた。名残惜しげに席を立つ。「地下鉄はだめ、この時間はちょっと危ないよ。タクシーのほうがいい、大丈夫、僕がホテルまで送るから。」彼の泊まるホテルは反対方向だという。タクシーに乗り込み、この後のスケジュールを照らし合わせてみる。私は数日間のミュンヘン・ザルツブルグツアーの後にまたウィーンに戻ってくることになっていたが、彼の都合はつかず、どうしてももう会えそうになかった。<br /><br /> ホテル到着。タクシーを待たせたまま、覚悟を決めて、「それじゃあ・・」「お別れを言わなければならないね・・」「もう、会えないかなあ・・」「今度は是非ハンガリーに来てよね。」手を握り合った。さすがに涙が出そうになって、言葉が出てこなくなった。でも、その時だった、「プワーッ!!」電車の警笛の音に飛び上がったのは。なんと私たちは煌々たる明かりの中にいた。市電の線路の真ん中で、電車の明かりに照らされて立っていたのである。飛びのいた二人は、笑って手を振って別れた。<br /><br /> ホテルの入り口の階段を駆け上がり、腕時計に目をやってびっくり。針は真夜中をさしていた。私はおとぎの国のシンデレラみたい。興奮が冷めないまま部屋のドアをノック。「あーっ、良かった、帰ってきた!」部屋ではナバちゃんが心配して待っていた。もう、これで一人で町へ出る自信もついたし、怖くない!世界中どこへでも行けるような気がした・・。<br /><br /> あれから、何年が過ぎただろう。毎年、5月になると午後のひとときを一人で過ごすために、私は窓辺に座る。古いカセットテープを取り出してセットし、目をつぶる。そこから流れてくるのは小鳥の声、風に乗って流れてくる鐘の音・・。そう、これはあの時の、ウィーンのホテルの部屋。ナバちゃんがカセットテープレコーダーを旅行に持ち歩き、音の記録を残してくれたのだ。シュテファンの鐘の音は、かすかに、遠いはるかな過去から響いてきて、懐かしい幸せの余韻とともに消えていく。<br /> <br /><br /> <br /><br /><br /><br /> <br /><br />

新緑のフランス~ウィーン?(ウィーンの休日)

2いいね!

1982/05/01 - 1982/05/10

5246位(同エリア6453件中)

2

2

アーマ

アーマさん

 子供の頃から、外国に憧れを抱いていた。英語を習い始めるとすぐ、世界中にペンフレンドを求め、夢はさらに膨らんでいった。彼らの一人が、ハンガリー人のImre(イムレ)、高校の頃からのお付き合い。それは今から20年数年も昔のこと、突然友人に海外旅行に誘われた。パリとウィーンの旅。すごーい・・。当時私はあまり健康に自信がなく、半ば諦めかけて家族に話すと、「行ってきたら」

 ついに夢がかなうことになって、大喜びの私は、当時文通していた2,3人のペンパルたちに手紙を書いた。彼らが住むのはイギリスとハンガリー、訪ねることはできないけど、「近くまで行くのよー!」出発まで、あと1月もなかった。2週間後イムレから返事が来た。ウィーンに来るのはいつか。もしかして、その日に合わせてウィーンに行けるかもしれない・・。

 「え~!」驚きうろたえる。英語で辞書片手に手紙は書けても、外人と話したことなんて一度もない・・。5,6年前に写真を交換したきりで、顔もよく知らないぞ・・・。でも、10年来のペンパルだったし、若い頃の写真は、なかなかの美男子であった。当時私も彼も既に結婚していて、彼には3歳くらいの子供もいた。今からでは間に合いそうもないと思ったが、旅の日程を知らせる。ウィーンに入るのは5月4日、でも「まだホテルは決まっていません・・・。」もう、これの返事は間に合わないだろう。

 ところが、出発の前日、見慣れないものが郵便局から届いた。国際電報。(当時の通信手段って大変だったのよねー)短い文面だった。『5月5日午後6時から6時半の間、ウィーンのシュテファン寺院広場で待つ。』

5月4日(火)
 午前3時頃、目が覚める。4時半にはみんな起床、もうフランスとお別れ。7時頃の飛行機でウィーンへ発つ。午前11時ごろウィーンに着く。期待感に胸を躍らせて飛行機のタラップを降りる。暖かくていいお天気、風がとっても爽やか。ホテルに向かう途中に、有名な音楽家たちのお墓に立ち寄る。ガイドは早口でせわしなく話す日本人女性。

 ホテルはシェーンブルン宮殿の近くのクラシックな建物で、もと宮殿のゲストハウスだったとか。部屋にはシャンデリアの照明、大理石の家具など、雰囲気のいい小奇麗なホテル。

 シェーンブルン宮殿。ここは素晴らしかった!ベルサイユみたいに金ぴかでもなく、センスが良い。マリー・アントワネットが幸せな子供時代を過ごした宮殿で、彼女の残した刺繍の作品などもあり、彼女がとても身近に感じられる。

 バスに乗って市内をぐるっと廻る。明日は自由行動、そしてイムレに会う日。ちょっぴり不安。

 今夜はカラヤンとベルリンフィルのコンサート、大急ぎで着替えてレストランに集合、食事後バスで楽友会ホールへ。我々の席は、正面の2階席。建物は素晴らしく、きらめくシャンデリア、美しい絵に装飾された天井はぴかぴかに輝く女神の柱に支えられている。手渡されたプログラムはドイツ語なのでろくに見もせず、今日の曲目もわからないままに、熱狂的に迎えられるカラヤンとオーケストラを眺めていた。始まって驚いた、なんとベートーベンの第九!音楽はホール内に反射してきらきらと輝き、ここはウィーンなんだとつくづく実感。

5月5日(水)
 ウィーンでの初めての朝。窓を開けると、小鳥のさえずりと共に朝の祈りの鐘の音が風に乗って流れてきた。町並みの向こうに、遠くシュテファン寺院の尖塔が見える。あそこが彼との待ち合わせ場所。一番早く行くには、地下鉄とのこと、早速友人のナバちゃんと練習のため出かけた。ところが乗り換えを間違えたらしく、降り立った所は「?」

 地図を広げていたら通りかかったおばさまが、「Can I help you?」と声をかけてきた。ここはどこですかと尋ねると、「時間はありますか?それじゃ私がご案内いたしましょう。」ウィーンの人たちはほんとに親切。あの建物は何々、この教会は誰それが建てた、マリア・テレジア女帝は素晴らしい母親であった、などなど。教会では一緒に平和の為に祈りましょうと、手を合わせる。ドイツ語なまりの英語はかなり聞き取りにくかったけど、一生懸命案内してくれた。やがて広い賑やかな通りに出たので、ショッピングもしたいし、おばさまにていねいにお礼を言って、分かれた。ショッピングなどを楽しんで、夕方4時ごろにはホテルに戻った。イムレに会いに行く準備しなくちゃ。シャワーも浴びたいし。

 部屋で支度を始めた時、Nちゃんが言った。「なんだか具合が悪いの・・」頭痛がするし、熱っぽいとのこと。一緒に付き合ってもらうつもりでいた私は、あわてた。「大丈夫よ、一人で行けるから・・」自分に言い聞かせるように言いながら、彼女のために薬を出したり、持参の食料を用意したりしているうち、もう6時を過ぎていた。大変、急がなきゃ。


 覚悟を決めて、ホテルを飛び出した。地下鉄は自信ないから諦め、市電に乗り込んだ。これだと時間かかると言われたけど、辺りの景色が見えるから何とかなりそうだった。ところが・・・。乗客を捕まえては、「すみません、英語分かりますか?」通じなかった。若い人なら、とまた声をかけたけど、だめ。え~、困った。すると、やっと通じる人に出会った。「あと6つ目の駅で降りなさい」

 のんびりと電車は走っていき、時だけが刻々と過ぎていく。約束の6時半までもうあと10分しかない・・。やっと6つ目の駅に止まった。でも、シュテファンの尖塔はまだかなり遠い。あと一つ乗っていこう。これが間違いだったと気づいたときは手遅れ。そこから急に電車はぐるりと向きを変え、とんでもない方向へ向かって走り出したのだ。

 「降ろして~」叫びたいのをこらえて、出口のドアに張り付いたままじっと次の駅に着くまで待った。どんどんシュテファンの尖塔が遠ざかっていく。絶望しかけた頃、やっと電車は止まった。さあ、それから夢中で走り出した。あと5分。まずはさっきの駅まで、全速力。「ウィーンでは走るのは子供か泥棒・・・」ガイドが言っていた言葉がよみがえるけど、もうどうでもいい。ヒールの靴にワンピース姿で、髪を振り乱し、走る、走る・・。

 やっと分岐点に来た。とたんに周囲の建物が高く迫って、もう目指す尖塔が見えなくなった。ウィーンの道路は放射状に広がっているので、一つ間違えるととんでもない方向へ行ってしまう。もう、勘に頼って進むしかなかった。既に時間は過ぎていた。「もう少し、もう少し待ってて・・」どこをどう通ったのか覚えていないけど、突然目の前が開けた。広場の向こうに聳え立つのは、まさにシュテファン寺院。

 男が一人近づいてくる。さっきそばを通ってきた人だ。まっすぐこっちを見ながら・・。イムレ?いや、違う、どうしよう。でも・・・。目の前まで来て立ち止まると、その人は英語で言った。「日本から来た○○○を知りませんか?」なんと、彼だった!手を取り合って感激の対面となる。笑顔は確かに面影があった。もう、嬉しくて、嬉しくて、まるで古くからの友人に会ったみたい。彼は6時10分に着いて、ずーっと立っていて日本人に会うたび、声をかけていたそうだ。私も夢中でこれまでのいきさつを説明する。とにかく良かった-!

 夕食の時間には少し早いけど、どこかで何か飲もうと彼が言い、見つけたレストランはたまたまハンガリー料理店だった。入っていくとまだお客は誰もいない。彼は店の人とハンガリー語で何やら話している。きっと日本からお客様だよ、とか言っているようだ。席に案内された。今思えば、一番目立つ上席。ジプシーの楽師たちが、たちまち我々のテーブルを取り囲み、歓迎の賑やかな音楽が始まった。

 まずは食前酒で乾杯。まるでレストランを借り切ったみたいで、最高の気分!花売りのおばさんがやってきて、そちらのご婦人にいかが、という感じで花束を差し出した。彼は受け取ってお金を渡し、それを遠くで見守っていたウェイターが心得たように花瓶を持ってきて、あっという間にテーブルの上にはバラの花束が。「ありがとう、とってもきれい・・」どぎまぎしながら、お礼を言った。何もかも始めての体験の連続。写真屋までやってきて、記念に1枚どうかと言ってきたが、手を振って断る。めちゃ高いのはわかってたし。でも、後で思えば欲しかったなー。自分のカメラが調子悪くて持っていけなくて、その時の写真などは何も残ってないのだ。

 楽師たちが私たちのために、賑やかなジプシー音楽を奏でてくれる。ヴァイオリンのおじさんは素晴らしくうまいが、色黒の仲間たちはいかにもジプシーといった感じで、伴奏のビオラ弾きなんかは楽器を縦にして抱え込んで弾いている。全く自己流らしい。生で聴くハンガリーのジプシー音楽、哀愁を帯びてしっとり聴かせたかと思うと、くるくると目が回るようなスピードに変わる。「このテンポで、どうやって踊るの?」イムレに訊ねると、「こんな風に」と、テーブルに指を2本、立てて、音楽に合わせてちょんちょんちょん。なるほど。

 デザートのケーキをパクついていると、(生クリームがすっごく美味しかった)ヴァイオリンを弾きながらおじさんが耳元で囁いた。「チョコレート・ケーキが好きなの?それ、太るよ」いつの間にかレストランはお客で一杯になっていた。奥の部屋から拍手が起こる。こんな拍手をするのは日本人じゃないかなと思ったら、やっぱり、日本の団体さんだった。イムレがさっとチップを手渡し、楽師たちは他のテーブルへ移っていく。

  イムレといろんなことを話した。彼は髪も目もブラウンで、笑顔が優しい。スマートだった学生時代の写真とは少し違って、いくらか太ったようだが、まるで初対面の気がしない。なんだか昔から知っているような気がする。長年の文通での共通の話題は尽きなかった。彼の話す英語のスピードが、ちょうど私に合ったせいもあって、「ほんとは心配でこれ持ってきたの!」と英和辞典のミニ判を出して見せる。彼も英語がさほど流暢じゃないから、時々単語が出てこなくて、えーと、えーと、とやると、あれかな、それともこれ?と助け舟を出し合ったり。

 それぞれが持ってきたプレゼントを交換。私が用意したのは、畳のミニチュアとこけしの男の子と女の子。畳の上に乗っけて見せた。彼が取り出したのは、ミニチュアの革細工の水筒(表面に馬の皮が張ってある、手の込んだもので、今でも私の宝物。あの晩が現実の出来事だと言う、唯一の証)と、チョコレート。
気が付くと、夜は更けてもう11時半になっていた。名残惜しげに席を立つ。「地下鉄はだめ、この時間はちょっと危ないよ。タクシーのほうがいい、大丈夫、僕がホテルまで送るから。」彼の泊まるホテルは反対方向だという。タクシーに乗り込み、この後のスケジュールを照らし合わせてみる。私は数日間のミュンヘン・ザルツブルグツアーの後にまたウィーンに戻ってくることになっていたが、彼の都合はつかず、どうしてももう会えそうになかった。

 ホテル到着。タクシーを待たせたまま、覚悟を決めて、「それじゃあ・・」「お別れを言わなければならないね・・」「もう、会えないかなあ・・」「今度は是非ハンガリーに来てよね。」手を握り合った。さすがに涙が出そうになって、言葉が出てこなくなった。でも、その時だった、「プワーッ!!」電車の警笛の音に飛び上がったのは。なんと私たちは煌々たる明かりの中にいた。市電の線路の真ん中で、電車の明かりに照らされて立っていたのである。飛びのいた二人は、笑って手を振って別れた。

 ホテルの入り口の階段を駆け上がり、腕時計に目をやってびっくり。針は真夜中をさしていた。私はおとぎの国のシンデレラみたい。興奮が冷めないまま部屋のドアをノック。「あーっ、良かった、帰ってきた!」部屋ではナバちゃんが心配して待っていた。もう、これで一人で町へ出る自信もついたし、怖くない!世界中どこへでも行けるような気がした・・。

 あれから、何年が過ぎただろう。毎年、5月になると午後のひとときを一人で過ごすために、私は窓辺に座る。古いカセットテープを取り出してセットし、目をつぶる。そこから流れてくるのは小鳥の声、風に乗って流れてくる鐘の音・・。そう、これはあの時の、ウィーンのホテルの部屋。ナバちゃんがカセットテープレコーダーを旅行に持ち歩き、音の記録を残してくれたのだ。シュテファンの鐘の音は、かすかに、遠いはるかな過去から響いてきて、懐かしい幸せの余韻とともに消えていく。
 

 



 

  • シュテファン寺院。ここまでたどり着くのに、大変だった〜

    シュテファン寺院。ここまでたどり着くのに、大変だった〜

  • イムレです。22歳頃ので、唯一私が持っていた彼の写真。

    イムレです。22歳頃ので、唯一私が持っていた彼の写真。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • むんさん 2005/09/26 23:52:10
    ドラマのワンシーンのような素敵な出会いですね!
    アーマさん、はじめまして。

    パリの旅行記から入り、このウィーンの旅行記へたどり着き拝見したのですが、思わず夢中で読みいってしまいました。
    初海外での1人行動という冒険と、その後に待つ素敵な出会い。自分自身がアーマさんになったかのような気持ちでドキドキでした。
    素敵な旅行記ありがとうございました。

    アーマ

    アーマさん からの返信 2005/09/27 11:53:16
    RE: ドラマのワンシーンのような素敵な出会いですね!
    むんさん、書き込み有難うございます。

    読んでいただけて、嬉しいです。むんさんもたくさん旅行されている様子で、これからゆっくり拝見させていただきますね!私も一時は旅が全てみたいな感じでしたが、家庭の事情やら何やらで、すっかり足が遠のいてしまいました。

    自分の旅の記録はすべて残してあるので、これからも旅日記を続けようと思います。お暇がありましたら、またお立ち寄りくださいね。

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