2006/08/17 - 2006/08/27
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tomozow40さん
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子連れ(7歳娘)を連れて自由旅行に繰り出しました。
珍道中の数々をご披露いたします。
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- 中国東方航空
-
18年ぶりに中国を旅行してきました。
18年ぶりの中国はすっかり経済成長を遂げ、驚きました。
私が初めて中国を訪れたのは今から18年前の1988年、天安門事件の1年前になります。
当時の中国は、ちょうど1950年代から60年代初めの日本という感じ。
資本主義経済の申し子とも言えるような生活を送っていた私にとっては、そんな中国のライフスタイルがある意味斬新に感じられました。
今の中国は二分されていると聞きます。都市部で生活する人たちは、先進国と同じような生活を送り、地方では20年前の同じような生活が送られているとか。
今回、西安と敦煌を訪れました。
確かに西安の目抜き通りに並ぶデパートは日本の同様の品揃えです。ロードサイドには、家具や日用品の量販店が並び、道行く人たちのスタイルも日本人と全く同じです。
何より今回の旅行でいちばん驚かされたのは、人々にたくさんの笑顔が見られたこと。18年前の中国ではほとんど笑顔が見られなかったのです。
デパートやレストランでさえ、サービス業に欠かせない笑顔はなく、みんな怒ったような不満そうな表情をしていました。
それから、当時は街中には庶民が気軽に入れるようなレストランは少なく、たまにあっても客は外国人から一部の裕福層だけという状況でした。庶民がよく利用する街中の食堂に入れば、恐ろし粗末でまずい食事があるのみ。街の食堂でラーメンを頼んだら、汚い食器にお湯味に少々の塩味がするモサモサしたラーメンが出てきたこともありました(笑)。このラーメンは、一杯10数円程度だったと記憶していすま。
家族や友人同士で誘い合わせて美味しい料理をレストランで食べるなんて楽しみは、当時の中国人には叶わなかったんですねぇ。
レストランも8時ごろには早々に店じまいしてしまうような状況だったので、私たち旅行者は、日も暮れ出すと急いで数少ないレストランを探し出さなければならなかったのです。
同じアジア人でありながらお洒落な洋服を身にまといこぎれいにしている日本人は中国人の妬み、憎しみの対象で、そんなひがみの感情が嘲笑という捻じ曲がった方向で発揮されて、嫌な思いをたくさんさせられました。
しかし、今回の旅行ではそんなことはいっさいなし。あるわけありません。今の中国人は日本人
をひがむ必要ありませんからね。
レストランは街中いたるところに溢れ、日本より遅い時間まで営業していますし、美味しいお店は常にお客さんで賑わっています。飲食店意外でも、洋品店や露天なども、日本より遅い時間まで営業しているので、ナイトライフがかなり充実しています。
働ければ働くほど自分の生活を豊かにできる。稼いだお金で新しい知識や技術を習得したり、お洒落をしたり美味しいものを食べたりと、そういうことが実現できたときに、中国人は笑顔でいっぱいになったのかもしれないですね。
一方でこの状況が貧富の差を生み、持てる者と持たざる者の差を生み出しているのもまた事実のようです。
しかし、しかしですね、野心がある人もない人も、努力する人もしない人も、みんな平等に痛み(貧しさ)を分かち合って、国民のほとんどか鬱屈していた当時の中国を私はこの目で見ていますから、努力をした人がそれだけ報われる今の中国の方が、個人的には好感が持てるし好きです。ちろんいちばん良いのは、個人の努力が正当に評価される一方で社会的弱者も救済できる社会だと思いますが、これは今の日本でも難しい状況になっていますよね。
18年前の中国にはものすごいエネルギーが渦巻いていましたが、そのエネルギーを発散する場所、エネルギーを活気へと結びつけることができなかったのです。今では熱気が活気となり、街中、ひいては国中が、スゴい活気に満ち溢れています。
正直、9日振りに日本に帰ってきて、自分たちが住むこの松戸市を「寂しい」,あるいは「寂れている」と感じました。敦煌の街は夜0時を過ぎても夜店に露天が並び、人々が酒盛りして盛り上がっています。「ゆとり」とか言ってないで、私も含め日本人はもっと勉強し、働かなければならないんじゃなかろうか?(笑)
当然のことながら、その一方で中国にはたくさんの矛盾もあります。
西安の目抜き通りは日本と同様、いえ、それ以上に大きく近代的なビルが並び、最先端の商品が満ち溢れて、お洒落な人々が闊歩していますが、裏通りに一歩入ると薄暗く、ゴミが散らかっています。なんと、ビルの住人がゴミを通りに投げ捨てるんです。これを目の当たりにしたときは、正直驚きました(笑)。このせいで、裏通りはそれはそれはひどいことになっているのです。ゴミ捨て場の中で人が生活しているとでもいいのか…。
この、「表」と「裏」の落差もなかなかスゴいものがありました。
交通事情もまた、18年前と変わらないようです。庶民が鉄道の切符の予約を取ろうとした場合、一ヶ月先は当たり前。外国人でも最低3日前じゃないと切符は取れません。だから、中国の主要駅前は切符を取るために並ぶ人々で常に埋まって身動きもままらないような状態です。
こんな事情もあり、今も昔も、中国を個人旅行で鉄道を使って旅行するのはなかなか大変なことなんです。今回の旅行では鉄道は使いませんでしたが、人々でごった返す西安駅前を見て、「もう一回この中に入って切符の予約を取り、目的の電車を探し出して乗り込むことができるだろうか?」と自問自答してしまいました(笑)。
世の中全体が未だシステマテックに動いていない。
ハードは立派なのにソフトが追いついていないというか、これが今の中国の一面でもあります。
写真は上海浦東国際空港から乗り換えのとき撮影したもの。 -
コラム2「砂漠は続くよ、どこまでも」
シルクロードを知ったのはたぶん中学生のとき。
「シルクロードに行きたい」と思ったのは20歳前後のときだ。
ご多分にもれずNHK特集の『シルクロード』を観てから、かの地に憧れ始めた。
喜多郎の奏でるあのあまりにも有名なテーマ曲が流れる中、タクラマカン砂漠をひた走るジープの映像を観たとき、「あそこにこの足で立ってみたい。実際にこの目で見てみたい」という思いに取り付かれたのだ。
いや、もっと正直に言うと、高校の卒業文集でクラスメートが書いた一節が心に残って、それに触発されたのかもしれない。その同級生は、「私はシルクロードに絶対に行く!」と文集の中で宣言していた。そんな同級生の強い思いに心打たれたところがあったように思う。共感したというか、私の思いを代弁してくれたというべきか。
その後、彼女がこの夢を果たしたのか確かめる術は今のところない。その人とは、特に親しい間柄ではなかった上に、私は高校の同窓会というものに参加したことがないからだ。
18年前に初めて中国を旅行したときも、当然、シルクロードまで足を伸ばしたかったが、さまざまな事情で諦めた。今回の旅行では、そのとき果たせなかった思いを18年後に実現したことになる。
西安から飛行機で2時間半。敦煌は、砂漠の真っ只中にあるオアシスだ。
飛行場から飛行場にピンポイントで移動してしまうと、自分が今、砂漠の真っ只中にいるということを認識しにくい。しかし、一歩敦煌を離れてみると、そこがやはり砂漠の真っ只中であることに気がつく。
タクシーをチャーターして敦厚郊外の観光地を回ることになった。
敦煌太陽大飯店を出発してからわずか20分程度で、すでにクルマの外の景色は様変わりする。
どこを見渡しても、砂、砂、砂。荒涼とした砂漠の中を一方の道が果てしなく続いているのだ。
私の隣で夫が、「スゴい景色だな…」と呟いた。
行けども行けども、砂漠が続く。それはまるで永遠に途切れることがないように。
砂漠の向こうに見える山脈のシルエットは、あの天山山脈だという。
突然、運転手が日本語で「しんきろう」と言った。
それは、生まれた始めて見た蜃気楼。はっきり見えるこの光景が幻であるなんて、実際に目にしているだけに信じがたいものがある。
今回の旅行で私がいちばん感動したもの。それは、遺跡でもなく絵でもなく土器でもなく仏像でも歴史的建物でもなく、「砂漠」だった。
私がいちばん観たかったのは砂漠だった。
タクラマカン砂漠をこの足で歩いてみたかったのだ。 -
コラム3「敦煌は交渉社会」
敦煌の物価は日本並みに高い。
たとえば、敦煌の有名な観光地「鳴沙山」では、まず入場料の100元(1,500円程度)を払う。「鳴沙山」は、敦煌市街から南へ5KMのところにある広大な砂の峰だ。入り口から砂の峰、それから月牙泉まで結構距離があるので、観光客はトロリーバスかラクダ、あるいは馬に乗って目的地まで行く人がほとんどである。ところが、ラクダ代金はひとり80元(1200円)も取られる。麓に到着すると、峰まで昇るために足袋を履かなければならない。この足袋のレンタル料金まで取られるのだ。ジュースは一本10元(150円)もする。ジュースの市価は2元から3元である。これらを合計すると、「鳴沙山」を観るために日本円で6000円以上のお金を使ったことになる。あり得ない!
大げさな話でもなんでもなく、敦煌では遺跡・名所の中だけ物価が10倍程度に跳ね上がるのだ。
悲しいことだが遺跡・名所の中では料金の交渉ができない。全てにおいて市価の10倍程度払わせられる状況に、かなりイライラした。「アホな日本人からせびるだけせびってやれ」という根性が丸分かりだったからである。
そんな私のイライラ、怒りの矛先が、タクシーの運転手に向いていったのもいたし方ないというべきだろう(笑)
敦煌のタクシーは交渉で価格が決まる。ほとんどのタクシーにはメーターがあるがあまり活用されているようには思えない。
敦煌空港から敦厚の中心地までハイウェイ料金を入れて片道20元から25元くらいが相場らしい。敦煌中心地からあの有名な「莫高窟」まで片道で25元から30元程度。しかし、彼らは平気で50元とか60元とかふっかけてくるのである。
「鳴沙山」から利用したタクシーの運転手は、いきなりメーターを倒さなかった。その場で文句を言って倒させる。さらに、ホテルについて10元を払ったら、「おつりがない」とか「10元受け取っていない」とかなんだかワケのわからないイチャモンをつけてきたので、「鳴沙山」で散財した憤りも手伝って、日本語で思いっきり怒鳴りつけてやった。運転手は、ものすごく不機嫌になりながらきちんと3元のお釣りをくれた。わずか45円程度でくだらないと思うかもしれないが、1元で妥協する人は100元でも妥協してしまうことになる。これが敦煌という街の怖さだ。
莫高窟にタクシーで行ったときも、相場は25元から30元程度だろうに、60元とか50元とか大口を叩いたので、またまた日本語で怒鳴りつけて30元でなんとか決着をつける。いや、怒鳴りつけただけでなく、お説教まで始めてしまった。「称如行正当商売」(!!)とメモ帳に書いてその運転手にたきつけてやったのだ。「通じているワケないだろう」と夫は言うが、そんなのどっちでもいいのである。私の気が済めば(笑)。
最後の最後、ホテルから敦煌空港に行くときも、空港まで50元とか言うので30元で交渉した。「30元なんてあり得ない」というので(たぶん)、立ち去る振りをしたら、渋々ぶそれでいいということになったが、最後まで運転手は非常に不機嫌だった。「どうせ下げるなら、初めから適正価格を提示すればいいのに」と夫は言う。甘いのである(笑)。交渉しない外国人(主に日本人だが)いる以上、取れるところから取りまくってやると、彼らは思っているのである。
しかし、私が相場まで料金を下げると、とてつもなく失礼な日本人という態度を取られたものだ。というか、「日本人のくせに値引きなんかしやがって」という感じかもしれない(笑)
失礼千万なのはアンタたちの方である。
私は気の弱い大人しい性質の人間だが、ヘンに正義感の強いところがあり、さらにいざとなるとそれはそれは怖い人に変貌してしまうらしい。敦煌では狼男のように何回も変身しなければならなかった(笑)
上背もあり、強面な私が本気で怒ると、中国人たちも結構ビビっていた。これまでそうやって優しい日本人からたんまりお金をだましとっていたのだろう。いい気味である。
交通費ではシビアな態度を取ったが、夜市では値引き交渉を楽しんだ。主要交通手段がタクシーしかない敦煌では、タクシーとの値段交渉は死活問題だが、商品は別に買わなくてもいいわけでこちとらも余裕があるのだ。
もともと値引き交渉なんて得意な方ではないのだが、やればやったで結構面白い。
値引きのコツを伝授すると、まず、「落としどころ」(下げたい価格)の目星をつけて、それより安い価格から、最終的にその価格まで交渉をつめるということになる。言葉でいうと簡単だが、この「落としどころ」をどこに設定するかが難しいのだ。滞在して2日目ぐらいで、敦煌では提示価格の1/4程度が適正価格だという風に感じられた。しかし、なかなか最初はうまくいかなかった。交渉力が身についたのは、敦煌に入って4日目ぐらいである。
たとえば、夫がお土産にペーパーウエイトを購入した。ひとつ20元というのがお店の人の提示した額である。正直、日本の100円ショップで売っていそうな代物であった。となると、ここが物価の高い観光地ということを差し引いて考えても7元より安く手に入れなければ話になんないということになる。それで、ひとつ5元で交渉してみた。5元といえば75円程度。それでも高い。たぶん2元程度が妥当という気もするが(笑)、まあこのくらいが落としどころという感じである。実際、この価格で落とすことができた。これは日本人にしてはかなり安く購入できた方らしい。話にならないくらいの低価格で押し切ろうとすると相手が怒って交渉決裂してしまうので(やりすぎたことも何度かあった)、落としどころをどこに持っていくかが鍵になる。そう、値引き交渉は、知恵比べ、根気比べ、駆け引き能力が問われる難しい作業なのである。いちばんいいのは、適正価格よ理若干安い価格で相手をおだてながら納得させることだろう。しかし、これはもう神の領域(笑)。値引きの才能がなければ難しい。私にはそこまてできなかった。
日本のように暗黙の了解社会の中で暮らしていると、何かを購入するたび、サービスを利用するたびに交渉することがかなり煩わしい。しかし、交渉せずに言い値で受け入れていると、まるでハゲ鷹が屍に群がるかのごとくよってたかって身包みはがしにかかるので、外国人にとって敦煌は怖い街である。そういえばアラブ諸国も交渉社会だと聞く。いや、欧米諸国だって基本的には交渉社会だろう。暗黙の了解で、多くの人がルールに従って行動するというのはある意味少数派なのかもしれない。
どちらにしても、このように嫌な思いをしたくない、交渉なんて面倒くさいという人は、ツアーで旅行がお勧めできる。フリー旅行はそれなりに大変だから。実際、私も敦煌では闘ってばかりで結構疲れた(笑)
写真は悪名高き「鳴沙山」のラクダ(笑)。
値段が高いのは腹が立つが、「鳴沙山」でのラクダ乗りは得がたい経験というのも本当。
『アラビアのロレンス』で感動したあの光景が広がっている。
ピーター・オトウールは優雅にラクダを乗りこなしていたが、実際には、よく揺れるしお尻は痛いし、気も荒いので急に暴れ出したりと、ラクダは結構怖い「乗り物」なのだ。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- こまちゃんさん 2006/10/16 06:43:15
- 怒り噴騰ですね。
- 初めまして。
敦煌のコラムを拝見して、いやあ、共感する所ばかりで、
逆に夜中に笑っちゃいました。
兎に角、商売をしている(いや、何かの手段でお金を得ているだけ)
輩は、簡単にモノを考えすぎで、本当の商売が判っていないんですよね。
長い目で見てないから、ドンドン観光産業が低迷して行くんです。
(土産物を買う人が、年々減ってみんなで傷の舐め合いです。)
それに比べて、普通に生活している人たちの純朴な事。
このギャップが無くならない限り、はっきり言って、敦煌は昔の
良い観光地には戻れません。
中には頑張っている人も、ちょっぴりですが居るので残念です。
あ!(--;このギャップが、悪い方に偏ったらどうしよう・・・
それと、鳴沙山、とうとう大台に乗っちゃいましたか。
昨年、一昨年は80元キープでした。
これで莫高窟に続いて、門票100元の仁王様ですね。
この収益が敦煌市に入れば、変な考えは経るのかも知れませんが、
残念ながら両方とも「甘肅省」に入るんだそうです。
こま
- tomozow40さん からの返信 2007/01/10 23:14:26
- RE: 怒り噴騰ですね。
- こまちゃんさん、カキコミありがとうございます。
と言っても、あまりにお返事が遅くなってゴメンなさい。
物価と観光地価格の差は大きすぎますよね。
しかも、あれだけ外国人から巻き上げているのに、敦煌にはお金が入ってきていないとは…。なんとも矛盾に満ち満ちたシステムですね。
でも、後で考えてもいろいろ含め、敦煌は実に魅力的なところでした(笑)。人の素朴さもいいし、お食事も安くて結構美味しかったし。
夜市も楽しかった。何より、素晴らしい遺跡の数々。
莫高窟にはもっと何度も入って、いろいろな部屋を観て回りたかったです。入場料だけでなく、特別観賞(?)もとてつもなく高かったなぁ。
あの砂漠をもう一度見られるのはいつになることやら。
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