静園 jingyuan
史跡・遺跡
3.32
施設情報
クチコミ(13件)
1~13件(全13件中)
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溥儀が暮らした
- 3.5
- 旅行時期:2024/05(約2年前)
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溥儀が満州に移る前に生活していた洋館です。
- 5.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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傅儀の書斎・寝室などが残る
- 3.5
- 旅行時期:2019/12(約6年前)
- 8
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皇帝の住まいとしては小さい。
- 4.0
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
- 3
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歴史的な雰囲気
- 4.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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ラストエンペラー・溥儀が天津で張園の次に住んだ場所
- 4.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
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「ラストエンペラー」の天津での居所
- 4.5
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 1
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天津近代史
- 4.0
- 旅行時期:2013/11(約12年前)
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ラストエンペラー愛新覚羅溥儀が暮らしていた家
- 3.0
- 旅行時期:2012/03(約14年前)
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「ラスト・エンペラー」溥儀の住んでいた屋敷
- 4.0
- 旅行時期:2012/01(約14年前)
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「ラスト・エンペラー」溥儀が亡命していた住居です。
溥儀は清国皇帝、亡命者、満州国皇帝、戦争犯罪人、一般市民と人生が二転... 続きを読む三転した人で、中国皇帝の中では蓁の始皇帝と並びもっとも有名な皇帝と言えるでしょう。
このあたりは当時は日本の租界地。
革命政府により、故宮を追い出された溥儀は日本軍の手引きによりここに7年ほど住んでいました。やがて日本軍に傀儡として日本の傀儡政権である満州国皇帝に祭り上げられました。
一般人なら豪邸でしょうが、元皇帝の住まいとしては狭くて質素でした。
あの故宮からここではそれこそ「小屋」に閉じ込められたような気分になったことでしょう。
二転三転した溥儀の人生を象徴するような家と思いました。
閉じる投稿日:2020/12/27
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ラストエンペラーの家
- 2.0
- 旅行時期:2011/08(約14年前)
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静園 2007年7月から再公開
- 3.0
- 旅行時期:2011/07(約15年前)
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静園はせいえんと読む。原名は幹園かんえんと読む。溥儀が1929年から1931年まで暮した家。静かに変化を見守り、皇帝に再び... 続きを読む戻れる時期を待つ意。建物は3棟。母屋は日本式高級邸宅。2007年ガイドブックには地元民が生活しているから見学不可と記されている。地元フリー誌では2005年から07年にかけて改修工事。
開園8時半から11時半まで。月曜休園。入園料20元。電話2731−1618−1568。知り合いが言うには45家族が居住。改修前の散々な様子と改修後のジオラマまで展示されてる。
溥儀の皇后えんようがたばこを吸う場面やカメラを持っている写真が印象的。館内は撮影禁止。 閉じる投稿日:2011/07/17
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ラストエンペラーの天津での家
- 4.5
- 旅行時期:2010/08(約15年前)
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