2005/07/09 - 2005/07/19
6位(同エリア26件中)
目黒警部さん
カンボジア領の山頂にそびえ立つ聖なる神殿・カオ・プラ・ビハーンは、山霧につつまれ神秘に満ちていた。
あれは、神だったのだろうか、それとも精霊だったのだろうか?
神殿内に降り立つ、なにものかを感じ取った。
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朝6時半起床。
今日は早く起きた。
朝からあいにくと、激しい雨が降っていた。
7時・早々に身支度をすませ1Fロビー横にある朝食会場のレストランに出向く。 -
ビュッフェ・スタイルの朝食が並んでいた。品数はそこそこある、味は可もなく不可もなくといったところだろう。 朝一番の客だった、暫くするとタイ人観光客が、ぱらぱらとレストランに入ってきた。
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窓の外を見ると雨は激しさを増していた。
ロビー横にあるホテル所属のツアーデスクにてカオ・プラ・ビハーン行きの車の手配をしていて正解だったようだ。
昨日カンボジア領である、カオ・プラ・ビハーン遺跡がクローズになっていないかを確認する為にホテルロビー横にあるツアーデスクに立ち寄った、遺跡への送迎車一台のチャーター料金は、2000B(運転手・ガソリン代込み)と説明された。
バスとトゥクトゥクで行こうと当初思っていたが、お願いすることにした。
同伴者がいればチャーター料金をシェアーできるのだが、でも一人旅が気楽でいい。
(写真は雨も止みホテルに帰ってきた時のものです) -
すごい雨だった、スタート時間の8時にツアーデスクに行ったのだが、運転手は30分遅れてやってきた。
8時30分・ホテルの8人乗りのミニバンで出発した。
窓の外は豪雨とかし、道は見えなくなっていた。
これ以上水かさが増すと、車は走れない。
もしバスで行こうとしていたら、バスターミナルに着くまでにパンツの中まで、びしょぬれになっていただろう。
外の様子とは、裏腹に車内は快適であった、少しクーラーが利きすぎだったが、広い車内で一人、ときおり外の様子をみながら、コミカルなアメリカ映画を観ていた。 -
ウボンラチャタニより車で約2時間 シー・サケート県カンタララック地区の向かい側、カンボジア国境を渡ったところに、カオ・プラ・ビハーン遺跡はある。
カオ・プラ・ビハーン遺跡の入口に到着した。
雨は運転手が言うとおりにあがっていた。
駐車場、食堂と売店がある広場を通り、タイ側の国立公園入り徒歩でカンボジア領へ行く。
遺跡へ向かって道路を歩いていくと、カンボジアの子供達がまるで遊んでいるかのように走ってやってきた。
絵葉書を買ってと言った。
子供達は英語とタイ語を片言で喋った。
遺跡の写真はデジカメで撮るつもりだった、いらないと断ると、お腹が空いていると言い走って来た道を戻って行った。 -
階段を下りていくと金網があった。
金網の向こうがカンボジア、こちらがタイである。
カンボジア領土のカオプラウィハーン遺跡への出入国の手続きやビザは不要である。 -
カンボジアにてカオプラウィハーン遺跡の入場料200Bを支払う。
運転手も始めての訪問だった、一緒に見学する。
遺跡の入口階段下にて彼(運転手)はパンを一袋買った。 -
階段状になったナーガーへの通路は、丘のふもとから本殿まで約120Mの上り坂になっている。
道そして階段は水にぬれて、すべりやすくなっていた。
ゆっくりと、道順を選びながら階段を登った。 -
ようやく階段を登りきった。
息が少々切れた。
階段上にいた、さきほどのカンボジアの子供達に階段下で買ったパンの袋を彼が渡した。
あっという間にパンは、子供達の胃袋に消えた。 -
頭上を見ると遺跡の上にはカンボジアの国旗がゴプラー(第一楼閣)にはためいていた。
長年にわたりタイとカンボジアは、タイとカンボジアコ国境の真上に位置するこの偉大な寺院群の所属をお互いに激しく主張し合った。
1963年、国際裁判所は最終的にこの地域をカンボジアに所属すると決定した。
非公式に多くのタイ人がこの決定に対して、カオ・プラ・ビハーンはタイのコラート高原につながる高地の谷にあり、カンボジアとは何の地勢的つながりはないと指摘して、反発した。
現在タイの友人達もこの地域は、タイ領土だと言う。
実際、今回足を運んでみて分かったことは、カンボジア領土からは、この遺跡へは行けないこの地域は、明らかにタイ領土とつながっておりカンボジア領土とは、地勢的には一線があるということであった。
国際裁判所は、タイ国内に2000以上もクメール遺跡があるという事実にもかかわらず、アンコール時代の遺跡群はカンボジアのものというカンボジアの主張を受け入れたのである。 -
第1ゴプラー(楼閣)です。
カオ・プラ・ビハーンは、10世紀半ばのラジェンドラブァルマン2世から12世紀はじめのアンコール・ワットの建設を命じたスリーヤブァルマン2世までの歴代のクメール王たちによって、2世紀にかけて建設された。 -
カンボジア少年から買った絵葉書の第1ゴプラーです。
同行していたカンボジアの少年が、ころあいを見ていた.
そろっと絵葉書をカバンから取り出した。
先ほどから道順を案内したり、滑りそうな道では手をさしのべたりしてくれていた。
言い値で買うつもりだった。
いくらと聞くと10枚セットで100Bと言った。 -
4つあるゴプラーの内、最初の2つ(第一・第二)のゴプラーは崩れ落ち建物の多くは屋根がない、だが無傷のまま石の彫刻は見ることはできる。
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この丘は、寺院群が完成する500年以上前からクメールのヒンドゥー教徒たちの聖地であった。
約270メートルの石畳を歩いて次のゴプラーへ行く。 -
1999年に国連が撤去作業をしたが、周辺にはまだ地雷が埋まっており歩道以外は歩けない。
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晴天の絵葉書です。
第2ゴプラーまでの距離は約270メートル。 -
第2ゴプラー階段手前左手のバライ、深さは約4メートル。
カンボジアの青年と少年が、先ほどから後ろから付いて来ていた。
そして、青年はガイドを少年は足元の悪い道を指さしながら道の選択をして時には手をさしのべてくれていた。
神殿のプールだと英語で、カンボジアの青年が言った。 -
古典的なバプーオンと初期のアンコール・ワット様式で建てられたこの寺院群は長さ850Mにもわたり、4つのゴプラー(楼閣)と周りを中庭と柱廊に囲まれた1つの大きなパラサートを取り囲んでいる。
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ブィシュヌの描かれたまぐさ石が、2番目のゴプラーで見ることができる。
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第3のゴプラーへの戸口はきれいに保存されていて、1つの戸口(南に面した内側の戸)の上にはすばらしい彫刻が施されたまぐさ石がある。 その彫刻は木陰の下で、シブァと彼の妻ウマがナンディ(シバァの雄牛)に座っているところを表わしている
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頂上にある最後の中庭に建つ中心的なプラサートは大規模な修復工事を必要としている。
かつての壮大さを知ることは今はできない。
プラサアートに続く柱廊はもう少し状態がよく、アーチ状の屋根を維持している。 -
晴天の第3ゴプラーの絵葉書。
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カンボジアの少年より買った絵葉書。
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第3ゴプラーです。
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クメール・ルージュ(ポルポト派)との停戦がカンボジア全土に及ぶまでタイからもこの地域には入れなかった。
1991年に遺跡はやっと公開されたが、1993年〜97年クメール・ルージュへのプノンペン側からの攻撃により立ち入り禁止となった。
周囲の大平原を見渡せる地理的条件からカンボジア内戦中に軍事的要所とされ、銃弾が飛び交っていた。 -
内戦中に軍事的要所とされ、銃弾が飛び交っていた。
建物は、現在でも半分は修復されていなく、崩れたままである。
大平原のほうを向いたまま放置されている大砲。 -
兵士達は、崩れた遺跡の石材を使って塹壕を作った。
1998年8月ポルポトの死とアンロン・ベン基地からクメール・ルージュが一掃されたことにより遺跡は再び公開された。 -
道脇に日本の国旗が入ったJAHDSのプレート(人道目的の地雷除去活動を支援するために企業・個人・団体が力を合わせた非営利団体)があつた。
このプレートを指差しながら少年は嬉しそうな顔をした、媚を売っているようには思えなかった。
少年は、向こうからこちらを見ていた。 -
現在は、タイ政府とカンボジア政府との政治的思惑によりこの地域の閉鎖と公開を繰りかえしている、この遺跡を訪問する際には事前にウボンにあるTAT事務所等での確認がいる。
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第4ゴプラーです。
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カンボジア領の山頂にそびえ立つ聖なる神殿・カオ・プラ・ビハーンは、山霧につつまれ神秘に満ちていた。
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旅の安全を祈願した。
神殿内の祭壇を写してもいいですか?とカンボジアの青年にたずね、シャッターを切った。
薄暗かった神殿内に一瞬光が差して来た、そしてカメラのファインダーの向こうに・・・
あれは、神だったのだろうか、それとも精霊だったのだろうか?神殿内に降り立つ、なにものかを感じ取った。 -
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あらゆるアンコール時代の遺跡の中でももっとも美しい遺跡であるカオ・プラ・ビハーンはドーンレックの急斜面の端にある600Mの崖の上に建ち東にカンボジア平原のドラマチックそしてタイにラオスが眼下に広がる。
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カンボジアの大草原そしてライスにタイが見渡せる丘の上、あいにくと山霧にてなにも見えなかった、絵葉書でお楽しみください。
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クメールルージュの支配下で遺跡は、まぐさ石やその他の彫刻品を中心として、芸術品を大量に失う。
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飲み物の売店にカンボジア女性2人がいた。
少し歩き、階段近くの大きな木の下にて、かすか記憶のかなたにあった光景が繰り返されていた。
5−6名の少女が石を投げ地面に線した箱の中を片足とびそして両足とびで前へ進む・・・
子供のころ女の子たちが、まだ舗装されていない道で遊んでいた遊びと同じである。
この遊びは、けんけんぱー?と日本では女の子たちが言っていたように記憶している。
カンボジアの子供たちの遊び場であり生活の糧を得る場でもある、聖なる神殿・カオ・プラ・ビハーンにて、40年前の日本へ暫しタイムスリップした。 -
盗まれた芸術品のいくつかは、取り戻されたりもして遺跡の復旧も行われている。
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階段を降りタイへ帰ろうとしていた。
案内をしてくれた、カンボジアの青年は日本語で〔さよなら〕と言った。
ガイド料と称しての代金は請求しなかった。
小額だが、別れしなにお礼を手渡した。
写真のカンボジアの少年に写真を撮ってもいい?とタイ語で聞くと、帽子を少しあげ、ポ−ズをとった。
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この旅行記へのコメント (4)
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- 熊猫さん 2005/10/07 21:21:20
- 精霊・神様
- BKKから日帰りでカオプラビハーンに行って来ました。
目黒警部の記事を参考にさせて頂きました。ありがとうございます。
現地に行く前は、この写真を見ても特に感想は無かったのですが、
あの祠の中に入って思いました。ここ空気密度が濃いんじゃないかなと。
何者か分からない神様にガイドと一緒に跪いて祈り、巫女?に水を掛けてもらいました。
結局、祭神を撮る度胸はなく、巫女(というより管理人の婆さんなんでしょうか)を撮って帰ってきました。
フラッシュに驚く婆さんをみてクメールに祟られるのでは心配になりましたが、物売りの女の子が大笑いしていたので安心しました。
異邦人に御利益を与えるようなヤワな神様ではなさそうですが、なんとなく嬉しく下界に戻ってきました。
- 目黒警部さん からの返信 2005/10/08 09:56:19
- RE: 精霊・神様
- 熊猫さん はじめまして。
つたない旅日記を見ていただき、ありがとうございます。
BKKから日帰りでカオプラビハーンへですか、強行軍ですね。
あの祠の中にて熊猫さんも感じ取られましたか。
私は本来、精霊とかピー(幽霊)とかの存在は信じていないのですが、あの祠では、たしかに体感しました。
なにものかは分かりません、あの祠へ入る前には思いもつかなかった出来事でした。
巫女は、私が訪問した時にはいませんでした。
よろしければ、写真をアップした旅行記を投稿して下さい。
タイのピーマイ遺跡においても不思議な体験をしたことがあります。
よろしければお読みください。
http://blogs.yahoo.co.jp/megurokeibujp
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- dokmaiさん 2005/08/24 00:24:30
- 雨上がりのカオプラも綺麗ですね!
- 夕方帰宅しました。
昨日までBKKにいたのが夢のようで、又今自宅にいるのも不思議な気持ちです。
1ヶ月も家を空けていたのですからね。
タイで一番困るのは移動です。
警部はあちこちパトロールされるので、お話が楽しみです。
カオプラ、今回も行く機会を逃しましたが、言ってみたいな〜。
上に上がり、壮大な景色を眺め何を想うのでしょう・・・?
- 目黒警部さん からの返信 2005/08/26 04:54:59
- RE: 雨上がりのカオプラも綺麗ですね!
- お帰りなさい み佳さん
日本の日常生活に戻りましたでしょうか?
1ヶ月もタイへ行かれてましたので、いろいろと大変だと思います。
ゆっくりと、1ヶ月の旅を投稿してください。
私の場合タイの滞在は、長くて10日ぐらいですので帰国した翌日にはすぐ日常生活に戻ってしまいます。
あれ?昨夜、ほんとうにタイにいて、屋台でバーミーを食べていたのか?あれは夢ではなかったのか?と思うほど、現実に引き戻されるのが早いです。
いままでタイ各地へ訪問していますが、寺院に遺跡・綺麗な海そして山とタイは見どころの多い国だと思いますが、旅の醍醐味は人とのふれあい(交流)だと思っています。
タイの旅では、毎回タイ人の心の広さそしてやさしさを感じさせてくれます。
カオプラでは不思議な体験をしました。
霊感など持ち合わせていないのですが・・・神秘がなせることなのか?
今回の旅では、走馬灯を見るかのごとく記憶の彼方の出来事を見ることができました、まだ思い出せない記憶を見るためにまたタイへ行くと思います。
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