琉球処分反対の指導者の生家跡
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- 旅行時期:2016/04(約8年前)
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by はまちゃんさん(男性)
那覇 クチコミ:469件
「亀川盛武生家跡」は、モノレール儀保駅より北へ歩いて3分ほどのところにあります。
生家跡には説明板があり、亀川盛武の肖像画とともに、次のような説明があります。
【説明板に記載されている文章】
琉球処分期の三司官、処分反対の指導者であった亀川盛武の生家跡。
亀川家は、毛氏豊見城殿内(もううじとみぐすくドゥンチ)の分家で、与那城間切(よなぐすくまぎり)の総地頭家(そうじとうけ)である。
1871年に維新慶賀使が上京。尚泰(しょうたい)を琉球藩王とする旨の命を受けて帰国したが、それが琉球処分への布石となったことから、亀川らは慶賀使の伊江王子朝直、宜湾親方朝保らを激しく糾弾、三司官の宜湾を辞職に追い込んだ。
1875年に、明治政府の処分官松田道之が来島。処分へ向けた諸策が次々に打ち出される中、亀川は反日派(頑固党)のリーダーとして、士族層の抵抗運動を指導した。処分の後も脱清(脱琉渡清(だつりゅうとしん))派を支援して、県政への非協力を画策するなど、抵抗の姿勢を崩さなかった。
琉球王国の崩壊という抗しがたい現実に、それでもなお抵抗せんとした亀川は、時代を象徴する人物の一人だったといえる。
現地は、民家の前に説明板があるだけで、生家の遺構らしきものは残っていません。説明板の後ろにある民家との関わりも判りませんでした。1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)については、ほとんど知識がありませんでしたが、この説明板を見て勉強してみたいと思いました。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2016/06/04
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