2004/08/10 - 2004/08/10
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こまちゃんさん
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敦煌到着の2日目。
宿は莫高窟前の「莫高山荘」。昨夜、取り敢えず宿泊し、今朝交渉の結果、半額の160元/日。元々は360元なので半額以下ですね。
画像はその横に有るお土産店の様子。
莫高窟は夕方6時に閉門になるので、この店も閉店です。この前の駐車場にも人っ子一人居ません。
ホテルの宿泊客も我々だけで、莫高窟前にはホテルの従業員と我々だけになりました。莫高窟貸し切りって感じです。(^^
今日の朝は晴れているのに肌寒く、莫高窟は敦煌市内より標高が高いので、朝夕の冷え方が少しきつそうです。
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午前中、昨夜出迎えて呉れたマネージャーと打ち合わせ。その後、敦煌市内へ補助材料の買い出しに出掛ける事に成りました。
仕上げ用ラッカーは危険物なので、飛行機荷物や火車托運にする事は禁止されているので、上海から持って来る訳には行かず、現地で良質の木工用クリアラッカーを調達する事が目的。
写真は早朝の駐車場の風景。
向こうに見えるのは莫高窟の南側、昔の作画工員や僧侶が住んでいた横穴。中は広くて四方に部屋があるそうです。 -
中国のどこにでもある装修用品店(リホーム用品)を、タクシーの司机(運チャン)に確認。辿り着いた問屋街に目的のものが有りましたのでひと安心。案外すんなり事が運んで気持ち悪い気もしたり・・・。
あとは明日到着予定の主要材料が、元柳園站(現敦煌駅)に来るかどうか心配が残りますが、とりあえず小さな街「敦煌」を散策すべくウロウロする事にしました。 -
まずは噂の「英英珈琲屋」へ出掛けました。HPもご紹介!
http://www.wada-denkido.co.jp/yingying/yingying.html
場所は、商業一条街の中腹の脇道を入った所に、黄色い建て看板が見付かります。店の向こうに清真寺が見えますのでこれが目印。お店は極々質素な感じの造りで、どこかの町の食堂風。
店長の英英さんが、元気でにこやかに出迎えてくれます。
迎えてくれた「英英さん」は、地元甘肅省出身の中国人女性店主。当方が幾ら中文を喋ろうと、彼女は日本語で返事します。爺ぃも居るので全部日本語で会話してもつまらないでしょうから、そのままで通しました。(^^ -
敦煌市と莫高窟は25kmの距離。用事が済んだ我々は、来る時にチャーターしてあったタクシーで莫高窟まで戻りました。
莫高窟に戻ったらもう夕方の6時。とりあえず莫高餐庁で夕食を摂る。夜7時を過ぎたと言うのに外はまだまだ明るい。夏なのに、外の風が何とも言えず非常に心地良い。部屋に戻ってもする事もないので、爺ぃと莫高窟回廊前を散歩する事にした。
敦煌も含めこの地域の夏は、昼夜の寒暖の差が激しくて、夜は昼間とは打って変わって極端に涼しく、衣服を一枚追加する必要がある程。避暑には最適な所ですね。
ホテルを出た所には莫高窟の大駐車場がある。ここは日中、観光バスやタクシーなどでごった返すが、夜6時閉館後は、ものの見事に1台も居なくなる。 -
駐車場からあちこちの写真を撮っていると、駐車場の傍らでゴミ収集をしているおじさんに爺ぃが話し掛けていた。何だかんだ聞いていると、彼は莫高窟の窟内外掃除や、回廊の柵近くで番人もしていると言う事です。
写真、影だけで失礼します。 -
右側部分に小屋がありますが、そこが清掃夫おじさんご夫婦のお宅。お名前は「余先生」。小屋の前に石柱が2本見えますが、これは旅客の進入を堰き止めた鉄格子の支柱です。
こちらの写真は2004年、下の写真は2003年。
この駐車場脇の橋は壊され南手に移動し、石橋となって新調されました。 -
こちらが一年前の4月の写真。
SARS騒ぎの真っ直中でした。
「余先生(以下“老余”と呼称)」のお宅は、この頃も見えていますね。ここで働き始めて20年だそうです。
個人的にはこの木橋が好きです。取り払った跡を綺麗にしないのが、中国の中国らしい所ですが・・・ -
駐車場からの風景、2003年版のパノラマ画像です。
(5枚の写真を使って、露出等を合わせて繋ぎました)
この木橋のほうが素朴でいいのになぁ・・・
こう言う感覚も中国人にはまだ無く、素朴や古風なものは単に古臭く感じ、先鋭的であれば何でも良しと感じるらしい。
それが証拠に、新しい橋はコンクリートで出来ていて、「昔」をあしらった感覚が殆ど無い。 -
駐車場近くに有る陳列館。ミニ博物館みたいなもので中国には珍しく入場無料です!
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陳列館前から見える莫高窟の全景。
270度パノラマです♪ -
河の中から元代の墓塔を臨む。
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莫高窟管理歴史の創建者「王園録(王道士。録は竹冠有り)」の墓標と敦煌石窟文物保護研究陳列中心(陳列館)。
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この墓標の中腹部石板には、王道士の経歴を含む莫高窟由縁の書が記されています。
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その墓標から石板部分を拡大。
(読めるかなぁ・・・?) -
元代の墓塔群。元はバラバラに有ったものを、整理する為にここに移してきたそうです。
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これが新しい石橋。この先には莫高窟の入り口があります。
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莫高窟の表示。裏には世界遺産マーク。
逆行なので撮影しませんでした。 -
このゲートをくぐり(裏から撮影。正面には“石室寶藏”の文字)、
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こちらのグリーンベルトを通って、
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こちらの入り口へと続きます(実際はこの楼門をくぐりません。右側に改札の様な通路有り)。
ここでは中にバッグやカメラを持ち込めないので、この楼門向かいにある詰め所に荷物やカメラを預けます(無料)。でも、カメラなどは不安です・・・見てない所で落とされている可能性が高い!(滞在が長かったので見た事があります。数台のカメラをそのまま持ち上げ、ガチガチ当てながら棚に置いているのはしょっちゅうです。(;_;)その棚も奥行きが無く、マットなどのモノすら施されていません。保護材料入りのカバンなどで、自己防衛した方が良いです。 -
莫高窟、9層楼のシルエット。
石橋を渡って、川沿いに南へずんずん進むと、この9層楼に出会えます。
入り口前の回廊沿いに行っても同じです。 -
2002年に改装工事が完了した、9層楼前の広場ナメで。砂漠の中にある象徴としては、余り似合わない広場設計です。
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こんな撮り方したら、だれも莫高窟って信じてくれないかも。
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一周して元のホテル近所まで来ました。
石橋を渡らずに引き返すと、丁度老余の家の前。
そこからホテルを撮影(平屋の建物)。 -
そこから、夕日を浴びて輝く祁連山を撮影。
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老余の家。
右に見えるのが柵でして、ここから先への侵入は禁止です。でも、お友達は別! -
その柵の門を入り、遠くから見えていた洞窟を眺める。(2005年には“敦煌再発現”として取り上げられる場所)
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この写真の向こうが観光拠点。かなり離れている。
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これも遠くから見える建物。
映画“敦煌”の撮影で作ったセット。
撮影終了後、残して貰ったとの事。昔の建物の姿と思っていた・・・ -
「我慢出来ない」と言って行った行為。。。
兎に角冷えているし、この格好で歩いているのが厳しかった位に苦急激な冷え込みでどうしようもなく・・・。
本人曰く「給它們増加一点々栄養(一寸栄養上げてるんじゃい)」・・・(@@;
その他、この日の情況に関しての詳細は、
http://www.ChinaART.jp/koji02_mogaokulife.htm
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