△53高地に建つ慰霊塔です。
- 5.0
- 旅行時期:2016/06(約8年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
知念・玉城・八重瀬 クチコミ:57件
魄粋之塔(はくすいのとう)は、昭和28(1953)年6月に旧具志頭村によって建立された慰霊碑と納骨堂です。納骨堂には10,150余名の遺骨を収めましたが、その後多くは国立沖縄戦没者墓苑へと移されています。
沖縄戦での地上戦が始まる寸前、台湾へと抽出された第9師団の後任としてこの地にやってきたのは第24師団隷下の歩兵第89連隊。そのうち具志頭の警備にあたっていたのは第2大隊第5中隊でした。
米軍上陸地点を港川と読み間違っていたこともあり、地上戦初期にはそれ程激しい戦闘もなかったようです。しかし戦況の悪化と首里にあった第32軍司令部の南下撤退に伴い、主戦場は沖縄島中部から南部へと移ることとなり、この魄粋之塔が建立されている52.5mの琉球石灰岩の岩山が△53高地と命名され、島尻東部に於ける激戦が行われた場所でもあります。
結果として軍民問わず多くの犠牲者を出したこの地区で、やはり住民の方々主導によってそして塔の後方には戦争で亡くなられた具志頭村出身の芳名が刻まれています。魄粋之塔自体は集落単位で建立された慰霊碑と大差はないと思うのですが、この敷地内には?忠魂碑?が建立されています。建立時期は定かではないものの戦没者を含む公務中に亡くなられた方々を祀る塔であるため、違和感を感じました。
恩納村にある忠魂碑は破損が激しく、戦後に軍関係の慰霊塔を感情的に破壊したことは知られている事実です。しかしこの具志頭で見た忠魂碑はあまりにもきれい過ぎるように思えました。あり得るのかどうかもわかりませんが、戦後に再建立されたものもあるようなことも言われています。
魄粋之塔にはお弁当を持って参拝に来られた年配のご夫婦がおられました。その姿はやはり沖縄戦に於いて多くの地元の方々が亡くなったことを表しているように思いました。建立目的の違うふたつの塔が並ぶこの場所は、戦中戦後の複雑な沖縄県事情を示しているのではないか…改めてそう思いました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和祈念公園から車で15分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 一組のご夫婦が見えておられました。
- バリアフリー:
- 3.0
- 段差はあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 建立が住民主体のものとしてまた違うような感じも受けました。
クチコミ投稿日:2016/07/12
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