ブヒブヒさんへのコメント一覧(70ページ)全744件
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知り尽くしておられますね!
ブヒブヒさん、こんにちは。
1週間振りにネット接続出来て、見てみたらブヒブヒさんの旅行記がエラい増えてます!
ブヒブヒさんのカンボジアへのアツい思いが見えるようで楽しく拝見しました。
今回アップされた旅行記と3月に書かれた「愛しのカンボジア」を併せて拝見したんですが
カンボジアって結構ベトナムに似てるなあ〜って感じました。
カンボジアはベトナムをお手本にして発展したんやろっか?って考えてしまいましたわ。
・道路ではバイクの数がクルマを圧倒してる!(ベトナムではバイクを「ホンダ」と呼びます)
・観光客エリアではUSドルがごくフツーに流通してる(ただしボッタクリ価格で)
・サンドウィッチがウマい!(僕は生春巻きがお気に入りです)
・ちっちゃいガキが結構アブナい(僕もバックパックのファスナー引っ張られたことがあります)
話は全然違いますが、「ポイペト 食と住編」で紹介されてた孵化前のアヒルの卵!
僕はタイで売ってる孵化前の鶏の卵でヒヨコの形がはっきり分かるようなヤツが大好きで、
一昨日ラオスでも見つけて食べたんですが、カンボジアではアヒルなんですね?!
結構大きさがあってボリュームもありそうですね〜。これはぜひ食べてみたいと思いました。
弾丸旅行、おつかれさまでした。
次は弾丸じゃないゆったりした一人旅をされるのでしょうか?
ではでは。RE: 知り尽くしておられますね!
keng-kengさん、お久しぶりです。 更新全然なかったのでかなり心配しましたぜ。 一週間分の旅行記アップするのちょっと大変でしょうが、楽しみに待っています。
ベトナムもカンボジアもフランスの植民地だったのでサンドウィッチがあったり、古い町並みにどこかヨーロッパ風なのが残っていたりとちょっと見似ていますよね。 でもカンボジアって、歴史的にはベトナムによる侵略とかあって、かなり嫌っているって聞いています。
まだ途上国なのでベトナムもカンボジアも自転車やバイクが多いし、自国通貨よりも安定しているUSドルのほうが一般的になっていますね。
まったくの門外漢なんですが、ベトナムは中国文化の、カンボジアはヒンドゥー教と仏教の影響受けているのでいろいろ細かい点では違うと思います。
ベトナムは社会主義の、カンボジアはクメール・ルージュによる支配で経済的にかなり出遅れましたが、これからはきっとブレイクすると思います。
93年にベトナムを小旅行したのですが、その時はベトナムの人って本当に純朴で親切な人ばかりでした。 でも今はベトナム旅行から帰ってきた人に会うと皆「ベトナム人はひどい! 東南アジアで最低だ」と言いますね。 ですから東南アジアフリークの間では、人の良さランキングで
ミャンマー>ラオス>タイ>カンボジア>>>>ベトナムだそうです
孵化前の卵、私も大好きです。 昔はタイでも結構あったのですが、最近は田舎に行ってもなかなかありませんね。 カンボジアでもフィリピンでも病気するとこれ食べると言いと言われますから滋養強壮効果があるようですね。
これからまたkeng-kengさんの旅行日記読ませていただいてマッタリさせていただきますわ。 私はパタヤでしばらくパタヤリピーター達と一緒に遊んでもらいます。
10日間経っても更新無かったら救援に行こうと考えていたブヒブヒより( ´(00)`)y-~~
2010年06月06日18時40分 返信する -
PHRATABONG
タイの地図(以前ブヒブヒさんも紹介されていた、印刷でインチキ定価が訂正されているやつ)ではタイ語でプラッタボーンと書いてあります。
現地の人達が話しているのは、昔からの呼び名かもしれませんね。
BATAMBANGはフランスが現地の人達が話している地名を聞いて、それらしいアルファベット表記にしたらこうなったのでしょうか?
ところで、ロイヤルホテルですが、私はこのようなホテル(外観)を見るとなぜか中華系という感じがしてしまうんですよ。
なぜなのかは自分でも解らないのですが、なぜだか私の脳はそう反応してしまいます。
RE: PHRATABONG
あいあ〜るさん、こんにちは。 ご訪問&書き込みありがとうございます。
例のタイ地図ですね・・・、あっ、これですね、M24ページ、本当ですね、英語表記 P.BATAMBANGの上のタイ語表記、確かにプラッタボーンになっていますね。 地名一つでもその場所に対する歴史とか言語の違いなんかが表れて興味深いですね。 現地の人はバッタンボーンみたいな発音だったと思います。
ロイヤルホテルのオーナーはホテルの隣に住んでいて、40代なんだろうけど色白のなかなかの美人さんでした。 あいあ〜るさんのご賢察のとおり、明らかに華人系の人でした。 他のホテルなんかもおそらく華人系の経営だと思います。 町中の商店の大部分も華人系カンボジア人と思われます。 歴史的背景からか、タイほどは中国語の看板や提灯のようなものはありませんでした。 次回の記事で写真アップしますが、かなり大きな中国式墓地がありました。 バッタンボンはカンボジアの中でも米どころで、その流通機構も華人系が握っているかもしれませんね。 タイの米流通は完全に華人系財閥が握っているのと同じかもしれません。
知れば知るほど華僑ネットワークの広さと深さに驚いてしまいます。 将来、中国本土がこうしたネットワークと経済力を利用して東南アジアの国々を政治的・経済的に支配し、中国化してしまうのではと危惧している今日この頃です。
東南アジアの華人ネットワークがどんなものか知りたくなったブヒブヒより (*'(OO)'*)ブヒ2010年06月01日13時30分 返信する -
バッタンボン
ブヒブヒさん
はじめまして。
こんにちは。
バッタンバンではなくバッタンボンの方が現地語にも英語にも近いですよね!? どうして日本のガイドブックではバッタンバンになってしまったのか、私も不明でした。
ところで、1つ訂正があります。
地図ですが、バスで行かれたコースはシソポン経由(シェムリアップから一度西のシソポンに行って、それから南東に下る)だと思います。掲載されている矢印の入った道路は、地図には小さく乗っていますが、走れた代物ではなく、また舗装もされていません。3時間半かかったと言うことは、間違いなくシソポン経由です。実は意外と遠回りをしていた訳です。
老婆心ながら、ご連絡致しました。
またカンボジアにいらして下さいね〜!
キャマティよりRE: バッタンボン
キャマティさん、はじめまして。 ご訪問&書き込みありがとうございます。
実は私もバスはシソポンに行ってからバッタンボンに行くと思っていたのですが、6号線を一度も通らず道幅の狭い舗装道路を走って行ったのでこんなルートかなと思っていました。 6号線であれば路肩もあるし、道幅もあるのでわかるのですが、どうも違うような気がします。 それにシソポンの町は行ったことがあるので通過したのであれば気がつくはずですが、大きな町は一度も通らなかったと思います。 3時間半の所要時間のうち20分は休憩でしたので実質3時間チョイ。 6号線を走る時のように70〜80キロものスピードではなかったように思います。 車内の後ろの方に座って左右の景色しか見えませんでしたから確信はありません。 後半はウトウトしていましたので、どの方向からバッタンボンの街へ入いったのか覚えていません。
たしかにyahoo やgoogleマップ見てもこんなルートはありませんねぇ。 道路を逆走すると景色がまったく別物に感じますから、単純に私の思い違いかもしれませんね・・・。 もう一度このルート行くので詳細な地図とコンパス持って再確認してきます。
>>またカンボジアにいらして下さいね〜!
行きます、行きますよ〜! 只今カンボジアにぞっこんなのでキャマティさんの記事を参考にさせていただき、何度でも! なにせパタヤに住んでいるので気軽に行けてしまうのですよ。 これまではプノンペンとかシェムリとかポイペットのような町しか行って無かったのですが、今回は素のカンボジア人と接することができて超気に入ってしまいました。
ところでクメール語には声調はないとほとんどの本に書いてあるのですが、私は少しはあるような気がするのですが・・・。 今後の勉強のために、もしご存知であれば教えてください。
イサーンに凝ったりカンボジアに凝ったり・・・浮気性のブヒブヒより σ( ̄(●●) ̄)よろしくぶひぃぃぃぃぃ
2010年06月01日12時24分 返信する -
信じられません
ブヒブヒさん、こんにちは。
画像を見て愕然としました。
私の記憶と変わっていないのは、国境のプラサート様式のゲートだけだと言っても過言ではありません。
いつかまた同じルートで再訪したいと思っていましたが、二度と行かずに思い出のままにしておいた方が良いかもという気さえしてきました。
もちろん現地の人にとっては、便利になる方が良いのですが。
宿の娘さんは同一人物っぽいですね。
顔の形がソックリです。RE: 信じられません
あいあ〜るさん、度重なるご訪問&書き込みありがとうございます。
タイやカンボジアに限らず、アジアは急速に発展していますね。 東南アジアの国々の田舎なんか旅行しているとこのまま素朴なままで居て欲しいって思っちゃいますよね。 昔行ったインドもバリ島もベトナムも全然変わってしまっているようです。 もちろん人々も・・・。 その点、ヨーロッパ(イギリス、スペイン、ポルトガル、モロッコ、トルコ、ギリシャ、イスラエルしか行ったことありませんが)はあまり大きな変化はないようですね。 文化的にすでに成熟していること、建物は石造りが主で耐久性があるからなんでしょうかねぇ・・・。 ラオスやミャンマーはそれほど変わっていないようですから行くなら今のうちかもしれませんね。
今度、定点観測の場所を決めて、定期的に訪問しその変化を観察しようかなんて考えております。 で、選定基準はパタヤの自宅からあまり遠くなくて、小さな普通の町か田舎の村・・・。 カッコ良く言えば2次元だけでなく時間をも旅する、ってことでしょうか。
>> 宿の娘さんは同一人物っぽいですね。 顔の形がソックリです。
私もそう思うんです、おでことか顔の輪郭とか・・・。 でも言葉がうまく通じないんで挨拶程度で終わってしまいましたよ。 機会があれば昔の写真持って行って尋ねてみたいですね。
ところであいあ〜るさんのHNは 愛有〜る、それともIRに由来しているのでしょうか? もしよろしかったら教えてください。
ブヒブヒというHNはヨメと喧嘩するとお互いブタ!と罵りあうところから来ているのです・・・ちょっと恥ずかしかった ブヒブヒより <(`(●●)´)>2010年06月01日00時19分 返信するRE: RE: 信じられません
私はあいにく自分の会社を持っている訳ではありませんし、こんな所で仕事に関係した名前を付けるほどの仕事人間ではありません。
元々の意味は
Iは名前のイニシャルです。
Rはリサーチです。
子供の頃に地元の鉄道が好きで趣味のサークルに入ったのですが、社会人や大学生の人達が知りたがっている現場の情報を私が調べてくることから名付けられて、そのうちIRと略されるようになりました。
今でもその人達からは、リアルであいあーるって呼ばれていますよ。
別に私が特別な情報源を持っていた訳ではなく、現場の情報だから駅員や乗務員に直接聞いて回っていたというだけですけど。
今は情報管理も厳しいし、鉄道員も子供の相手をしている余裕などないでしょうから、当時はまだいい時代だったと思います。
考えてみれば今でもタイの政府機関に直接情報を聞いて回っているので、やっていることは子供の頃と全く変わっていません。(笑)
タイの場合はそこに行かなければ信用できる情報は得られないので仕方ないのですが、昔も今もうるさい人間だということですね。
旅行関連の場面ではRはRound The WorldのRのつもりで使っていますが、これからは愛有〜るにしようかな?
でもそんなに愛のある人間ではないので。
ブヒブヒさんは、1つのブヒはご自身で、もう1つのブヒは奥さんということですね。
これこそ愛のある名前ですね!2010年06月01日13時29分 返信する -
出遅れたぁー!
師匠 こんにちは(._.)
一番手のコメントをGETお出来なかったぁー!
今回は、カンボジアということでちょっと身近に感じています。
今、自分の努めている会社で カンボジアで銀行業で出店しており
いろいろその現地で働けないかと いろいろ手をつくした時期が
思い出されます。。。 能力と機会がなかったので チマチマと日本で
労働しています。。。
次のチャンスをもちろん虎視眈々と狙ってます!
カンボジアは、住みたい国No.5で No.1はもちろんタイ!(No.2 ビルマ)師匠、カンボジアは住みやすそうでしょうか。
今回もやっぱり羨まじぃぃぃです。
RE: 出遅れたぁー! そんなこたぁアリマセンよ
いやはや、@バタヤンさん、どうもです〜♪ m(..)m
東南アジアでは「急がば回れ」「あわてる乞食はもらいが少ない」という格言がぴったりあてはまりますんで、今のうちから心がけていた方がいいかも。 まぁ、あわてない、焦らない...。
あこがれの海外勤務も現実はなかなか厳しいようですよ。 たいていの駐在員は、カルチャーショックにまずぶち当たるそうです。 現地の人を使う難しさがあって、たいていの人は「こいつら〜人はまったく使えん!」とか言い出して、ストレス貯めまくる人もいるようです。
住みやすさ、便利さからいったらタイ>ベトナム>カンボジア>ラオス>ミャンマーかな・・・。 ただ2位以下はそんなに差が無いですね。 10年後のカンボジアは今のタイと同じくらい便利になっていると思います。
今回の弾丸旅行で、すっかりカンボジアにはまってしまい、いつの日かカンボジアの地方都市にプチロングステイしようと計画しております。
閑話休題; 懇意にしていただいている音楽家の先生から な、なんと! 小生のためにテーマ曲作ってあげる、と言われ、来月くらいの旅行記事あたりから「ブヒブヒのテーマソング」、お披露目できそうです。 ホント、皆さんのお陰です。 感謝・感謝
ブタもおだてりゃ木に登る、状態の ブヒブヒより( ^ (●●)−)=☆ブッフーン♪2010年05月30日01時42分 返信する -
極乾のカンボジア、オモロかったです!!
ブヒブヒさん、こんにちは。
愛しのカンボもそうですが、「極乾のカンボジア」もビアラーオ飲みながら楽しく拝見しました。
5年前、タイヘンな事件があったんですね!?棒でいきなり首を殴打なんて。。。
こんなことされたら、いくら気を付けてようが防ぎようがないですわ。
まあでも左を見上げたおかげで顔面への直撃を避けられてよかったですわ。
オトコ前が台無しになるとこでしたねっ!
それにしてもブヒブヒさん、もう5年も前からこんな詳細なバイクでのカンボジア出入国情報を発信されてたんですね〜。エラいもんですわ。こういう実体験に基づく情報を公開してくれるのってホンマ有り難いですわ。いつかバイクでカンボジア行く時には参考にさせてもらいます。
今回ご一緒されたTさん、遺跡に興味がなくシェムリで過ごすつもりだったんですか?
なんか僕ももしシェムリ行ったらおんなじようにアンコールワットパスして町で過ごしそうなんで
親しみがわきましたわ。
次回「愛しのカンボ 弾丸旅行(2)」でシェムリの町での過ごし方が公開されるんでしょうか?
楽しみにお待ちしてます!
ではでは。カンボジアにぞっこん!
keng-kengさん、どうも〜、お疲れ様です。
あ、「極乾の〜」読んでいただいたのですか? 当時のカンボジア、かなり人が荒んでいて、バイタクの運ちゃん達に囲まれたり、アンパン吸った少年たちに後をつけられたり、ぶっかけ飯屋でボラれそうになったり・・・、かなりハードでした。 しかし今は大丈夫! 今回の弾丸カンボ旅行で確信しました。 経済が好調なせいか、本来の素朴な人たちに戻っていますよ。 人間、夢も希望も無いと荒んできますが、希望が持てる社会になれば人間って穏やかになりますね。 わし、そんなカンボに首ったけ状態ですよ。 7月くらいにまたカンボ行きますわ。 クメール語と歴史を勉強して、自分なりのテーマ見つけて・・・。 タイとの比較文化も面白いかも・・・。
T氏はご高齢にもかかわらず元気な方です。 でもカンボにも遺跡にも興味が無くて、受身的に「なんか面白いこと無いかな〜」っていう、典型的な観光旅行者のスタンスでした。 最初から全部を私に任せるっていうので、一般的なアンコールワットを予定していたのですが・・・。 でもT氏の物おじしない人柄のお陰で現地の人達と楽しく交流できました。
以前と同様これからも「時間はあるけど金が無い、でも旅行したい」人たち向けに情報発信したいですね。 4トラベルって“for travel”ってことのようですが、実際は“for tour”なんですよね。 travelという英語は trouble(苦労)から来ているって知っていました? そう、苦労のある旅行がトラベルなんです。 修学旅行なんて、なんであんな若い奴らに生意気に高い金使って大名旅行させるんでしょう? あ、脱線、スイマセン・・・。
そんなわけで「ジジイ二人 弾丸旅行(2)」は○×△に行っちゃいます。 まぁ、ボチボチアップします。
これからはカンボ専門で行こうかなぁと考えている ブヒブヒより(*'(OO)'*)ブヒ
2010年05月29日20時36分 返信するまた勉強させてもらいました
>travelという英語は trouble(苦労)から来ている
いや〜知りませんでした!そう言えば通じるものがありますね〜。
>苦労のある旅行がトラベルなんです。
確かに、苦労なしってちょっと僕には想像出来ないですわ〜。
そもそも僕は「苦労」というふうに捉えてないと思います。
何事も「いい経験」ですからねっ!おおきに!ですわ。
>「時間はあるけど金が無い、でも旅行したい」人たち向けに情報発信したいですね。
あ、これは同感です。
それと時間がない人が読んだら、時間を作って旅行したくなるような旅行記にしたいですわ。
さてさて、ブヒブヒさんとTさんはシェムリからどこへ行かれるのか?
楽しみにお待ちしてます。
keng-keng2010年05月29日22時22分 返信する -
お疲れ
ブヒブヒさんの行動力には脱帽です! 次回はどこに連れてってくれる予定ですか 自分の希望ですがアユタヤ 予定の中に入れといてくれれば幸いです パタヤに戻って来たら体のケアとバイクの点検は確実に!2010年05月29日06時40分返信するづかれまじた・・・
梅庵さん、どうもです。 度重なるご訪問&書き込みありがとうございます。
久しぶりに一人旅ではない旅行、行ってきました。 計画どおりにいかなかったし、急ぎ旅だったけれだ、充実していましたね。
例のタイ人Mが先々週マージャンやりにきたのですよ。 だから今度アユタヤの彼の家に遊びに行ってきます。 仕事も順調、嫁も子供も元気でした。
7月末か8月初旬に 4トラベラーの方々のためにパタヤでオフ会計画しています。 ご隠居もぜひ遊びに来て下さいね。
今度はラオスへも行きたくなった ブヒブヒより ( ^ (●●)−)=☆ブッフーン♪
2010年05月29日10時21分 返信する -
他の地域はどうなのでしょうか?
ブヒブヒさん、こんにちは。
反論して申し訳ありませんが、実は1つ引っ掛かることがあります。
タイに根付いているのは、ヒンドゥー教の前のバラモン教と言われていますよね。
ラックムアンがヒンドゥー教から来ているのであれば、リンガがラックムアンになったのでしょうが、その前のバラモン教から来ているのであれば、リンガとラックムアンは別系統の物ということになります。
リンガからラックムアンが生まれたのでなく、元が同じ物から来ているから同じような物になった。
例えればラックムアンはリンガの子供だからソックリなのではなく、兄弟だからソックリだということです。(変な例えですが)
もっともクメールが支配していた地域にアユタヤ朝が成立しているので、実際にはバラモン起源なのかヒンドゥー起源なのかハッキリとは判らないでしょうけど。
ラックムアンを建てた目的はヒンドゥー教を広めるためではなかったでしょうから、ヒンドゥー教から来ているのでなければ、結果的にリンガに似た物になったけど、リンガに似ていない物になっていた可能性もあったかもしれません。
今回はクメール文化の影響のある地域を回られましたが、ヒンドゥー教は全く関係なく他の宗教を信じている土地では、人々の信仰を集めるのにはその宗教に似せた方が得策ということになるでしょう。
他の地域のラックムアンはどうなっているのでしょうか?
機会があったら、ぜひ調査してみてください。
RE: 他の地域はどうなのでしょうか?
あいあ〜るさん、どうもです。 またまた貴重なご意見ありがとうございます。
私は短絡的にクメール王朝による支配→ヒンドゥー教の影響・土着信仰化→仏教伝来後もその影響が残っている→守護神としてのシヴァリンガ→ラックムアンという仮説をもとに近場を回って、やっぱりそうかとニンマリしておりました。
バラモン教がクメール王朝に伝わるまでにヒンドゥー教に変質した。 しかしタイへはバラモン教のまま伝わり、後の仏教と交わり、それがリンガのようなラックムアンになった・・・。 あいあ〜るさんの御説をこう私は理解しているのですがよろしいでしょうか。
私的にはヒンドゥー教はバラモン教の変質型、時の治世者が都合よく形を変えたものと勝手に理解していますが、その違いをよくわかっていないというのが本音です。 タイの仏教は陸路ではなく、スリランカあたりから伝播してきたようですし、昔からあるタイの精霊信仰はバラモン教の影響が強いと言われているし、王室儀礼典礼もバラモン教のものがあるらしいのであいあ〜るさんの説の方が真実かもしれませんね。 こうしたことはやはりラックムアンの設置者か仏教関係者に訊くしかなさそうですね。 ですが私のタイ語ではまず無理です。 あっ、一人日本語ペラペラのタイ人知っていますのでなんとか彼に協力してもらってこの辺の謎、探ってみます。 自己満足で終わりそうでしたが、おかげさまでより一歩踏み込んだ結論を得られそうですね。
少しずつでも宿題片付けなくちゃ、と焦っているブヒブヒより (;゚(OO)゚)ブヒイイイィィ-
2010年05月28日14時34分 返信するRE: RE: 他の地域はどうなのでしょうか?
ブヒブヒさん、こんにちは。
ちょっと違います。
バラモン教のまま伝わり他の宗教と交わらなかった(又はヒンドゥー教と交わった)から、リンガのようなラックムアンになった。
逆に他の宗教と交ったら、リンガと違った形のラックムアンになっていたかも。
というものです。
クメールとタイに伝わった宗教がバラモンだったのかヒンドゥーだったのかは知りませんが、タイがバラモンと言うのであれば、それ以前からあったクメールに伝わったのもバラモンだったのでしょう。
しかしクメールはヒンドゥーへと発展し、仏教国家であったタイは新たな教義が入らずにバラモンのまま凍結された。
と言うのはどうでしょうか?
でもよく考えてみたら、陸続きなんだから都合の良過ぎる解釈ですね。
私は宗教研究家ではないので、正直言ってバラモン教もヒンドゥー教もまた両者の違いもほとんど知りません。
タイで信仰されているのが本当はバラモン教が起源なのかヒンドゥー教起源なのかも知りません。
ただ、一般に言われている「タイの精霊信仰はバラモン教である」ことと「バラモン教が発展してヒンドゥー教になった」という説を照らし合わせると、前述のようなことが考えられる訳です。
しかしバラモン教がヒンドゥー教になったと言っても、当然ながらある時点で変わった訳ではなく、長い時間の間に少しずつ変わっていって、いつからかヒンドゥー教と呼ばれるようになったのでしょうから、どちらかに定義するのは難しいでしょうが。
ヒンドゥー教の影響の無い地域のラックムアンを調べてみて、全く違う形態の物があれば古来のバラモンからである可能性が高いし、全てリンガであればヒンドゥーからである可能性が高いのではと思った次第です。
これは北部担当の帰国を待つしかありませんね。(笑)
そう言えば、チャックリー王朝が統治していたのですから、もしかしたらラオスにもラックムアンがあるのでは?
ラオスって仏教の前の宗教は何だったのでしょうか?2010年05月28日15時27分 返信するRE: RE: RE: 他の地域はどうなのでしょうか?
あいあ〜るさん、こんばんは。
私の中ではバラモン教は紀元前から5世紀くらいまでで、それが発展継承されたのがヒンドゥー教。 時代的にクメール王朝の時にはヒンドゥー教が伝わっていた。 タイには古くからバラモン教の影響があったが、スコータイ王朝では仏教を保護し最盛期を迎える。
バンコクで初めてのラックムアンが建立されたのが1782年だそうです。 それまでに仏教がバラモン教かヒンドゥー教の教義を受け継いでいて、ラックムアンに反映した。
一神教の仏教と多神教のバラモン・ヒンドゥーは併存できなかったと思うのです。 やはり仏教がメインでバラモン・ヒンドゥーはサブの扱いだったのではないでしょうか。 日本でいう神仏融合思想のように都合よく組み合わされていたのでは・・・。 いずれにしてもラックムアンの「柱=リンガ」という結論になると思います。
ラックムアンの柱はリンガとは全く関係ないという新たな説か文献がでてきたら、それはそれで楽しめそうですね。
ちなみにタイ各県のラックムアンの写真が載っているサイト見つけました。↓
http://picasaweb.google.co.jp/lh/albumMap?uname=kolekotr&aid=5372735167480615217#map
タイ・ラオス・カンボジア・ミャンマーの仏教の違いも面白そうですね。 そうした差が人々の思想にどう影響しているのか・・・。 日本の宗教事情も知らない無神論者なのに興味を持つなんておかしなものです。 ちなみに20年ほど前、エルサレムに行っておりますから、少なからず宗教に興味があるんでしょうね。
旧約聖書やギリシャ神話が愛読書だった ブヒブヒより ゚+。:.゚ヽ(*'(OO)')ノ゚.:。+゚2010年05月28日19時35分 返信するタイには本当にバラモン教が伝わったのでしょうか?
ブヒブヒさん、こんにちは。
バラモン教がヒンドゥー教に発展したのは5世紀なんですか!
となると、私の仮説は根本的に間違っていますね。
と言うか、タイが取り入れたのは、本当にバラモン教なのでしょうか?
モン族がナコンパトムを造ったのが7世紀ですから、5世紀と言えば、タイ族はまだタイ北部にも来ているかどうかという頃ですよね?
それ以前にタイ北部か中国南部にいたタイ族にバラモン教が伝わったということでしょうか?
アユタヤ朝を建てたウートーン王はロッブリー出身と言われているようですが、仮に最初に伝わったのがバラモン教だったとしても、クメールの影響の強いロッブリーでヒンドゥー教に発展せずにバラモン教のまま残ったとは考え難いです。
またロッブリーで育った人間が、身の回りに存在しているヒンドゥー教ではなく、わざわざ800年も前のバラモン教を持ち出してきたとも考え難いですよね。
都合良く取り入れた結果バラモン教に近い内容になったとしても、それはあくまでもヒンドゥー教の一部を取り入れたのであって、バラモン教を取り入れたことにはなりませんし。
タイが取り入れたのはバラモン教ではなく、ヒンドゥー教だったのではないのでしょうか?
「タイ=バラモン」だと思っていたので、ブヒブヒさんの説に一部疑問を持ちましたが、ヒンドゥーであればブヒブヒさんのリンガ説は間違いないでしょうね。
なんだかラックムアンよりも大きな沼に足を踏み入れてしまったような。
話が飛躍してしまってすみません。2010年05月31日12時33分 返信する土着信仰とバラモン教が交わったのでは・・・
あいあ〜るさん、どうもです。 ご訪問&書き込みありがとうございます。
私も断片的な知識しかないので何とも言えませんが・・・。
バラモン教(以下B)とヒンドゥー教(以下H)は全く別の宗教ではなくB≒Hで、Bに出てくるたくさんの神々のうちシヴァ神とヴィシュヌ神が特に崇拝され教義化されたものがHと理解しております。 しかも仏教やイスラム教の影響で徐々に変質しているらしくなかなか捉えどころのない宗教ですね。 さらにタイの歴史や仏教史も必要なので、ホント、富士の樹海に迷い込んだ感じです。
他の神を一切認めない一神教に比べ、多神教は他の土着宗教に同化しやすいという特性があると思います。 ですから昔のタイの土着信仰にBが容易に入って行けたのではないでしょうか。 仏教は多神教ではありませんが割と寛容な宗教なのではないでしょうか。 タイの仏教寺院にガルーダ(怪鳥)やハヌマーン(猿)があるのがその名残かと思います。 Hならばシヴァ神やヴィシュヌ神があってもいいはずですが、2神とも強過ぎてブッダと相容れなかったのでは・・・。
ただいまカンボジアに夢中でいろいろ調べ始めております。 いずれBやHとクメール遺跡、あるいはカンボジア仏教との関わりにぶち当たると思いますので、これらをテーマに今後も旅を続けたいと思います。
今後も含蓄あるご意見・するどい指摘、お願いします。
カンボジアのガイドブック買ったわいいけど英語で苦労しているブヒブヒより `ゥ(*´(00)`)'`ゥ
2010年05月31日22時16分 返信する -
さすがスルドイですね!
ブヒブヒさん、こんにちは。
土地の精霊を祀って柱を建てる風習はバラモン教から来ているものなので、ヒンドゥー教のピマーイ遺跡に通ずるものがあるというブヒブヒさんの推測は、当たっているかもしれませんね。
これはあくまでも私の憶測なのですが、タイ語における「ムアンの中心」と言うのは、精神的な意味も加味してのことではないでしょうか?
一般家庭や会社などで柱を建てて土地の精霊を祀っている祠は、通常は敷地の端にありますよね。
そう考えると中心になければならないという考えは特に無いように思います。
もしも中心である必要があるのなら、日本の神棚のようになるでしょう。
またラーマ1世が建てたタイの(と言うかチャックリー王朝の)ラックムアンも、確かに今は広いバンコクの中心にありますが、本当に最も重要視されたのはおそらく王宮とワットプラケオが建てられた場所で、ラックムアンがある場所はその敷地の端と見ることもできます。
その同じ場所にラーマ4世がもう1本柱を建てているのも、単に場所的な中心という意味だけでしたら、老朽化により建て替えることはあっても、2本目を建てる必要は無いでしょう。
多くの県や町のラックムアンは町が形成された後から建てられているようですから、「ここが○○町の中心ですよ」なんて記念碑的にわざわざ建てられたと考えるよりは、他に政治的な狙いがあったような気がします。
例えば民衆に対して町のシンボルとして崇めさせて、統治しやすくするというような。
ラックムアンの英語がいつ作られたのか知りませんが、必ずしも町の中心にある訳ではないし、建てられた背景も知らないイギリス人が、外見から「市の柱」と訳したのではないでしょうか?
もしも日本語が「市の中心」だったら、日本橋の国道の基点のような場所を想像するかもしれませんし、ガイドブックなどで紹介するのにも紛らわしいので、結果としては「市の柱」で良かったような気がします。
これはあくまでも私の何の根拠も無い憶測(妄想?)です。
当たっているか外れているか、ぜひ解明してください。
それにしても原付バイクで1日380kmとは凄いですね!RE: さすがスルドイですね!
あいあ〜るさん、どうもです。 ご訪問&書き込みありがとうございます。
やはりあいあ〜るさんもそのようにお考えですか。 2チャンネル風にいうと 激しく同意 であります。 まだラックムアン4つしか見ていないのですが、どれも町中から外れたところにありました。 ですから場所の中心とか2次元世界の中心ではなく、「市民の心の拠り所」といった3次元的な中心の意味でしょうね。 5月23日のここの掲示板、「バイク旅(5)の予告」↓でも書いたのですが、「中心」はヒンドゥー教の宇宙観に基づいているのではないかとなんとなく思っています。
しかしこうした我々の仮説も、ここまでしか検証できないと思っています。 昔の文献を読み、フィールドワークによって検証し、専門的な理論体系を構築するのは私には無理だと思っております。 ですが興味深い旅のテーマとして今後も見続けたいと思っています。
ちなみにバイクは110ccでかなり馬力があり、最高時速110キロくらいでます。 こんな実用バイクでも長距離走れるほどタイの道路事情が良いという点に注目してください。 タイ経済はこうしたインフラが整っているゆえに発展してきたのですね。 実は今夕、カンボジアから帰ってきたのですが、主要道路が完全舗装され、ポイペット→シェムリアップ間がバスでたったの3時間! 昔は順調に行って6時間、下手すれば8時間以上かかっていたのですからスゴイ進歩。 カンボジアもどんどん経済発展していきそうな予感! その分、素朴さが失われていくでしょうから、行くなら今だ!
タイの田舎もカンボジアもラオスもだ〜い好きな ブヒブヒより ( ´(00)`)ブヒ2010年05月27日22時56分 返信するRE: RE: さすがスルドイですね!
ブヒブヒさん、こんにちは。
なぜだか(3)を最初に見て、次にこの(1)、そして先ほど(2)→(4)と拝見して参りました。
タイの幹線道路が日本よりも良いことは認識しています。
(そう言えば以前誰かの質問にそう答えたような)
でも380kmと言ったら、東京〜名古屋間ですよ!
いくら道路事情が良いと言っても、決して楽ではないでしょう。
東名を東京から名古屋まで走るようなものですから。
ポイペット〜シェムリアップが3時間ですか!
6年か7年前くらいに行った時には、途中から未舗装の穴だらけの道でした。
アランヤプラテートを朝出て、国境越えにだいぶ待たされたこともありますが、シェムリアップに着いた時にはもう暗くなっていました。
今ならバンコクを朝出れば、明るいうちにシェムリアップに着けるということですね。2010年05月28日12時23分 返信する感覚がマヒしているかも・・・
愛あ〜るさん、早速の返信、ありがとうございます。
そうなんですか〜? 自分的には雨さえ降らなければ200キロ位の道程(約5時間)だと楽勝! 400キロ以上だと移動だけで一日が終わってしまう・・・って感じですかね。 確かに初めのころはパタヤ→アランヤプラテート間260キロ、大変に感じましたが、今はちょっとそこまで、みたいな感覚になっていますね。 よく知っているルートだと、電車やバスの車窓から外を眺めているような感じで走っていて疲れません。 感覚がマヒしてきているのかもしれません。 今度パタヤ→ノーンカーイ間650キロ(多分15時間くらい)、一日で走ってみようかな・・・。
できるだけ早くアップしたいと思いますが、びっくりするほどカンボジア、移動が楽になりましたね。 タイの田舎同様、カンボジアもガイドブックに載っていない所へ行ってみたくなりました。 まずは最低限のカンボジア語、なんとか習得したいですね。
天気の良い日はバイクで走っているだけで幸せ感じる ブヒブヒよりヽ^(・(●●)・ )^ノ ブヒヒヒヒヒ
2010年05月28日13時13分 返信する -
ブヒブヒさんカメラマン
ブヒブヒさん今晩は
ブヒブヒさんこんな写真写してるの、と思ったら、違うんですよね、まずは一安心。
でも強制排除で死者も出てしまい残念です。とりあえずバンコクは静かになったようですが、これでは赤シャツ組には何のメリットも無かったように思え、もっと怖い事が起きなければと、心配です。
こんな事なら十一月選挙の提案を呑んでいた方が良かったのではと考えるのは、素人考えですかね。
bota
Y氏の写真です・・・
botaさん、どうもです。 ご訪問&書き込みありがとうございます。
これらの写真提供してくれたのは、友人のY氏。 日本での仕事休んでバンコクに飛んできて、UDDの集会に突撃取材。 軍の銃撃にさらされ、一晩隠れていたことも・・・。 私はと言うとエアコンの効いた自室でコンピューターとテレビ見ながら彼からの報告を待っているという編集長気どり。 本当にY氏には感謝しても感謝しきれません。 私の師匠の一人(たくさん師匠が居るんです)もbotaさん同様、勘違いして、「そんな危ないことするな!」と心温まる叱責受けました。 感謝感謝・・・
強制排除、政府公表の死傷者数よりもっとたくさん居ると言われています。 いずれにしてもタクシンは選挙で勝ってもタイには戻ってこれないと思います。 そうなると彼も私怨を晴らすため、なりふり構わず来るでしょう。 一番お金がかからず効率的に現政権を混乱させる方法・・・、考えたくないのですがゲリラ戦法やテロ。 バンコクや観光地で爆弾騒ぎでもあろうものなら、観光客はもちろん外国からの投資も激減。 って、パタヤ危ないじゃん! なんとか穏便に解決してもらいたいものです。
結果論ですから何とも言えませんが、11月解散総選挙案を呑んでいたら混乱が長期化、増大化していたかもしれませんねぇ。 やはり強制排除しかなかったような気がします。 しかしあのアピシット首相、若いけど我慢強く、理路整然とした主張、確かな実行力、たいしたものです。
今後も注意深くタイの動向見守っていきたいと思います。
人の多く集まるところへは行かないぞ、と決意した ブヒブヒより( ´(00)`)y-~~
2010年05月27日22時14分 返信する



