tomozow40さんへのコメント一覧全4件
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広州
tomozow40様、こんにちは。
広州で私もトラブルが発生。
1992年10月ですが、その当時、バンコクにアパートを
借りており、バンコクから香港経由で広州に入りました。
香港の重慶マンション内のゲストハウスを朝、チェックアウトし、
たしか、広州東駅?から広州駅に着いたのが、昼過ぎだったと
思います。それで、広州駅前の広場が人民たちで埋め尽くされて
いるではないか・・・
宿を探し始めましたが、どこに行っても、「没有」。
「没有」の嵐で、日も暮れ、一時は野宿も考えました。
たまたま、日本人旅行者と知り合い、
プラカードを持った客引きに誘導され
広州駅前からマイクロバスに乗せられ、1時間以上走り、
宿に到着。もう午前1時でした。
次の日、彼と路線バスで広州駅へ行きましたが、
駅に到着後、彼の財布がスリ被害に遭っていました。
広州も大都会だし、気を付けなければいけませんね。
あっ、このネタ、後日、旅行記で使うかも。(笑)
somtam
RE: 広州
somtamさん、こんばんは〜
海外で宿が見つからないのはかなり焦りますよね。鄭州で予定していた列車に乗れなかった時、駅前にあった旅舎をいくつか訪ね歩き、何軒も断られてやっと一軒、泊めてくれるところを見つけた時の嬉しさは、今も覚えています(笑)
昔々の中国旅行は、「マジ、ヤバい」という出来事が
続発してましたよね。それをすり抜けるたびに人間がデキていくという(笑)
にしても、
> 香港の重慶マンション内のゲストハウスを朝、チェックアウトし、
重慶マンションに泊まられたんですね。『深夜特急』の世界ですねぇ〜。
1992年ということは、九龍城がまだある頃ですね。もしかして、九龍城も見ましたか?
啓徳空港も懐かしいです。生まれて初めて降り立った海外の空港が、啓徳空港でした。2013年11月02日22時57分 返信する -
西安
こんばんは。
体育館(ドーム)のような兵馬傭坑は、
私が行った1986年と変わっていませんが、
ガラスケースの展示物は、あまり覚えていません。
ガラスケースは、私が行った当時から整備展示されていたのか、
それ以降かは、わかりません。
それにしても、中国の近代化のスピードは、はやい。
世界史が大好きな妻を西安に連れて行きたいですが、
私が放浪の旅で行って頃と比べ、様変わりしているでしょうね。RE: 西安
こんばんは〜(^O^)
本当に中国の近代化のスピードは速いですね。
鄭州や北京、広州を再訪した時は、その変化に驚きました。
奥様は世界史が大好きなんですね。それは、西安は魅力的な街に違いありません。私も、「今、西安の街に立っている」というだけで妙に興奮しました(笑)
お互い、若い時に中国ですれ違っていたら面白かったでしょうね(笑)
2013年10月26日01時10分 返信する -
怒り噴騰ですね。
初めまして。
敦煌のコラムを拝見して、いやあ、共感する所ばかりで、
逆に夜中に笑っちゃいました。
兎に角、商売をしている(いや、何かの手段でお金を得ているだけ)
輩は、簡単にモノを考えすぎで、本当の商売が判っていないんですよね。
長い目で見てないから、ドンドン観光産業が低迷して行くんです。
(土産物を買う人が、年々減ってみんなで傷の舐め合いです。)
それに比べて、普通に生活している人たちの純朴な事。
このギャップが無くならない限り、はっきり言って、敦煌は昔の
良い観光地には戻れません。
中には頑張っている人も、ちょっぴりですが居るので残念です。
あ!(--;このギャップが、悪い方に偏ったらどうしよう・・・
それと、鳴沙山、とうとう大台に乗っちゃいましたか。
昨年、一昨年は80元キープでした。
これで莫高窟に続いて、門票100元の仁王様ですね。
この収益が敦煌市に入れば、変な考えは経るのかも知れませんが、
残念ながら両方とも「甘肅省」に入るんだそうです。
こまRE: 怒り噴騰ですね。
こまちゃんさん、カキコミありがとうございます。
と言っても、あまりにお返事が遅くなってゴメンなさい。
物価と観光地価格の差は大きすぎますよね。
しかも、あれだけ外国人から巻き上げているのに、敦煌にはお金が入ってきていないとは…。なんとも矛盾に満ち満ちたシステムですね。
でも、後で考えてもいろいろ含め、敦煌は実に魅力的なところでした(笑)。人の素朴さもいいし、お食事も安くて結構美味しかったし。
夜市も楽しかった。何より、素晴らしい遺跡の数々。
莫高窟にはもっと何度も入って、いろいろな部屋を観て回りたかったです。入場料だけでなく、特別観賞(?)もとてつもなく高かったなぁ。
あの砂漠をもう一度見られるのはいつになることやら。
2007年01月10日23時14分 返信する



