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天満屋跡 中井正五郎殉難の地

名所・史跡

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天満屋事件

  • 4.5
  • 旅行時期:2014/05(約12年前)
bluejaysさん

by bluejaysさん(男性)

京都駅周辺 クチコミ:7件

坂本龍馬は、海援隊の伊呂波丸が紀州藩の明光に衝突され沈没した事件で、巨額の賠償金を紀州藩に要求していた。それゆえ土佐藩士たちは、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された事件は紀州藩の三浦休太郎の仕業と考えた。土佐藩士は三浦の暗殺を企図し、三浦は新選組に警護を依頼した。
1868年12月7日、三浦と新選組6名が天満屋2階にいたところを、海援隊・陸援隊士ら16名が襲撃した。まず十津川郷士中井庄五郎が「三浦氏は其許か」と声をかけ、「左様」という返答を聞くやただちに斬りつけた。三浦は頬を斬られ、中井は新選組隊士に片腕を切り落とされた。燈火は消され、暗闇での乱闘となり、やがて「三浦を討ち取ったり」の一言が闇の中に響きわたると、襲撃者たちはいっせいに退散した。しかしその言葉は新選組の機転により発せられたものであり、三浦のものと思われていた首は実は中井庄五郎の首であった。中井の首は無惨にも、仲間によって古井戸に投げ捨てられた。中井の首を刎ねたのは斎藤一だったという。
この事件で襲撃側では中井庄五郎が死亡、新選組は近藤勇の従兄弟宮川信吉と船津釜太郎が死亡した。

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
5.0
見ごたえ:
4.5

クチコミ投稿日:2015/07/23

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