アウシュビッツ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 クラクフの3日目。今日はアウシュヴィッツに行く。Hさんと9時にホテルのロビーで待ち合わせて,出発。クラクフか44号線をひたすら西に一直線。だいたい1時間半ぐらいでアウシュヴィッツに到着した。(思ったより距離がある)<br /> アウシュヴィッツの見学は無料だ。しかし,アウシュヴィッツの歴史映画と案内書は有料。まずはインフォメーション・センターで映画を見てから見学。この映画,時間によりポーランド語,ドイツ語,英語などで上演しているので,時間を間違えるとチンプンカンプンになってしますので要注意。上演時間は20分ぐらいだったと思う。<br /> 映画が始まるとやっぱりここはアウシュヴィッツ。多くの人がむなしく命を終えたところ。これを見ただけで,結構思い空気を感じる。この映画で初めて知ったが,貨物列車で,ここに連れてこれれた人が一度は全員,収容所に入れられるわけではなく,労働に適する人間とそうでない人間に駅のプラットホームで選別され,不適とされた人(女性や子ども,老人など)はここから直接,ガス室に送り込まれたそうだ。もうひとつ分かったことは,終戦間際に第2アウシュヴィッツ(ビルケナウ)で囚人の暴動が起き,一部のガス室が破壊されたと言うことだ。終戦間際にはナチスの統率も相当乱れていたのだろう。<br /><br /> アウシュヴィッツは現在は「国立オシフィエンチム博物館」と呼ばれている。アウシュヴィッツはドイツ語の地名表記。ポーランド語では”オシフィエンチム( Oswiecim )”が正しい。博物館への入口は有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と掲げられたゲート。昔は,このゲートから先は二重の高圧電流の流れる有刺鉄線に囲まれた煉獄だったが,現在は強制収容所跡の建物を利用して囚人の生活や遺品などを展示した博物館とここに収容された人の母国が強制収容に関するテーマを展示する博物館になっている。囚人の生活や遺品の展示は,とても辛い。ガラスで囲われた部屋いっぱいに収容された女性の金髪が山積みになっていたり,遺品のトランクやメガネや靴やフライパンがいっぱいに敷き詰めてあったりする。また,西の端にあたる第11ブロックは「死のブロック」と呼ばれ,窓がほとんど木で塞がれ僅かの光しか差さない独房や狭い部屋に数名が入れられ寝ることは勿論,座ることさえできない”立牢”などがり,人間の残酷な性を見せつけられる。ここらの場所で,記念写真を撮っている人たちもいたが,僕はとてもそんな気持ちにはなれなかった。各国の強制収容の展示は大体がその国にナチスが侵攻する以前と侵攻後の破壊と略奪,そしてナチスからの解放を写真やビデオ,証言などを展示している。<br /> ここもじっくり見学すると時間がかかる。僕とHさんは入口のゲートからは別々に見学をし,午後2時に待ち合わせをしたが,その時間では二人ともまだ半分ぐらいしか見ていなかった。結局3時半にインフォメーション・センターでもう一度待ち合わせることになった。<br /><br /> オシフィエンチムの見学を終えて,次はビルケナウ(第2アウシュヴィッツ)。オシフィエンチムからは車で5分ぐらいのところにある。<br /> 実はオシフィエンチムに入ったとき,そこは僕のイメージしているアウシュヴィッツではなかった。確かに有名な「ARBEIT MACHT FREI」のゲートはあったが,僕のアウシュヴィッツは「長い電車の引き込み線があり,養鶏場のような平屋のバラックがたくさん並んでいる収容所」というイメージであった。オシフィエンチムの収容所は二階建ての立派(??)なもので,ここが収容所と言われなければ,学校の校舎と間違えてしまう(勿論有刺鉄線で囲われているが)。「ここがそうだったのか」と思ったが,僕の思っていたイメージはビルケナウ(第2アウシュヴィッツ)だった。<br /> ビルケナウの入口は電車の引き込むゲートをもった煉瓦の建物。これが僕のイメージにあったアウシュヴィッツの入口だ。この入口からは真っ直ぐに引き込み線が伸び,両脇にたくさんのバラックが並んでいる(現在はそのほとんどが煙突だけ残して壊されている)。引き込み線の先は,脱衣所と水の出ない=毒ガスのシャワー室と焼却炉が効率よく配置された人間の処理所となっている。ビルケナウのバラックはオシフィエンチムのよりも大夫劣悪だ。鶏小屋のような薄暗いバラックに木製の二段ベットがいっぱいにあり,それぞれの段には4・5名が寝たという。当然,上は向いて寝られない。ぎゅうぎゅうに詰めて寝るような感じだと思う。それに丸い穴が左右にたくさん開けられたトイレ。今でこそ臭いはないが,それでもきつい悪臭と最低限の衛生環境を下回った,虫けらの生活が想像できる。<br /> バラックのひとつに収容されていた囚人が(本当に”囚人”という言葉を使うことが適切か疑問はあるが),その天井に描いた絵があった。黒と青色の絵の具を使いながら収容所での労働の様子を描いた絵だと思うが,この劣悪な環境で生き長らえながらも絵を描くという精神の高さに感動を覚えた。

2005夏 中欧の旅9(ポーランド・アウシュヴィッツ編)

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2005/07/22 - 2005/08/11

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極楽蝶

極楽蝶さん

 クラクフの3日目。今日はアウシュヴィッツに行く。Hさんと9時にホテルのロビーで待ち合わせて,出発。クラクフか44号線をひたすら西に一直線。だいたい1時間半ぐらいでアウシュヴィッツに到着した。(思ったより距離がある)
 アウシュヴィッツの見学は無料だ。しかし,アウシュヴィッツの歴史映画と案内書は有料。まずはインフォメーション・センターで映画を見てから見学。この映画,時間によりポーランド語,ドイツ語,英語などで上演しているので,時間を間違えるとチンプンカンプンになってしますので要注意。上演時間は20分ぐらいだったと思う。
 映画が始まるとやっぱりここはアウシュヴィッツ。多くの人がむなしく命を終えたところ。これを見ただけで,結構思い空気を感じる。この映画で初めて知ったが,貨物列車で,ここに連れてこれれた人が一度は全員,収容所に入れられるわけではなく,労働に適する人間とそうでない人間に駅のプラットホームで選別され,不適とされた人(女性や子ども,老人など)はここから直接,ガス室に送り込まれたそうだ。もうひとつ分かったことは,終戦間際に第2アウシュヴィッツ(ビルケナウ)で囚人の暴動が起き,一部のガス室が破壊されたと言うことだ。終戦間際にはナチスの統率も相当乱れていたのだろう。

 アウシュヴィッツは現在は「国立オシフィエンチム博物館」と呼ばれている。アウシュヴィッツはドイツ語の地名表記。ポーランド語では”オシフィエンチム( Oswiecim )”が正しい。博物館への入口は有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と掲げられたゲート。昔は,このゲートから先は二重の高圧電流の流れる有刺鉄線に囲まれた煉獄だったが,現在は強制収容所跡の建物を利用して囚人の生活や遺品などを展示した博物館とここに収容された人の母国が強制収容に関するテーマを展示する博物館になっている。囚人の生活や遺品の展示は,とても辛い。ガラスで囲われた部屋いっぱいに収容された女性の金髪が山積みになっていたり,遺品のトランクやメガネや靴やフライパンがいっぱいに敷き詰めてあったりする。また,西の端にあたる第11ブロックは「死のブロック」と呼ばれ,窓がほとんど木で塞がれ僅かの光しか差さない独房や狭い部屋に数名が入れられ寝ることは勿論,座ることさえできない”立牢”などがり,人間の残酷な性を見せつけられる。ここらの場所で,記念写真を撮っている人たちもいたが,僕はとてもそんな気持ちにはなれなかった。各国の強制収容の展示は大体がその国にナチスが侵攻する以前と侵攻後の破壊と略奪,そしてナチスからの解放を写真やビデオ,証言などを展示している。
 ここもじっくり見学すると時間がかかる。僕とHさんは入口のゲートからは別々に見学をし,午後2時に待ち合わせをしたが,その時間では二人ともまだ半分ぐらいしか見ていなかった。結局3時半にインフォメーション・センターでもう一度待ち合わせることになった。

 オシフィエンチムの見学を終えて,次はビルケナウ(第2アウシュヴィッツ)。オシフィエンチムからは車で5分ぐらいのところにある。
 実はオシフィエンチムに入ったとき,そこは僕のイメージしているアウシュヴィッツではなかった。確かに有名な「ARBEIT MACHT FREI」のゲートはあったが,僕のアウシュヴィッツは「長い電車の引き込み線があり,養鶏場のような平屋のバラックがたくさん並んでいる収容所」というイメージであった。オシフィエンチムの収容所は二階建ての立派(??)なもので,ここが収容所と言われなければ,学校の校舎と間違えてしまう(勿論有刺鉄線で囲われているが)。「ここがそうだったのか」と思ったが,僕の思っていたイメージはビルケナウ(第2アウシュヴィッツ)だった。
 ビルケナウの入口は電車の引き込むゲートをもった煉瓦の建物。これが僕のイメージにあったアウシュヴィッツの入口だ。この入口からは真っ直ぐに引き込み線が伸び,両脇にたくさんのバラックが並んでいる(現在はそのほとんどが煙突だけ残して壊されている)。引き込み線の先は,脱衣所と水の出ない=毒ガスのシャワー室と焼却炉が効率よく配置された人間の処理所となっている。ビルケナウのバラックはオシフィエンチムのよりも大夫劣悪だ。鶏小屋のような薄暗いバラックに木製の二段ベットがいっぱいにあり,それぞれの段には4・5名が寝たという。当然,上は向いて寝られない。ぎゅうぎゅうに詰めて寝るような感じだと思う。それに丸い穴が左右にたくさん開けられたトイレ。今でこそ臭いはないが,それでもきつい悪臭と最低限の衛生環境を下回った,虫けらの生活が想像できる。
 バラックのひとつに収容されていた囚人が(本当に”囚人”という言葉を使うことが適切か疑問はあるが),その天井に描いた絵があった。黒と青色の絵の具を使いながら収容所での労働の様子を描いた絵だと思うが,この劣悪な環境で生き長らえながらも絵を描くという精神の高さに感動を覚えた。

  • 収容所の有名なゲート【オシフィエンチム】<br /><br /> 収容者の誰も信じなかっただろうが,虚構の「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」が掲げられている。毎日,収容者はここを通って作業場に向かい,ここを通って帰ってくる。働かなければ”死”,しかし働いても待っているのは”死”だった。”自由”があるとすれば,”死”後の自由だっけだったろう。

    収容所の有名なゲート【オシフィエンチム】

     収容者の誰も信じなかっただろうが,虚構の「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」が掲げられている。毎日,収容者はここを通って作業場に向かい,ここを通って帰ってくる。働かなければ”死”,しかし働いても待っているのは”死”だった。”自由”があるとすれば,”死”後の自由だっけだったろう。

  • 高圧電流が流れていた有刺鉄線【オシフィエンチム】<br /><br /> この有刺鉄線によって収容者は”この世”から隔絶させれていた。有刺鉄線が煉獄から這い上がることを不可能にしていた。

    高圧電流が流れていた有刺鉄線【オシフィエンチム】

     この有刺鉄線によって収容者は”この世”から隔絶させれていた。有刺鉄線が煉獄から這い上がることを不可能にしていた。

  • 収容所の建物【オシフィエンチム】<br /><br /> 煉瓦でできたほぼ同型の建物が規則正しく並んでいる。何も知らなければ”学校”の校舎と間違えてしまうようだった。これを見ただけでは,60年前に行われた残虐さは感じられない。今はとても平和だ。

    収容所の建物【オシフィエンチム】

     煉瓦でできたほぼ同型の建物が規則正しく並んでいる。何も知らなければ”学校”の校舎と間違えてしまうようだった。これを見ただけでは,60年前に行われた残虐さは感じられない。今はとても平和だ。

  • 収容所内部の階段【オシフィエンチム】<br /><br /> どこの国の展示か忘れたが,展示をしている建物の階段の写真。ここには恐らく犠牲になった少年二人の写真があり,まどから見える収容所が何かを暗示しているようだった。

    収容所内部の階段【オシフィエンチム】

     どこの国の展示か忘れたが,展示をしている建物の階段の写真。ここには恐らく犠牲になった少年二人の写真があり,まどから見える収容所が何かを暗示しているようだった。

  • 世界を隔てる有刺鉄線【オシフィエンチム】<br /><br /> 画面の左手,有刺鉄線の奥にある木造の建物は監視塔。こういう監視塔が,規則正しく建てられた収容所の建物と建物の間を監視するように建てられいる。画面の右手手前にはドクロの絵に「危険,止まれ」と書かれた背の低い立て看板がある。

    世界を隔てる有刺鉄線【オシフィエンチム】

     画面の左手,有刺鉄線の奥にある木造の建物は監視塔。こういう監視塔が,規則正しく建てられた収容所の建物と建物の間を監視するように建てられいる。画面の右手手前にはドクロの絵に「危険,止まれ」と書かれた背の低い立て看板がある。

  • 「死の門」と引き込み線【ビルケナウ】<br /><br /> これが僕が想像していたアウシュヴィッツのイメージ。正面の煉瓦の建物はビルケナウの入口で「死の門」と呼ばれている。この線路はオシフィエンチムとも繋がっていた。引き込み線の両脇はプラットホームで,ここで”労働者”と”非労働者=ガス室行き”の選別が行われた。

    「死の門」と引き込み線【ビルケナウ】

     これが僕が想像していたアウシュヴィッツのイメージ。正面の煉瓦の建物はビルケナウの入口で「死の門」と呼ばれている。この線路はオシフィエンチムとも繋がっていた。引き込み線の両脇はプラットホームで,ここで”労働者”と”非労働者=ガス室行き”の選別が行われた。

  • 平屋のバラックと監視塔【ビルケナウ】<br /><br /> ビルケナウのバラックはこのような鶏小屋のような平屋。バラックが規則正しく建てられ,それぞれの間を監視するように監視塔が建てられているのはオシフィエンチムと同じ。<br /> でも,今のように草が生え,周囲も緑がいっぱいの状況では,ここで大量の殺戮が行われたことが現実味をもって感じることができない。

    平屋のバラックと監視塔【ビルケナウ】

     ビルケナウのバラックはこのような鶏小屋のような平屋。バラックが規則正しく建てられ,それぞれの間を監視するように監視塔が建てられているのはオシフィエンチムと同じ。
     でも,今のように草が生え,周囲も緑がいっぱいの状況では,ここで大量の殺戮が行われたことが現実味をもって感じることができない。

  • バラックの天井に描かれた絵【ビルケナウ】<br /><br /> バラックのひとつに写真の絵が描かれていた。毎日の過酷な労働の後,僅かな時間を見つけて描いたのだろうが,最低限の人間の生活環境を大きく下回るなかで絵を描こうという精神がすごい。これを描いた人にとっては,これを描くことが自分の”生”の証だったのか,それとも反抗心がそうさせたのか。

    バラックの天井に描かれた絵【ビルケナウ】

     バラックのひとつに写真の絵が描かれていた。毎日の過酷な労働の後,僅かな時間を見つけて描いたのだろうが,最低限の人間の生活環境を大きく下回るなかで絵を描こうという精神がすごい。これを描いた人にとっては,これを描くことが自分の”生”の証だったのか,それとも反抗心がそうさせたのか。

  • 「死の門」と木造バラック【ビルケナウ】<br /><br /> 写真手前の木造のバラックは医療実験棟だったようだ。説明書には,ここで妊婦などに対する人体実験が行われていたことが書かれていた。

    「死の門」と木造バラック【ビルケナウ】

     写真手前の木造のバラックは医療実験棟だったようだ。説明書には,ここで妊婦などに対する人体実験が行われていたことが書かれていた。

  • 囚人に破壊されたガス室【ビルケナウ】<br /><br /> 引き込み線の一番奥にある人間の処理施設。そのなかでもこのガス室は終戦間際の囚人による暴動により破壊されたもの。

    囚人に破壊されたガス室【ビルケナウ】

     引き込み線の一番奥にある人間の処理施設。そのなかでもこのガス室は終戦間際の囚人による暴動により破壊されたもの。

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  • arfaさん 2005/09/04 07:25:01
    アウシュビッツの感想
    はじめまして、実際に見てこられた方の直かの感想はいつもTVで見る映像と違い生々しく感じます。なにかあの建物からは絶望のような独特のオーラが感じられます。私が見たのはカンボジアのストートレン収容所ですが同じ絶望の匂いが感じられます。

    私は実はアウシュビッツが言われるような大量虐殺されていないと考えている人間です。これは人が死んでいないというのではなく戦後言われるような南京大虐殺と同様に大きく誇張されているという考えている立場なのですがやはり生きている生の人間の生存を他人が握るというのは悪夢ですね。

    極楽蝶

    極楽蝶さん からの返信 2005/09/04 20:26:29
    RE: アウシュビッツの感想
    arfa様

    こんにちは。極楽蝶です。
    アウシュヴィッツの旅行記にご感想を頂き,ありがとうございます。

    昔は,ポーランドなどとても遠い国で,自分が行くことなど無いと思っていました。ましてや,アウシュヴィッツとなると,その田舎。
    でも,今回行ってみて,そこに行かないと分からないこと,感じられないことがあることを改めて知り,とても有意義でした。

    殺された人の数はともかく,ここは殺人のために作られた場所であり,そのための合理的なシステムがはっきりと分かりました。

    それと,僕が強く感じたことは,ここが殺戮の場であったことが,ここにいるだけでは感じられないことです。昔とは風景が変わっているとはいえ。だから,博物館のなかの収容者の髪の毛やトランクなどの遺品,ガス室の前で多の観光地,記念碑と同じように明るい笑顔で記念写真を撮っている人たちがいるのだと思います。

    歴史は風化していくといわれますが,ここの歴史は(むしろこれを生んだ人間のなかにある本性は)私たちは私たちの自身のこととして考える必要があるように思います。

    では,また。今後もよろしくお願いします。

    arfa

    arfaさん からの返信 2005/09/04 21:40:28
    RE: RE: アウシュビッツの感想
    返事を書きこんでいただきありがとうございます。

    私は鹿児島の知覧陸軍特攻隊基地に行った時、そこに行かれている全ての人が涙しているのを見ましたし、カンボジアのトォールスルン博物館(前のストォートレンは間違いです)、タイのカンチャナブリ第2次大戦記念館なども来場している人たちはカンボジア、タイは主に欧米人が多かったと思いますが。みんな厳粛で深刻な顔をしていました。

    どこも非業の死を遂げた人たちの犠牲の上に今の平和は成り立っていると感謝している訳でアウシュビッツで楽しそうにしている人たちというのはちょっと異様に感じられます。

    おっしゃる通り一般の人たちの間では観光化して特別なものではなくなっている、言い換えれば悲惨な歴史は今生きている時代とは関係ない別の国のことのように風化していっているのかも知れませんね。

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