アーカート城 Urquhart Castle
城・宮殿
3.34
施設情報
クチコミ(16件)
インバネス 観光 満足度ランキング 1位
3.34
- アクセス:
- 3.17
- 公共交通機関の乏しいハイランド。ネス湖西岸南から2/3くらいの地点にあります。 by Salaamさん
- コストパフォーマンス:
- 3.72
- インヴァネスからのバスツアーは14ポンドから46ポンドまで色々あり、46ポンドのツアーは大変充実した内容で、大満足でした。 by porculsさん
- 人混みの少なさ:
- 3.55
- 参加時は人は多かったですが、お城の見学は屋外なので特に問題はなさそうで、ビジター・センターだけは当時は混雑していました。 by porculsさん
- 展示内容:
- 4.13
- 展示物より、廃城となった、スコットランドの愛国の悲しい歴史の象徴の城壁と、その前に広がるネス湖の存在だけで十分でした。 by porculsさん
1~15件(全16件中)
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ネス湖のほとりの城としてその名を馳せます。
- 4.0
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
- 1
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とても印象的なスポットです。
- 4.0
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
- 0
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湖畔に佇む城跡
- 4.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 0
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ネッシーを見に来る観光客と、愛国の悲しい歴史に涙するスコットランド人と…
- 4.5
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 0
スコットランドに旅行すると決まって、真っ先に調べたのが、ネス湖とそのほとりにあるアーカート城でした。中年以上の日本人なら、... 続きを読むスコットランドに行ってネス湖に行かない選択肢はない?というくらい、昔、テレビでネッシー(恐竜)の刷り込みがされているためです(笑)。なので、行く前の私は「アーカート城」というより「ネッシー」で頭がいっぱいの軽薄な気持ちでした。ところが現地に着いてみると、廃墟のような大きなお城・アーカート城の威容と、えも言われぬ亡霊のような気配に圧倒されました。ビジター・センターの展示や、お城のあちこちの説明板などを読んでいると、スコットランドの人にとって、そこは「ネッシー」などではなく、独立をかけてイングランド軍と闘い、敗れた痛恨の地であり、多くのジャコバイト(愛国者)たちが血と涙を流した場所なのでした。ネッシーと浮かれているのは観光客だけなのでした。帰りはネス湖からネス河を船でクルーズしましたが、そのガイドのおじいちゃんも、道すがらずっと、ジャコバイト愛国の歌を歌って涙を浮かべていました。スコットランドは、霊感ゼロの私でも何度もざわざわざわ…と何かを感じたほど、スピリチュアルな土地ですが、特にインヴァネスからネス河~ネス湖にかけてはその気配が濃厚でした。(私は見ていませんが、ドラマ「アウトランダー」が好きな方にはたまらない場所だと思います。アーカート城のショップでもアウトランダーグッズを売っていました。)敷地は広大なので、すごく歩くし、急な雨などで泥道を歩く可能性もあり、お城の朽ちかけた狭い螺旋階段を登るのは足元がおぼつかなくて怖いし、靴はスニーカーがお勧めです。ヒールは絶対やめた方がいいです。ちなみにネッシーは見られませんでしたが、広い広いネス湖には、そういう未知の生物がいてもおかしくないような雰囲気はたっぷりでした。
ネス湖に行くには、インヴァネスという街を拠点にするのが便利で、そこから「ジャコバイト・ツアー」という現地ツアーに参加すると、インヴァネスからバスで(コースによっては途中で古代遺跡に立ち寄り)アーカート城とネス湖に行って、ゆっくりと見学できる自由時間があり、帰りはネス湖からネス河を、船でクルーズしてインヴァネスに戻ります(充実したツアーです)。 閉じる投稿日:2020/10/26
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ネス湖ツアーのセット
- 4.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 0
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ネス湖クルーズ時に湖から見学。
- 3.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
- 1
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アーカート城
- 3.5
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 0
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ネス湖から眺める城
- 4.5
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
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夕暮れが似合う廃墟の城
- 4.0
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
- 0
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絶景でした!!
- 4.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
- 0
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アーカート城はネス湖クルーズで
- 4.5
- 旅行時期:2014/02(約12年前)
- 1
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ネス湖岸に建つお城
- 3.0
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
- 0
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ネス湖畔にたたずむ廃墟の城
- 5.0
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
- 0
ハイランドの反乱を鎮圧したアレクサンダー二世から1228年、腹心のダーワード一族はアーカート周辺を領地として与えられ、アー... 続きを読むカート城を築いた。アーカート城は14世紀後半からは、ハイランド西部に勢力を張り「島々の君主」を称したマクドナルド一族と、統一を進めようとするスコットランド王家の抗争の舞台となった。マクドナルド一族はイングランドと同盟し、1545年の「大襲撃」まで実に150年もの間抗争を繰り広げるが、これも「大襲撃」を最後に終わりを告げる。1644年最後の城の住人となったメアリ・グラント夫人がプロテスタントによって追放されると、城は急速に荒廃した。後に城を修復しグラント・タワーを建てたグラント一族は、17世紀のジャコバイトの攻撃から城を守りぬいたが、ジャコバイトの手に落ちるのを恐れ1692年に城を爆破し、再建されることなく今日も廃墟のまま残っている。
本数は多くないが、市バスで行ける。丘の上からズーム付きのカメラで撮影できるので、入場料を払う必要はないと思う。
なお読みは「アーカート」が正しい。 閉じる投稿日:2015/02/09
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ネス湖に浮かぶアーカート城は緑の中にも浮かぶ
- 5.0
- 旅行時期:2011/06(約15年前)
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個人で行くことも考えましたが、結局ジャコバイト社のツアーを選択しました。
申し込んだのは、テンプテーションで、ミニバスで... 続きを読むクランズマンハーバーまで行き、アーカート城までクルーズ、城に入場見学した後、ミニバスで帰ってくるというツアーです。
ツアーバスはバスステーションから出発。ここでバスに乗ったのは私一人。キャンセル?と不安になりましたが、途中、橋の近くのバス停で数人の乗客が乗ってきました。
クルーズ船にはツアーバスの乗客だけでなく、他のツアーや個人の人も同乗するようでした。観光客の国籍、人種はさまざま。
クルーズ船は、ハイランドの重々しいイメージ通りのネス湖を進んでいきます。
アーカート城が見えてきた時には、船の乗客は総立ちで撮影に夢中です。
ネス湖に浮かぶアーカート城は、夢にまで見た城そのものでした。
陸に上がりアーカート城を見学。緑の中に廃墟が浮かびます。湖の青さと自然の緑、人の手になる廃墟の対比が、しみじみと心に沁み入ります。
アーカート城見学の後は、一番上にある駐車場に集合してインヴァネスに戻りました。
長年の夢がかなった日でした。
閉じる投稿日:2013/11/24
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セピア色の思い出:北に向かう道は湖と古城が続き、300kmを走り、陰鬱な印象を見せたネッシー伝説のネス湖とアーカート城址に至る。
- 4.0
- 旅行時期:1978/08(約47年前)
- 8
≪スコットランド・ネッシー伝説のネス湖とアーカート城址を訪れた。≫
<1978年夏の休暇・イギリス旅行>
1978... 続きを読む年8月5日(土)~19日(土)の15日間
9日目の8月13日(日)、曇り
グラスゴーを発って、A82でさらに北西23kmにある、澄み切ったLoch Lomondロック・ローモンド湖(ロッホともいう。淡水湖であり、長さは39km、幅は8km)を横に見て、A83に進みLoch Fyneファイン湾(長さ65kmの細長い湾)のインヴァレリー橋(右下の写真)が見える場所に至り、小休止して写真を撮った。ファイン湾に面して立つInveraray Castleインヴァレリー城(Duke of Argyllアーガイル公爵家の城、1746年築城)が遠望できる。
立派なインヴァレリー城を素通りして山間に入り16km 先のA819とB840が交差するCladichクラディックで道端に停車し、Loch Aweアヴェ湖を見下しラーメンを食べた。
旅も後半に入ったが、皆元気だ。
アヴェ湖はこれも長い湖畔(長さ41km、幅1km、最深94m)をもち、いくつかの城址が湖上の島に残っている。右手のA819をアヴェ湖に沿って北端に走ると、Kilchurn Castleキルカーン城が小島の上に見える。15世紀 Clan Campbellキャンベル氏族(スコットランドのハイランド地方最大の氏族のひとつ)が築城したものだ。インヴァレリー城と同じ、後のアーガイル公爵家である。
キルカーン城でA85になり、更に山間をぬってConnelコネルからA828、Portnacroishポートナクロイッシュに抜けて、Loch Linnhe リニ湾(長さ50kmの細長い湾)に出る。すると湾の島上に立つ、絵のように美しい(カレンダーに常時掲載されるらしい)Castle Stalkerストーカー城が目に入る。「ストーカー城」という名前はスコットランド・ゲール語で「猟師」や「鷹匠」の意味だそうだ。城はリニ湾の入り江であるLoch Laichリック湾に浮かぶ島にそびえていて、14世紀に築城された4階建ての城砦である。A828号線 からストーカー城を望むことができるので、しばし車を停めて、写真を撮った。
散歩中なのか、目の前をキルトのスカート姿の小父さんが家族と登って来た。
A828号線を行くと、South・Ballachulishサウス・バラチュリシュからまたA82に変わり、スコットランド最長の入り江であるリニ湾の奥、ネビス川とロッキー川の河口に位置する町Fort Williamフォート・ウィリアム(人口1万人、「兵営」の意がある入植地)に着いた。ここでは遠泳大会があり大勢の人が出ていた。現在の8月の平均気温は16℃~8℃だそうだが、当時は今少し暖かかったようだ。それでも遠泳大会とは少々驚く。伝統的なキルト姿の女子鼓笛隊が彩を添え、嬉しいことに娘たちと一緒に写真を撮ってくれた。
もうこの町はスコットランドのハイランド地方になり、ロンドンから824 km、エディンバラに216kmの距離にある。
Fort Williamフォート・ウィリアムからA82を北に20km程行った、A87傍の山際にあった石造りの小さいホテルを見つけ、ここに1泊することにした。
ホテル インヴァーガリーを出発し、そこから5kmにガリー川が流れ込むLoch Garryガリー湖(長さ4km、幅250m、最深15mという小さな湖)がある。
更に12km北には有名な、伝説のLoch Nessネス湖が続いてあり、そのネス湖畔、つき出したような岬には、その地に相応しいようなスコットランド独立戦争の舞台となったUrquhart Castleアーカート城址が残る。
はるばる長躯してやって来たアーカート城址はA82の道路沿いだが、この道は国道とはいえ狭く、路肩に駐車するにも苦労した。
(今は駐車場が出来ているようだが)
ハイランド地方の首都と云われるInvernessインヴァネス(ネス川の河口を意味する)の町から南西約10kmにある中世初期の要塞の上に、Urquhart Castleアーカート城は13世紀から16世紀にかけて建造されたが、現在は廃墟となっている。
14世紀に起こったWars of Scottish Independenceスコットランド独立戦争(13世紀から14世紀にかけてスコットランド王国で起こった、イングランド王国に対する戦争である)では、歴史の舞台となった。
アーカート城の存在が最初に歴史書に記録されるのはスコットランド独立戦争の当事者であるEdward I of Englandエドワード1世イングランド王により占領された1296年の時だ。エドワード王のスコットランド侵略をきっかけに起こったスコットランド独立戦争は1357年まで断続的に続いた。
そうした争いの後、アーカート城はイングランド王家のもの(王城)となった。
王城となった後もアーカート城はスコットランドの有力氏族*Clan MacDonald/Mcdonaldマクドナルド氏族のEarl of Rossアール・ロスには何度も攻撃された。 1509年、アーカート城はスコットランドの別の氏族Clan Grantクラン・グラントに下付されたが、マクドナルド氏族との争いは続いた。
その後もアーカート城は幾度か急襲を受けて補修、増強されたが、17世紀の中頃には打ち捨てられた。アーカート城は1692年、*Jacobiteジャコバイト軍の手に落ちるのを阻止するため、門楼を爆破し、荒廃していった。
*スコットランドの独立のために戦った実在の人物にSir William Wallace サー・ウィリアム・ウォレスがいる。
1995年のメル・ギブソンが主演・監督をした米映画『Braveheartブレイブハート』はサー・ウィリアム・ウォレス(1270年頃~1305年、スコットランドの愛国者、騎士、スコットランド王国の守護者及び王国軍指揮官)の生涯を描いた歴史映画である。
*Jacobiteジャコバイトは、1688年イングランドで起こった名誉革命の反革命勢力の通称である。彼らは追放されたステュアート朝のジェームズ2世およびその直系男子を正統な国王であるとして、その復位を支持し、政権を動揺させた。ジャコバイトの語源はジェームズのラテン語名(Jacobus)である。
*Clan MacDonald/Mcdonaldマクドナルド氏族およびClan Donaldドナルド氏族 は、スコットランドの氏族の中でもっとも大きい氏族のひとつである。
天気も悪く、陰鬱な印象を見せた17世紀以来のアーカート城址は、スコットランドでも大きい湖であるネス湖(長さが約35km、幅約2kmの細長い湖で、水深は最大で約230m)を見下ろす岬の突端に位置していた。
アーカート城はスコットランドでも特に大きな面積を持つ城の1つである。
西側に入口を持ち、堀と跳ね橋で守られている城には、北に門番小屋など現存する建物の殆どが集中し、目立つのは北端に立つ5階建てのGrant Tower天守閣(縦12mX横11m、壁の厚みは最高3m)である。南はより高い位置にあり、築城当時の残骸が少し残っている。
見物人も夏季の日曜日にしては少なく、十数人だった(今は年30万人以上を数える)。
当時からネッシー(未確認動物)伝説もあって、神秘な湖を背景にして立つアーカート城址は、それなりに興味を引き、スコットランドでエディンバラ城とスターリング城に次いで観光客が多い城となっていると云う。
縄張り図の詳細:A Site of drawbridge; B Gatehouse; C Upper Bailey;
D Chapel; E Inner close; F Grant Tower; G Great Hall; H Kitchen;
I Water gate; J Nether Bailey; K Motte ; L Doocot; M Smithy; N Loch Ness
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<Hotel Invergarryホテル インヴァーガリー>
Invergarry Scottish Highlands PH35 4HJ
https://www.invergarryhotel.co.uk/
現在のホテルは4星・全13室。室料・食事代込み£61.15。
きれいに改装されているが、当時は古めかしい典型的な石造りの小さいホテルでした。River Garryガリー川(全長5.6kmと短い)に望む、静かな場所にあるCounty Innカントリーインで、スコットランド高地観光(フォート・ウィリアム、ネス湖、インヴァネス、西海岸、スカイ島など)に適した場所にある。
元々は古くから続く*マクドナルド一族の歴史的な家屋だったと云う。1885年築の古い駅馬車宿を改装したホテルで、改装前まではスポーツや狩猟用のロッジとして使われていた。宿泊した2階の部屋もきれいで、1階にあったスコットランド料理を提供したレストランの味も好ましく、満足した。
閉じる投稿日:2020/08/30
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このスポットに関するQ&A(0件)
アーカート城について質問してみよう!
インバネスに行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
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- …他